最終更新:

5518
Comment

【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【4008113】 投稿者: ヤタロー  (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 02月 20日 12:04

    何度か書いているが、2009年、国立歴史民俗博物館の鑑定により、
    240年〜260年頃の鑑定がなされた、大和三輪山の麓に広がる、纒向遺跡
    藤原京の大きさに匹敵する政庁跡、桃2000個が籠に入ったまま捨てれれるように
    発見、神殿跡のようなものも発見。隣にある日本最古の前方後円墳 箸墓古墳
    邪馬台国であり、卑弥呼の墓ではと色めきたった。

    これにはいくつかクリアーしなければならない問題あり、もし邪馬台国が九州より東征してきたならば、九州の土器が全く出土しないのはおかしい。
    土器の出土は伊勢東海系が49%北陸山陰系17%河内10%吉備7%
    九州は全くないのである。伊勢東海関東で54%これを見れば、政庁を築くための人夫の半分半分、尾張、伊勢、関東の東国の人員が動員された事がわかる。
    大和政権初期にはこれに北陸山陰を加えた勢力が70%を占める。
    (250年後に継体天皇が、応神天皇5世ながら、敦賀より即位したのは初期大和政権に尽力した北陸尾張勢の巻き返しになる、継体天皇の妻は尾張氏子女)

    また九州は銅剣、銅矛が大量に出土するが、ここ大和では全く出土せず
    むしろ、銅鐸文化圏である。土器の出土した地域分布図は銅鐸分布図と重なる。
    邪馬台国が東征したなら、銅剣、銅矛の出土も確認されなければならない。

    以上の事から、邪馬台国と言い切るには、三角縁神獣鏡など魏志倭人伝に書かれているものの出土などが必要になる。
    これが科学鑑定に基づく最新の推論になります。
    これに基づき、纒向遺跡の日本初の大和集権国家とは別に九州には別の勢力が存在し、それが、240年前後に存在した邪馬台国なのではと私は推察しています。

    搬入土器の出身地割合
    伊勢・東海系 49%
    北陸・山陰系 17%
    河内系 10%
    吉備系 7%
    近江系 5%
    関東系 5%
    播磨系 3%
    西部瀬戸内海系 3%
    紀伊系 1%

  2. 【4008556】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 20日 18:23

    >以上の事から、邪馬台国と言い切るには、三角縁神獣鏡など魏志倭人伝に書かれているものの出土などが必要になる。
    これが科学鑑定に基づく最新の推論になります。



    前レスで書いた、かつて行った京都国立博物館の展示をなつかしく感じたので、
    本棚からパンフレットを手元に。

    「特別展覧会 倭国 ー邪馬台国と大和王権ー」
    京都国立博物館 平成5年3月23日→5月9日

    このパンフレットは200頁もある大部で、埋蔵品の写真がたくさん載っているけども、そのなかでも三角縁神獣鏡・・博物館で何度も熱心に眺めた記憶がある。

    冒頭の解説文(立命館大学和田晴吾教授)では、

    「邪馬台国は畿内勢力の中枢を構成する大和を中心とした勢力で、大和王権のごく初期の段階にほかならないと考えるのである。中国の魏王朝はその女王・卑弥呼を「親魏倭王」として冊封し、金印紫綬とともに銅鏡百枚(三角縁神獣鏡説が有力視)ほか、さまざまな品を授けた。」

    とある。

    明らかに邪馬台国畿内説で書かれているが、20年以上も前のことなので、
    その後、研究はどうなっているのだろうか。

    その後、三角縁神獣鏡は日本製ではないか
    という疑義を読んだ覚えがあるのだが・・

  3. 【4008565】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 20日 18:44

    冷静にかんがえると君

    >原題の「Plein Soleil」は単数形だから、「複数の太陽」というと少しニュアンスが違ってくることは否めないものの、言語の意訳ひとつとってみても思想背景が反映されていると思えば、ひじょうに興味深い。

    >「太陽がいっぱい」、、我々日本人にとってはまさに「複数の太陽」を示すものとして、件の翻訳家の意訳も違和感なく受け入れられると思うところです。



    いま、話題に出している三角縁神獣鏡であるが、
    京都国立博物館の研究によれば、魔鏡現象というのがあるらしい。

    3Dプリンターを使い、まったく同じ素材(銅、すずの合金)で寸分たがわぬ物を作り、表面を磨き太陽光を反射させると、裏面(掘っている側)を投影することができるとか。

    この現象を何に使ったのかは分からないが、

    まさに、

    太陽がいっぱい

    である。

  4. 【4008593】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:vCPWRPZhXAQ) 投稿日時:2016年 02月 20日 19:15

    ピンガラ さん

    >一時期、歴史のお話とは関係のない中傷合戦が嫌になり、ROMを止めておりましたが、最近になってレベルの高いやりとりが再開された様子に、思わずしゃしゃり出てきました。相も変わらず、関係のないレポートを貼り付けて、チョロチョロしている方はいらっしゃいますが、HNでスクロールすればうっとおしいだけで苦にはなりません。

    はは、手厳しいですね。スレ主のひまわりさんは中傷以外の書き込みを許容されていますから、読みたくない(あるいはその必要のない)書き込みはページめくりでよいと思います。
    それにしても、失礼ながら意味深なHN.で驚きました。
    以前、鬼子母神さんという方がおられましたが、お身内の方? 確かご息女が歴史をやっておられるとのことだったが(勘違いでしたらすみません)、ヨーロッパ中世史とは興味深い。研究者の方ですか? わたしも大した知識はありませんので、そうであれば是非ともご教授願いたいと思います。

    ヤタロー さん

    「さざんかの宿」、知っていますよ。当時は小学校低学年頃でしたが松田聖子さんが好きで、ベストテン、怒られながらもよく見ていましたから。
    「愛しても・・他人の妻」ですよね?

    自由さん、紙つぶてさん

    「さざんかの宿」とは対極的ですが、ヒンドゥー教のある有神教宗派ではかつて配偶者の死を契機に火中に己が身を投じるといった慣習もあったそうですね。これをひとつの「現象」として、現代の女性研究者が成立背景、実施されてきた事情を記述したとしても、はたして客観的な立場を維持し得るかどうか、、
    かつてランケは個別的現象を事実に即して記述することを説きつつも、普遍的なものへの志向を忘れてはならないとしたが、彼もまた19世紀のドイツ人、敬虔なプロテスタントとして、ある特定の立場に依拠せざるを得なかったのではないか。ローマ教皇の役割を肯定的に書きすぎたとプロテスタント社会から非難を受けた著書「ローマ教皇史」、だからというわけではないが、対立するプロテスタンティズムの歴史を「宗教改革時代のドイツ史」という題名で書くことになる。
    バルカン半島でのセルビア人、トルコ・イスラム勢力との対立に関心をもっても、彼の立場はキリスト教徒、欧州人としてのそれであった。
    いったい歴史の時間軸の中で、物理的「現象」と歴史的「現象」を分けるメルクマールとは何なんでしょうね、、自然科学における科学的手法とやらが万能ではないことは明らかです。
    小林秀雄の「母親を亡くした子供」と「古寺の瓦」の論考はけっこう為されているようだが、、未だわたし自身も納得できる答えは見い出せていません。

    >じっさいヨーロッパの伝統的な知は、理性という名のもとにヨーロッパが優越しているものだと無意識に考えてきた。未開の諸民族の文化は、無知や迷信の所産であり、そこでは文明/野蛮という二分法が通用していた。・・構造主義の登場にともなって・・そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。

    最近読んだ本で面白かったのは、「シャルリとは誰か?-人種差別と没落する西欧」エマニュエル・トッド著(堀茂樹 訳)、文春新書、でした。ここでの話について一定の解を提示し得るものと思われます(既読でしたらご容赦を、、)。

  5. 【4008707】 投稿者: ヤタロー  (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 02月 20日 21:31

    自由さん
    邪馬台国の場所は、魏から卑弥呼に下賜された親魏倭王の金印及び銅鏡100枚が大量に出土すれば、確定しますが。
    三角縁神獣鏡、銅鏡もどきは、500枚前後でてきており、中国本土では出土無しなので、日本国内で作った偽装品でしょう。

    魏志倭人伝の記載によれば、邪馬台国は30国支配権があり、唯一王のいた国、
    伊都国に一大卒と名付けた管理機関を置き諸国に睨みを利かせている。
    この伊都国は、博多糸島近辺と推定されている。私が何度か書き込んだ、
    漢委奴国王印はこの伊都国が漢代57年に下賜されたものです。
    邪馬台国の支配下に入リ格式を保ち王を称する事が許されていたと推察します。
    また邪馬台国の南部には狗奴国があり、邪馬台国とは戦闘状態。
    狗奴国は熊襲と推察されている。

    大和にあったならば、熊野が狗奴国なんでしょうが、三輪山麓の纒向遺跡は九州以外の初の大和集権体制なので、これに当てはめるのは厳しいと思います。
    歴史はロマンでいろんな推論があって楽しいところですが・・・・

    卑弥呼、天照大神説は、和辻哲郎氏だけでなく、松本清張氏他多くの説あり。
    松本清張氏は、卑弥呼は当て字で、ひみか、ヒミコ 日御子、日の御子で同一だと主張してます。日向はひゅうがではなくヒムカだとも主張。
    卑弥呼の墓は、宇佐神宮の裏山と書いていた記憶あり。

    何れにしても、太陽神の分身ですから、三角縁神獣鏡などを使い、祭事に使用
    その際、投影はもちろんですが、太陽光を反射させ、鏡を何枚も使い火をおこしたりして、太陽神の分身である事を庶民に示したでしょう。
    勿論、鏡など見た事のない庶民はびっくりし畏怖の念を抱いたに違いないと思います。
    我が国太陽神の筆頭、天照大神を伊勢神宮に祀リ、江戸時代には全国の庶民が
    お蔭参り、。伊勢参りに没頭したわけですから
    太陽がいっぱいのフレーズは我々日本人にはなんの違和感もなかったはずです。

  6. 【4009040】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 21日 06:59

    >エデュは基本雑感だからさ、自分の感じたこと、書くだろ。

    その通り。
    ゆえに、キミのように何らの主張・意見もなく、
    ただ私に対する執拗な中傷に過ぎない落書きすら最低限その存在を許されるのであろう。

    たしかに、私は本スレでの異見につき、ときに批判を加えるときがある。
    しかし、それは意見の相違によるものであり、他意はない。
    むしろ、自らのご意見を公にされた行為にリスペクトさえ抱く。※

    だが、キミにそれは該当しない。
    粘着・中傷専門屋のキミこそ、正真正銘の便所の落書きである。
    自らのその下劣な在りようを省みてはどうか。

    ※蓋し、それはキミのような輩を招来する危険性が生じるからだ。

    (転載)

  7. 【4009079】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 21日 08:02

    >これは資本主義、社会主義の問題ではなく税制の問題である。

    そのような単純なものではない。
    現在の混迷する日本経済の在りようは、まさにマルクスが指摘する資本主義の本質に根差したものであると言わざるを得ないものだ。

    そもそも資本は、営業競争の過程においてその存立維持のため、たえず生産規模を拡大し、生産力を発展させる。資本の蓄積が必須なのだ。
    これは価値の増殖運動であり、剰余価値※①を生み出して資本転化することが目的化する。

    たしかに、この資本の働きにより社会的再生産の規模は拡大する。
    同時にそれは労働生産力の発展と剰余価値(不払い労働)率の増大を招くのである。
    さらに、この資本の蓄積により生産手段に投下される不変資本※②部分と比較し、労働力に投下される可変資本※③部分が相対的に減少する。それは真の労働需要を減少させ、相対的産業予備軍※④を絶えず生み出す原因となる。

    すなわち、資本の蓄積過程とは、必然的に労働者に対する搾取(労働者に帰すべき利潤の横取り)強化と労働者階級貧困化の促進過程にならざるを得ないのである。

    また、上述のように資本主義社会では余剰が私的資本に帰属する利潤という形を取り、それが必然的に労働者の賃金と敵対関係に立つ。
    この経済余剰の支配形態の相違こそが体制区別のメルクマールになる。

    その結果、支配階級であるブルジョアジーと被支配階級であるプロレタリアートとの間の階級闘争を不可避にするのである。


    ※①労働力の作り出した新しい価値のうち、労働者に対する賃金支払額、すなわち、後記『可変資本』を超える部分。

    ※②原料や設備のように、その価値がそのまま生産物価値に移されるもの

    ※③労働力投入のために投下される資本部分。労働力の作り出す新しい価値がその投下された資本額(賃金)以上になるという意味で「可変」という。

    ※④その一例が、「労務コスト削減」のため財界等がアベ政権に働きかけた結果、昨年9月に国会で強行採決し、その2週間後に施行という異例の暴挙をなした労働者派遣法の改悪である。

    また、これにより、同法が施行以来30年間保持してきた「常用雇用代替防止=派遣労働者のキャリアアップによる常用雇用促進」との建前は完全に喪失した。その結果、生涯派遣労働者が事実化した。今後は、正社員と非正規社員との雇用比率の逆転、ならびに新規学卒者の派遣含む非正規雇用化すら惹起しよう。

    (転載)

  8. 【4009095】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 21日 08:21

    (再掲)

    以上は、自分の存念を思うままつらつら書いてたみたが、


    マルクス主義者サルトルをレヴィ=ストロースが論破した経緯について、

    「現代思想・入門」別冊宝島の小阪修平氏の解説から。

    「構造主義の登場が批判の注目を引いたのは、レヴィ=ストロースが1962年に「野生の思考」を出版して、そのなかでフランスの戦後思想を代表してきたサルトルの思想を批判したからである。レヴィ=ストロースはサルトルの弁証法的理性は「人食い的な理性」だとまでののしっている。そこから現象学と実存主義という「主体性の哲学」対「構造主義」という対立がはじまる。現代の思想シーンを考えるうえで出発点になる対立が、1962年にはじまったのだ。構造主義の側からは「主体の死」とか「人間の終焉」とかがとなえられ、サルトルの側からは、構造主義は資本主義を擁護するブルジョワ科学だという反批判が加えられた。」(134頁)

    「コギトとはデカルトの哲学の第一原理、「われ思うゆえに、われあり(コギト エルゴ スム)」に由来することばだ。コギト(わたしが思考すること)は、わたしが存在することの根拠であり、ぎゃくに、人間は思考の場所として特権的存在だったのである。・・デカルト以降の近代ヨーロッパ哲学は、コギトの内容をさまざまに変えてきただけで、この思考すること(理性をもつこと)が人間の原理だという根底はそのままにしてきた。サルトルの哲学がどれほど、自由でかつ状況のなかで選択し状況を引きうける自我をとなえようと、思考し決断するというところに人間の原理の価値をおいているという意味で、広い意味でのコギトを原理とする哲学だったのである。」(135頁)

    「だが「未開」(無文字社会)という他者にふれたことは、この理性の内容がヨーロッパという特殊な文化のなかでの理性だということを明るみにだす。じっさいヨーロッパの伝統的な知は、理性という名のもとにヨーロッパが優越しているものだと無意識に考えてきた。未開の諸民族の文化は、無知や迷信の所産であり、そこでは文明/野蛮という二分法が通用していた。・・構造主義の登場にともなって、「主体の死」とか「人間の終焉」とかいうイデオロギー的な掛け声がかかったが、そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。」(136頁)

あわせてチェックしたい関連掲示板

このスレッドには書き込めません

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す