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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【4007781】 投稿者: 自由 (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 20日 07:27
以上は、自分の存念を思うままつらつら書いてたみたが、
マルクス主義者サルトルをレヴィ=ストロースが論破した経緯について、
「現代思想・入門」別冊宝島の小阪修平氏の解説から。
「構造主義の登場が批判の注目を引いたのは、レヴィ=ストロースが1962年に「野生の思考」を出版して、そのなかでフランスの戦後思想を代表してきたサルトルの思想を批判したからである。レヴィ=ストロースはサルトルの弁証法的理性は「人食い的な理性」だとまでののしっている。そこから現象学と実存主義という「主体性の哲学」対「構造主義」という対立がはじまる。現代の思想シーンを考えるうえで出発点になる対立が、1962年にはじまったのだ。構造主義の側からは「主体の死」とか「人間の終焉」とかがとなえられ、サルトルの側からは、構造主義は資本主義を擁護するブルジョワ科学だという反批判が加えられた。」(134頁)
「コギトとはデカルトの哲学の第一原理、「われ思うゆえに、われあり(コギト エルゴ スム)」に由来することばだ。コギト(わたしが思考すること)は、わたしが存在することの根拠であり、ぎゃくに、人間は思考の場所として特権的存在だったのである。・・デカルト以降の近代ヨーロッパ哲学は、コギトの内容をさまざまに変えてきただけで、この思考すること(理性をもつこと)が人間の原理だという根底はそのままにしてきた。サルトルの哲学がどれほど、自由でかつ状況のなかで選択し状況を引きうける自我をとなえようと、思考し決断するというところに人間の原理の価値をおいているという意味で、広い意味でのコギトを原理とする哲学だったのである。」(135頁)
「だが「未開」(無文字社会)という他者にふれたことは、この理性の内容がヨーロッパという特殊な文化のなかでの理性だということを明るみにだす。じっさいヨーロッパの伝統的な知は、理性という名のもとにヨーロッパが優越しているものだと無意識に考えてきた。未開の諸民族の文化は、無知や迷信の所産であり、そこでは文明/野蛮という二分法が通用していた。・・構造主義の登場にともなって、「主体の死」とか「人間の終焉」とかいうイデオロギー的な掛け声がかかったが、そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。」(136頁) -
【4007802】 投稿者: ヤタロー (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 02月 20日 07:56
ピンガラさん
ヨーロッパ中世史を学ばれているとは何とも格式が高い、神話など書き込んでいただければ、その題材を元に知識を増やしたいと思います。大歓迎です。
私もそうだが、実社会で普段使ってない脳の思考回路を鍛えたいと思って書き込んでます。趣味だから何のプレッシャーもないのがいいですよね。
紙つぶてさん
古事記 神話の上代の章では、イザナギ、イザナミが最初に造った島が淡路島
その他、対馬、壱岐、隠岐、九州、四国、岡山児島、出雲、とってつけたように佐渡島。記載の3分の1出雲(因幡の白兎、国譲リ)になっているが、
神話の舞台が、九州から淡路島までの地域になってます。
これを考えると、九州を中心とした淡路島までの勢力図だった事がわかります。
近畿地方大和地方はこの中に入ってない事がわかります。
これは、銅剣、銅矛の出土分布図にぴったり符合します。
銅鐸分布図は近畿を中心に、尾張など東国が入ってきます。
両方出土してるのは吉備地方、吉備は両方の勢力と仲良くやっていたのでしょう。祭事に使った祭器が違うので、違った祭事を行っていた事がわかります。
淡路島までの勢力圏を飛び越えて、大和に初めて入植したのが神武東征なのでは、東征など大したものではないはずです。神武は大阪湾から、当時は河内湖と呼ばれた中海に進出して生駒山麓の日下に上陸しましたが、長髄彦に完敗しているぐらいですから。
神武は、日向美々津より、出航し宇佐神宮、北九州オカミナトに滞在し、東に向かってます、九州でもっつとも栄えていた筑紫、那の津(博多)には入港していないので、天照大神、天孫族の分家ぐらいの立場だったのでは、
やがて大和に入植し、10代後の崇神天皇が大和集権国家を確立させ、
やがて本家筋、九州勢を従えたのではないでしょうか ?
私は九州勢は邪馬台国の末裔であると考えます。
九州王朝説もあるので調べてみると面白いでしょう。 -
【4007817】 投稿者: 自由 (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 20日 08:18
>構造主義の登場にともなって、「主体の死」とか「人間の終焉」とかいうイデオロギー的な掛け声がかかったが、そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。
思想的には1962年に崩壊したマルクス主義を、
50年以上も経った現在、
二俣川のマルクス!、マルクス!
という喚きは、正直言って異様というしかない。
あまりにも古過ぎて異臭が漂う。 -
【4007843】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 20日 08:42
>普通レベルの学生ならそんな事は資本論を読まないでも分かっている。大体、大内兵衛は大した学者ではない。
笑う。
何も知らないようだ。
キミにそれを言う資格がどこにあるというのか。
戦後NHK会長も務めた高野岩三郎先生の高弟であった大内兵衛。
傑出した学究であった。
その証拠に、美濃部都政誕生の立役者として、
当時の保守陣営からも革新陣営の黒幕として一目おかれていた。
東京都知事選で、あのイシハラからの挑戦を一蹴した快挙を思い出す。
美濃部の住民本位の都政を嫌悪した財界=反動ら。
悪党らによる知事職奪取策動を阻止した正義の戦いであった。
(転載) -
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【4007852】 投稿者: ヤタロー (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 02月 20日 08:48
冷静にかんがえるとさん
安曇族と徐福(亀山勝氏)からですが、安曇氏の海人族(舟作り)の本拠地が
福岡県大川市であり、風浪宮(おふろうさん)の安曇史久氏が直系67代宮司がご健在、そして大川市は日本一のタンスの産地であるが、これは、船大工集団
安曇族の岡に上がった姿の名残リらしい。
年がバレるが、さざんかの宿、大川栄策がザベストテンに出演した際、
大川のタンスを担いでいたのが懐かしく思い出された次第。
大川栄策氏は、大川出身であり、タンス担ぎを特技にしていたので、
安曇族の末裔かもしれませんね。 -
【4007862】 投稿者: 自由 (ID:TtGxEOzedDU) 投稿日時:2016年 02月 20日 08:57
ヤタロー君には何度かレスをいただき、すぐにレスできず大変失礼した。
若い頃は卑弥呼に関心があり、母校も邪馬台国近畿説をとっていたので、
関西人として邪馬台国は奈良に違いない、それが大和朝廷だと固く信じ、
かつて京都国立博物館で展示された三角縁神獣鏡なども見学に行ったが、
いまさらながらにかんがえると、
記紀で語る王朝の歴史と、魏志倭人伝に記載される邪馬台国卑弥呼を無理に結びつける必要はない。
あらためて考え直すテーマなのだろう。 -
【4007872】 投稿者: ヤタロー (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 02月 20日 09:03
自分語りをしない信条の自由さんに申し訳ないが
自由さん、クロワッサン説は定説になります。
笑 -
【4007876】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 20日 09:08
>思想的には1962年に崩壊したマルクス主義を、
50年以上も経った現在、
二俣川のマルクス!、マルクス! という喚きは、正直言って異様というしかない。
あまりにも古過ぎて異臭が漂う。
昨今のわが国の情勢をみるにつけ、ますますマルクス主義の先見性を感じる。
ましてや、ろくに目も通していない輩にそれを語る資格はない。
高名な近代経済学者であった都留重人先生も、次のように述べている。
偉人は、偉人を知るのである。
「(マルクスの死後)世界は大きく変わったが、変わる節目ごとに、彼の教義の『現代的』意義が、意味深く問い直されてきている。現代でもそうだ。そこには、単なる解釈学としての反復ではなく、現実の実践との関連で新鮮な透察が再発見されるからであり、その意味では、マルクスの思想は、『人類の知的遺産』というよりは、依然としてわれわれにとっての『先導のランプ』と言うべきかもしれない。『マルクス』人類の知的遺産50」(講談社)
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