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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【3949357】 投稿者: 自由  (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2016年 01月 05日 23:56

    蛆虫連呼の二俣川は、

    アク禁か?

    爆笑

  2. 【3949513】 投稿者: 暇なおじさん  (ID:1DesB9gqus6) 投稿日時:2016年 01月 06日 07:39

    冷静にかんがえると様

    徐福の話は大変興味深いですね。秦の始皇帝の勅命を受けて日本に来たわけですし
    数千人規模の一団ですから、当時の日本の人々から見ると秦の始皇帝に繋がる
    人々だと思うのももっともです。そこから姓に「秦」の字がつくような人が現れ
    てもおかしくありません。中国で徐福村が発見されて徐福の研究が本格的に行
    われるようになったのは最近のようですが、これも中国を出奔してしまって中国
    に何も残してないような人ですから当然ですが、日本にとっては大変重要な人物
    でしょう。
    稲などの五穀の種と供に当時の最新技術の工作や建築の工具を持参したようです
    から、稲作技術の飛躍的な進歩が推察できます。恐らく当時から日本人は文化や
    技術の導入や改良については得意だったのではないでしょうか。そう考えると半
    島とは違った稲作工法や文化を独自に作って行ったと考えることも出来そうです。
    当時のこの徐福とその一団の人々は進んだ文明を持った優秀な人達だったでしょう
    から、その子孫の人々が日本の中枢を担って行ったと考えるのもおかしくあり
    ませんし「秦河勝」とのつながりがありそうな雰囲気がぷんぷんします。

  3. 【3949518】 投稿者: 自由  (ID:11UoBZZnxX6) 投稿日時:2016年 01月 06日 07:53

    ちょっと余談だが、

    ひとつの歴史観として、

    >貧しい縄文時代の倭国に、朝鮮半島から稲作技術をもった弥生人が渡来して、またたく間に縄文人を征服した。これは朝鮮民族ではないだろうか。

    こういう骨董品的歴史観があるが、
    どうして、そういう歴史観が生まれるかというと、

    唯物史観の持ち主からすれば、君主制たる天皇制が残置している日本はブルジョワ革命が必要であって、天皇制打倒のための方便として、「神武天皇以来の神話たる稲作の普及、その祈りの根源は、実は渡来人がもたらしたものだ。」そういうプロパガンダを必要とした。

    そういうことと推察される。


    しかし、1960年代、マルクス主義を支持した無敗のサルトルは、構造主義の始祖レヴィ・ストロースに一発KO負け、あえなく敗れ去った。

    進歩主義歴史観、発展段階説は論破された。
    その後のソ連崩壊を予兆するように。


    プラントオパール分析により判明した中国長江における稲作の源流。唯物史観の持ち主には、まこと都合が悪いのである。

  4. 【3949536】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ  (ID:hJ7FDH6yvWY) 投稿日時:2016年 01月 06日 08:34

    稲作とは水稲の栽培である。陸稲がそれ以前にどっかから来たとして、一体なんだというのか。

    水稲が中国や朝鮮半島から伝播したかどうか知らんが、歴史上全く陸稲などどうでもよいのである。

    陸稲は中国起源であり、水稲おいても中国起源だと大騒ぎして、低温説を唱えて朝鮮半島伝播を封じる意味が全くない。笑
















    w

  5. 【3949562】 投稿者: んっ。  (ID:SRrDLZ47ByA) 投稿日時:2016年 01月 06日 09:24

    ちんぷんかんぷん・・になってしまいます。

    長江における稲作の源流・・

    そこは、間違いないように思うんですが
    わからないのが、そこは水田稲作で通常は温帯ジャポニカと考えるのが自然、
    日本の縄文時代は
    熱帯ジャポニカでの陸稲、長江にはもともと熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ
    があったのか、熱帯ジャポニカを水稲していたのか、熱帯ジャポニカから
    温帯ジャポニカに変種していったものもあったのか、もともと温帯ジャポニカで
    後に熱帯ジャポニカという説もありますから・・

    大昔、今みたいに水田風景あったのか・・と思います
    陸稲と湿地帯の水稲といった感じか、
    手間のかからない、陸稲が自然に感じます。

  6. 【3949573】 投稿者: 恐れいりやの鬼子母神  (ID:MF696HP2PrQ) 投稿日時:2016年 01月 06日 09:34

    徐福の話は面白い。地名に多少の縁があるがまるで知らなかった。こういった話に出会えるから面白い。冷静に考えると氏に感謝申し上げる。少しネットで確認したが、稲作伝承と関係するようじゃの。ただ韓国の学者だかが神武天皇が徐福だといっているのは笑ってしまうが。
    自由氏はレベルの低い連中の相手はやめたらどうかの。朝鮮民族が日本の発展に関わったなどと誰も思っておらん。勝手に言わせておけばいいんじゃ。ここの人たちは相手にせず華麗にスルーしとるじゃろう? 大体、渡来人という言い方がおかしい。この国に土着したなら帰化人じゃろう。すなわち日本人だ。このスレッドで前に冷静に考えると氏が仰っていたが、赤穂浪士の何某だかの出自を気にする日本人はいない。正しくそうであろう。あの昭和のヒーローの中でも帰化人は沢山おった。だが我々は出自など気にせず熱狂し声援を送った。これが日本人なんじゃよ。血に拘るのはあちらさんということだ。だから天皇は朝鮮人だろうなどと小沢何某の週刊誌レベルの話を真に受けて嬉々として書き込む。ほれ、どうだ!とばかりにじゃ。このレベルの連中をまともに相手しても仕方ないじゃろうに。大人の対応を望みたい。

  7. 【3949760】 投稿者: ひまわり  (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2016年 01月 06日 13:45

    こんにちは。昨日の続きです。

    「秦の始皇帝説」と書きましたが、失礼しました井上満郎氏著では「秦之亡人説」と書いてありました。
    井上氏はこの説に否定的です。
    確かに中国での王朝交代のたびに民衆が移動した例は多いと思いますが、秦人のみが秦氏として取り上げられるのは納得のいかないところだと思います。
    井上氏は秦氏の母国の地をいろいろと検証されておられて、秦=ハダ=パタ=韓国古地名の波旦が秦氏の故郷であろうとされていて、その地名を名乗ったのだと書いています
    私は渡来人たちが故郷で使っていた氏族を指す名称を、なぜ日本で使わなかったのかが疑問だったのですが、日本人でも氏族名は変わっていきましたし故郷の地名を名乗る事は半島でも日本同様自然な事だったのかもしれません。
    今、私たちが知っている秦氏とは、特段記録に残るような人物達でもなく、集団で移動してきた不特定多数の人達がいて、ヤマト政権という社会の枠組みの中で始めて渡来人として位置づけられその時点から秦氏の名乗りを挙げた氏族だろうと井上氏は締めくくられておられます。
    なるほど、とこのお話は素直に受け入れる事ができると思います。

    と、思っていたら、

    >秦氏のルーツはこの徐福と同行した童(わらべ)ではないかという説もありますよね。

    え~?知りませんでした、うわ~面白い。
    これって秦の始皇帝のお話も含めてかなりの既存の説が当てはまるかもしれませんね。
    徐福の伝承はあちこちに残っていますし、冷静にかんがえると様が仰る「複数ルーツ」を考えると各地に散らばる秦氏伝承にも繋がるのかもしれません。
    おじ様がおっしゃるようにぷんぷん匂いがしますね。

    >渡来人という言い方がおかしい。この国に土着したなら帰化人じゃろう
    (恐れいりやの鬼子母神)

    はい、本来なら帰化人でいいのでしょう。渡来人は移民の意味を含まないのではないかと。「渡ってきた」のは移民だけでなく外交や商人など「帰っていく」人も含まれるのですからね。化外の外国から自国の化内に移住するから帰化人。
    渡来人と帰化人は本来分けて使うべきものを、「帰化」という言葉のイメージから全てひっくるめて渡来人の言葉を意図として使うのではないでしょうか?

  8. 【3949793】 投稿者: ひまわり  (ID:X6ul3.iABMU) 投稿日時:2016年 01月 06日 14:27

    連投すみません。

    んっ。様、はじめまして。

    すっ、すみません!
    稲の事は全然わからなくて、、(私に聞いていらっしゃらないのはわかるのですが)
    自由様がお詳しいので、
    自由様、よろしくお願いしますm(_ _)m

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