- インターエデュPICKUP
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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【3907574】 投稿者: 二俣川 (ID:p6NgPFJ5XCk) 投稿日時:2015年 11月 20日 06:56
古代史研究の阻害要因は、皇国史観による夢想の混入と客観的な視点の妨害だ。
この国では天皇制に関わると何事も客観的な批判が許されない雰囲気がある。
それは天皇機関説事件から今日まで、変わるものではない。
現在各地で問題となっているイベント等の会場側による自粛傾向も同じ文脈にある。例の某書店でのイベントで、シールズや小熊慶大教授らの本が店頭のリストから外された問題も同じ。正式に会場として契約した日教組大会を右翼の批判を恐れ一方的に解約。その後裁判所から違法と判じられても(仮処分)、それすら無視したあの有名ホテルの姿勢も同じ。
したがって、我われに必要なことは、どのような意見であってもまず自由かつ活発に意見を述べ合うことだ。それが、議論の舞台を保障することになる。
それが、自由で民主的な社会に不可欠な市民としての責務であろう。 -
【3907592】 投稿者: 日本史の背景には常に天皇がいる (ID:CCjDWe6Ss8M) 投稿日時:2015年 11月 20日 07:36
歴史を好きになるきっかけは親や先生の話や昔話、アニメなどあるが大きくなれば大河ドラマや司馬遼太郎などかな。
謎があると興味持ちますよね。邪馬台国や卑弥呼など。古事記や日本書紀の神代の世界なども面白い。怨霊信仰からくる天神様や義経の悲劇。信長の活躍や竜馬の奔走。
一本筋が通っているのはやはり天皇という権威があってずっと王朝が交代せずにやってきた(継体は?)ことでしょう。これが易姓革命の中国とは違うところ。
なぜ天皇を殺すような人物が現れなかったのか? これが不思議。
後鳥羽や後醍醐は流されても殺されなかった。平氏朝廷や信長皇帝などできずに京都にずっと天皇がいた。
当時の人にとっても天皇には武力はなくとも侵すべからざる権威があったんでしょうね。天孫降臨で天皇は神々の子孫になっているという点が大きいのかな?
井沢元彦は「逆説の日本史」の中で縷々解説しているけれど司馬遼太郎などは何か書いているのかな?
このあたりドナルド・キーンさんやマルクス主義者にも聞いてみたい。 -
【3907616】 投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 11月 20日 08:05
おはようございます。
月曜まではエデュを離れます。携帯からつぶやくくらいはできそうですが。
すみません。
皆様、よい秋の連休をお過ごしください。
日本史の背景には常に天皇がいる様
レスをありがとうございます。
すみません、お返事を差し上げたいのですが、月曜まではエデュを離れます。
来週には来ますので、よろしければまた覗いてくださいね。
それでは。 -
【3907621】 投稿者: 二俣川 (ID:p6NgPFJ5XCk) 投稿日時:2015年 11月 20日 08:15
たしかに時の権力者は天皇に死罪を下さなかった。
しかし、それ自体天皇とて政敵であり、打倒の対象と位置付けられていたとの証拠である。
しかも、天皇は罰として当時の常識で「穢れ(ケガレ)」とされた地に送致されている(今でいえば、国外追放か)。
もしあなたのようなご理解であれば、当時の天皇としてはたいそうな屈辱ではなかろうか。 -
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【3907645】 投稿者: 二俣川 (ID:p6NgPFJ5XCk) 投稿日時:2015年 11月 20日 08:40
>憲法上、議論の舞台が保障されているから、自由かつ活発な意見を述べられるわけで、その逆ではない。
立法事実論を知らないらしい。
いくら憲法で保障を根拠づけられようと、それを支える事実がなければ実効性足り得ない。
したがって、憲法で以って初めて人権が創造・保障されたのではない。我々が生来的あるいは事実上有した諸権利を法的に確認したものが憲法である。
ゆえに、その行使を意識的に実践することが権利を確保・確認し、実行あらしめるのである。
本掲示板への書き込みもその重要な手段のひとつである。
私が述べたことは、誰でもが首肯する常識論だ。 -
【3907655】 投稿者: 二俣川 (ID:p6NgPFJ5XCk) 投稿日時:2015年 11月 20日 08:53
「歴史はロマン」であっても、天皇制はどうであろうか。
その陰で、多くの人々が泣かされてきたのではないか。
古代、まさに天皇らごく一部が多くの人々に強制し、収奪しながら御殿を造り、
美食を貪っていたのであろう。
それが当時の事情であったとはいえ、その事実から目をそらしてはならない。 -
【3907927】 投稿者: ふふ・・・ (ID:OSiD9Y.nrLU) 投稿日時:2015年 11月 20日 15:25
そう言えば、先日、源氏物語絵巻には下描きがあったとされたニュースの中で、「柏木三」の場面について、下描きでは、おくるみから光源氏に向けて赤ん坊(薫)の手が伸ばされていたが実際の絵では手は隠されていることに対し、作者は光源氏の苦悩を意図してあえて幸せな情景を描くことをやめたのだろうという解説がなされていました。
一方、それを伝えるニュースの中で、「あさきゆめみし」の作者である大和和紀さんのコメントも紹介されていて、同じシーンが「あさきゆめみし」では薫が微笑んで描かれていたことにつき、大和さんは、あのシーンでは光源氏が「この子のために」という想いで現実を受け入れることを描きたかったから、あえて薫を笑顔にしたという意味のことをおっしゃっていました。
どちらの感性も、日本人として受け入れられるものであると、私は感じました。
千年の時を超えても通じる感性。
まさに、「歴史はロマン」ですね。 -
【3907976】 投稿者: 不生産的労働者 (ID:XvKglJeyD/Y) 投稿日時:2015年 11月 20日 17:02
あの「糞スレ」に二度と足を踏み入れたくないゆえ、ここを借用する。
自由の言っている意味が分からない。
自由の言い分によれば、我々の有する人権は憲法に規定されて初めて享有できるということになる。
まさに恩恵的であり、天皇主権の明治憲法での発想である。
よって、恩恵ゆえ、恣意的な権利制限も可能だし、剥奪すら許容されることになる。
現行憲法の本質には合致しないことは指摘するまでもない。
このように、天皇独裁化にあった明治憲法下でのわが国は、自由や人権面で不完全なものであった。だからこそ、厳然たる史的事実が不明な「古代」にロマンなるものを感じる向きがあるのであろう。
むろん、その「ロマン」とは裏腹に、実態ははるかに厳しい人民収奪の上に「天皇」なる一味(実在すれば)が君臨していたはずである。
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