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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【3934924】 投稿者: 音速の貴公子 (ID:lRrTm5CuV02) 投稿日時:2015年 12月 20日 21:19
>自由様、ロマンを感じたと言ってくださって嬉しいです。
この犬にしてこの飼い主あり?
犬にロマンなど感じるわけないだろ。
ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!
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【3934932】 投稿者: ヤタロー (ID:qogfqwiHFM.) 投稿日時:2015年 12月 20日 21:27
冷静にかんがえるとさんへ
物部氏についてなんですが、奈良の石上神宮は物部氏を祀ってますが
日本書紀に神宮と記されたのは、伊勢神宮と石上神宮だけです。
当初、斎宮が置かれたとも言われており物部氏が司った武具倉庫も平安京に移るまではあったことを考えると、大王家と匹敵する豪族であり、同盟関係にあったとも思われます。全国にある物部神社は日本海側からの九州まで、名古屋、山梨を考えると、神武東征の前に大和を含めた広い勢力範囲だったんでしょう。
カツラギヒコの流れと考えるとうなずけます。
物部氏が滅ぼされたのちも、伊勢神宮と同等の扱いを受けた事がこれを物語るのではないでしょうか?そして時代の流れとともに、この事実が隠蔽されたと考えると面白いですね。
物部氏の末裔、石上麻呂は709年に左大臣になってますが、こののち公卿を輩出していないので、その後、代々天皇家の武具を収めた武器庫も、剥奪されたと思われます。 -
【3935141】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:9dw0jZfCDXQ) 投稿日時:2015年 12月 21日 04:28
>物部氏は神武東征で大和を支配していたカツラギヒコの流れであり、
実際は時の大王と同盟関係で、軍事外交を司っていたと思います。
うん、わたしもそう思います。これは推測だが渡来系の技術者を抱え筑紫を中心として、「旧事本紀」の説話にいうに饒速日命が示唆する海人族で、土着の豪族との婚姻を繰り返して勢力を伸ばしていったのかなと思います。邪馬台国が崇神王朝か河内王朝かはわからないが、敗北、服従したとはいえ大王家(当時)の軍事力を担当するのみならず、大量輸送の要である大和川水系を通じて、かなりの影響力を保持していたことが考えられます。
同盟関係ですか、、なるほど、あり得ますね。おっしゃるように蘇我氏との関係から本宗家についてはその権勢が「抹消」されたと考えると興味深いところです。
なるほど。さん
>朝鮮半島南部と北九州は、現在の四国と中国地方みたいに同じ文化圏内だったのではないか、と私は考えています。
ヤタローさんもおっしゃっていましたが、同じ言語を使用する同一文化圏ということですね。そうすると北九州、畿内というよりむしろ邪馬台国のエリア自体の前提が違っているという解釈でよいのでしょうか? 魏志倭人伝にいう水・陸行程のひずみもからみ、そのような学説もあったと思います。あるいは併合という性格のものか、、ちょっとわたしも物部氏関連の書籍を読み返してみます。いずれ任那日本府の存在について物部氏が大いに関係していることは間違いないと考えるところです。 -
【3935149】 投稿者: 自由 (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2015年 12月 21日 05:39
>投稿者: ヤタロー(ID:qogfqwiHFM.)
投稿日時: 15年 12月 20日 20:29
あ、そうそう。
昔読んだ本の記憶がおぼろげだが、そういう話だった。ありがとう。
ヤタロー君ってインテリだね。
とても感心してます。 -
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【3935165】 投稿者: 音速の貴公子 (ID:lRrTm5CuV02) 投稿日時:2015年 12月 21日 06:58
>ヤタロー君ってインテリだね。 とても感心してます。
犬を馬鹿にするにもほどがある。
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
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【3935168】 投稿者: 自由 (ID:rK5Ua3DB37Q) 投稿日時:2015年 12月 21日 07:08
>天武系といわれているが、実は脈々と天智系が続いている。
いわゆる天武系が途絶えた後には、天智系傍流の皇子を即位、桓武天皇の父を即位させている。
結果的には、男系を維持しつつ、妹、孫娘と女帝が続き、やはり女帝の称徳天皇を最後に、天武系から天智系の白壁皇子(光仁天皇)に切り替わっているよね。女帝が出たのもこの時代に集中している。
女性宮家と関連して、考えさせるところである。 -
【3935186】 投稿者: ヤタロー (ID:qogfqwiHFM.) 投稿日時:2015年 12月 21日 07:59
冷静にかんがえるとさんによる半島南部から日本より新しい前方後円墳が見つかったとの件ですが、これは半島から伝来したのではなく、むしろ倭国日本が伝えた事になります。任那日本府の勢力範囲だと考えるのが妥当です。
私が書き込んだ、魏志倭人伝で記された、半島南部の倭種とは、全く同じ言葉を話す倭人と解釈すれば、何度も半島に出兵した理由になると思います。
同じ言葉を話す同胞より助けを求められたからこそすぐ駆けつけた。日本書紀、古事記の記載事項はこれを物語ってるじゃないでしょうか。
最後に一つ、稲作についてですが、我々は稲作は弥生時代から半島を経由して伝わったと習ったはずです。ここ20年の科学の進歩で、日本の水稲作は3000年前から始まり、板付遺跡など。朝鮮半島の最古の稲作跡は1600年前までしか遡れない事を考えると従来の思考の真逆で日本から半島南部に伝わった事が定説になってるとの事。
前方後円墳が日本から半島南部に伝わり、同時期に水稲作も伝わった時期が符合します。これに任那日本府、物部氏が大きく関わっていると考えます。
いかがでしょうか? -
【3935192】 投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 12月 21日 08:05
おはようございます。
もこもこ様
>私は継承権を付与しろとは言っていませんよ。
そうですね、言い方は違いますが女性皇族と政略された旧宮家の男性が即位する、それもよいとおっしゃっておられましたから。
>感じてませんよ~。
皇族に縁もゆかりもない男が入り込むことに強く不安を感じています。
いやいや、皇室に縁もゆかりのない女性が入り込む事には不安を感じないのであれば、そこは男か女かの違いに不安を感じていらっしゃる事と同じでしょう。
>縁もゆかりもない男よりも、縁がおありの方のほうが存続に使命感をお持ちと期待します。
手が出しにくい世界を保つことは、継続には必須だと思います。
だから、実際先人はそうしてきたんでしょう。男尊女卑などという話ではない。
女性天皇の否定はバリバリ男尊女卑の元SSJさんぐらいでしょう。
天皇の家系に天皇の男系以外の男性は存在したことがないのに、
そこを解放する心配をずっとずっと言っています。そこしか言ってません。
まずそこの心配をしないことが不思議です。
私は男系が伝統であると必ずしも思っていませんが、男系に限らず伝統が崩れるという不安感は理解できます。
京都にある多くの神事がイベント化していってしまい先人たちが守ってきた伝統が変わっていくという心配がずっとあるのです。
昔から存在する伝統が少しでも変わってしまうと、伝統だけではない、その神事に関わるものが変わっていく恐れがあります。
神事を守っておられる方々は、時代よる変化からなんとか伝統を懸命に守ろうと頑張っておられます。財源不足や人手不足・神事への理解不足のジレンマを感じつつなんとか折り合いをつけて伝統の形をのこそうとされておられます。
そこへ女性も女鉾を立ち上げて巡行しようという動きが出ています。
確かに昔、女性が関わったという記録がありますし、前例に従って蘇らせようということも分からないでもないですが、それはどうも伝統としての位置付けからではなく男女平等の観点からの動きのように思えます。
私は男女平等と伝統を一緒にしてはいけないと思っています。
今の山鉾には、それぞれに異なる歴史と伝承と文化があり、どんなに観光化された祭であったとしても、そこには神事としての尊厳が存在するのです。
男女平等という観点からこの神事に入り込む事は許されないと思います。
祇園祭が祇園祭りでなくなってしまいます。
皇室もそれは同じ。
しかし、皇統という、血縁でもって末永く繋いでいく事は、側室制度無しでは、無理なものは無理なんです。
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