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【3515619】「女性宮家創設」へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3544758】 投稿者: 外野  (ID:GK8zRcsFMoo) 投稿日時:2014年 10月 08日 23:53

    全知全能の神さん

    どうして、そのようなことをお書きになられるのですか?

  2. 【3544768】 投稿者: Iいつものこと  (ID:TAcavoajgRc) 投稿日時:2014年 10月 09日 00:10

    ひまわりさん

    >それとは別に、いつものこと様がおっしゃる「構図」によるわだかまりはもう残っていないのでしょうかね?

    今回の婚礼についての意識は聞いていませんが、わだかまりは残っているだろうと思います。出雲周辺には大和政権によって征服されたのが自分たちの歴史だと考える人々がおり、それらの人々は自分たちは天皇を中心とした民族だとは思っていないことを、僕は確かに知っているからです。

    被征服民族という意識があり、天皇を征服民族の代表であり尊敬の念は持たないという人々はいまだにいることは、数年前のアイヌの天皇・政府への謝罪と賠償要求、沖縄県民中、天皇を尊敬する人の割合が有意に低いことにも表れていると思います。

    僕は、だから天皇制は廃止すべきと言っているわけではありません。しかし、こうした人々を無視したり、反日と一括りにして「自分たち」の埒外に置こうとすることは間違っていると思います。

    その観点から、古代史を眺めると、今、日本の中心であるとされている大和政権と天皇は渡来の征服民族であって、それに反発する意識を持つ人々(全部とは言いませんが)日本原住民であり、本来の日本人は原住民=被征服民族ではないのかという構図(仮説ですが)が見えるということです。

    勿論、日本人の多くは天皇が自分たちの中心だという意識を共有しているのだという言い方もできるのでしょうが、それは征服民族の論理であって、日本という国はすべからくそうだと言い切ることには無理があると、僕は感じます。

    僕の言いたいのは、天皇の地位・権威を歴史に求め、それが日本・日本人のすべてに当てはまるというのはなかなか無理な点がある。とすれば、今の日本人にとっての天皇は、昭和憲法によって国民の総意として象徴としたことから出発せざるを得ず、その意味を掘り下げることからしか、今の日本人が共有できる天皇観は生まれてこないのではないか、ということです。そのコンテクストの中で歴史を考慮するのには違和感はありませんが。現在日本人全体が共有しているのは、いかなるルーツであれ、昭和憲法の下で生きているということだと考えるので。

  3. 【3544862】 投稿者: 自由  (ID:UmAm7sHFSp2) 投稿日時:2014年 10月 09日 06:55

    私は、個人的には、

    天皇家を中心とする大和民族という考え方は、ある種の「共同幻想」だと思っていて、この幻想に反対する立場の人達の心情は理解できるし、少数意見として尊重しなければならないと考えるが、

    しかし、その一方で、

    支配された側の出雲民族、アイヌ民族、あるいは琉球民族、朝鮮民族という民族思想というのも、つまるところ「共同幻想」ではないかと感じるところである。

    言ってみれば、天皇制是非をめぐる議論というのは、多数派の共同幻想(天皇制賛成) と 少数派の共同幻想(天皇制反対)の対立ではないだろうか。

    そういう意味では、ここ百数十年、最近、西洋社会から輸入した近代憲法思想というツールで、国体を君主制か、共和制かを極めてあいまいにしておいて、象徴天皇制としたのはなかなか優れたアイデアだと感じる。

    共同幻想のぶつかり合いは際限がないので、

    いつものこと君が言うように、
    この象徴天皇制というアイデアに乗っかる方が争いが少なくて、うまく治るのであろう。実は、日本人の大多数の人達も、そういった落とし所を敏感に分かっているのではないか。

    二俣川君君や、陛下君のような天皇制反対論者は少数派だが、皇国史観的な天皇制賛成論者も少数派である。

    大多数の日本人は、穏やかに、象徴天皇制を支持しているのであろう。

  4. 【3545216】 投稿者: ふふ・・・  (ID:cAwJxRiYvP.) 投稿日時:2014年 10月 09日 12:45

    >皇国史観の悲劇は、「中心」・・天皇という記号に無理矢理、意味を強制したゆえのものではないか。

    これは確かにそんな気がします。
    その上で、天皇制反対論者の方々もまた、
    >「中心」・・天皇という記号に無理矢理、意味を強制
    しているように思います。
    もちろん、皇国史観とは異なる「意味」ですが。

    天皇制反対論者と皇国史観的な天皇制賛成論者で勝手にいがみあってくれてる分には全く構わないですが、どちらにせよ、自分達の作り上げた「意味」を我われに強制されても困っちゃいますよね。

    ff

  5. 【3545251】 投稿者: ふふ・・・  (ID:cAwJxRiYvP.) 投稿日時:2014年 10月 09日 13:19

    私は、江上先生の騎馬民族征服王朝説で中で
    「江上は、騎馬民族が農耕民族を征服支配した場合には、徐々に農耕民族に同化するものとしている。それが故に、江上は、大和朝廷を騎馬民族によって成立したと見ながら、日本の民族の形成は弥生時代にまで遡ると捉えていると思われるのである。」
    という見方をとてもすんなり受け入れられました(Wikiでの解説で恐縮ですが、、、涼)。

    「日本の民族の形成は弥生時代にまで遡る」
    という前提のもと
    「(騎馬民族が)農耕民族に"同化"」したのであれば、それはやはり、大和民族=日本古来の民族という考え方ができるのだろうと受け取りました。

    そして、「(騎馬民族が)農耕民族に"同化"」のであれば、そこには征服民族とか被征服民族などという考え方はなかったのではないかとも思います。
    まあ、何らかの意図があって「征服」という言葉が選ばれたのでしょうが、そこには少し無理がある気がします。
    だって、「征服」と「同化」って結び付きませんよね?

    ちなみに、琉球民族やアイヌ民族の方が日本人になったのは、もっと後のことですよね。
    私は、今現在、日本が単一民族国家であるとは思っていません。

  6. 【3545342】 投稿者: いつものこと  (ID:TAcavoajgRc) 投稿日時:2014年 10月 09日 15:13

    僕の知る限り、江上波夫は自著で、騎馬民族が農耕民族に同化するとは言っておらず、騎馬民族は朝鮮半島から九州に入り、農耕民族を馴化しながら北上した、と言っています。つまり同化されたのは農耕民族側だということになります。なお、江上自身は征服とは言っていないとしています。

    遺伝的に言えば、琉球民族やアイヌ民族は純粋な縄文人だというのが定説だと思います。弥生人との混血で薄まったが和人にも残っているハプロタイプが琉球・アイヌでは顕著だというのがその根拠です。弥生人が渡来人であるのはほぼ間違いなところで、僕はこれを渡来人による日本原住民の征服だと捉えています。僕は信じていませんが、もし5世紀ころに騎馬民族の征服があったとすれば二度目の征服ということになります。

  7. 【3545370】 投稿者: 二俣川  (ID:bSlWQZ4.WWo) 投稿日時:2014年 10月 09日 15:43

    いずれにせよ、天皇制に歴史的・科学的根拠は乏しいというものが冷静な最大公約数的結論ではないか。
    少なくとも、社会科学ならびに日本近現代史の専門家らの圧倒的多くは、皇国史観が明治政府によって作為的に
    創出されたものであり、学問的根拠に乏しいと考えている。同様に、日本の単一民族説も意図的に作られた虚構である。

    現行憲法になり、また負の運命の当事者だった昭和天皇の死去20年が経過し、やっと冷静で客観的な道理ある議論の環境が整ったことは、喜ばしいことだ。
    今後は、先般公表された天皇に関わる一次資料の分析に期待する(かなり、宮内庁による恣意的編集がみられるようだが)。
    その結果、皇国史観なる宗教の実相がより明白となり、それらが神話の世界でのみ語られていくとの妥当な方向に向かうことであろう。
    それにつれ、国民間でも天皇制そのものの必要性につき再考する機運が自然に盛り上がるはずだ。
    それは、想像よりも早く訪れるかもしれぬ。巷に横行する「皇室スキャンダル」の様子から推察するに。

  8. 【3545376】 投稿者: ふふ・・・  (ID:cAwJxRiYvP.) 投稿日時:2014年 10月 09日 15:52

    >僕は信じていませんが、もし5世紀ころに騎馬民族の征服があったとすれば二度目の征服ということになります。

    ちなみに、私は(私も?)、朝鮮半島から渡って来た騎馬民族がいたとして、その人達が日本を「征服」したというのも、「大和政権」を作ったという話も、ちょっと無理があるかなと感じています(ロマンとしては「あり」だと思います 笑)。
    現住の日本古来の民族と渡来してきた騎馬民族が一緒になって日本を作り大和民族となって、その時、大和民族を束ねたのが渡来してきた騎馬民族(の末裔?)であったというのであれば、それは「そうかもね」と思うということです(これはロマンというというより、可能性を否定できないという感じ)。
    農耕民族と騎馬民族。
    民族を束ねる素養としては、騎馬民族の方が高いものを持っているであろうと思うし。


    >弥生人が渡来人であるのはほぼ間違いなところで、僕はこれを渡来人による日本原住民の征服だと捉えています。

    これって、いつものことさんおっしゃるところの出雲民族も渡来人に征服された民族だと言うことでしょうか?
    まあ、実際どうであったかなど、今さら誰にも分らないのだし、夢のある話だと思えばどのように捉えても自由だと思いますが。

    ありがとうございました。

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