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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【3945918】 投稿者: 自由  (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2016年 01月 02日 12:37

    東大法学部を、自称東京専門学校の二俣川が、自らに夢想して、研究者は上位○%!

    なんて勘違いしても無意味であって、

    二俣川は無職、それが現実である。

  2. 【3945922】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 01月 02日 12:40

    だからさ、お前のような駅弁出の田舎者の視点の滑稽さを指摘したわけ。
    ちなみに、新左翼諸党派の指導者であっても、東大・京大・東工大等はザラ。
    共産党の志位さんも不破さんも東大理系の秀才。
    公明党の山口、民主党の岡田も東大出身。
    他方、自民党アベと大阪ファシスト党のマツイは・・・笑

    まして、早慶はいても、お前のような田舎駅弁出の幹部を聞いたことがない。

  3. 【3945923】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 01月 02日 12:41

    >研究者が上位○%とは、お笑いである。

    それはお前が学問の世界と無縁ゆえ知らないだけ。

  4. 【3945924】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 01月 02日 12:50

    厳密にいうと、昨年の私は無職ではない。
    ささやかながら、大学から収入を得ている。
    ゆえに、例のマイナンバーカード番号の提出要請も受けた。
    さて、これから先生のお宅に新年の挨拶にうかがう。
    じゃあな、駅弁。

    いずれ、お前の「母校」の教授にでも就任出来るかな。

  5. 【3945958】 投稿者: 今聖徳太子  (ID:eAg3PM10aac) 投稿日時:2016年 01月 02日 13:55

    二俣川よ

    小保方博士を産み出した粗悪教育杜撰学位論文審査早稲田大学の院生であるお前が、東大法学部教員を理論で凌駕出来る訳が無い。

  6. 【3946074】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:bLH7kePobRc) 投稿日時:2016年 01月 02日 18:14

    稲作、冊封についての教科書記述が論点になっているのだろうか?
    去年、「一般に冊封・朝貢は宗主国との前近代的な国際関係の形態を指すところ、君臣関係が儒教思想によって特に江戸幕藩体制の維持に転嫁され、朱子学が官学として採用されていったわけだから、思想的影響をもって「冊封」下にあったと言えなくはない。
    しかし統治の正当性として儒教の本質を「仁政」に求めるならば、君臣関係を意味する「任命」、将軍宣下が武家階級のみならず庶民階級にまで浸透していなければ、国家レベルで冊封下にあったとはおよそいえないのではないか。何より国王、つまり将軍宣下の詔勅は天皇によって発布させられる。従い、国内秩序にまで儒教思想を拡大させ、「広義」という文言で冊封下であったというのには無理がある。仮に冊封下であるとするのなら、中国外交史がご専門であった故坂野正高教授の国際関係から見た「冊封」を説くアプローチのほうが、わたしにはすんなりと受け入れられる」と書いた。

    以上の書き込みにつき、じっさい2,3の教科書を取り上げ私見を補足する。尚、教科書の記述内容については元文化庁長官、三浦朱門編著「全歴史教科書を徹底検証する」(小学館)を引用する(2006年刊ゆえ内容の変更があるかも知れないが、比較材料としてのみを目的とする)。

    まず東京書籍は古代ではなく中世最後の個所で「東アジア世界の朝貢体制と日本」という主題学習を設けている。そこには朝貢の意味とこれが漢代に始まり19世紀まで約2000年続いた、と記されている。一方、臣属関係を強要するシステムとしての冊封体制の説明はしていない。
    次に帝国書院だが、秦の始皇帝を説明した後で、「これまでの『王』を超える力を示すため『皇帝』という呼称を使い始める」としており、中華秩序説明の導入かとも思えるが、それ以上の言及はない。
    扶桑社は「邪馬台国と卑弥呼」の後に「中国を中心とした国際関係」の小見出しを設け、金印下賜、「王」の称号の意味、出兵などを例示、「卑弥呼の時代に我が国はこうした中国皇帝を中心とした東アジアの厳しい国際関係に組み込まれていた」としている。

    さて国際関係からのアプローチの方がすんなりと受け入れられると書いたが、以下の理由による。
    1、古代日本の歴史を理解するためには、中国との関係、とりわけ中華秩序の意味を理解しなければならない。そのためには冊封(臣下の礼をとり周辺諸国の主張に対して王号、爵位を与え領域支配を認知すること)についてきちんと説明するべき。
    2、ここの理解がないと古代日本の外交上のフレームがみえず、後の聖徳太子の対隋対等外交の意義、つまり我が国外交史上の転換点の意義に繋げた体系的な思考が組めない(1、2、の指摘については前掲書P.39)
    3、体系的な思考は個別的な事柄を記紀、あるいは古墳等に着目した学際的な歴史の見方として、後の受験等に役立つはずである。

    例えばH.25年度東大日本史の記述問題などは上記3、に書いたような体系的(あるいは連続的)思考の重要性を問うもので、中華秩序と冊封の基本的理解、あるいは記紀に対する関心がなければ、合格答案は覚束ないといえるのではないか。

    先にヤタローさんが、
    >真実と真実が糸が繋がるように、連綿と続いてきたと考える。
    と書かれたことを受けて、

    「その糸を繋げるものは我々現代に生きる者の知的関心、好奇心であろうと思う。」と書いた通り、その関心、好奇心を持つことについては、我が子にも教えていきたいと考えているところである。

  7. 【3946138】 投稿者: 今聖徳太子  (ID:eAg3PM10aac) 投稿日時:2016年 01月 02日 19:59

    朝鮮には日本の古事記や日本書紀みたいな文献はあるのか。

  8. 【3946189】 投稿者: 自由  (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2016年 01月 02日 21:16

    もっとも古い歴史書は1145年完成の三国史記。

    これによれば、

    「脱解本多婆那国所生也。其国在倭国東北一千里」

    新羅王の4代目脱解王は倭国出身らしい。

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