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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【3951645】 投稿者: んっ。 (ID:xozu0s1aduI) 投稿日時:2016年 01月 08日 09:23
半島が好きとか嫌いとか・・そーいうのは抜きにして
冷静に、真実をっと思い、色々調べるんですが
半島から日本へといーうのは、いっぱい出てくるんですけど
全て結論ありきで、その根拠が示されていないものばかりでした。
なんか変ですよね。
事実は事実として半島から日本でもいいんです。
でも、その根拠が出てこない。 -
【3951684】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:Ta6O254MHtg) 投稿日時:2016年 01月 08日 10:01
>半島から日本へといーうのは、いっぱい出てくるんですけど
全て結論ありきで、その根拠が示されていないものばかりでした。
なんで検定教科書に記述されているのに。わざわざ根拠など示す必要がある?検定教科書が全くなんの根拠もなく記述しているとでもいうのかね?
朝鮮半島を経由していないというなら、教科書を改定するまでに信用力をもたねば、ただの説である。
現在のところ、大陸(中国、朝鮮半島)経由で稲作が伝わったとする教科書通りの見解を信用している。検定が力を持つ以上、証拠は必要ない。笑
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【3951748】 投稿者: んっ。 (ID:xozu0s1aduI) 投稿日時:2016年 01月 08日 11:29
確かに、紀元前4世紀ゴロ、大陸(主に朝鮮半島)から渡来した人々によって
稲作が九州北部に伝えられ、東日本に広がりました。
と・・教科書(副読本)にあります。
けど・・それだけ
朝鮮には日本より古い水田がないといけない点
イネのDNA鑑定で否定された点
この2点どのように説明されますか?
・・わざわざ、根拠など示す必要がある?
はい、わかりました。 -
【3951770】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:0hpQoOPPjGU) 投稿日時:2016年 01月 08日 11:56
>朝鮮には日本より古い水田がないといけない点
イネのDNA鑑定で否定された点
この2点どのように説明されますか?
文科省にいいたまえ。私はわからん。
将来の改定はわからぬが、いずれにしても文科省のお墨付きが無いのは、今のところ信頼には至らないから朝鮮半島ルートが否定されていないのである。笑
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【3951791】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 01月 08日 12:19
>意外と進んだ日本人は中国の文明とは別にその点で遅れていた半島にも影響を与えていた
のかもしれません。
考えにくい。
少なくとも中国文化一色であった当時の朝鮮は、わが国よりも文化度が高かったと考えるのが自然である。 -
【3951894】 投稿者: 暇なおじさん (ID:1DesB9gqus6) 投稿日時:2016年 01月 08日 14:43
参考
≪本文へ≫
国力ならずっと日本の方が圧倒的です。中華帝国の影響を受けるのは近い朝鮮の方が早かったのでしょうが、それは中華帝国が先進的というだけのことであって、朝鮮が進んでいたというのは間違いです。
日本の方が国力が上という根拠
①中華帝国・高句麗などは百済・新羅を日本の属国と認識していた。
梁職貢図新羅題記「新羅は倭の属国」
好太王碑「そもそも新羅・百残(百済)は高句麗の属民であり、朝貢していた。しかし、倭が391年に海を渡り百残・■■・新羅を破り、臣民となしてしまった。」
『隋書』倭国伝「新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している」
日本は宋から、倭の五王の時代に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」という朝鮮半島の軍事権を委ねられていたこと
②古代朝鮮は日本の影響を多大に受けていた。その根拠に日本発祥の古墳が多く朝鮮半島南部に存在する。しかし、朝鮮半島最大の古墳の墳丘の長さは120mしかなく、日本最大の古墳大仙稜古墳の墳丘の長さが482mであり、比べ物にならない。
③日本の水田遺跡が3200年程度前にさかのぼることができるのに対して、朝鮮半島で発見された最古の水田遺跡が1500年程度前しかさかのぼれない。
④日本は弥生時代に中華帝国から周辺国家に授与する最高印「金印」を授けられていたが、朝鮮は有史以来「銀印」すら授与されたことが無いこと。
⑤百済や新羅は王族の一族を日本に人質に差し出していたこと。例、百済の王子扶余豊璋、新羅の王子未斯欣
⑥世界最古の土器は縄文土器であるなど、古代から日本に先進的な技術が存在したこと
そもそも、古代朝鮮は多くの民族が混在した国家だったことには注意する必要があります。例えば、『隋書』には百済の王族は、後の満洲からやってきた民族であり、住人は日本人や新羅人、漢人などが混在していた様子が記載されています。『隋書』百済伝「百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人」
新羅も同様で、朝鮮の史料『三国史記』 には新羅の王に、日本出身の人物がなったと記載されています。
『三国史記』 新羅本紀 第四代 脱解「姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那国所生也。其國在倭国東北一千里。初其國王娶女國王女為妻。有娠」
そのため、朝鮮半島から亡命した技術者を優遇したからといって、それは朝鮮出身の人物とは限らず、むしろ中華帝国出身者であるという可能性も非常に高いことがわかります。例えば、渡来人として有名な「王仁」は、名前から漢人ではないかという説が有力視されています。 -
【3951907】 投稿者: 幼稚 (ID:krSUwzW5MWY) 投稿日時:2016年 01月 08日 15:04
ヤタローさん
レスありがとうございます。返レスが遅くて済みません。
>私は人口爆発などの議論を書き込んだ覚えは全くない
そうでしたか。失礼しました。
僕は、ヤタローさんの以前のレスの
>...列島にあふれていた縄文人が半島南部に進出したのは当然の結果という事になろう
という部分を人口が急増し列島にあふれた(食い詰めた)故に半島に進出したのは当然だ、という趣旨と読んだのですが 勝手な読み込みでしたか。
しかし、そうだとすれば半島に進出した動機・事情はなんだったのか依然疑問です。
>列島縄文人は海洋民族であったとの明確な証であろう。
列島の縄文人は一様ではないですが、九州に海洋民族と呼べる人たちが住み着いていたという想定には説得力を感じます。僕はこの海洋民族は、呉、楚、越等、長江文明の担い手で、彼らが九州にも朝鮮半島にも流れ着いたのではないかと想像しています。
>縄文人は船を操り外海にどんどん出て行った証であり、九州から半島に渡る事など容易い事であった。
この点が今一つ腑に落ちません。やはり対馬、朝鮮海峡は縄文の舟でどんどん出て行き、容易く渡れるものではなかったように感じます。例えば、縄文時代の舟の遺跡は大きいもので7-8mと推測されており、これだと2-3ノットがせいぜいだろうと思いますが、一方で対馬・朝鮮海峡付近での対馬海流は1.5ノット程度の流速がありますから、2-3ノットの舟ではほとんど漂流している状態です。地図を見るとわかりますが、対馬から朝鮮海流に乗って漂流しまうと半島に到着するのはかなりの困難を伴います(ちなみに慶尚南道あたりからだと漂流するような形でも対馬には着けます)。どのように行ったのか、危険を冒したインセンティブは何だったのか、と思ってしまう所以です。 -
【3951912】 投稿者: 暇なおじさん (ID:1DesB9gqus6) 投稿日時:2016年 01月 08日 15:07
>倭を大国で珍物が多い
個人的にはこの部分が一番興味あるんですよね、何を指しているのか
得意のガラパゴス製品なのか?
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