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【4219995】算数抜き入試の進学校は成立するか?

投稿者: あおいとり   (ID:1He7D2g8uno) 投稿日時:2016年 08月 21日 02:44

いわゆる「受験算数」は事実上何らかの形で「やり方」を指導されないと対応が難しいこと、中学以降のカリキュラムと連続性のない領域があることからしばしばその存在意義が疑問視されてきました。
しかし、中学受験では総じてこの教科が相当高い配点を与えられていることが多いです。
そこで思うのですが、こうした「中学受験の主流」に対するカウンター的なコンセプトとして、入試でいわゆる受験算数を課さずに麻布とか開成くらいの進学実績をたたき出す一貫校が現れたら面白いと思いませんか?

私自身も「受験算数劣等生」だったけれども、それでも大学段階では特に引け目を感じないようなところに進学しているので、そういう系統の生徒が相当数集まればやってできないことはないはずだと思うのですが。

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  1. 【4230795】 投稿者: 筑駒  (ID:A08GhzX41Fw) 投稿日時:2016年 08月 31日 06:21

    女児父さん

    >まあそれでも、以前も書きましたが桜蔭卒で感動的に頑張るOGの方存じあげてますし(ホントに馬力ある、今でもすごい、周囲なぎ倒してく感じ、、、笑)、大丈夫ですよ。

    女子校の入試問題には幻滅しましたが、女子校そのものに幻滅したわけではないので大丈夫です。
    また、女性はときに男性の理解を超えた存在なので、彼女たちなら女子校算数の問題に何らかの楽しみを見出しているかもしれませんしね。

    ロングライダーさん、

    捨て問について熱い議論があったみたいね。
    うーむ、私は、問題の解き方を教えることと、時間内に速く解く訓練は施したけど、試験場でどのように振る舞うかについては教えたことないです。
    多分、子供は塾の先生の指導にしたがって、彼なりの問題の取捨選択を行ってたんだろうなあ。

  2. 【4230820】 投稿者: 人事  (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2016年 08月 31日 07:32

    アメリカの大学院生と話して驚いたが、本当に、テストは問題の順番通りにやると信じて疑わないんだよ。
    他人事さん風の捨て問じゃなくて、もっと基本的な、できる問題からやることすら、ペーパーテスト慣れしてない人はしないんだよ。

  3. 【4230833】 投稿者: 人事  (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2016年 08月 31日 07:44

    TOEICさん。
    申し訳ないが、東大の英語は国際的に見れば相当簡単なんだよ。昔の受験英語と比べかなり実用的になっているが、英検1級には遠く及ばないレベル。TOEICで700点も要らない。
    ICUや上智なんかに行く帰国子女には東大英語なんて簡単だよ。
    でも、彼ら東大入らない。なぜなら、東大数学が難しく、文系でもかなり配点高いからだ。
    今後のグローバル化の中でどうすべきかは別として、今の東大入試は英語は足切りみたいなもので、決め手にならない。
    英語は帰国子女しかできないような問題作ることだってできるのに、あえてしてないんだよ、東大は。

  4. 【4230869】 投稿者: 文章修行  (ID:aaW3/rpcJSI) 投稿日時:2016年 08月 31日 08:23

    ロングライダーさん、私のレスのフォローどうもありがとう。

    他人事さんへ
    ちゃんと書いておけばよかったな。
    私にとっての「捨て問」も解く優先順位をつけるという意味での他人事さんの言う「後回し問」の事だよ。解いてみて、最後の枝問はヤバそうだからとばそう、この大問は(1)だけは簡単だからそれだけは一番最初に解いておこう、なんていう戦略も含まれている。(当然そういう意味だと思ってたよ)
    同じ実力があっても、どういう順番で問題を解くかで結果が変わる学校がある。特に灘の1日目はその影響が大きいから練習する、と言っただけ。
    受験生の学力は拮抗しているから、極論すれば、「合格するか否かは当日算数を1問(大問じゃないよ、枝問)余分に解けたか否か」なんだよ。
    もちろん「需要はある」さんが書いていたように、そもそもある問題が何分くらいで解けそうかを見積もるには、似た問題を解いた経験が物を言う。平常の勉強は過去問と同レベルかやや難くらいの問題を解くのメインだし、優先順位をつけるだけだから時間がある限り全問解こうとはするよ。(ただ、まず全部は解けない、結果的に「捨て」問は必ず発生する)

    「秋の日は釣瓶落とし」とよく言うけれど、「入試前5か月は釣瓶落とし」なんだよ。実感として本当にあっという間なんだ。時間も子供の気力も体力も有限なんだから、それらをどこにどう配分するかが受験勉強なんだよ。全部やっている暇はない。算数だけやっているわけにもいかない。
    「あれもやらせたかった、これもやらせたかった、あれもできなかった、これもできなかった、出たらどうしよ?」どの学校を受ける朝もそう思ったものだよ。
    「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」なんだ。一部の子以外はね。

  5. 【4230872】 投稿者: 人事  (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2016年 08月 31日 08:25

    3連投すみません。
    動機さんの言うような、貴族が道楽として勉強を楽しむ、ペーパーテストじゃなくて先輩の推薦、みたいなのは大学院の博士課程じゃないかな?
    お金になることは皆期待してないから、純粋に学問を楽しみたい人が集う。
    学部レベルは、学問を楽しみたい、よりは、高い収入や地位を得るためのあくまでも手段として勉強している人が大半だろう。東大でも8割はそうじゃないか?

  6. 【4230892】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:HgkTvH0ubHI) 投稿日時:2016年 08月 31日 08:49

    最近哲学がはやらないのも日本社会に余裕がなくなったせいだと思います。

    何だかんだ言っても戦前は日本も貴族社会の余裕があった(貧富の差はとてつもなく大きいが)。将来帝国大学に進めることが保障されていた旧制高校生は「栄華の巷低く見て~」などとやっていられた。

    同世代のわずか1%もいなかった旧制高校生はそれこそ大学さえ選ばなければどこかの帝大には入れた。太宰は無試験で東大仏文。芥川はじめ英文学やりながら作家にもなるし、妓楼でに住みついて高校通う猛者もいた。

    戦後、貴族社会の崩壊、学制改革、民主化に伴い誰でも上の学校に行けるようになった(昔は労働者や貧農の子供は親が月謝を払う余裕はなく、逆に本人が仕事して家にお金をいれた)。

    当然高校受験者は増え入試は熾烈になる。その後の変遷は常々バラード氏が書くごとし。受験の過熱をさます方法は何かと問われある評論家は「世襲制に戻すことだ」と言った。家老の子はどんな子供でも家老。足軽の子は足軽。職人の子は職人。

    試験で人材選抜などやらない時代になれば東大にも作家が再び出るような時代が来るだろうか? 「三太郎の日記」を書くような自意識過剰の中高一貫生が出れば面白いのだが。 今時の灘や開成にはいないのかい?

  7. 【4231005】 投稿者: 需要はある  (ID:ZohvYvL3GYI) 投稿日時:2016年 08月 31日 11:00

    紙媒体中心で「文芸誌に発表し」「単行本の印税で生活できる」職業作家というのは絶滅危惧種というか、もういないです。
    一般の人が「小説を購入して読む」という消費形態じゃないですからね。
    「ファンがドーナツ盤を購入して応援する」タイプのアイドル歌手という営業形態が消滅したのと同じことですよ。
    基本的に本を読まない人にこういうことを言っても仕方がないのですが、出版が収益の高い商売だった時代には学生の同人誌に対する出版社の関心も高く、参加している同人は在学時から原稿料をもらって商業誌にも書くのが普通でした。
    一高→東大ばかりでなく、慶應、早稲田、学習院などでもありましたよね。
    これは文学史のなかの常識でしょう。
    「新思潮」の歴史を読んで「自分の頭で」あらためて考えることをすすめます。
    久米正雄の小説など、青空文庫で簡単に読めますからお察しください。
    というより、とんでもなく低レベルです。
    こんなものが一高→東大出で友達に恵まれ、まわりに「書ける」ひともいたというだけでいつのまにか「作家」扱いされるようになっていたというのは、文化が貧しかったとしか言いようがないです。
    これに対して沼野君(教育大駒場)や松浦君(開成)がいた最後の新思潮は創作も評論もおもしろいものがそろっていたと思いますが、すでに「出版者の社員は給料が高いが原稿料は下がる一方」という時代に入っており、名前をあげた二人も久米正雄や三浦朱門のように「作家」として処遇されるというより「文芸評論家という肩書きもつく大学教員」として現在に至っています。
    自分が知らないから、読まないからと言って「存在しない」みたいな言い方はいつもながらとても恥ずかしいです。

  8. 【4231023】 投稿者: 需要はある  (ID:ZohvYvL3GYI) 投稿日時:2016年 08月 31日 11:23

    さらに付け加えると、「文芸にかかわる創造的な作業の中心は現在『小説』ではない」というのもあるでしょう。
    ゼニカネの話で恐縮ですが、一般向けの紙媒体での「原稿料」は安くても「手売りの同人誌」の売り上げは巨大です。
    いいかえると、そこには膨大な創造の成果があります。
    「自分が知らない」のと「現実に存在しない」のは違うのです。
    その距離を真摯に考えるのも「哲学」の重要な一分野ではないのですか?

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