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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【4009397】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 21日 12:08

    冷静にかんがえると君

    >いったい歴史の時間軸の中で、物理的「現象」と歴史的「現象」を分けるメルクマールとは何なんでしょうね、、自然科学における科学的手法とやらが万能ではないことは明らかです。
    小林秀雄の「母親を亡くした子供」と「古寺の瓦」の論考はけっこう為されているようだが、、未だわたし自身も納得できる答えは見い出せていません。


    小林秀雄氏の本居宣長論を紹介いただいたお陰で、
    俄然、小林秀雄氏の歴史認識に興味が湧き、あれこれ読んでいるところ。

    マルクス主義、東亜共同体論、京都学派とも
    対立的に展開した歴史論とはどんなものだったのか。

    ある学者の論文によれば、

    ・過去から現在を経て未来へという直線的な歴史観の否定
    ・因果律による機械論的な歴史解釈への異議
    ・歴史的事実を客観的に研究しうるという実証主義への不信
    ・科学と称するあらゆる歴史理論に対する不信

    とある。

    また、

    ポストモダン的な実証主義批判、歴史学批判とも共振・・とあるが、

    小林秀雄氏の歴史観は、
    まさに、80年代のニューアカデミズムともつながっている。

  2. 【4009532】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:vCPWRPZhXAQ) 投稿日時:2016年 02月 21日 14:24

    自由 さん

    >ある学者の論文によれば、
    ・過去から現在を経て未来へという直線的な歴史観の否定
    ・因果律による機械論的な歴史解釈への異議
    ・歴史的事実を客観的に研究しうるという実証主義への不信
    ・科学と称するあらゆる歴史理論に対する不信
                                    
    うーん、なるほど、、例の螺旋階段に模した歴史観だろうか? 真上から見るか横から見るかの相違だが、小林秀雄の歴史観はベルグソン流の「時間」認識に影響を受けているとは、よくいわれているところ。
    個人的な視点、例えば孤独感などを「あるべき」時間の流れに抗う感情として、時間軸のある一点に置く。つまり先に書いた物理的「現象」と歴史的「現象」が交差する座標点、言い換えれば「同一化」というのが彼の歴史認識のベースといえるのだろう。
    同様の視点は、わたしが昔によく読んだ三浦朱門氏(元文化庁長官)の書籍にも垣間見える。先に引用したヒンドゥー教の慣習などは彼の著書からの引用だが、この「孤独感」なるものを「情念」としているのは興味深いところ(「天皇ー日本の体質ー」、海竜社)。歴史が客観的事実で綴られるという前提自体が間違っており、マルクス曰く、何某の法則によって社会の発展段階が識別し得ることは、まったくの見当違いだとしている(同書P.18~19)。

    ところで、

    >そこでは文明/野蛮という二分法が通用していた。・・構造主義の登場にともなって・・そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。

    先に挙げたエマニュエル・トッド著「シャルリとは誰か?」において、例の襲撃事件に対する「言論の自由」を掲げた抗議集会は、かつて権威主義、家督相続などにおける非平等性を諾(ウィ)としたカトリック信仰に影響を受けた地域において特に激しかったこと(残滓ーゾンビ・カトリック教)、参加者の大多数が(パリを例外として)いわゆる上位中産階級の人々であったことなどを詳細に検証している。もちろん暴力主義に与するものではないが、一方で「進歩的に」世俗主義を掲げ、少数民族に「無宗教」という改宗を迫るとすれば、

    >そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。

    彼らとものの見事に重なる、ということがいえるのではないだろうか。

  3. 【4009566】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 21日 14:53

    都留重人は指摘する。
    「マルクスの場合、理論的展開が実践指向と不可分な形をとり、同時に、実践面での指針が理論的根拠を持っていた」
    とりわけ、マルクスの述べる次の言葉は、私たち変革を志向する者にとって、灯になる。

    「資本の集中、常に一人の資本家が多くの労働者を滅ぼす。この集中とならんで、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪とならんで、ますます大規模となる労働過程の競業的形態、科学の意識的技術的応用、土地の計画的利用、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、結合された社会的労働の生産手段として使用されることによるあらゆる生産手段の節約、世界市場網への世界各国民の組み入れ、およびそれとともに資本主義体制の国際的性格が発展する。

    この転形過程のあらゆる利益を横領し、独占する大資本家の数の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が、増大するのであるが、また、絶えず膨張しつつ、資本主義的生産過程そのものの機構によって、訓練され結集される労働者階級の反抗も、増大する。資本独占は、それとともに、かつそれのもとで開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被とは、調和しえなくなる一点に到達する。

    外被は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。
    『資本論』第1巻第7編第24章」

    物の自己運動の結果、矛盾ある存在は消滅して行かざるを得ないのである。

  4. 【4009577】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 21日 15:01

    なお、マルクスの唯物史観に関しては『ドイツ・イデオロギー』に詳しい。
    かつて先輩らに読書会で指導を受けたが、その当時はよく理解できなかった。
    やはり、一定の社会経験を経た後に再読してこそ、その意義がより理解できるように考えられる。

  5. 【4009585】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 21日 15:09

    >小林秀雄の歴史観はベルグソン流の「時間」認識に影響を受けているとは、よくいわれているところ。
    個人的な視点、例えば孤独感などを「あるべき」時間の流れに抗う感情として、時間軸のある一点に置く。つまり先に書いた物理的「現象」と歴史的「現象」が交差する座標点、言い換えれば「同一化」というのが彼の歴史認識のベースといえるのだろう。


    いま、まさにそこを読んだところ。

    小林秀雄氏の歴史観をよく知らず不勉強であったので、東洋思想の影響か?・・と勘違いしたのだが、ベルグソンの時間概念の影響を受けていたと知り新鮮であった。

    もっとも個人的には、

    『世の中に進歩するものなんてありゃしないよ。全てのものは変化するだけさ。その変化を君達が「進歩」と呼びたければ呼んだっていい。しかし、それは只の変化であって、僕には進歩なんてものじゃない。』

    この小林秀雄氏の言説から、龍樹(ナーガルジュナ)の「空」の思想を感じてやまない。

  6. 【4009589】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 02月 21日 15:13

    ゆえに、都留重人はいう。
    マルクスは「社会科学の創始者」と見做される所以だと。

    「資本制社会そのものの特徴を分析したアダム=スミスやリカードの功績は大きいが、彼らは、この体制を普遍かつ永続的なものと考えた。
    それに対し、マルクスは、資本制社会の生成から、その発展、そしてその没落への過程を、客観科学の対象として究明していった。」

    高名な経済学者である都留重人が述べるマルクス評(周知のように、都留はマルキストではない)の重みは大きい。

  7. 【4009598】 投稿者: 自由  (ID:QYleqEfgwcM) 投稿日時:2016年 02月 21日 15:19

    >先に挙げたエマニュエル・トッド著「シャルリとは誰か?」において、例の襲撃事件に対する「言論の自由」を掲げた抗議集会は、かつて権威主義、家督相続などにおける非平等性を諾(ウィ)としたカトリック信仰に影響を受けた地域において特に激しかったこと(残滓ーゾンビ・カトリック教)、参加者の大多数が(パリを例外として)いわゆる上位中産階級の人々であったことなどを詳細に検証している。もちろん暴力主義に与するものではないが、一方で「進歩的に」世俗主義を掲げ、少数民族に「無宗教」という改宗を迫るとすれば、

    >>そこで終焉した「人間」とは、具体的にいうとキリスト教を背景とした近代的労働人、あるい理念としていうと自由な理性をもった近代的な個人だったのである。

    >彼らとものの見事に重なる、ということがいえるのではないだろうか。


    まさにおっしゃるとおり。


    なんのことはない。

    マルクス主義者サルトルは、

    カフェでお茶を飲みながら
    自民族中心主義を語っただけなのかもしれない。

  8. 【4009607】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ  (ID:OPCo003gFEM) 投稿日時:2016年 02月 21日 15:31

    >マルクス主義者サルトルは、



    最初は単なる「サルトル」と言っていた自由が、いつの間にか「マルクス主義者サルトル」に呼び方が変わったのは二俣川先生がマルクスについて記述し始めたからである。

    つまり、

    サルトルの否定

    マルクスの否定

    二俣川先生を攻撃!


    もちろんレヴィ=ストロースもこの枠組みに利用されているに過ぎない。笑


    w

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