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【4219995】算数抜き入試の進学校は成立するか?

投稿者: あおいとり   (ID:1He7D2g8uno) 投稿日時:2016年 08月 21日 02:44

いわゆる「受験算数」は事実上何らかの形で「やり方」を指導されないと対応が難しいこと、中学以降のカリキュラムと連続性のない領域があることからしばしばその存在意義が疑問視されてきました。
しかし、中学受験では総じてこの教科が相当高い配点を与えられていることが多いです。
そこで思うのですが、こうした「中学受験の主流」に対するカウンター的なコンセプトとして、入試でいわゆる受験算数を課さずに麻布とか開成くらいの進学実績をたたき出す一貫校が現れたら面白いと思いませんか?

私自身も「受験算数劣等生」だったけれども、それでも大学段階では特に引け目を感じないようなところに進学しているので、そういう系統の生徒が相当数集まればやってできないことはないはずだと思うのですが。

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  1. 【4260346】 投稿者: 他人事  (ID:8AbwYBBqP9Y) 投稿日時:2016年 09月 24日 22:49

    >国際学力テスト:フィンランドの凋落とアジアの台頭

    フィンランドは電卓使わないで優秀というのと、
    どっちが正しいデータなんだ?

    マスコミの記事を鵜呑みにしちゃいけないんだね…

  2. 【4260687】 投稿者: バラード  (ID:.gtNZCBmD96) 投稿日時:2016年 09月 25日 08:45

    あおいとり様の言わんとしていることは何となくはわかるのですが。

    どこか誰かが、これ以上の問題(難問としておきましょうか)は受験算数、これ以下はただの算数、、という切り分け でしょうか。

    そのことは別として。もう一度お聞きしたいのですが。
    中学受験に算数科目は音楽などと同じようになくてもいいのではないか。
    算数が受験にあってもいいけど、難問=受験算数、はやめてほしい。
    そもそも、算数自体、小学校の学習範囲(基礎も発展も含め)が疑問。
    元に戻ると、算数の難問にさほどの意味はないので、(基礎ドリル範囲でOK)必要なし、、、、 どれなのか?

    極論すると、どれかの主張だと思っています。
    逆にお聞きしたいことは、国語や理社はどの程度の難問が許されるのか。
    学校の教科書、基礎ドリル等の難易度範囲を逸脱してはいけない?

    私は中受では、選抜に算数があろうがなかろうが、科目が2科目でも3科目でも、筑附のように全8科目でも、慶応のように体育があっても、音大付属なら音楽があっても一向に構わないと思っています。

    これと、算数の難問===のありなし、、関係あるのかどうか?
    中高大、どこでもレベルの高い教育、レベルの高い子が集まってそこからスタートしようとする教育ならば、必然的に問題の質が変わってくるのではと思っています。

    教育改革で、統一レベルテストと、論文、ディスカッション、活動歴、面接口頭試問など出てきて、選抜方法は変わると思いますが、そうなったとしても、統一レベルのテストでさえ(今ではセンター)、満点とるのは大変、問題の質が違う、誰もができる問題ではない出題も当然あるわけです。

    それでも、統一レベルで、難問出すな(中高大どこでも)ということなのでしょうか。いや中学だけは? ということなのかでしょうか。

  3. 【4260732】 投稿者: アメリカン  (ID:l5l1ireHV0o) 投稿日時:2016年 09月 25日 09:19

    フィンランドのPISAのデータ(凋落)は2006年と2012年を比べたもの。
    本が出版されたのが(それも翻訳本)、2016年なので、覆すわけにもいかず、俗に言う大人の事情ではないでしょうか。
    算数(数字)抜きの世界は、扇動の危機にも繋がりかねないと思っています。もちろん、数値も意図的に操作できますが、計算方法を変えて真実を見抜く事は可能です。
    言論は言論のみの情報でしかなく、更に発信者の表情やニュアンス、文体も加わり、簡単に人の心を左右します。プレゼンがうまかったりしたら、これまた厄介です。AO入試の面接のように。

    余談ですが、こちらもどうぞ。同じ現代ビジネスの今月の記事です。
    人事さんの主張と似ていますね。

    「日本人の「英語下手」は教育を変えても変わらない。その単純な理由」
    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49641?page=2

    >そもそも英語で話すということは、身体の能力なので、ピアノを弾けるようになるとか、外野フライを捕れるようになるなどと同じで、繰り返し練習しないといけない。とても好きか、すごく必要性が感じていないと、まず習得できるものではない。

    抜粋ですが、上記の部分は斬新です。
    スピーキングは、主要科目の中に含めず、音楽や体育と同等の扱いにするべき、という意見です。

  4. 【4260740】 投稿者: 風雲  (ID:i6CoAzcn9O6) 投稿日時:2016年 09月 25日 09:28

    日本の学校教育は伝統的に、詰め込みでも良いからとにかく広い分野をとりあえず
    学ばせて均一な質を確保する、という考え方だと思います。(ゆとり教育はその反動)
    受験にもその流れがあって、とりあえず全部マスターしていることが(現段階では)望まれており、さらにその発展分野で差を見ているのだと思います。
    アジアではさらに徹底しているのでしょうか?
    以前インドの難関校(?)生(日本の15歳相当)の教科書を見たことがありますが、分厚くて中身もぎっしりで(日本の大学のテキスト並み)驚きました。
    さすがに勢いがあるなと思いました。
    ただ、これらの国では日本以上にエリート層とそれ以外の格差も厳然とあるのだろうと思います。よってそのエリート層に入ることが日本以上に受験のかなり強い動機付けになっているのではないでしょうか。

  5. 【4260853】 投稿者: 東大理系OB  (ID:fYvpxh1dUfc) 投稿日時:2016年 09月 25日 11:09

    現代メディアの記事、拝読しました。
    文部科学省の公式見解はさておき、日本の状況を考えると、空論としか言いようがありません。
    他のスレに書いたことがありますが、「英語をそこそこ話せる」定義をCEFRno
    B2レベル(ヨーロッパ中心に広まる外国語運用能力の基準)~英検準一級程度、とすると、9万人の母集団(国公立高校生)の中でライティングがこのレベルに達しているのは1名(1%ではありません)、スピーキングは0名、という状況です。
    これを、二級レベルまで下げると、ライティングが0.7パーセント、他の能力は1%を超えています。

    これが、実態です。

    これを、3割や4割に増やすのは、絶対に無理。
    2級でさえ、1%居ないかも知れない。これを4割に引き上げる、という目標設定はクレージーです。

    二コブラクダ、それも、前のコブが限りなく小さくなることを前提に、B1をB2に、A2(準二級程度)の一部をB1に引き上げるくらいがせいぜいでしょう。
    マジョリティーを動かそうとすると失敗するし、誰も、そんなことは望んでいないでしょう。

    本気で英語を運用できる日本人を増やすなら、中学一年から、レベル別クラスにして、上級クラスには山のような課題を与え、しごき倒すしかありません。
    たぶん、公立では、過剰な結果平等志向から、やらないし、教師のレベルから、とてもできないでしょう。

    しかし、上位私立の中高の入試は、確実にこういう方向を志向します。
    放置すると、個人で投資できる家庭のの人のみ、チャンスをつかむということになります。

  6. 【4260859】 投稿者: あおいとり  (ID:1D.pBYRGdMA) 投稿日時:2016年 09月 25日 11:12

    国語にはそもそも漢字以外には事実上学年による線引きは存在しないので、語彙や内容の難易差はあっても、小学生高学年以降は大学入試まですべきことはずっと同じです。(そのため、いちど解き方のフォームを確立すればもうあまり多くの時間を学習に割く必要はなくなります)ただ、現代文では特定ジャンルの知識が影響することもあるので、問題としての解き方を体得すればあとは単純に読書の幅で決まる感じでしょうか。

    国語と算数が、「基幹学力=今後あらゆるジャンルを体得するためのスキル」という位置づけで最もベーシックな科目構成として課されることが多いのに対し、理科と社会は主に「生徒の興味関心のありよう」をみるためのものといえるでしょう。これらの科目については、これを課する中学としては、なるべく座学一辺倒ではなく生活環境への関心が反映されるように出題する考え方で取り組んでいることが多いように見受けられます。

  7. 【4260862】 投稿者: 東大理系OB  (ID:fYvpxh1dUfc) 投稿日時:2016年 09月 25日 11:15

    受験算数について

    私は、そんなに悪くないと思っていますし、上位中学の問題は非常に良く考えられて、トリッキーなものは少なく、まともに推論し、ときに場合分けし、まともに計算すれば解ける問題が多くなりました。

    方程式の導入について議論があるのはわかります。

    しかし、私の頭の構造は、数式をビジュアル化しないと理解できない、という構造なので、旅人算を面積速度で解こうが方程式で解こうが、頭の中には、縦軸距離、横軸時間のグラフがあったりします。
    このイメージは、偏微分方程式になっても、巨大な行列演算になっても、あまり変わらないんですよね。

    ということで、受験算数、改善すべきところはあるかもしれませんが、そんなに悪くない。

    子供たちも、なんとなく楽しんでいたように思います。

  8. 【4260878】 投稿者: 東大理系OB  (ID:fYvpxh1dUfc) 投稿日時:2016年 09月 25日 11:26

    連投失礼

    人事さんの主張は、英語を習得すると頭の中の日本語や日本文化を壊す、ということだと理解しています。

    しかし、英語のレベルにもいろいろあるんですよね。
    アメリカやイギリス本国で、言葉そのもので勝負する職業で勝ち抜こうと思ったら、日本語を捨てる覚悟は必要かもしれません。詩人、小説家、ジャーナリスト、ニュースキャスター、俳優など。残念ながら、弁護士や医師もこのカテゴリーに近いです。
    (たとえば医師の場合、ERの修羅場で、ありとあらゆる訛りやスラングが飛び交う中で、一秒を争う指示を出し続ける英語力が求められ、これに達しない英語力の医師を病院が採用すると、アメリカの国家試験に通っていても、アメリカ人の職を奪った、と地元医師会から抗議を受けたりします)

    しかし、日本人とイラン人とロシア人とカナダ人がビジネスの交渉をやるときの英語は、こんなにシビアではありません。スラングは不要、教科書英語できっちりしゃべればいい、日本人発音に相手を慣れさせてしまえば、なんとかなります(そのかわり、わけのわからないスペイン英語にも文句を言わない)。また、ややこしい修辞学は基本的に不要、誤解を与えない単純な英語でロジカルに積み上げていければ大丈夫です。このレベルを目指すべきで(正直、いかに簡単化された英語とはいえ、準一級レベルでは太刀打ちできませんが)、Nativeに溶け込む英語は不要、と考えています。
    このレベルであれば、日本語を失う心配はいりません。
    算数もきっちりやりましょう。
    その程度できる小学生は、たくさんではありませんが、100人に2~3人は居ます。

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