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【2795678】修身と道徳

投稿者: ひまわり   (ID:KRiLw48yacA) 投稿日時:2012年 12月 19日 07:54

修身とは、戦前の小学校で教えられていた、今の「道徳」にあたる科目です。


そして、下記は教育方針を明記した教育勅語の12徳目 です。
SS様、あなたは特に読まなければいけませんね。


親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)


来年の卒業式にむけて、SSさまの目に留まるように時々スレを上げときますね。

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  1. 【5069179】 投稿者: モゼット  (ID:1khlTo6m7nQ) 投稿日時:2018年 07月 29日 06:48

    奥都城 さん

    天保年間以降、長州藩の軍政改革は主に海防体制に注力されていったと言われています。その折に主な軍事拠点として人揃場となったのが沿岸部の寺院境内。
    寺院側としても下付金、御紋付の幕・提灯などの免許、褒章(お仕成)を期待して、積極的に協力するのみならず、萩の長泉寺のように弾薬類の生産・調達に信徒らを動員した事例もあったようです。
    毛利は浄土真宗だったような気がいたしますが、寺院側にしてみれば戦死者の慰霊にあたり招魂社(神職)での祭祀に代わり、仏式法要を通じて信徒拡大を図るといったような目論みもまた、あったかも知れませんね。
    いずれにしても、かようなバック・グランドから、軍事拠点として寺院(境内)を転用することは、長州藩にとって所与のものとなっていた、と言えるのではないでしょうか。

    以上を前提に、嵯峨天龍寺の宿営地転用を考えてみると、本山所属の僧兵が数多、合流していたか、在地の勤皇派の豪商あたりで協力・斡旋した者がいたかのどちらかだと思います。天龍寺は臨済宗ですから、毛利方の直接交渉というのは困難だろうし(寄進実績があるとは考えられない故)、金剛隊の大多数は真宗ですから、可能性としては後者のような気がいたします。
    幕末維新の史料に名前が残っていそうですが、ちょっと調べてみたいと思います。

  2. 【5069366】 投稿者: 歴史オンチ  (ID:ib9XxoPxjLs) 投稿日時:2018年 07月 29日 11:51

    ウィキからですみません。
    モゼットさんのいうように、天竜寺の御用達だった福田理兵衛が、長州藩からの依頼で斡旋したそうです。
    後に長州藩の御用達にもなりました。

  3. 【5069701】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:.hEk06Fhu6c) 投稿日時:2018年 07月 29日 19:03

    歴史オンチ (ID:ib9XxoPxjLs)  さん

    ご謙遜を、、でもありがとうございます。
    そうか、、福田理兵衛でしたか。
    ひとつ訂正させてください。毛利家宗派が浄土真宗というのはわたしの勘違いでした。菩提寺の「東光寺」は三大禅宗のひとつ、黄檗(おうばく)宗だそうです。臨済宗の一派ですね。だから嵯峨天龍寺なのかどうかは分かりませんが、なるほど、少しつながった気がいたします。
    西南戦争で西郷隆盛が宿営したとされるのは宮崎県「金光寺」。こちらの方は浄土真宗。
    はは、、混同していました、お恥ずかしい。
    お詫び申し上げます。

  4. 【5069977】 投稿者: 奥都城  (ID:eMIWNcbxBFI) 投稿日時:2018年 07月 30日 08:02

    おはようございます!

    モゼット様、ご無沙汰しております。
    歴史オンチさま、
    ありがとうございます。

    「天竜寺」は母方の実家と少なからずのご縁があり
    私も子供の頃には天竜寺に何度もお邪魔したのですが
    長州の陣が置かれていたことや薩摩によって天竜寺が焼き払われたことなど
    お恥ずかしいのですが今回初めて知り驚いてしまいました。
    祖父が存命なら尋ねる事もできたのでしょうが
    母に聞いても知っているのかどうか?
    どなたかご存知の方がおいでかも?と思い切ってこのスレに書いてみました。

    誰も来ないかもと諦めていましたが思いがけずお二人が書き込んで下さいました。ありがとうございます。

    >寺院側としても下付金、御紋付の幕・提灯などの免許、褒章(お仕成)を期待して、積極的に協力するのみならず、萩の長泉寺のように弾薬類の生産・調達に信徒らを動員した事例もあったようです。
    >在地の勤皇派の豪商あたりで協力・斡旋した者がいたかのどちらかだと思います
    (モゼット様)
    >福田理兵衛
    (歴史オンチ様)


    嵐山から少し東側、有栖川辺りは嵯峨が材木商で栄えた名残が今でも残っています。

    そうですか、福田理衛兵という 勤皇派の材木商による斡旋でしたか。。。

    それにしても藩が寺院を借用(これも知りませんでした、もっと勉強せねば)する事は事実としても
    きな臭い幕末の事、天竜寺側の思惑はどうだったのでしょうか?
    混乱やもめ事に巻き込まれたくないことからも、
    福田理衛兵から長州藩借用の斡旋を断り切れなかった可能性もあったのかしら?と考えたりします。
    結果、天竜寺が、あの天竜寺が焼き払われたのですから。

  5. 【5071124】 投稿者: 奥都城  (ID:eMIWNcbxBFI) 投稿日時:2018年 07月 31日 13:58

    西郷どん28話
    今回は感想じゃないんですが、一つ疑問が。。。。


    ドラマの冒頭部分
    京の火災が収まったのは3日3晩たった頃でした
    吉之介は撃たれた足を引きずりながら、焼けてしまった京の町を見て回ります。
    両親とはぐれた少女が、泣きながら父母を探しているのを見つめる吉之介。


    「おっと~う! おっとう!おっかあ。」(少女)

    「何で こんな事に…。こん人たちは どんだけ生きたかったじゃろのう。」(吉之介)


    いやいや、こんな時にイチャモン付けたくありませんが
    場所は京都・洛中ですから、

    「お父ちゃん、お母ちゃん」、ちゃいますの?( ̄▽ ̄)
    どうなんでしょう?

  6. 【5071128】 投稿者: 奥都城  (ID:eMIWNcbxBFI) 投稿日時:2018年 07月 31日 14:06

    追記です。

    もしくは
    「おとうはん」「おかあはん」
    ですかね
    どうでもいいことをすんません。 (笑)

  7. 【5074804】 投稿者: モゼット  (ID:uGFmPX85.2s) 投稿日時:2018年 08月 04日 14:26

    奥都城 さん

    「おっと~う! おっとう!おっかあ。」(少女)

    ははは、、面白いですね。「まんが日本昔ばなし」を思い出してしまうなあ。
    あれは東北地方が舞台となっている場合が多いですよねえ(北海道函館出身の川内康範が監修しているから?)。でもその言い方、おそらく宮城県あたりの方言じゃないかなあ?
    仮にそうであれば、西郷「吉之介(隆盛)」と孫の「吉之助」を混同したとか?
    西郷「吉之助」は学習院から東北帝大ですから。「吉之助」にはそのように聞こえた、ということで。
    N〇Kならやりそう、かな、、

  8. 【5077274】 投稿者: 奥都城  (ID:eMIWNcbxBFI) 投稿日時:2018年 08月 06日 20:36

    モゼット様、ありがとうございます。

    >まんが日本昔ばなし」を思い出してしまうなあ。

    う~ん、今回の大河「西郷どん」はかなり強めの薩摩の方言を使っていいる事で注目されていますし、特に「奄美編」では奄美言葉に字幕が使われていました。
    歴代の大河以上に言葉を丁寧に扱っている事に好感を持っていたのですが
    それが舞台が京都になると京都の言葉の扱いが少々雑に。。。。

    >西郷「吉之介(隆盛)」と孫の「吉之助」を混同したとか?

    なるほどですね、混同ではなく故意かも。
    深~く、深~く深読みすればですけれど (笑)
    それ以外に考えられませんもの。

    >下野してからは犬を連れての兎狩りに興じることもしばしば、(古スレより)

    そうなんですか!大河では犬が全く登場していないので(笑)
    上野の西郷像の犬は、なにか西郷のイメージから創作されたのだと思っていました。
    私は幕末から明治「維新」までが全くだめで、
    なぜ西郷が政府軍と戦うまでになっていったのか?
    点と点は分かっていても、それを結ぶ線がよくわからないのです。
    今回の大河で、賊軍と呼ばれるまでになってしまった西郷を最終回まで観てみたいと思っているのですが、、、、
    まあ、いつものようにわかったつもりになるだけかもしれませんね。
    やはり本を読まねばいけません。

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