- インターエデュPICKUP
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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【3985815】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:le90AMplxqc) 投稿日時:2016年 02月 05日 09:26
>大騒ぎしたら、
大騒ぎしているのはキミ達である。教科書に載っているならそもそも騒ぐ必要がない。
始めから「〜教科書に載っている〜の記述で」と言えばよい。
私が教科書に載っているなら信用はするといっているのだから、キミ達が何かを書くなら下調べくらいしてからにしたまえ。
いるんだよね。人騒がせな奴って。
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
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【3985816】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 05日 09:27
お囃子専門、ちょうちん持ち登場。
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【3985821】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 05日 09:30
その通り。
さんざん「教科書なんか」と攻撃しておきながら、
今度は一転「教書に出ている!」と嬉しくて仕方ない様子(笑)。
それが事実か知らぬが、要はこの連中がコピペ専門屋だという証拠である。
なんの定見もなし。 -
【3986023】 投稿者: まー (ID:ZWrh7llWdT2) 投稿日時:2016年 02月 05日 12:10
東大寺大仏殿建立の際に、大量な銅、金が必要な為
聖武天皇は寄付を募ってます。
当時、日本の人口は、約600万人、貴族は1000人
行基を中心に、お坊さん、全国の神社が地域民から寄付を集め、記録に残る限り、372075人が寄付したそうです。仁徳天皇の民のかまど伝承を始め、聖徳太子の17条憲法、和をもって尊しとなす。
自分の事より人の事との大和民族の素晴らしい事実記録だと思います。
常に私達、日本国民からお金をむしり取ろうとする、あの国の人達には、到底理解できないでしょう。
伝統文化に培われた民度が違うという事になります。 -
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【3986077】 投稿者: 自由 (ID:lRzGEzqfgGE) 投稿日時:2016年 02月 05日 12:55
>教科書に載ってるのか?検定は?
大騒ぎしたら、
教科書にも載ってるし、検定にも通ってますって
オチがついちゃいましたから。笑
そうそう 笑
完全論破されて赤っ恥をかいたクセに、
この2人組みは、なんとも感じないらしい。
普通なら恥ずかしいと感じるはずだが、
この2人
ツラの皮が5センチくらいあるんじゃないか。
笑 -
【3986090】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:Z2zbvMqKKYw) 投稿日時:2016年 02月 05日 13:09
>さんざん「教科書なんか」と攻撃しておきながら、
今度は一転「教書に出ている!」と嬉しくて仕方ない様子(笑)
仰る通り。
普通ならこの時点で恥ずかしいと感じるはずたがな。笑
まー君は話を逸らしたが、犬にはそこまでの知能がないらしい。
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
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【3986134】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:Z2zbvMqKKYw) 投稿日時:2016年 02月 05日 13:48
自由クン、傷ついちゃったの?
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
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【3986207】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:QdeF0gPVFD6) 投稿日時:2016年 02月 05日 15:12
ヤタローさん
>上杉謙信が武田信玄に敵に塩を送った塩の道、糸魚川街道なんですが、出雲の国譲りの神話で、大国主命の次男が国譲りを拒否して、諏訪に逃げ込み恭順した神話がありますよね、その監視役で安曇野に送り込まれた可能性があるんじゃないでしょうか。
そして、諏訪大社の周りに和田峠の黒曜石、糸魚川産翡翠の利権を管理する役目だとの推論が頭に浮かびました。
姫川沿いに通じる別名、千国街道ですね。和田峠の黒曜石が北陸地方で出土するのはこの街道が縄文以来の交易路であったことが伺えます。
そうか、、管理役という発想はなかったなあ、、ありがとうございます。
建御名方命の母神については古事記にその記述がなく、例の物部氏が記した氏文、「先代旧事本紀」に「大己貴神(大国主命)、沼河姫を娶りて一男をなす、児、建御名方命といふ」という記述があるそうです(「古事記を読みなおす」三浦佑之著、ちくま新書)。出雲と洲羽(諏訪)との関連を伺わせますが、筑紫→出雲→越→諏訪という日本海側の文化圏(先に記した巨木文化、四隅突出型方墳など)の伝播ルートを海人氏族である安曇氏と重ねると、出雲大社建立を境にこの国譲り神話から読めてくるのは、日本海文化圏の崩壊(=大和朝廷の成立)ではないかなあ、とも考えているところ。
>出雲の神有月に、天照大御神は最後出雲に行き、真っ先に帰ってくる逸話があるそうです。季節風で舟で出雲に行く合理性があるそうです。この話では、出雲の筆頭の臣下が天照大御神で、国譲りで立場が逆転した、そして国譲りの際に、大国主命の次男外交諏訪大社に逃げ込み、その監視役が安曇氏だと連想しました。
国譲りで立場が逆転、、そうかもしれませんね。書紀には建御名方の神話は記載されていませんし、大国主命は広矛を譲り渡して禅譲という体裁をとっている。一方、古事記は「制圧された」神々の無念さを「語り」として伝えている。
その本質からみれば、「監視役」というのも十分、説得力がある気がします。
あ、そういえば、例の徐福と安曇氏を結ぶ興味深い書籍を見つけました。
「安曇族と徐福―弥生時代を創りあげた人たち 」亀山 勝 著、龍鳳書房
ここで話が尽きぬ稲作、渡航技術、中国大陸との関係についても触れられているようなので、わたしもAmazonでさっそく注文してみました。
ヤタローさん、既にご存知でしたら読み捨て置きください。
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