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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【4028924】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:C03EY9chBlY) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:12
しっしっ 笑
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【4028926】 投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:12
こんばんは。
私宛ではないのですが
>家内と高千穂峡→霧島と国内旅行をしたこともあり、図書館で「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」(梅原猛 新潮社)に興味を持ち、借りてきたのだが、旅行でいく道いく道、神話がぎっしり詰まっていることに驚いた次第。
本に収録されている地図や写真を楽しみなが、古代を徘徊している。
ご存知のとおり、天孫降臨の場所は高千穂なのか、霧島なのか議論があるのだが、
本居宣長は、「古事記伝」ではじめは高千穂に天孫は降臨したが、その後、霧島に移ったという説、どちらも正しいと考えていたらしい。
まだ、冒頭だが、この本はなかなか面白く、
なんと、あの構造主義の祖レヴィ・ストロースが、わざわざ日向神話の鵜戸神宮を訪ね、その洞窟のなかで山幸彦とトヨタマヒメが結婚したのは、その風景の美しさで感激のあまり「その通りだ!」と感じたらしい。
私も国見ヶ丘からの素晴らしい風景に、天孫降臨はこの場所だったに違いないと感じたのだが、梅原猛も言うとおり、証明書付き歴史観では限界があるように感じる。
(自由様)
私も晴れた日の国見ヶ丘からの景色を見たことがあります、本当にすばらしく絶景でした。神々が高天原から天降りてくるイメージが頭に湧いてくるようでした。そこは雲海の名所でもあるので(残念ながら季節がら見れませんでした)
早朝の神々が降りてくるような神秘的な光景がみれるそうですね。
天孫降臨の高千穂が宮崎の高千穂か霧島の高千穂見峰のどちらかと問われれば、景色だけであるなら高千穂峰も本当に美しく、この美しい峰を目印に神様達が降りてこられたのも思わず納得できるほどの風景だと思います。
ご紹介下さった「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」(梅原猛 新潮社)を私も図書館で借りてこようと思います。
本を読みながら「古代を徘徊」なんて、たまらない魅力を感じますね。
自由様と冷静にかんがえると様のお話の中に時々その道の権威のお名前を拝見することがあるのですが、恥ずかしながら殆ど全く知らず分からずで。
その私には始めましてのレヴィ・ストロースさんですが、日本に来て高千穂の景色に感激してくださったことは日本人として嬉しい限りです。
早く読んでみたいですね。 -
【4028927】 投稿者: 自由 (ID:zuSlGepGEj6) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:13
二俣川
この負け犬を処分しろ。
飼い主の責任。 -
【4028934】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:C03EY9chBlY) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:14
しっしっしっ 笑
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【4028938】 投稿者: 自由 (ID:zuSlGepGEj6) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:15
しつこい
早く出て行け。
挑戦人 -
【4028947】 投稿者: 二俣川 (ID:WdyJ6EHGGUw) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:20
今聖徳太子よ。
キミからの問いに対して、次をもって答えに代えたい。
「消費税は『正当』か」
いかなる行為が「正当」であるかにつき、問題はその行為を判断する基準にある。
それを一つの基準に照らして考えるとすると、個々人の基準は無数に存するがゆえ、正当性も無数に存在することにならざるを得ない。
だが、個々人の基準も、個々人の主観を離れ、より客観的な基準からさらに価値判断がなされ、
ふるいにかけられていく。
社会的基準も、たとえば職業によって少しずつ異なろう。
それを高次のものに統一していっても、最後に残るものは
「生産手段の所有者と労働力の提供者との階級の差による基準の相違」である。
結局、bourgeoisieとproletariatとは別の基準を持っていると言える。
他方、「合法性」はこれと異なる。
この基準は社会全体に一つしか存在しない。
また、それを可能とするために国家権力が直接その基準の背景となっている。
たしかに、米国や西欧のような発達した資本制国家においては、正当なものが即合法と言われた時期があった。
たとえば封建制度を打倒したフランス革命でのbourgeoisie。
彼らは、反封建=反王制との点で全国民の利益を代表した。
ゆえに、彼らの基準は全国民の基準を代表し、また国家権力を掌握後には法律の形での公の承認が付与された。
したがって、正当なことはすべて法によって守られ(合法)、
すべての法は正当なものであるように一見思われたのである(欺瞞)。
しかし、実際にはすべてに亘り正当性と合法性が一致していたわけではない。
たかが、一片のパンを盗んだジャンバルジャン。
資本制国家はそれを所有権の侵害として刑を科し、彼を牢獄に入れた。
たとえ彼に餓死の危機あったとしても、bourgeoisie=資本制国家はそれを正当とするわけにもまいるまい。自らよって立つ基盤の否定になりかねないからだ。
他方、proletariatは資本制国家の欺瞞を否定する。
ゆえに、一片のパンの価値よりも、ジャンバルジャンの命の重さを「正当」だと訴えるのである。
このように、支配層たるbourgeoisieは法を形式的に解することにより、
現在の実質的優位を確保しようと画策する。
一方、proletariatは法を実質的に解しようと努める。
マルクス主義法学は、今日いかなる行為が「正当」であるかを確定する。
同時に、いかなる行為が国家によって「合法」とされていくかを実証かつ批判的に考察する。
当然、その立場は『唯物史観』である。
日本国憲法は、84条で以て「租税法律主義」を定めた。
国会で、我々の選良らにより税が決められ強制される。
「合法」ゆえに。
だが、逆進性高い消費税は、この国の貧しい者らにとり、
はたして「正当」なものであろうか。
(以上、私の書き込みからの転載) -
【4028949】 投稿者: 自由 (ID:zuSlGepGEj6) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:21
何度も同じものを貼りつけるな
あっほ -
【4028955】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:C03EY9chBlY) 投稿日時:2016年 03月 08日 20:22
自由、激しい憎悪。笑
二俣川が憎い!!!
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