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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【3954026】 投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2016年 01月 10日 13:18
私が選り好みをして相手によって認めている人を分けている、ということでしょうか?
人を弄っているあのお三方の投稿は読んでいませんので、その意味では分けていることになりますが。
それ以外でそう思われるのは私が至らないからだと思います。申し訳ないです。
「またか」と慣れてしまってほおっていることもありますし、頂いた全てのレスに対して気持ちが行き届かない事も自覚はあるんです。
すみません。 -
【3954037】 投稿者: もも (ID:DGerYy2a632) 投稿日時:2016年 01月 10日 13:27
もういいです。すみません。
私が余計なことを言ったばっかりに。・・・ただ罵り合いが好きじゃないだけです。
今は?ばかりで上手く答えられません。もやもやが残るかもしれませんが、ごめんなさい。 -
【3954060】 投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2016年 01月 10日 13:49
罵りあいにならないためにはどうしたらいいんでしょうね?
「認める」との言葉はいささかショックでした。
「いたぶられた」と私も悪口言ってますね、もう言いません。
もやもや感が残っちゃいましたね。
私の察しが悪いのはもうおわかりでしょう?
何かに例えるかたちでなく、できればはっきり言ってくださるほうがありがたいです。 -
【3954085】 投稿者: 暇なおじさん (ID:1DesB9gqus6) 投稿日時:2016年 01月 10日 14:09
ももさま
わかりやすく言いますと教科書の内容は新たな発見や考え方が確立されるたびに
少しずつ変わって来てるということです。例えば2001年のサヘラントロプスチャ
デンシスの発見によって最初の人類はアウストラロピテクスから変わって来ていま
す。しかもこれから新たな発見の可能性があるため「考えられています」との但
し書きが付きます。(教科書によって違います)同じ様に「日本最古の貨幣 富
本銭』奈良飛鳥池遺跡で出土」(読売新聞) 「『和同』以前 最古の貨幣―奈良
で発掘」(毎日新聞)というように日本最古の貨幣もそれまでの「和同開珎」か
ら変わりつつあります。算数ですと本当に優秀な子は指導要綱に沿った考えを飛
び越しています、高校どころか大学レベルの子がいるため当然ですが。
教科書ではそれまでの学説から新しい学説に移すのに場合によっては20~30年
かかってしまうのが現状のようですから、それまでのかなりの期間巷では色々な
説が存在する事となります。(教科書では並行して載せられ→新説へと時間をか
けて移行します)そこで今回色々話題の稲作の件は、教科書以外の分野において
は学説が変わりつつあるのでしょうね。
余談ですが家では先生の言っている事は全てが正しいとは限らないし、教科書は
変わっていくので自分で考えなさい、と子供に伝えてあります。私は個人的に先生
が間違っていたとの経験がたくさんあるからです、もちろん敬意を持つなという
意味ではありません。 -
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【3954090】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:hOMaPSfPBZE) 投稿日時:2016年 01月 10日 14:17
>わかりやすく言いますと教科書の内容は新たな発見や考え方が確立されるたびに
少しずつ変わって来てるということです
そう。
将来はどうなるかわからん。新発見があれば根底から覆されることもありえる。笑
w -
【3954138】 投稿者: 自由 (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2016年 01月 10日 14:55
>わかりやすく言いますと教科書の内容は新たな発見や考え方が確立されるたびに少しずつ変わって来てるということです。
例えば、
①「詳説日本史 改訂版」(山川出版社)1985年3月5日発行
②「詳説日本史 改訂版」(山川出版社)2013年3月5日発行 2006年3月20日文部科学省検定済
と見比べると、随分変化したことが分かる。
①「稲の源流」(16頁)
中国からの日本への伝来ルートについては、大きくみて二つの説がある。
一つは、長江下流域から直接海をわたって伝わってきたという説であり、他は長江下流域から北上し、山東半島付近から朝鮮半島の西海岸にわたり、半島南部をつうじて日本に伝わってきたという説である。
インデカが日本にみられないことや、弥生文化の大陸的要素の流入ルートを考えると、後者の説が有力である
②「およそ2700前と想定される縄文時代の終りころ、朝鮮半島に近い九州北部で水田による米づくりが開始された」の脚注(12頁)
最近では、佐賀県菜畑遺跡・福岡県板付遺跡など西日本各地で縄文晩期の水田が発見され、水稲稲作がはじまっていたことが知られる。
「水稲耕作」の脚注(13頁)
弥生時代の水稲耕作の技術が朝鮮半島南部から伝えられたことは、それと共存する各種の遺物が共通することからも確実といえる。
イネは本来、雲南(中国)、アッサム地方(インド)に起源を持つが、中国の長江下流域から山東半島付近をへて朝鮮半島の西岸にいたり、さらに日本にもたらされたと考えられる。
このほか山東半島・遼東半島におよんだとする説や、長江下流域から直接日本に伝えられたとする説、南西諸島を経由したとする説などもある。
そのうえで、二俣川は一体、何を「通説的見解」と言っているのか?笑
時代の論点はすでに、
弥生時代の水稲ではなくて、縄文時代の水稲に移っている。
笑 -
【3954143】 投稿者: 自由 (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2016年 01月 10日 14:59
どうやら、二俣川の「通説的見解」というのは、
>弥生文化の大陸的要素の流入ルート
という古臭い先入観らしく、
何が何でも朝鮮半島が上ではないと気が済まないらしい。
年寄りには新しい時代の考えを理解するのは難しい。 -
【3954152】 投稿者: 自由 (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2016年 01月 10日 15:06
ちなみに、
>イネは本来、雲南(中国)、アッサム地方(インド)に起源を持つが、中国の長江下流域から山東半島付近をへて朝鮮半島の西岸にいたり、さらに日本にもたらされたと考えられる。
これは主に考古学者が支持する説。
>このほか山東半島・遼東半島におよんだとする説や、長江下流域から直接日本に伝えられたとする説、南西諸島を経由したとする説などもある。
これは主に農学者や民族学者が支持する説。
「通説的見解」なんてあるのかね?
笑
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