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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【4007466】 投稿者: ↑ 二俣川  (ID:uM1aPauhv1s) 投稿日時:2016年 02月 19日 22:09

    なんら論理的反論ができない輩。
    それでいて、早稲田を「軽量入試」と罵倒する。
    しかし、本日西早稲田のキャンパスで見た理系受験生らは賢そうであった。

  2. 【4007468】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 19日 22:10

    カビの生えたマルクスを墓場まで。

    二俣川の一生



    なんだか憐れだなあ。

  3. 【4007485】 投稿者: 二俣川  (ID:uM1aPauhv1s) 投稿日時:2016年 02月 19日 22:23

    「墓場に入るまで」偉大なるマルクスに付き合えたのなら本望である。

    大内兵衛・法大総長が、卒業生に対する言葉として、これからの社会人としての多忙な日々の中、
    毎日少しずつでも『資本論』を読み進めることを促した理由がよくわかる。

    「現在の社会はけっして固定した結晶体ではなく、変化することの可能な、
    そしてつねに変化の過程にある有機体なのだ。『資本論』」(大月書店・マルクスエンゲルス全集23巻a11頁)

  4. 【4007489】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 19日 22:24

    じゃ、もう出てくるな。

    邪魔

  5. 【4007640】 投稿者: 紙つぶて  (ID:F146OMxEv3s) 投稿日時:2016年 02月 20日 00:48

    自由さん、

    レヴィ・ストロースへのアプローチの仕方、アドバイスありがとうございます!
    読み始めは、氏の文体のせいなのか、はたまた仏語から日本語訳への訳者の苦闘のせいなのか叙情的な文章(「AはBより背が高い」を「Bは繊細な感性を天性に持ちながらも身体的尺度においてはAに劣ると断定して差し支えあるまい 」と表現するような文体)に食傷気味でしたが、今は透けて見える構造主義の思考とその文体のコラボレーションを楽しんでいる段階です。

    歴史にかんがえると さん、

    レヴィ=ストロ―スの神話分析は二元論的な対立項を前提にこれを中和、あるいは超越する「何か」を見出すことに主眼が置かれていたと思うが、そこに普遍的な「何か」を求めるならば、どうしても比較論的にならざるを得ないと考えるところ。

    仰る通りで、世界人類といった概念も「人類の普遍的な共有原泉」を突き詰めねは絵空事と思えるのです。人類誕生の歴史の直線上においては「現在」は一過性の点にすぎませんから、如何なる合意も到達点も「暫定的な着地点」となるわけです。
    とりわけ、フランス人は二元的論法で思考する傾向があると言われていますから、原泉に立ち返るには若い方から時系列に比較しながら過去に遡り潰していく作業が求められます。それでも中和作業は、人間世界はパンダのように白黒つけがたいので、処々を鑑みる意味で不可欠となりますよね。  

    ヤタローさん、

    >従来の考えでは、邪馬台国が東征、神武東征など日本が常に一つとの固定観念に皆支配されていたが、単純に九州の邪馬台国と、大和にそれ以外の集権体制国家が共存して、二つあったと考えられます。

    邪馬台国の所在地については、以前も様々な意見があり、どれもフムフムと頷いていたところです。邪馬台国は無敵中央集権国家ではなく、二大政権の一つである大和政権側勢力に制圧されたのでしょうか。私は歴史無知なのですがワクワクします。

  6. 【4007742】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:0WjyPC2cxgU) 投稿日時:2016年 02月 20日 06:15

    ヤタロー さん

    >安曇の君は志賀海神社の祭神であり、君が代の君のモデルではと先日書き込んだが、民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。

    手元の「天つ神」の系譜を確認してみたが、なるほど、山幸彦(ヲワリ)と豊玉姫(トヨタマビメ)の子の神名は、「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」となっており、仮に阿曇磯良と同一人物だとすると阿曇(安曇)族の始祖ということになるのだろうか、、従来、古事記の解釈では阿曇(安曇)族の祖神は綿津見命(わたつみのみこと)であったと思うが、この説が本当なら皇統に関わる重大事になる、ひじょうに興味深い論考となりますね。
    古事記原文から引用すると、つまり天照大神に連なる系譜、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(アメノオシホミミ)→天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(二二ギ)→山佐知毘古(ヤマサチビコ)で繋がれてきた男系の大統譜を山佐知毘古、ヲワリの御代で豊玉毘売命との婚姻を契機に姻族が正統になるということを意味する。とりわけ天津日高日子波限建鵜草葺不合命(阿曇磯良?)は綿津見命直系の玉依姫命(血縁上は叔母)と婚姻、二代にわたり綿津見命直系と姻を結んでいるわけだから婚姻家のいわば乗っ取り、現在でいえば姻家に皇統が移ることを意味する。

    うーん、、阿曇(安曇)族の来歴を祖神伝承も含めて少し詳しく調べてみたいと思います。もっとも、古代では姻戚関係が各豪族の勢力圏に影響していったことは容易に想像できますから、記紀編纂にあって阿曇(安曇)の冠を用いた家史の作為はじゅうぶんあり得ますね。
    いやいや、これは興味深い説を教えて頂きました、ありがとうございます。

  7. 【4007747】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 20日 06:26

    >>レヴィ=ストロ―スの神話分析は二元論的な対立項を前提にこれを中和、あるいは超越する「何か」を見出すことに主眼が置かれていたと思うが、そこに普遍的な「何か」を求めるならば、どうしても比較論的にならざるを得ないと考えるところ。 (冷静なかんがえると君)

    >仰る通りで、世界人類といった概念も「人類の普遍的な共有原泉」を突き詰めねは絵空事と思えるのです。人類誕生の歴史の直線上においては「現在」は一過性の点にすぎませんから、如何なる合意も到達点も「暫定的な着地点」となるわけです。 (紙つぶて君)  



    私なりの表現で、私なりの解釈を書くと、

    >「◯◯とは何か?」と探究したうえで、「◯◯とは△△である」という真理に到達でき、それを言葉で表現できるはずだ・・そういう歴史を通じて我々西欧人(フランス人)はもっとも進んだ世界を構築してきた。

    そういった進歩的歴史観を、レヴィ=ストロースは「単なる西欧人の思い上がり」と厳しく批判した

    と思うんだよね。

    我々人間は、「◯◯とは何か」という問いを自由に考え、「◯◯は△△である」という真理に到達できると誤解しているが、◯◯というのは、例えば◇◇との「違い」によって成立する概念であって、いくら◯◯を必死に探究しても意味はない。

    実は、我々人間は自由に考えているのではなくて、◯◯と◇◇の「違い」を構成する言語の無意識の価値体系の「構造」のなかで考えさせられているだけで、「◯◯は△△である」と思い込んでる真理なるものは、単なる幻想に過ぎない。


    だから、小林秀雄氏の言説は痛切な批判なんだよね。

    『世の中に進歩するものなんてありゃしないよ。全てのものは変化するだけさ。その変化を君達が「進歩」と呼びたければ呼んだっていい。しかし、それは只の変化であって、僕には進歩なんてものじゃない。』


    マルクス信奉者に対する。

  8. 【4007756】 投稿者: 紙つぶて  (ID:cqRi7ffvgRQ) 投稿日時:2016年 02月 20日 06:42

    あぁあ~、冷静にかんがえるとさんへの私のレスが「歴史にかんがえるとさん」になっていました。

    すみません!冷静にかんがえるとさん、大変失礼しました (○_○)!!

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