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【3515619】「女性宮家創設」へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3551134】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 10月 15日 20:17

    >本音を言えば、それを利用するアイヌ利権を許せないほうが大きいのですが、(ひまわり)

    >なんだ、在日特権非難と同じか。
    残念な民族だな。 (SSJ様)


    間違って書いてしまいました。

    いつものこと様に、「結局いいたいのは」と突っ込まれたことは、正しくは団体の政治的活動です。

    しかし、前に書いた事例に入れていませんでしたが、確かにアイヌ特権はありました。しかしその特権の存在を非難しているのではありません。その制度を必要としているアイヌの人々も大勢いらっしゃるとと思いますし。
    しかし、問題なのは、その制度が肝心のアイヌの人たちに公平に通知・利用されていない事が実際にあったということ。アイヌ協会に入会しなければ利用できない制度で、「アイヌ民族」の定義の無いままに何も根拠の無いままにどさくさにまぎれて悪用するものが多かった事です。

    取り急ぎこれだけ、いつものこと様、外野様レスをありがとうございます。後日書かせてください。

  2. 【3551137】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 10月 15日 20:22

    補足です。

    上記のことはアイヌの人々はなんの落ち度も無く、非難されるのは行政と協会側にあるということを付け加えます。

    ここをきちんと正さなければ、勘違いしてアイヌの人々を非難する人や全く関係のない「在日」まで持ち出して、話をややこしくする人がいますから。

  3. 【3551208】 投稿者: 天皇陛下  (ID:HenMH5JCVt.) 投稿日時:2014年 10月 15日 21:20

    > 投稿者: 自由(ID:ZHw5pLwLOtw)投稿日時:14年 10月 15日 19:34


    しつこい民族だ。

  4. 【3551276】 投稿者: 自由  (ID:ZHw5pLwLOtw) 投稿日時:2014年 10月 15日 22:35

    それはお前だろ

  5. 【3551293】 投稿者: 自由  (ID:ZHw5pLwLOtw) 投稿日時:2014年 10月 15日 22:54

    陛下君

    >全く関係のない「在日」まで持ち出して、話をややこしくする人がいますから。


    何の関係があるのかね?

  6. 【3551418】 投稿者: 天皇陛下  (ID:NOukOwbWNJo) 投稿日時:2014年 10月 16日 06:43

    >残念な民族だな。 (SSJ様)


    私は天皇陛下を名乗る民族なので
    HNを勝手に変えないでいただきたい。

  7. 【3551425】 投稿者: いつものこと  (ID:r1496mu7tU2) 投稿日時:2014年 10月 16日 06:59

    冷静にかんがえるとさん

    >ひまわりさんは「民族」=「国民(政治的共同体)」という捉え方をしているようにお見受けします。

    なるほど、そうかんがえるとしっくりきますね。「冷静」です。

    >確かに以前、特に政治学の分野では専らイデオロギー的概念として「国民(ネーション)」を構成する意思、これに帰属する認識が重要で、これがいわゆるナショナリズムの本質であるという見方が優勢でした。

    >ところがこの政治運動が民族独立運動などを契機として変容を見せていく。すなわちアンダーソンのいう想像的な共通理解・感情は実は一枚岩的なものではなく、またゲルナーのいうナショナリズムの発現も、「国民(ネーション)」というよりもっと小さな共同体の存立に関わってくるという見方が出てきます。

    >こうした背景で用いられるようになってきたのが「エス二シティ」という民族の概念です。
    英国の社会学者のA.D.スミスはこの「エス二シティ」を前提に「国民(ネーション)」の前段階の共同体として「エトニー」という民族概念を置き、その集合体が「国民(ネーション)」であるとしています。両者を分けるメルクマールは「共通の経済、法的権利・義務をの共有」といったような法的・政治的枠組みということになります。

    うーん。確かに民族の定義について、ゲルナー・アンダーソンだけを挙げたのは片手落ちでした。ご指摘深謝します。でも、手放しでスミスがゲルナー・アンダーソンを超えたようには言えないように思います。僕はスミスのいう、エトニーが3つの革命を経てネイションになっていくという連続的な捉え方は、ヨーロッパ近代史をあとからなぞった議論のように感じ、意外に射程が短いように思っています。

    むしろ、民族論そのものからは少し離れるかもしれませんが、アンダーソンが一、二人称的な共同体が衰退し、匿名的な個人が帰属意識の対象を求める中でネイションが形成されてくると言っていることの方が、現代社会的な実態を捉えているように感じます。まさに、日本がこうなっているのではないか。その先の想像の共同体論が、現実の独立運動とその失敗によって、事実上破たんしたような扱いになっているのは痛いところですが。

    どちらの立場に立つにせよ、ネイションないしエスニシティを成立させる原理は主観的な帰属意識であるという点は共通しているように理解しています。

  8. 【3551456】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 10月 16日 07:59

    おはようございます。

    ふふ・・・様、昨日の続きです。

    昨日は私が今までもっていた「民族」の、私なりの考えを申し上げました。
    しばらく、皆様の書き込みを拝見してきて、ずっと考えてきて、制度や仕組みや歴史よりも、自分の気持ちとして置き換えてみると、
    大袈裟なたとえで申し訳ないのですが 涼 、
    もしも世界中で京都人が私一人になってしまったとき、そんなことを想像してみたりすると民族とか郷土とかそのようなことよりも、先ずは「守りたい」「認めてほしい」という気持ちが一番に出てくることに気がつきました。

    私は今までに書き込んできた、民族の捉えかたに迷いはありませんが、「気持ち」を考えてみると、アイヌの方々の気持ちを考えることをしなかった私は、いや考えていたのでしょうが、自分視点でしかかんがえていなかったんです。傲慢であったと思います。

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