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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【4046488】 投稿者: 自由 (ID:iUXszcOLYvM) 投稿日時:2016年 03月 21日 22:07
お前の責任
去れ -
【4046522】 投稿者: 自由 (ID:iUXszcOLYvM) 投稿日時:2016年 03月 21日 22:38
ひまわり君が戻ることを願って、
(再掲)
冷静にかんがえると君
ちょっと遡るけども、
>投稿者: 冷静にかんがえると(ID:vKFcxXOhGIo)
投稿日時: 16年 02月 02日 15:37
>八咫烏
・・・・・・
神武東征に絡めば、長髄彦(ながすねひこ)軍に打ち滅ぼされた長男の五瀬命の死後、稲飯命、三毛入野命とも海難で果てたことになり、末弟神武が苦難の末、大和入りを成就する。
その八咫烏を吉野の国の先導役として
イハレビコ(神武)に遣わしたのがタカミムスヒ(高御産巣日)。
タカミムスヒは常に重要な役割で登場するが、
一説によれば、実はアマテラスの立ち位置というのは元々はタカミムスヒであったものが、半島での緊張関係が高まりアマテラスを中心とするストーリーに変更されたものではなかったか?・・という見解があるらしい。
なかなか興味深い話かなと。 -
【4046524】 投稿者: ことっち。。 (ID:/l2uKrzR2.c) 投稿日時:2016年 03月 21日 22:43
学校の授業では、戦国時代が一番おもしろかった記憶がありますね。
古代史は掘り下げる感じではなく、波風たてず流す程度だった記憶が・・
このスレで日本の古代史に興味を持った人、思っている以上に多いと思いますよ。
ぶっちゃけ、このスレめちゃくちゃオモシロかったです。 -
【4046681】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:/GdLeQmQpO2) 投稿日時:2016年 03月 22日 05:32
そうそう。
自由の投稿はゴミだった。板違いとはいえ、コイツがいなければ波風立たぬスレであったろう。笑笑
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【4046682】 投稿者: 自由 (ID:iUXszcOLYvM) 投稿日時:2016年 03月 22日 05:32
>このスレで日本の古代史に興味を持った人、思っている以上に多いと思いますよ。 ぶっちゃけ、このスレめちゃくちゃオモシロかったです。
私もそのひとりで、
このスレを読まなければ、
わざわざ最近の山川出版社の高校歴史教科書を、昔のものと読み比べようとは思わなかったなあ。
すぐに気がつくのは、縄文人の概念が大きく覆ってきたこと。弥生時代に先行する長い豊かで平和な社会があって、それが日本社会の基層をなしているということ。
現在の日本の原型は7世紀の天武ー持統の時代に、飛鳥浄御原令で【日本天皇(王朝名[→国号]+称号)】と正式に定めたことから由来しており、国のデザインは、国内向けには古事記、国外(中国)向けには日本書紀の編纂によりつくられた。
そのときに、天武、持統はどんな思いで古事記、日本書紀の編集を命じたか?・・という気持ちに思いをはせると、
唐ー新羅との戦いに敗れ半島での拠点を失い、中国の軍事的脅威に対する強い危機感、わが国独自の国家観への渇望だったはずで、そのために縄文時代から続く国内の伝承、伝説を幅広く積極的に取り入れたのではないか。
別レスでも書いたが、一説によれば、
アマテラスのポジションは本来はタカミムスヒで、これを北方系の天孫降臨神話とむすびつけていたが、半島での緊張関係に伴って、もともとにわが国で信仰のあった太陽神アマテラスにこのポジションを入れ替えた。
たしかにそのように考えれば、色々と辻褄があってくる・・そこに女帝持統の強い意向がなかったか・・このあたりは、歴史はロマンというところ。
しかし、この天武ー持統の危機感は、
どこか現代の我々に通じるものがないだろうか。
あながち、ロマンだけではないかもしれない。 -
【4046684】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:/GdLeQmQpO2) 投稿日時:2016年 03月 22日 05:34
>私もそのひとりで、
ひまわりに対する罪悪感から必死さが滲み出て滑稽にしか映らない。笑笑
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【4046686】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:5iWjNHwxjQM) 投稿日時:2016年 03月 22日 05:40
ひまわり さん
了解しました、でもお気になさらずに。
わたしも尖閣、安全保障だのいろいろなスレに書き込んできましたが、ここでの書き込みがいちばん多かったかな。楽しい思いをさせて頂き、ありがとうございます。
興味の方向性というものは面白いもので、昨日、家族でお台場のシルク・ドゥ・ソレイユを観てきました。主題が「トーテム」ということで、思い浮かんだのはフロイトよりレヴィ=ストロース。
以前であれば何というか、、歴史学の視点に文化人類学とか哲学的思惟を持ち込むことはあまりなかったのですが、このスレのお陰で多様なアプローチの必要性を再認識することができました(もっとも件のエンターテインメントが「トーテム」とどう結びつくかは最後まで解りませんでしたが、、でも面白かったです)
自由さん、続きは機会があればまたどこかのカテでやりましょうか? ヤタローさんとも話を続けたいし、、ともあれ、お二方にもお付き合いを頂いてお礼を申し述べます、
ありがとうございました。
「天地の初発のとき、高天の原に成りませぬ神の名は、天の御中主の神」
ご存じ、古事記の始まりの一節ですが、「神話」に関しては、「合理的理解こそが非科学」という興味深い逆説が成り立つ(荻野貞樹、元産業能大教授)。
それこそこれは無限の議論になると思います。だからこそ我々にもまた、終わりなき思考訓練の場を与えてくれるもので、正月に初詣にいく、祭りになれば重い神輿を厭わず担ぐ、地鎮祭しかり。それはまた「はるかなるもの」を思いやる心(負の部分も含めて)、畏れ、謹みを介して同じ歴史に連なるものとしての共感を呼び込む。古代より神話を奉じて滅んだ国はあっても、未だ繁栄を続けているのは我が国のみ。
そういった意味で我が国はやはり「神国」であるといえましょう。 -
【4046687】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:/GdLeQmQpO2) 投稿日時:2016年 03月 22日 05:43
>自由さん、続きは機会があればまたどこかのカテでやりましょうか? ヤタローさんとも話を続けたいし、
そうそう。
負け犬とどっかでやりたまえ。笑笑
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