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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14
皇室の弥栄を願います。
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【3666969】 投稿者: 自由 (ID:uDfbqPLtH56) 投稿日時:2015年 02月 14日 09:17
いつものこと君
>論点は以下だと思います。
① サンデルの主張と、日本国民としての伝統、文化、歴史は重要という自由さんの主張とのつながりは?やはりサンデルは重要でない?
② サンデルは共通善が成立する共同体としては、国家と個人の中間体を想定している。国家が共同体であるという理解ではない。この点はどうか。
③ 日本国民としての伝統、文化、歴史というのは、国民が共有する伝統、文化、歴史への意識という意味と了解するが、それらは実際のところ何なのか(成立しているのか)。
>②③について、僕はサンデル同様、国家は共通善が成立する共同体ではないと考えます。また、国民としての伝統、文化、歴史、というものが何なのかはっきりとわかりませんし、それらが自分の生にとって重要と感じたことはありません。自分が帰属意識を持って来た共同体の歴史・文化は別ですが。
私は、サンデルは、
>②③について、僕はサンデル同様、国家は共通善が成立する共同体ではないと考えます。
こんなことは断言していないと思うのだが、
あらためて、東北大震災をテーマにして、日米中の参加者を相手に議論したNHKの番組をビデオ視聴したが、
思うに、
日本人に共通する意識の基盤として、
①個人←→②家族←→③共同体←→④国家
というものが存在していて、
日本人のなかには、そりゃあ、①から④について個人的な賛否はあるだろうけども、このフレームの存在自体は否定できない。また、そうでなければ、未曾有の災害に遭ったあのときの日本人の冷静で秩序だった行動は説明できないのではないだろうか。
番組で興味深かったのは、カトリーナのときに略奪が起きたのに、なぜ、東北で略奪が起きなかったのか・・早稲田の学生が、アメリカでは個人が自分や家族を守らなければならないが、日本では、いずれ共同体あるいは国が助けてくれるということを信じているからだ・・このような意見があった。あのとき、多少の不便はあっても東北に物資を優先的に送ることに、直接の被災地ではない日本国民としての了解があったはずである。
私は、国家が共通善が成立する共同体になり得ると考える。
【ご参考】
マイケル・サンデル教授も称賛した日本の「助け合い」
共同体意識という強みと、その先にある課題
日経ビジネス2011年04月25日
サンデル教授も、世界も称賛した日本人の特性
今回の東日本大震災後の日本人の行動に、世界から驚きと称賛が寄せられているのは、みなさんもご存じの通りだ。
NHKは4月16日、『これからの「正義」の話をしよう ~JUSTICE』や『ハーバード白熱教室』で有名なマイケル・サンデル米ハーバード大学教授による特別講義『大震災 私たちはどう生きるのか』を放送した(タイトルは当日放送されたもの)。教授は、人間の倫理や哲学的な課題について、究極の選択を用意して議論を深めていく講義で知られる。サンデルさんは「日本が今直面している試練は、外国にとって決して人ごとではなく世界全体の問題なのだ」ととらえ、テレビでの特別講義を組んだという。
講義の大きなテーマの1つが、震災後の日本人の行動についてだった。サンデルさん自身も、「あれだけの震災に遭いながらパニックも起こさず、(2005年に米国南部を襲った)ハリケーン・カトリーナの時に見られた強盗も便乗値上げもなかったことは驚きだった」と繰り返した。また「(原発問題では命懸けで取り組むという)信じられない自己犠牲もあった。この際立った公共性、秩序、そして冷静さ。略奪や便乗値上げなど考えもしないコミュニティーへの連帯意識があった」と称賛した。
実際、被災地では避難した家やコンビニを対象にいくつかの強盗事件が起きていることを我々は知っている。海外のメディアも知らないわけではないが、その規模は彼らの予想をはるかに下回っていたようだ。
米ニューヨークタイムズ紙は、「日本の混乱の中 避難所に秩序と礼節」と題する記事(3月26日)の中で、「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と評した。
番組はネット中継によって、教授の部屋と米国、中国、日本の学生(日本は40、50代の有名人ゲストコメンテーター数人も参加)を結び、国や文化の違いを超えた議論を進めていった。 -
【3667008】 投稿者: 自由 (ID:uDfbqPLtH56) 投稿日時:2015年 02月 14日 09:50
>私は、国家が共通善が成立する共同体になり得ると考える。 (自由)
また、そうでなければ、
かつての戦争に何ら関与をしていない現代の日本人が、
戦争責任を感じなければならない根拠が導き出せない。
外国人参政権の根拠となる人民主権、リベラリズム、リバタリアニズム・・
これらはすべて「個々の人民」をベースにしており、
そういった思想を前提にすると、
>昔の戦争なんて、今の私には関係ない。
それが、論理的帰結になるのではないだろうか。 -
【3667206】 投稿者: こうして誤認は誤解を生んでいく (ID:M3rdk2JSdqQ) 投稿日時:2015年 02月 14日 13:30
>番組で興味深かったのは、カトリーナのときに略奪が起きたのに、なぜ、東北で略奪が起きなかったのか・・
3.11でも略奪は発生した。
地元民は知っている。
警察が動けず実態把握が正確にできず警察発表も行われなかった。
よって報道機関に情報が回らなかった。
あろうことか、情報無をもってして略奪は無かった、という美談が生まれた。
そんなものを元に議論しても意味はあるまい。 -
【3667217】 投稿者: 自由 (ID:uDfbqPLtH56) 投稿日時:2015年 02月 14日 13:46
>その規模は彼らの予想をはるかに下回っていたようだ。
よく読め
笑 -
-
【3667380】 投稿者: 音速の貴公子 (ID:XUj2a/9Gfiw) 投稿日時:2015年 02月 14日 17:31
>3.11でも略奪は発生した。
私は現場確認をしていないから有無を言える立場ではないが、もちろん皆無ではないだろうし、火事場泥棒はどこにでもいるだろう。
ただ、全体からすると霞んでしまうくらいの結束力が被災地域に生まれていたのではないか。
w -
【3667884】 投稿者: いつものこと (ID:Uu8yeTNGzzA) 投稿日時:2015年 02月 15日 08:44
自由さん
私は、サンデルは、
>②③について、僕はサンデル同様、国家は共通善が成立する共同体ではないと考えます。
こんなことは断言していないと思うのだが、
おっしゃる通りです。失礼しました。サンデルをquoteする必要はありませんでしたね。僕の意見です。
僕はコミュニタリアニズム(共同体主義)には一定の共感を覚えます。しかし、それは、人間は誰も共同体から独立した原子のような存在ではないと「自分が感じる」ということを基礎にしていて、それを抜きにして共同体を認めることはできなず、共通善の成立を論ずることもできないと考えます。個人がどう考えようと共同体には共通善が存在し、(サンデルの言葉を借りますが)共同体に対する連帯の義務が発生するというのは全体主義であり、受け入れられないと感じます。換言すると、自分にとっての共同体は自分の帰属意識を抜きにして論ずることはできないと考えるということです。
その意味で、自由さんが挙げられる
>①個人←→②家族←→③共同体←→④国家
という意識共通基盤について、自分の感覚を言えば、通常は②~④の順番に帰属意識が希薄になっていきますが、必ずしもそうは限らない。家族に対しては疎外感を感じるが共同体に対しては強い帰属意識を感じるケースもあります。その共同体も地域等形で固定したものではなく、浮動的なものであると感じます。そういう意味で、人間が原子論的な存在ではない、というのはその通りだとしても、共通善が成立する共同体と言うのは一義的には決まってこず、帰属意識の濃さ薄さを基準に重層的な構造になっている、基準が帰属意識であるゆえに、それはあくまで主観的なものだ、というのが僕の感覚です。
自由さんの言われる「国家」というのは、今までのお話からいえば「日本国籍を有する人たちという意味での国民」によって形成される共同体と解釈しますが、その意味での国家に対する僕の帰属意識は、共通善の成立を認めるほどに濃くない、という趣旨です。意識共通基盤は②~④に限られるわけではなく、⑤今生きている人間、という基盤もあり、国というボーダーで限られるものではないとも感じます。
>そうでなければ、未曾有の災害に遭ったあのときの日本人の冷静で秩序だった行動は説明できないのではないだろうか。
>番組で興味深かったのは、カトリーナのときに略奪が起きたのに、なぜ、東北で略奪が起きなかったのか・・早稲田の学生が、アメリカでは個人が自分や家族を守らなければならないが、日本では、いずれ共同体あるいは国が助けてくれるということを信じているからだ・・このような意見があった。あのとき、多少の不便はあっても東北に物資を優先的に送ることに、直接の被災地ではない日本国民としての了解があったはずである。
僕は、東日本大震災後の諸現象を共同体の観点から見ると、第一に、同じ被害を被った人たちの間に生じた連帯意識・共同体意識の成立であり、その後に被害を被った人たちに対する人間としての共同体意識であると思います。国籍を基準とした国民の国家という共同体がベースになったのだとすれば、国籍のないものは助けなくていいという「意識」が生じていたはずですが、僕はそういう事実はなかったと思います。また、海外からの政府レベルの支援は別とし、民間レベルの支援、特に台湾民間からの巨額の支援は国家としての共同体意識からは説明ができません。
>私は、国家が共通善が成立する共同体になり得ると考える。
日本に生きる人間の集団は共通善が成立する共同体に「なり得る」、という意味では賛成ですが、それが政治的な国家と一致するとは思いませんし、国籍の有無でも線は引けないというのが僕の主張です。
>また、そうでなければ、
かつての戦争に何ら関与をしていない現代の日本人が、
戦争責任を感じなければならない根拠が導き出せない。
これもサンデルに出てくる例ですね。僕は、戦争責任を「感じなければならない」という根拠は個人の思想の中にしか存在しないと思っています。僕は戦争責任を感じていますが、それがおかしいと他人に言われるいわれはないのと同様に、他人に戦争責任を感じなければならない根拠があるとも思いません。議論を通じて僕の考えを分かってもらいたいと思うこととは別の話であり、その議論に国家共同体をベースにあなたは戦争責任を感じなければならないという契機を持ち込むつもりはないし、それは不当であると思います。僕は、サンデルが連帯の義務を持ち込むあたりから、彼の主張には賛成できなくなっていきます。
また、現在の日本においては、国家共同体を主張する人ほど日本の戦争責任を認めないという構造になっていることはご存知の通りです。
従って、
>外国人参政権の根拠となる人民主権、リベラリズム、リバタリアニズム・・
これらはすべて「個々の人民」をベースにしており、
そういった思想を前提にすると、
>昔の戦争なんて、今の私には関係ない。
それが、論理的帰結になるのではないだろうか。
としても、逆にコミュニタリアニズムを取ったら戦争責任を感じるという事実もないわけで、戦争責任と、リベラリズム・リバタニアリズム・コミュニタリアニズムの関係は一義的ではありません。 -
【3668127】 投稿者: 自由 (ID:uDfbqPLtH56) 投稿日時:2015年 02月 15日 12:42
僭越ながら、いつものこと君の意見を整理させていただくが、
>共同体は、個人の帰属意識を前提にしているものであり、連帯の義務を強制するので全体主義につながりかねない。また、共通善が成立する共同体は、個人の主観を前提にする重層的な帰属意識を前提にしており一義的には決定できない。
東日本大震災の事例は、被災地と被災地以外とで別々の共同体があったと見るべきで、国籍を基準とした国家の共同体が成立していたわけではない。
また、コミュニタリアニズムは共同体への連帯の義務を持ち込むが、国家共同体が他国に対して戦争責任を感じないのは周知のとおりである。(自由のまとめ)
・・・失礼ながら、このようなことではないかと、まとめさせていただいた。
しかし、どうであろうか、
東日本大震災における被災地の人達の冷静で秩序だった対応は、被災地限定の反応だったのだろうか。私は、被災地が日本のどこであったとしても略奪や暴動は起きなかったと思うし、それは日本人全体に「それは日本人だから・・お互いさまだから・・」という共通認識があるからだと考える。戦前、戦中の国家共同体のような濃厚さは無いにしても、現代でも、希薄になりつつも、日本人には共同体としての国家、国民の意識がないだろうか。
思うに、
日本国民としての共同体意識を否定するのは無理があるのであって、その意識を肯定的に認めたうえで、国家全体主義を回避し、共通善を実現するにはどうしたらよいか、そこを考えるべきではないだろうか。
>個人がどう考えようと共同体には共通善が存在し、(サンデルの言葉を借りますが)共同体に対する連帯の義務が発生するというのは全体主義であり、受け入れられないと感じます。(いつものこと君)
ここは、いつものこと君の誤解ではないかと思うのだが、サンデルに言わせれば、最初から共同体と共通善があって、そこに帰属するか、しないかという論理立てではないだろう。共同体の共通善を導き出すために、共同体のなかで弁証法的に討論を行う・・ゆえに、あんな講義形式をとっているのではないだろうか。 -
【3668453】 投稿者: 二俣川 (ID:apdUVnzkw.U) 投稿日時:2015年 02月 15日 19:23
関係ない話で恐縮。
今年は日韓国交正常化50周年。
そこで、覚せい剤で在留許されず帰国した桂銀淑さんの来日を実現できないものであろうか。
たしかに日本の入管法や昨年起こった彼女自身の問題がある。
しかし、あれほど我々に愛された韓国人女性歌手がいただろうか。
かつて、大手町にあった東京入管1階の食堂で、在留期間更新申請に来ていた彼女からサインをもらった思い出がある。
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