最終更新:

3426
Comment

【3515619】「女性宮家創設」へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14

皇室の弥栄を願います。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【3661954】 投稿者: いつものこと  (ID:sBdJ7F0de8Q) 投稿日時:2015年 02月 09日 07:15

    ぼやぼやしていたら話題が移ってしまいましたが、こちらの話題の方が興味あるので参加させてください。

    僕はこのままでは経済面で日本は70-80年くらいしか持たないと思っていますが、それに対して打つべき手の一つは、中央とは独立した地方経済の確立で、そのために、政治についても地方の自己決定を促進していく必要があると思っています。中央が安泰なら地方は練習問題と言っていてもいいのでしょうが、そんなことを言っている場合ではないように感じます。

    日本の歴史は政治的にも経済的にも中央集権の歴史ですが、江戸時代以前にはまだあった地方・民間資本蓄積が、特に明治以降急速に中央に吸い上げられた結果、中央政府がコケたときに、国を支える力がない。これが欧米等との違いです。

    バブル崩壊以降、地方復興が叫ばれてきましたが、中央政府が介入して既得権を守ろうとする一方、地方も本腰が入っていないことから全てうまくいっていない。僕には、他国が侵略して日本を乗っ取るというシナリオより、日本が経済的に立ち行かなくなって行き詰るシナリオの方が現実のリスクだと思えるので、自由さんの言われる中央集権強化と反対の方向で考えています。

    自由さん

    話題が移ってしまいましたが、憲法の主権原理を(狭義の)国民主権=ナシオン主権と読むか、人民主権=プープル主権と読むかは、学説上の対立でしかなく、しかも芦部説のように、どちらかに特定する必要はないという意見も有力です。主権論者の中では、ナシオン主権説を取るものが多い、有力説という状態で、通説は存在しません。かかる状況で、プープル主権面をより強調した解釈をするために憲法改正が必要というご意見は理解ができませんでした。

    いずれにせよ、選挙権の憲法上の性質についての議論の実益は、一票の重み、オーストラリアのような強制選挙が可能か、公選法による各種制限が妥当か等の点に現れると思いますが、僕は選挙の公平性、自由選挙を確保していくために権利一元説が妥当と考えているところです。公務説、権限説はともかく、二元説はなんらの指針を与えず、憲法解釈原理としては機能しない考え方だと考えています。

    紙つぶてさん

    紙つぶてさんが挙げられた公職選挙法による制限の違憲如何が、上記の通り、選挙権の憲法上の性質議論の意義であって、法律で制限されているから二元説が妥当、というのは議論が倒錯していると思います。実際にも、旧公選法の、成年被後見人の選挙権否定する11条1項1号については違憲判決を経て削除されています。公務説、二元説の中でも公務性を重視する立場からは、かかる結論は出てきません。

  2. 【3662014】 投稿者: サヨくん  (ID:2ZuYeEvG5lw) 投稿日時:2015年 02月 09日 08:46

    >ぼやぼやしていたら話題が移ってしまいましたが、


    将棋盤ひっくり返して強引に別の話を進めてる野郎がいるんだよw
    前の話題はどうしても無かったことにしたいらしいwww

  3. 【3662027】 投稿者: ふふ・・・  (ID:P7O6HBxEtmQ) 投稿日時:2015年 02月 09日 08:55

    >これについても、一言。それは、あなたご自身も同様である。

    ほらほら。
    言ったそばから「あなただって」が出ちゃいましたね。
    これが、自分を省みることをしない人の言い草なんですよ。
    ちゃんと「あなたご自身"も"・・・」と理解しているのに自分のことだけは許しちゃう。
    全く大人じゃあない。

    それから、議論をしているつもりなのであれば、自ら誤ったことを言った場合は、少なくとも誤りを認め訂正するべき(謝罪するかしないかは、状況によるけど、それも「意地(自分の都合)」で決めるべき話ではないと思います)。
    自分の都合の悪いことから話をそらしながら論点を散漫にしてしまうから「論」として成り立たなくなってしなうのでしょうし。

    それに、何より。
    ひまわりさんに対する二俣川さんの態度そのものが不遜ですよ。
    自分に対しては「失礼だ」とか指摘するくせに、あなたの態度こそが人を見下すものなのだといつになったら気付くのでしょう?
    あなたはここでは決して「先生」などではないのです。

    あなたが自分の話を聞いてくれる人はたくさんいると思うのであれば、スレを立ちあげてみればいい。
    そこで、自分の意見を堂々と述べればいい。
    でも、あなたはそれをしない。
    何故か?
    それをしても、スレが長続きしないこと。長続きさせられないことをあなた自身がわかっているから。

    ちなみに、このスレは二俣川さんがいなくともずっと続きます。
    あなたは、参加者のひとりでしかないのです。

    舌の根も乾かないうちに絶縁宣言を翻したことは許してあげましょう。

    今後、私のこのレスの言葉を肝に銘じて発言するのであれば、という条件付きですが。

    あしからず。



    返信無用。

  4. 【3662039】 投稿者: 二俣川  (ID:apdUVnzkw.U) 投稿日時:2015年 02月 09日 09:10

    あなたが今していることは、客観的には荒らしに該当することを自覚なさい。
    また、どこになにを書こうが、それはあなたの了解を必要とするものでもない。
    居丈高な物言いも、いい加減にされるべきだ。

  5. 【3662049】 投稿者: 二俣川  (ID:apdUVnzkw.U) 投稿日時:2015年 02月 09日 09:22

    >それは自ら会員となった場合の意義はそうですが、共同善は未入会の保護者までをなんとか会員としようとする論理には使えません。

    たしかに。
    しかし、「あなたのお子さんを含めた子どもたち全員のために(共同善)」との理念は意義あるものではなかろうか。
    そうであるからこそ、トクヴィルは結社の必要性(PTA加入の必要性か)を唱えていたものであろう。

    また、その結社(PTA)が単に学校側からの管理・支配の道具にされてしまうか。
    あるいは子どもたちを守り、主体的に学校を支えていく柱に成長していくのかは、PTA諸活動により自覚を高めた構成員の質如何による、ということであろうか。

    なお付言するに、任意加入が原則のはずのPTAと地方自治の担い手とは必ずしも同じ論理ではない(貴公子殿宛ではなく)。

  6. 【3662070】 投稿者: ふふ・・・  (ID:P7O6HBxEtmQ) 投稿日時:2015年 02月 09日 09:39

    日本人というのは、結局、お上に頼って生きてきてしまったからなのか、そもそもの性質なのかわかりませんが、概して「責任を取りたくない」人が多いように感じます。
    だから、なるべく組織の長になること、役につくことは避けたい。
    PTAにしろ、マンションの理事会にしろ、子供の習い事(主に団体競技)での世話役などにしろ、どうすれば「役」を仰せつからずに済むかということばかり考えている。
    そのくせ、その組織の運営などについては、ひと言もふた言も言いたい。
    「私」の都合も考えて欲しいと。
    そして、自分の思い通りの運営がなされないことで、役を引き受け、長となって「くれた」方々の陰口を叩いたりする。
    こんな身近なところでさえ、一歩引いて陰口を叩くことしか出来ない日本人が、フランスのなんとかさんが言うような社会を作り出せるのでしょうか?

    学者さんの理論は、聞いていて「そうなれば素晴らしい」と思えることがある半面、では、現実の社会で我われはその理論をどのように実現して行けばいいのか。
    理想(理論)に近づくためには何をすべきか。
    そこを端折って語ってしまうと「机上の空論」、「知識としての知識」で終わってしまうのではないかと思います。

    少なくとも、「反対」を唱えるだけでは理想には近づけないのだろうと、私は思います。

    世の中を変えようなんて思ってない。
    議論を楽しんでいるだけだ。
    ということであれば、それはそれで結構だと思います。

  7. 【3662075】 投稿者: 二俣川  (ID:apdUVnzkw.U) 投稿日時:2015年 02月 09日 09:47

    >3661954】 投稿者: いつものこと(ID:sBdJ7F0de8Q)投稿日時:15年 02月 09日 07:15 氏

    ご高承の通り、米国憲法の影響つよい日本国憲法中でも、地方自治はその最たるもの。
    しかし、その建前とは裏腹に地公体は国に人的・財政的に依存してきた。
    たとえば、旧自治省や旧厚生省などの内務省系の中央省庁は、現在でも地方と深いパイプを持ち、
    人的にも強い影響力を及ぼしている。

    加えて、最近の現職沖縄県知事に対する中央政権のあの露骨な冷淡さを見せつけられると、
    この憲法が目指す地方自治の尊重は、いまだ道遠しが現実のようである。
    さらに、安倍政権が画策する教育分野を含めた全国一律支配の野望が、それらに輪をかける。

    まさに、トクヴィルや福澤はこの在り方を危惧し、地方で地方の事情に明るい人材らを育成し、
    自覚した彼らによる住民自治・団体自治を望んだものではないかと考える。
    とりわけ当時の藩閥政治に反感抱いていた福澤は、かの『分国論』出版にあたり、
    それが当時の西南戦争勃発(地方からの反乱)という時勢に関わる内容であることに悩みもあったと聞いた。

    明治天皇を祭り上げ、作為的な中央集権国家建設が焦眉の急であった当時の明治政府にとって、
    各地の士族の反乱とともに、いらぬことを世間に吹聴する福澤らもさぞや目障りであったことであろう。

  8. 【3662079】 投稿者: ふふ・・・  (ID:P7O6HBxEtmQ) 投稿日時:2015年 02月 09日 09:53

    >また、その結社(PTA)が単に学校側からの管理・支配の道具にされてしまうか。
    あるいは子どもたちを守り、主体的に学校を支えていく柱に成長していくのかは、PTA諸活動により自覚を高めた構成員の質如何による、ということであろうか。

    これは、その通りだと思います。
    ただ、そもそも、(思い込みか何か知りませんが)PTAの存在自体を毛嫌いしている方も多い訳で、そういう人達は「主体的に学校を支えていく柱」にしていくつもりなど最初から持たない人達なのだと思います。
    小学校であれば6年間我慢すればPTAからは解放される訳ですし。

    それから、労働組合にしてもそうなのだと思いますが、当初はきっと高い理念をもって組織された結社であったとしても、時が流れるにつれ、その組織の中でも偏った一部の人の利益が優先される運営に変質していってしまうこともあるのでないでしょうか。

    漠然とでしかありませんが、そんな気がしています。

あわせてチェックしたい関連掲示板

このスレッドには書き込めません

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す