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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【3880659】 投稿者: もも  (ID:ZZAzYQzyc/w) 投稿日時:2015年 10月 22日 08:52

    やっぱり削除されちゃいました。
    もう一度・・・なんかイヤだけど・・・汗 ←小さめ

    もう、鈍感なんだからー(^_^)
    たしかお隣でマルチポストのことを話してたと思うんですよ。にっこり(^_^)

    コレも削除なら・・・もう良いです・・・。       歴史はロマンですね!!!

  2. 【3880876】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:zGIfFjV9WgQ) 投稿日時:2015年 10月 22日 13:04

    ひまわり さん

    >同祖同族意識をもって大きな括りとしての同じ言語と文化を持っていた豪族たちは、海に守られた列島の中では自主的な統合をして大きな共同体を作る必要があったのではないかと思いました。「大王」を軸として。その軸には権威と皇統の連続性を持つ必要があったのですね。

    その通りだと思います。
    例えば古代王朝の連続性を否定して、何某の王朝交代があったとしても、個別の王朝それ自体は、ひとつの完結した「物語」だと捉えることができると思います。その「物語」を繋げることが「神話」を編むということであり、なるほど、このような非合理的な部分を排除して、合理的部分にのみ着目して国家やその歴史の本質を説くべきだという論調もあるだろうが、問題はそのような非合理的な「神話」がなければ、国家とその歴史は作れなかったという事実。

    ひまわりさんのご指摘される「大きな共同体をつくる必要(性)」というのは、そのような意味で、ひとつには体制維持の為の正統性(権威と皇統の連続性)、そしてもうひとつは、隣接する異質な共同体に抗するための自己主張ではないかと考えます。つまり自己の存在根拠をそれ以前の記録(史)に求める行為自体が、「歴史の編纂」、この場合は「神話を編む」ということに赴かせると考えられるのではないか。そこには何というか、、スレタイの「ロマン」とともに「ダイナミズム」も垣間見える気がします。

    ですから、 神話は面白い (ID:aZxjGchJbRs) さんのいわれるように、
    「古事記や日本書紀、神代の話は面白い。 」、、これだと思いますね。

  3. 【3880885】 投稿者: ひまわり  (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 22日 13:11

    こんにちは。
    ももたん様

    >もう、鈍感なんだからー(^_^)
    たしかお隣でマルチポストのことを話してたと思うんですよ。にっこり(^_^)

    あーーーーーーー!
    本当だ!そうですよね。すみません・・・。
    ももたん様、削除って?
    ものすごく怒っていたの?
    にっこり(^_^) ←顔は笑ってるけど怒ってますよね?以後気をつけます。

  4. 【3880886】 投稿者: ひまわり  (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 22日 13:11

    冷静にかんがえると様
    今、いらっしゃいますか?


    >二俣川さん、
    >>その根拠の一つとして、「菊の紋章」自体が朝鮮のそれと酷似しているのだそうである。
    >それだけでは「朝鮮民族征服説」は、柳田反論説には敵わないでしょう。
    (紙つぶて様)

    この菊の話、古代に中国から伝わり日本人は菊を愛してきましたが、皇室のもともとの紋章は日月であって菊の紋章はかなり後のことですよね?

  5. 【3880899】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:zGIfFjV9WgQ) 投稿日時:2015年 10月 22日 13:21

    ひまわり さん

    >この菊の話、古代に中国から伝わり日本人は菊を愛してきましたが、皇室のもともとの紋章は日月であって菊の紋章はかなり後のことですよね?

    そうですよ。菊花紋は確か鎌倉時代辺りからだったと思います。

  6. 【3880921】 投稿者: ひまわり  (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 22日 13:44

    >そうですよ。菊花紋は確か鎌倉時代辺りからだったと思います。

    冷静にかんがえると様、突然の問いかけにお返事くださって、本当にありがとうございます。
    では、「朝鮮民族征服」だとか「騎馬民族征服」だとを菊の紋章と絡めて言っている、どこかの有名な大学の先生のお話はこれで終わりですね。

    水谷氏の2冊目、少しずつですが読んでいます。
    古代は人が半島から日本に渡ってきたイメージが強いのですが、反対に渡っていった日本人も多かったのですね。半島のいくつかの古墳は日本の古墳をモデルにつくられたお話に驚いてしまいました。
    すみません、今日はこれで。

  7. 【3880969】 投稿者: 紙つぶて  (ID:Tw.LHFFgXlE) 投稿日時:2015年 10月 22日 14:46

    二俣川さん、

    >よくごらんなさい。
    「それだけで」ではない。
    その論拠の一つとして、と述べた。

    菊の紋章以外の論拠はどういったものでしょうか?また、たとえ菊の紋章に類似性があったとしても類似性をもってして、大和朝廷を騎馬民族に征服された末に成立した政権と結論づけることは合理性に欠きます。例えば、「八咫烏」といったシンボルマークは、古墳時代から、中国、朝鮮半島、日本で使用されています(日本サッカー連盟のシンボルマークでもあります)。古代からの地政学的な文化の交流を鑑みれば奇異なことではありません。

    >民俗学と歴史学とではやはりアプローチ等相違点があるようだ

    史実の解明には、もちろん客観的な資料の分析は不可欠だと思います。しかしながら、呪術や因習、祭事の有用性に重きを置いた古代史を理解するためには、民俗学からのアプローチも平行して行われるべきだと考えます。何度も掲載しているように、柳田国男氏の米の供御といった古代の祭事の起源からの民俗学的アプローチには説得力があります。

    >実証的論拠を添えてご教示願いたい。

    大量の軍馬と兵士が北方から海を渡って日本に渡って来た形跡がないことですね。その歴史的な事実が確認されてからはじめて、倭の豪族たちとの戦闘を検証するという順序立てがあると思います。

  8. 【3881005】 投稿者: トモエのそろばん  (ID:SEYSmWcRSlg) 投稿日時:2015年 10月 22日 15:43

    私の実家の家紋が輪っかの中に三つ巴なんです。まるで神社。
    これのルーツはなんですか?

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