- インターエデュPICKUP
- 最終更新:
投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
SKIPリンク
現在のページ: 50 / 690
-
【3906069】 投稿者: 暇なおじさん (ID:BzK58DCdfHI) 投稿日時:2015年 11月 18日 11:20
冷静にかんがえるとさま
御説明ありがとうございます。世阿弥の思想は「不立文字」をはじめとする
禅宗の思想と合い通じているのは明らかでしょうし、その後の侘びさびや
御もてなしの心を作り日本人の思想に大きく影響を与えてますね。
そして不思議なことにここでも禅宗は中国には目立った足跡を残してない、
それどころかその後流れを継ぐ利休によって作られた「一期一会」などは
全然理解出来ないと言います。理解できないのであれば政治的なものでは
ないでしょうし、やはり日本人は違う感性を持ち合わせているのでしょう
か。 -
【3906074】 投稿者: 音速の貴公子 (ID:/K3O4mDPX5s) 投稿日時:2015年 11月 18日 11:25
>その後の侘びさびや 御もてなしの心を作り
金の亡者が群がるマーケットに、侘びさびがあるのか?
説明したまえ。笑
w -
【3906118】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:Tyc.tY9/C9w) 投稿日時:2015年 11月 18日 12:27
ふふ・・・さん
ありがとうございます。
そうか、、相国寺があったなあ。足利氏の元々の菩提寺は京都の等持寺(今は廃寺)でここは直義の代で禅寺に改修(?)されたわけですが、大規模な仏事を行うには手狭ゆえ相国寺建立に至ったという具合に理解していたのだが、、
正妻業子の叔母の日野宣子(後光厳上皇ー北朝の典侍)の後宮での影響力を利用して宮中への発言力を増していった流れからか、義満が宣子の死後、その追善供養を家刹である等持寺で執り行うには支障あるゆえ、相国寺、それでも当初は小禅寺規模ー宣子菩提の安聖寺くらい?を考えていたところ、今の相国寺建立規模に落ち着いたのは、実は教義信仰上の師である、義堂周信の影響であったといわれています(今枝愛真、「中世禅宗史の研究」東京大学出版会、1970)。
なるほど、日野宣子の死後、義満が相国寺建立を契機として禅宗に傾倒していったことは確かに有り得ます。この点は専門家に折をみて聞いてみたいと考えているところ。
世阿弥との関連でいえば相国寺は臨済禅ですから、曹洞禅を志向した世阿弥への影響ということであれば、ちょっと疑問符がつくかな?といった感じです。 -
【3906257】 投稿者: 哀れ (ID:1BQ1Ugm8Ke2) 投稿日時:2015年 11月 18日 16:47
あんなに周りを三流扱いしていた二俣川さんは
この流れにまったく加われないのね。 -
-
【3906260】 投稿者: ふふ・・・ (ID:wViSjrdk1rA) 投稿日時:2015年 11月 18日 16:51
>ありがとうございます。
冷静にかんがえるとさん
大した話をしたわけでもないのに、却ってすみませんm(__)m
でも、嬉しい(^^)
よしっ!(小さくガッツポーズ (^^)/) -
【3906267】 投稿者: 音速の貴公子 (ID:N1boxx5NFsM) 投稿日時:2015年 11月 18日 17:01
このムリムリ感。笑
私はもちろん、知識も興味もないから無理であるが、無理してレスを書こうとする不自然なスレの進行に笑いが止まらない。笑
w -
【3906280】 投稿者: ふふ・・・ (ID:oR3E583CnGk) 投稿日時:2015年 11月 18日 17:19
なんか、波平さんが一番無理してる感じがするけど、、、
大丈夫?
でも、波平さんが笑っていられると言うのであれば、そう受け止めましょう!
笑っていられるのはいいことだと思うよ。
実は、私も今日は笑いが止まらない!
理由は内緒だけどね (^_-) -
【3906316】 投稿者: 不生産的労働者 (ID:.van3/feP4I) 投稿日時:2015年 11月 18日 18:03
>あんなに周りを三流扱いしていた二俣川さんは
この流れにまったく加われないのね。
おあいにく様。
その話題に関心がないから(こちらの人々を「三流」扱いした覚えはないけどね)。
誰かが書いていたが、専門を極めるとそれに従い他に関心がなくなっていくものらしい。
ゆえに、小器用に多方面に亘り知ったかぶりをするのは、
私見では
1、TVコメンテーター
2、新聞記者
3、議員秘書
等々だろう。
だからこそ、往々にして後日専門家筋から誤解を指摘される羽目になる。
ところで、食品関係の上場企業で部長を務める友人と昼飯を食った。
久しぶりだ。
30年来の付き合いだが、今日はどこか違和を覚えた。
だが、その後大学に戻って調べ物をしていると落ち着いた気分に戻った。
企業社会の第一線で活躍する者と、現在の私との環境の違いだろうか。
それとも、互いの「専門」の相違によるものか。
ちなみに、この御仁。
かつて、売り出したばかりの自社ビールに関し、
「うちのビールなんか、まずくて飲めたものではない」
と職場机上の電話で私に述べた強者である。
やはり、出世した。
PS 彼の仕事柄、飲料や食べ物関係の原価に詳しく、それを聞かされる度に食欲が失せる(ぼったくり)のが難点。
SKIPリンク
現在のページ: 50 / 690