最終更新:

2244
Comment

【870545】【大学受験目標】公文式有効利用法の探求

投稿者: なる   (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 03月 09日 13:55

多くの皆様の願いが叶いまして、高学年(高校受験用)の板がついに誕生しました。
「公立高校受験から大学進学を目指す先取りを含めた学習方法」の正統の流れを汲む
分科スレです。 スレ主は「なる」(公文一般父兄・公文算数3年経験)です。


公文式は、高校数学教師公文公の発想から開発された幼児〜高校生を対象とした
学習アプローチです。このスレでは公文式算数・数学を有効活用しながら、
『青チャート』(数研出版)レベルの大学受験数学標準問題の解法パターンの
効率的な習得を目指しつつ、公文国語、公文英語(他外国語)、SRSの学習法の
情報交換を目的とします。


「小学高学年で、中学受験を目指すなら公文は効率の良い算数学習方法ではない。」
しかし将来の大学受験を見据え中学受験算数にとらわれない公文式の利用法や、
中学受験を目指す場合の幼児〜小学中学年。中学合格以降の中学時代などの
大学受験数学基礎期などの学習効率の良さは、一般に認められるようです。


★情報交換の場です。
中学受験をするかしないかは問いません。(幼児・低学年・中高生のご父兄も大歓迎)
公文式高進度者・公文式関係者指導者大歓迎(一般父兄に色々教えてください)
海外の公文経験者大歓迎です。(海外の公文式事情、色々教えてください)
高進度者は情報提供の立場で情報交換を「ただの自慢」は意味も品もありません。
先天的資質「地頭」議論は、不毛です。意味がないのでやめましょう。
中学合格目標なら、中学受験塾の方が効率良いです。議論に値しません。
極端な持論の押しつけや、批判と否定が主の参加はご遠慮下さい。
特に、私立中学受験批判、先取り学習批判はおやめください。
水道方式等他のアプローチを否定する意図はありません。(むしろ肯定的)


★公文式の有効利用のスレですから、公文式批判・公文経験者批判は「厳禁」で
お願いします。批判は完全にスルーします。スレが荒れますし、一般に公文経験者
の方が、公文式批判の内容について詳しいです。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【1312109】 投稿者: ココ  (ID:YdBUI8vM80Q) 投稿日時:2009年 06月 01日 13:58

    久しぶりの白熱した議論で思わずいろいろと考えさせられました。
    公文の場合どうしても他の学習法と比較すると先取りのイメージがありますよね。
    息子の場合も「今そんなに進んでどうするの?」と良く批判的な意見を言われることもあります。
    私自身も昔はそう思っていましたし今でも進むことにそんなに意義を見出してはいないので
    タントさんの意見もよくわかります。


    公文の表彰式やテスト会場でお会いするいわゆる高進度者の中には2タイプある気がします。
    保護者、先生と一丸となって無理にガンガンと進度を進めている子とマイペースに日々やってきた結果
    高進度者になっていたタイプ。
    突き抜けて高進度な子は意外と後者が多いようです。
    無理に進めても必ず限界がきますからね…


    公文の使い方を間違うとタントさんのご心配されていることもごもっともな事と思います。
    ただ子供にも本当にいろいろなタイプがあります。
    私も最初は進み方に危機感を感じ先生に何度も相談しました。
    でも先生は「興味のおもむくまま、今はまだそれでいいのですよ」とお話されていました。
    多くの子供達を見てきてそう思うそうです。
    息子は時々全く関係のない先の教材を思いついたように解きたがるときがあります。
    先生はそれでもかまわないと時々させているようです。
    自己満足でしょうが本人は楽しんでやっています。


    公文でつけた道筋と今から学ぶ小学算数の学習はまた別物として学んでいるので公文は無駄な時間かもと
    正直思うこともありますがやはり息子の興味を優先させた結果このようなスタイルになっています。
    深度を深めるのは息子の場合これからといったところでしょう。
    ここは公文式の有効活用を考える場ですので公文を生かした上での勉強方法の知恵をさずけて
    いただけるとありがたいなと思います。


    上の娘の進度は国、算ともに3学年ほど上といったいわゆる標準的な進度ですので
    逆にまったりと進めることができてちょうどいいです。
    公文で少し先をいき他の教材等できちんと補完して仕上げていく感じです。
    あまりにもかけ離れて進むより適度なくらいの進度が一番効果的な気もします。
    中学受験をするなら進め方も変わってくるでしょうが高校受験組みの我が家にはこれで十分です。
    通っている教室には図書コーナーに公文の推薦本があり息子はお姉ちゃんが終わるまで
    それらの本を読んで待っています。
    図書館だと普段は好んで手に取らないような本もコーナーに置いてあり暇なのでつい読んでいるようで
    やはり環境は大事だなあとつい思ってしまいました。

  2. 【1312205】 投稿者: なる  (ID:UNCfLB2Y3DQ) 投稿日時:2009年 06月 01日 15:17

    ココさん


    >図書館だと普段は好んで手に取らないような本もコーナーに置いてあり
    >暇なのでつい読んでいるようで やはり環境は大事だなあとつい思って
    >しまいました。


    だよねぇ。(笑)くもんの推薦図書って一見面白そうじゃないし、
    自発的に読まないとダメだから、どーしてもゲームやテレビに比較する
    と「掴み」が悪いもんね。(苦笑)


    ある種「枯渇感」を利用するってのは「ある」と思います。

  3. 【1312416】 投稿者: なる  (ID:UNCfLB2Y3DQ) 投稿日時:2009年 06月 01日 18:33

    月刊誌『Voice』6月号にも小学校英語に関する論考が掲載されていました。
    今時な話題ですから…。(笑)こちらはWeb上に記事がありましたんで、
    一応つけときますね。渡部昇一上智大学名誉教授は国際関係や英語教育に
    関して頻繁に登場する論客ですね。当然英語はとっても大切なんだだけど、
    国語の方がもっと大事。「まずは日本語をしっかりマスターする。
    これが大前提」という部分では、だいたい皆さん異論無いようです。
    でもそれぞれの専門家のお立場での話は、違った切り口で面白い。
    じゃ、どうすんの?ってところは、各自ね。
    公文英語・公文国語を再考するには、よいタイミングかも。




    小学校英語必修化・週に数時間程度では意味がない(上)
    進学教室浜学園営業企画室 藪孝昭氏
    2009年5月11日(月)08:00


    英語漬けにすればいいのか



    日本人の誰もが、英語をネイティブに話す必要があるのだろうか。
    日本の英語教育は、語彙・文法・読解を中心とする「受験英語」と、
    話す・聞くに重点を置く「コミュニケーション志向英語」が対極と
    して存在してきた。過去、何十年にわたり日本の英語教育は「受験
    英語」に偏重しすぎていたため、その反動で、昨今は「コミュニケ
    ーション志向英語」に注目が集まるようになっているが、この二項
    対立に問題がある。中学・高校・大学で十年も教育を受けたのに英
    語がしゃべれないではないか、などと批判する人がいるが、多くの
    日本人が海外旅行に出掛けても何とかコミュニケーションできてい
    るのは、英語教育による基礎力があるからだ。そもそも、語学の基
    礎力とコミュニケーション力は異なる力にもかかわらず、それが混
    同されたまま英語教育が議論されることが問題ではないか。


    日本の英語教育の問題点を指摘する際に、日本人であっても英語圏
    で数年間生活をした帰国子女であれば、自由に英語を操れるように
    なっているのがほとんどなのに対し、日本で英語教育を受けた者は
    十年間英語教育を受けたとしても、実際に英語が使えるようになる
    割合はきわめて低い、といったことがよくいわれる。


    この事実のみをもって、日本の英語教育が間違っていると結論づけ
    ることには大きな疑問を感じる。そもそも、帰国子女が海外に滞在
    している数年間で、英語にさらされている時間数、日常生活のなか
    で英語を使わざるをえない状況にある時間数は、日本で英語教育を
    受ける学生とは比較にならない。


    では、ネイティブスピーカーの教員を増やして、日本の子供たちを
    英語漬けにすればいい、といった意見が出そうだが、それこそ的外
    れではないか。たしかに、これまでの日本の英語教育は実用的であ
    るとはいえないかもしれない。しかし学校教育は何を目的としてい
    るか、いま一度確認しておかなければならない。


    高等学校の学習指導要領に「教育活動を進めるに当たっては、基礎
    的・基本的な知識及び技能を確実に習得させなければならない(中略)」
    と規定していることからも明らかなように、中学・高等学校での学
    習目的は、実用性を追求するものではなく、大学および実社会で専
    門性・実用性を高めるための基礎学力の醸成である。


    国語・算数(数学)・理科・社会などの教科もけっして実用的であ
    るとはいえないかもしれない。「算数のお勉強をしなくても、大人
    になってから困らないのに、どうして勉強するの」と子供から聞か
    れたときに、子供が納得する回答をできる保護者がどれだけいるの
    であろうか。にもかかわらず、それらの教科に対する批判の声はあ
    まり聞こえてこない。


    日本人の多くは、海外旅行に出掛けた際に、買い物をしたり、観光
    地や空港、駅で案内板を読んだりしているではないか。また、道を
    尋ねられた外国人旅行者とコミュニケーションする姿もよく見かけ
    る。必要に迫られれば、日本人の大部分は英語でコミュニケーショ
    ンできているのだ。これは、学校教育による基礎力のおかげであり、
    何かと批判の多い英語教育だが、このような成果は評価されるべき
    ではないか。


    それに、英語の使用目的および使用頻度は一様ではない。日常的に
    英語でのコミュニケーションを必要とする者もいれば、数年に一度
    の海外旅行でしか英語を必要としない者もいる。すべての日本人が、
    ネイティブスピーカーレベルの英語を習得する必要がないのであれ
    ば、それは学校教育で扱うべきものではなく、英会話スクールなど
    が担えばよい。学校教育の評価は、実用的か否かで評価するのでは
    なく、発展的な学習をするための基礎学力を醸成できているか否か
    によって評価すべきであり、実用的でない側面のみを捉えて批判す
    るのは早計であるといわざるをえない。


    じつのところ課題なのは、英語を話す外国人とコミュニケーション
    する思い切りであったり、恥ずかしさの克服であったりするのでは
    ないか。日本語であれば、国語力とコミュニケーションスキルが別
    なのは、ごく当たり前のこととして認識されるのに、英語では混同
    されている。コミュニケーション力のベースに語彙や文法が必要な
    のはいうまでもないが、基礎力とコミュニケーション力は別の問題
    として議論される必要がある。


    http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/life/gooeditor-20090509-01.html



    小学校英語必修化・週に数時間程度では意味がない(下)
    進学教室浜学園営業企画室 藪孝昭氏
    2009年5月11日(月)08:00


    一様な効果は期待できない


    文部科学省は二○○三年、「『英語が使える日本人』育成のための行
    動計画」を策定、二○一一年度から小学校五年、六年での英語教育の
    義務化を決定したが、この方針転換には疑問を呈せざるをえない。こ
    れまで述べてきた理由に加えて、学習開始年齢や学校教育の現場にも
    課題があるからだ。


    言語習得の習得レベルと開始時期には、密接な相関関係があるといわ
    れている。たとえば日本人家族が英語圏に移住した場合には、子供は
    英語の発音がすぐに上手になるが、両親は英語の発音に苦労すること
    が多い。学説では、六歳前後に学習を開始した場合はネイティブレベ
    ルの発音習得が可能だが、十二歳前後で開始した場合には個人差が多
    いとされている。したがって、小学校五年生から英語教育を実施した
    としても、発音習得においては一様な効果は期待できない。


    言語習得の基本は、音声情報のインプットと模倣によるアウトプット
    である。私たち日本人が、母語として日本語を話すことができるのは、
    幼児期に身近な存在の人(とくに母親)からの音声情報を吸収し、そ
    れを模倣しているからである。学校での英語教育においては、この母
    親役は教員が演じることになる。


    その教員に課題がある。文部科学省は、「中学・高等学校の英語教員
    の英語力を、英検準一級、TOEFLが五五○点以上、TOEICが
    七三○点以上、が望ましい」としているが、このレベルに達している
    英語教員は半数にも満たない。中学・高等学校の英語教員であっても
    このような状況であるのだから、小学校教員の英語力は容易に想像で
    きる。

    発音習得の成否は、開始年齢のみによって決定されるのではなく、イ
    ンプットされる音声情報と時間数も重要な決定要素である。片言の英
    語しか話すことのできない教員の音声情報をどれだけ聞いたとしても、
    また週に数時間程度のネイティブスピーカーの音声情報を聞いたとし
    ても、ネイティブレベルの発音を習得できるわけがない。小学校から
    の英語教育義務化といっても、主要教科としての扱いではなく、年間
    三十五時間が当てられているにすぎない。


    むろん、もっと時間を費やして学校教育においてネイティブ教育をす
    るという方法もあるだろうが、外国で暮らすような英語漬けにするた
    めに時間を割くと、他の教科がおろそかになってしまう。


    国語習熟との共倒れも


    日本人の親は、英語教育に非常に熱心であり、小学生の一○%が英語
    教室に通っているとの調査もある。理科や算数の学習開始時期が高学
    年化しているのに対し、英語だけ低学年化している。これも英語学習
    強化への流れを押し上げているが、その前に取り組むべきことがある
    のではないか。


    OECD加盟国を中心とする五七の国・地域の十五歳男女計約四○万
    人を対象にした二○○六年国際学習到達度調査(PISA調査)で、
    日本は「読解力(一五位、前回調査時一四位)」「数学的応用力(一
    ○位、前回調査時六位)」「科学的応用力(六位、前回調査時二位)」
    の三領域でいずれも順位を下げる結果となっている。学力低下が懸念
    されている状況で、相対的に英語学習を優先する必要があるのか検討
    しなければならない。


    仮に、コミュニケーション重視の英語教育が成功したとしても、英語以
    外の能力が不足したままでよい、と言い切れる人はそういないだろう。
    経済産業省が二○○七年に実施した「企業の求める『人材像調査』二○
    ○七」によると、東証一部上場企業が社員に求める能力の第一位は「行
    動力」、第二位は「思考力」である。「行動力」「思考力」と英語のコ
    ミュニケーション能力には、相関関係がないことはいうまでもない。


    「思考力」は、「広い分野に対する全般的な知識」と「その知識を活用
    して表現する国語力」によって構成されるものである。英語のコミュニ
    ケーション能力の習得だけを考えれば早期学習を否定することはできな
    いが、小学校五年から「たんに早く」開始するというのでは、母語であ
    る国語の習熟との共倒れの危険性をはらんでいることを忘れてはならな
    い。


    こう書いてくると、さも従来までの英語教育の肩をもっているかのよう
    に感じられるかもしれないが、けっしてそうではない。語彙の習得に関
    しては、漢字のように形を目(映像)から覚えるものと、英単語のよう
    に規則性がないアルファベットの羅列を耳(音)で覚えるものとでは、
    方法が異なるはずであるが、学校の英語教育では何度も繰り返し書かせ
    ることをよしとする傾向がまだ一部に残っている。英文法に慣れること、
    英単語を暗記することは、場合によっては苦痛を伴う作業で、言語学習
    の本来の楽しみからは程遠いものとなっている。多くの子供たちは英語
    が嫌いなのではなく、英単語・英文法を機械的に暗記するのが嫌いなの
    である。


    進学塾では、学校教育の「広く浅く」でなく、「狭く深く」学ぶ。学習
    指導要領によって規定された英単語・英文法を重要度にかかわらず網羅
    的に教育すると機械的な暗記に頼らざるをえないが、受験対策に特化し
    た進学塾では、重要度の高い英単語・英文法を数回にわたって反復継続
    的に学習するため、子供たちは特別に意識をしなくとも重要度の高い英
    単語・英文法を習得することができる。だから、英語が苦手な生徒でも
    塾に通えば英語の成績が向上するのである。この事実のみをもって、塾
    の英語教育が学校教育より優れていると結論づけることはできないが、
    学校教育にも工夫の余地があることは確かだ。


    最も心配なのは、英語の苦手な教員によって小学生から英語嫌いをつく
    ってしまうことである。文法学習ではなく、子供たちの興味が高いであ
    ろう日常の話題などを題材として、楽しみながら英語に少しずつ触れさ
    せていくしかない。これであれば、文法の知識はさほど必要としないし、
    文法学習に比べると英語学習に嫌悪感を抱く生徒は少ないだろう。英語
    教育の開始段階においては、英語学習に対する意欲を向上させる取り組
    みが何よりも肝要である。



    http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/life/gooeditor-20090509-02.html




    小学校英語必修化・条件反射で発音をマスターせよ(上)
    上智大学名誉教授 渡部昇一氏
    2009年5月22日(金)08:00


    ポイントは「耳を鍛える」


    二○一一年度から、小学校五年、六年において、「英語活動の必修化」
    が行なわれる。必修化そのものについて、基本的には私は賛成である。
    しかしそのためにはいくつか条件があるということを、まず申しあげて
    おきたい。


    英語を教える先生がネイティブスピーカーであること、あるいは、海外
    で育った日本人であること、これが決定的に重要である。そしてその意
    味を理解するために、英語には漢文的顔とハングル的顔がある、という
    ことを認識しなければならない。


    漢文的顔というのは、英語は厳密に内容を読まねばならない書物、古典
    的書物をもっていて、それを読むためには机上の勉強が必要である、と
    いうことだ。

    一方、コリアン会話やハングルを習うには、標準的な発音ができる人と
    交際すれば事足りる。ハングルで書かれた古典はなく、意思疎通ができ
    ればそれで間に合ってしまうからである。


    たとえば江戸時代の漢学者の勉強法は、主に机上で間に合った。しかし
    現在英語をやっている人間は、江戸時代のようにはいかない。英語は現
    在国際公用語であり、本を読むだけではなく、会話によって意思疎通を
    図る必要があるからである。


    そして小学校から英語を必修にする、という議論は、ハングル的顔を捉
    えた議論である。それは小学校からでもできるし、そうすべきだろう。
    そこで話される英語は、おそらく「ピジン・イングリッシュ」になる。
    これは東南アジアなどに移民した華僑が、耳から聞いた英語を頼りに商
    売で使った一種の通商英語である。それは、正式な文法でなくとも構わ
    ない。「私の父と母は、昨日浅草に行ってすき焼きを食べました」、こ
    れを「ファーザー、マザー、アサクサ、ゴー、スキヤキ、イート、イエ
    スタデイ」となら、小学生でもいえるだろう。


    しかしそこで大切になるのは、その「ファーザー」が、ネイティブが話
    すような発音で「ファーザー」と発音できることだ。ここに小学校の英
    語必修化の意味はある。ポイントは「耳を鍛える」ということだ。幼い
    ころから英語に接すると、日本語にはない母音や子音を聞き取る能力が
    できる。そして、赤ん坊が親の言葉を聞きながら言葉の発音を覚えるよ
    うに、その能力が備われば発音ができるのである。


    それはいわゆる条件反射の部分で、それを学ぶには、早ければ早いほど
    よい。極端にいえば、小学校からではなく幼稚園からでも構わない。し
    かし中学校からでは少し遅すぎる。小学校の英語教育では、英語にとっ
    ていちばん難しく、かつ生物学的なところ、つまりヒアリング能力と発
    音を真似する能力をしっかり磨くべきなのだ。


    だからその授業では、文法を教えたり、成否を採点するのではなく、ネ
    イティブスピーカーと一緒に遊戯をする、ゲームをする、体操をする、
    というくらいが望ましいように思う。


    その言葉が普通に話されている環境にいれば、子供は苦もなくそれを覚
    えるものだ。そういう意味では、いまは日本人でかつ英語が専門ではな
    い教員に授業をさせようとしているわけだから、きちんとネイティブス
    ピーカーを連れてくる体制をつくらなければならない。海外の小学校や
    保育の免許をもっている人を大量に連れてくればよい。


    一方、小学校の英語教育はこれまでになかった取り組みであるから、さ
    まざまな反対が表明されているようである。その第一は、小学校では英
    語を学ぶよりも、国語や数学などをしっかりとやらせるべきだ、という
    ものだろう。


    私はその考えに、百パーセント賛成である。日本の子供は忙しい。英語
    だけではなく、日本語も、漢字も覚えなければならない。そのようなと
    きに英語のスペルまで書かせるのはかわいそうだし、そもそも先ほど言
    及した漢文的顔をした英語のほうは、小学生がとてもマスターできる代
    物ではない。知能指数が一二○以上(一三○以上という学者もいる)あ
    る子供で、しかも勤勉な勉強の習慣のあるものしか習得は不可能なのだ。


    そういう意味でも小学校で文法を教えることは無意味であって、文部科
    学省が表明している「文法は教えない」という方針は正しい。


    そもそも日本語の基礎ができていない人が、その後大きく英語の学習で
    伸びることもない。サミュエル・スマイルズの『セルフ・ヘルプ』を
    『西国立志編』という題で翻訳し、福澤諭吉とともに明治時代の超ベスト
    セラー作家であった中村敬宇は、英語の重要性を嫌というほど理解して
    いた。彼は英語中心の私塾を開いたが、その敬宇をもってして、「きちん
    とした漢文の古典を日本語に正確に訳す訓練をしないで外国に行って英語
    を勉強しても、日本語の基礎がないから、あるところまでいくと会話が
    上手なだけで止まってしまう」という趣旨の発言をしている。まずは日本
    語をしっかりマスターする。これが大前提である。


    http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090509-04.html



    小学校英語必修化・条件反射で発音をマスターせよ(下)
    上智大学名誉教授 渡部昇一氏
    2009年5月22日(金)08:00


    「日本語が亡びる」わけがない


    小学校での英語教育必修化に反対するさらなる根拠は、グローバル社会
    のなかで英語の覇権が確立し、これにあらがえずに日本語は亡びてしま
    うのではないか、という問題意識である。しかし、これはあまりにナイ
    ーブな議論といわざるをえない。


    世界の言語学史を振り返れば、中世千年を支配したのはラテン語であっ
    た。しかし、宗教改革が起こる過程でドイツ語や英語は復権し、ドイツ
    語や英語で書かれた文学の格は上がり、そこからゲーテやシェイクスピ
    アが登場するのである。つまり復活した英語は、かつてのオールド・イ
    ングリッシュに比べて驚くほど豊かになっていたのだ。


    英語ですらそうで、いわんや日本語のように確立された文化、文学が消
    えてしまう、ということはまずもって考えにくい。そもそも日本という
    国は、子供が幼いころから漢文をやらせる文化をもっていた国である。
    平安朝の勅撰集は漢詩集のほうが先に出たぐらいで、それが何点か出て
    から初めて『古今集』が出た。しかしその後間もなく、ほとんど日本語
    (大和言葉)だけで書かれた『源氏物語』という大文学が登場する。さ
    らに漢字を自由に取り入れた『平家物語』が出る。そしてそのときの日
    本語は、復権した英語と同じく、豊かになっていたのである。


    もちろん、これからグローバル化のなかで英語は道具として広まり、ま
    すます日本に浸透してくるだろう。その結果として、日本語はさらに大
    きな変化を与えられることは間違いがない。しかし、それすら日本語に
    とってはマイナスではなく、プラスなのである。


    つまり人間は、違う言語を学ぶことによって、まったく違う論理構造を
    も学ぶからである。日本人が優秀な民族でありつづけているのは、古代
    から漢文を読んできたから、という部分と切り離して議論することはで
    きない。


    根源的にいえば、人類の起源はアフリカから世界中に拡散した。そこで
    日本に来た人たちと同じ人種がアラスカを通って、カナダ、北アメリカ、
    メキシコを通り、南米の南端まで進んだわけである。彼らはフエゴ人と
    いわれたが、ダーウィンの時代にはそれを世界でいちばん未開な民族、
    と位置づけた。つまりはそこまで行ってしまうと他の言語、文化とまっ
    たく交わることがなく、発展が止まってしまうからだ。


    しかし日本はそうではなかった。海から来たものたちと交じり合い、文
    化を受け入れ、戦国時代以降は南蛮文化すら取り入れながら、積極的に
    自らを発展させていったのである。日本は異なるものを取り込んで発展
    させていく文明をもつといってよいし、日本語もまたそうである。


    そういう意味で、カタカナ語英語が問題だ、というような指摘はつたな
    いものだ。どんどん異文化を入れて、自然淘汰に任せればよい。極端な
    話、江戸時代のころまでは漢文が盛んで、日本人の感覚では「漢和辞典」
    は「日本語辞典」であった。そのうち普通の「英和辞典」が「日本語辞典」
    と感じるようになるかもしれないが、そうなってもいっこうに構わないし、
    何度も繰り返すように、そうなっても日本語が消えるわけではなく、そこ
    で日本語はますます強く、豊かになるのである。


    http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090509-05.html

  4. 【1312545】 投稿者: タント  (ID:QcQJlrgWEvc) 投稿日時:2009年 06月 01日 20:34

    英語教育について面白く読ませて頂きました。
     
    渡部昇一氏 は、学生時代『知的生活の方法』ベストセラーに
    なり随分影響され自室を本箱だらけにした。年齢がばれるね。
    最近は右よりな発言が多いが嫌いではない。朝鮮にハングルを
    根付かせたのは日本の併合時代であり日本の中国からの朝鮮独立
    を意図したものを語るあたりは片鱗がある。後に彼らは愚かにも
    中華思想を嫌い漢字を排除したのは悲劇だった。
    でも渡部氏が英語を喋った様子を見たことがない。それから、
    ビジン・イングリシュじゃなくベイジン・イングリシュが日本語
    的かもしれない。しかし、私は彼に傾倒した為に運転免許をとり
    損なった。
      
      
    藪孝昭氏は知らないが、穿った見方をすれば中学受験塾経営に
    新しく英語科目が増えることを考慮しているともとれる。


     

  5. 【1312599】 投稿者: そらみ  (ID:Y6kI4.CAuqA) 投稿日時:2009年 06月 01日 21:28

    タントさん、こんばんは


    何度も何度も読んで、タントさんの問いに答えを出したいと頑張ってみました。

    もしかしたら間違いかも知れないけれど、思う事を書きます。


    では書きます。まず数学について思う事。公文では主に計算の部分を先取りしていくわけです。だからタントさんの言う深度は存在しません。中学受験または問題集などを使えば確かに深度は深まるのかも知れません。


    では中学受験をしない場合いつ深めていくのか?これは人それぞれだと思います。

    中学かもしれないし高校や大学なのかもしれない。「なぜだろう」「どうしてだろう」「もっと知りたい」と子供が思った時。


    こればかりは親が「興味を持ちなさい、もっと深く理解をしなさい」と言ったところでどうにもなりません。

    では何故公文が有効なのか?それは深度を上げたいと思った時、大きな力になるからです。計算力があるとゆとりが生まれます。例えばテストを解く場合ミスが少ない。計算が早いから難問に使う時間がある。ゆっくり考える時間が十分にとれるのです。


    ところで深度の基準て何ですか?これが私にはわからない。何故ならば深すぎるから…教えて頂けると助かります。


    国語についてですが、中学教材は中学受験にも役立ちます。例えば江戸川取手中の最後の問題。これは公文の縮約です。公文の読解力があれば解ける問題はかなり多い。でも記述に関しては訓練が必要だと思います。

    色々書いてみて改めて思ったのは公文は有効利用するものだという事です。


    長々と申し訳ありません。わかりづらいかも知れません。読んで頂いてありがとうございました。


    やっぱりタントさんの息子さんは高進度だと思います(笑)

  6. 【1312610】 投稿者: タント  (ID:QcQJlrgWEvc) 投稿日時:2009年 06月 01日 21:37

    すみません。具体的に公文の基礎鍛練レベルが知りたい
    ので質問お許し下さい。算数です。 
     
    公文では、小学生の四則演算の計算はどの程度の問題で
    クリア出来るのでしょうか?計算能力の深さを知りたい
    のですが、下記のような問題は1分程度で解けるくらい
    に鍛錬しているのでしょうか。基礎鍛錬の程度が知りた
    いです。市販の公文のドリルでは分からなかったです。
    ※ □ を求めます。 簡単な中深度の問題です。  
      
                         1          1
    0.4 ÷ □ - 2.52 ÷ ( 2--- - 2.22 ) = ---
                         2           5

       
       
    この程度が、1分以内に正確に解けないと私の感覚では、
    計算練習不足です。基礎練習に耐える資質が大事です。
    この程度をクリアしているなら計算も中学レベルに入れる
    と思います。

  7. 【1312642】 投稿者: そらみ  (ID:Y6kI4.CAuqA) 投稿日時:2009年 06月 01日 21:55

    公文生の親さん、こんばんは


    わかって頂けて嬉しいです。良かったぁ。私の文もたまには伝わるんだ!


    脳の発達についてはわかりませんが、娘が筋金入りであることは間違いございません(笑)


    はい。受験に役立てていきます。ありがとうございます。




    こはくさん、こんばんは


    青春は謳歌しないと。遊ばなくちゃ勉強できませんよね。あの頃にもどりたい(笑)


    そうですよね。本当に様々な人がいますよね。


    でもきっと近い将来、進度ばかり追い続けた事の無意味さに気づく時がくる。子供が成長し自分で気づくのかも知れません。決して遅くはない、そこからのスタート応援したいですよね。

    先日はアドバイスありがとうございました。今後共よろしくお願い致します。

  8. 【1312720】 投稿者: タント  (ID:QcQJlrgWEvc) 投稿日時:2009年 06月 01日 23:07

    そらみ 様
      
    すみません。そらみ さんの書き込み知らずに、
    計算の深度の質問を書き込んでました。
     
    なるほど。そらみ さんならではのご意見ですね。
    数学に公文に求める私の深度は無いと云うことですね。
     
    う~ん。計算は集中力と毎日の鍛練が必要。
    知識と言うよりも数学の基礎体力かも知れません。
    野球のピッチャーのランニングに相当するのかな。
        
    興味が出来たときに深度を深める。
    これは、学習が好きになった時が勉強するときと
    云う事ですね。一理あると思います。多くのご父母は
    勉強が好きになった、若しくは、勉強が必要と感
    じた時が遅かった。だから、子供には早く学習させて
    あげたい。納得です。
     
    私は子供には、先ず、スポーツや学習が好きになるよ
    うに仕向けました。小さい時から遊びばかりさせまし
    た。でも学習の要素になる図書や道具は揃えましたが
    興味を持っても知らんぷりです。
    小学生になっても家庭では、習い事や塾には行かせま
    せん。ゲームもやり放題。『友達が習い事やってるよ』
    『塾行ってるよ』と子供が云っても、私は『そう、凄い
    わね。大変なのよ。』とひとごとのように云いました。
    友達が習い事などで遊び相手を探すのが大変になった時
    真剣な眼差しで、『勉強したい』と云いました。
     
    そこで、私は算数では四則演算を教え、中学受験用の
    計算問題を与え毎朝10分だけ欠かさず続けられるな
    ら勉強していいよ。10分以上は学校に遅れるから絶対
    駄目と、云い。もし続けられないなら小学校で受ける
    授業だけで充分なので、その問題集は取り上げる。
    と云いました。確信犯です。次の課題が欲しくても与
    えず問題集がボロボロになるまで我慢させました。
    そこで、学習習慣と集中力や我慢・辛抱・努力の大切さ
    を教え勉強の基礎鍛練の土台を作りました。
    そういった過程を経てからは、スポンジが水を吸うよう
    に実力をつけました。教材や課題は、私が情報を集め
    慎重に選びました。国語は音読と教科書を何度もノート
    に丸写しさせました。そこで、漢字や文体を会得しまし
    た。作文は飛躍的に向上しました。
    小学高学年では、四谷大塚の予習シリーズだけを与えま
    した。余分な教材、余分な図書は与えません。目移りす
    るし飽きっぽくなるからです。但し、ニュートンや
    中学への算数は定期購読しました。

    そうやって、小学生の間に勉強の仕方を教えました。
     
    深度の基準。そらみ さんの言う通り標準化された
    ものは存在しませんね。私の場合は、基準を測る
    材料に中入試の模擬試験を利用しました。模擬試験
    は良く出来ていて苦手分野を洗い出してくれます。
    中入試しない場合、センター模試か合不合で偏差値
    50辺りが目安だと思います。中堅校の少し下ですね。
     
     
    中学からは特に勉強の方法は英語以外教えてません。
    教材選びは私が意見していますが・・・。
     
    学習は、集中力と体力と忍耐があれば出来ます。
    それから、努力の素晴らしさと成功体験。
    スポーツも同じだと思います。

あわせてチェックしたい関連掲示板

このスレッドには書き込めません

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す