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【4219995】算数抜き入試の進学校は成立するか?

投稿者: あおいとり   (ID:1He7D2g8uno) 投稿日時:2016年 08月 21日 02:44

いわゆる「受験算数」は事実上何らかの形で「やり方」を指導されないと対応が難しいこと、中学以降のカリキュラムと連続性のない領域があることからしばしばその存在意義が疑問視されてきました。
しかし、中学受験では総じてこの教科が相当高い配点を与えられていることが多いです。
そこで思うのですが、こうした「中学受験の主流」に対するカウンター的なコンセプトとして、入試でいわゆる受験算数を課さずに麻布とか開成くらいの進学実績をたたき出す一貫校が現れたら面白いと思いませんか?

私自身も「受験算数劣等生」だったけれども、それでも大学段階では特に引け目を感じないようなところに進学しているので、そういう系統の生徒が相当数集まればやってできないことはないはずだと思うのですが。

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  1. 【4266559】 投稿者: パズル  (ID:wrJ9OiAvOxU) 投稿日時:2016年 09月 30日 01:34

    人事さま

    お返事ありがとうございます。
    確か明治時代に西洋の学問を日本に導入するために,翻訳した言葉がありましたね。(それこそ哲学とか)
    そのおかげもあるでしょうが、日本は大学レベルの授業を母国語で受けられる数少ない国ですね。
    そう考えると、日本語ってやはり大切にしなければと思います。
    まだ、お聞きしてみたいこともありますが、さすがに眠くて頭が回りません。
    今日は、これにて失礼します。

  2. 【4266679】 投稿者: 東大理系OB  (ID:vVTbkJwKCGQ) 投稿日時:2016年 09月 30日 08:01

    医学や建築など、一般の人と日本語で会話する業務を行う可能性の大きい専門は、日本語のよる大学教育の意味があります。
    プロ同志のやりとりが多いと思われる、理学や工学の大部分は、大学専門課程以降を日本語で教育する意味はありません。
    文部科学省のお役人や企業のマネジメントと交渉するときに、専門分野の日本語を勉強すればいいです。
    これ、日本語を捨てることになります?
    東大理学部化学ではすでにやっていますが、彼らは日本語と日本文化を捨てたんでしょうか?違うでしょう?

  3. 【4266683】 投稿者: でも  (ID:9fVAmV3Cfew) 投稿日時:2016年 09月 30日 08:04

    なまじ国内でそれなりに良いシステムができていると却ってガラパゴス化してしまう面があります。ケータイとかそうでしたよね。
    なまじ日本語で高等教育を受けられるから英語の必要性が低く、英語が上手にならない。母国語を見切った旧植民地の方が発展していく時代になっているのかもしれません。
    ヨーロッパは、複数言語といっても互いに似ているので、アジア人が英語を学ぶのとはちょっと違うでしょう。

  4. 【4266703】 投稿者: 人事  (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2016年 09月 30日 08:25

    世代交代を二、三代繰り返すと、世界の言語は英語に収斂していくような気がします。
    巨大市場のある中国語と違い、日本人が皆英語を話せるようになれば日本語を使うメリットがありませんから。
    結構本気でそう思っているので警戒心強いです。理系OBさんの仰る話も批判はできませんが、専門分野の勉強を日本語でできないことは悲しいことだと思います。

  5. 【4266759】 投稿者: パズル  (ID:wrJ9OiAvOxU) 投稿日時:2016年 09月 30日 09:13

    言葉というのは、その国の歴史であり、文化ですから、捨ててしまうとなれば
    自らのアイデンティティを喪失することになりかねないと思います。
    母国語を維持したままで、英語(発音等完璧でなくとも交渉できる程度の)を
    習得することを目指せないものかと思うのですが、現状の日本の英語教育では
    相当難しいですね。
    理系の専門課程を英語で行うのは、まったく問題ないと思いますが(むしろ、やるべき)使える水準まで引き上げるのは、大変そうです。
    TEDTalksを見ると、ちょっと圧倒されてしまうのですが、ああいうプレゼン能力を身に付ける必要もあるでしょうし。
    日本だと巧言令色鮮し仁とかで、口の上手い奴は信用できないみたいなことを
    いいますけど、ディベートとかプレゼンとかも子供の頃からやらせた方が良さそうですね。

  6. 【4266952】 投稿者: あおいとり  (ID:NsiRfZBkwcc) 投稿日時:2016年 09月 30日 12:59

    パズルさん

    巧言令色鮮し仁とか、桃李もの言わずとも…とかいうのは、結局もともと「弁舌こそ全て」という価値観が主流の国でいわれたことだからこそアンチテーゼとしての役割を果たしうるので、それを日本に持ち込むと「ちゃんと言葉で説明する努力の放棄」にしかならないのだと思います。

    (あちらでの弁舌といったら、晏嬰が楚に交渉に出向いたときのやりとりとか、縦横家という外交エージェントの話とか、白馬は馬じゃないという話とか…)

  7. 【4266977】 投稿者: パズル  (ID:wrJ9OiAvOxU) 投稿日時:2016年 09月 30日 13:27

    あおいとりさま

    なるほど、アンチテーゼですか。
    そういえば、論語に書かれていることは、絶対に(中国人には)実践できないからこそ
    戒めとして書かれたものだなんて、中国人のことを皮肉っている人がいました。
    外交などでも、いい悪いは別にして、中国とか北朝鮮とか強かですものね。
    日本人も負けてられないんですけど、もうちょっと、ずる賢くならないといけないんでしょうか?
    ずるいやり方って、日本人らしくないように思いますが。

  8. 【4266999】 投稿者: バラード  (ID:.gtNZCBmD96) 投稿日時:2016年 09月 30日 13:45

    ヨコですがどうも、英語に関して悲観的なご意見、人事様の日本語捨てるかどうかなどのご意見もあって、ちょっと不思議です。

    日本では日本語、日本人間も日本語、文化も歴史ももちろん現代においても、大切な日本語は守っていくべきだと思いますが。

    ただし、これだけ世界が狭くネットでも交流でも、輸出入でも、人の行き来でも10年20年前に比べたとしても、多くさらに増加しているのに、なぜ日本の英語教育体系が、戦後の中高のこういう要領で、、、というのが70年間近くほとんど変わってなかったのかのほうが不思議ですが。

    一番の理由は、英語を使う必要性がなかったから(多くの人が)でしょう。
    使う必要のある一部の日本人がまずまず出来ればよかったのでしょう。

    アジア、アフリカから南米、欧米とかでもさまざまな人同士、あるいは集まってコミュニケーションとろうとする時、せめて英語で共通に話したり聞いたりできないか、まさにオリンピックなどそうでしょうけど、これだけではなく、教育面でもビジネスでも、日常面でも、ネットや本読みでもそのような場面が増えてきたら、少しは使いたい、、、ではないかと思います。

    幸い、小中の先生でも比較的若い20-30代の先生たちはさほどの違和感なく、英語の指導も会話授業も研修によってこなしていっているようですし、小学生、中学生の英語の中身も少しずつではありますが、話す、聞くが出来るようにになってきつつあります。
    小中ともに、使わざるをえない場面が出てくる必要性のある教育帯へでしょう。
    一部の大学、学部などでは英語以外の授業で、もうスタートしています。
    一足飛びにはいきませんが、年々進化していると感じます。

    一番思うのは、小学生の英語がはじまって、恥ずかしくなく堂々と、文法や発音にミスがあっても、英語っぽいイントネーションで小学低学年でも5-6年生でも話し出していることです。中学生のほうがよほどカタカナっぽい英語です。

    小中で、義務教育として(おそらく)段階踏んで英語をどこまでやっていくかは決められていくのでしょうけど、それぞれの目的、目標に応じて学習できることが一番。これはどの科目も同じで、算数数学も、音楽も野球やサッカーでも、上目指す人、甲子園体育会目指す人、指導者目指す人、生涯の特技としてやりたい人
    、応用利かせて仕事に生かしたい人、さまざまです。

    個人的には、どの科目もテストの点上げるため、、入試のため、のみは寂しいですね。

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