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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【3936657】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:Bdvrgb2gdjU) 投稿日時:2015年 12月 22日 20:14

    >権威祈りの象徴として、新嘗祭等で五穀豊穣を願ってきた。
    我々日本人のルーツを探るには、水稲作の起源が非常に大事

    うん、これには同意。それにしてもヤタローさんはお詳しいですね、鵜飼の話はわたしも知りませんでした。スレタイの元、自由さんの国号=天皇の話もさることながら、話題が拡がっていくのは楽しいです、ね? ひまわりさん。

  2. 【3937098】 投稿者: 自由  (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2015年 12月 23日 09:51

    >自由さんが、天武天皇時代に国号日本と天皇を名乗り出したとの書き込みが
    胸にストンと落ち、日本=天皇は確かにそうだなと納得した。

    具体的には689年飛鳥浄御原令で、日本という国号(王朝)と天皇という称号がセットで定められた。
    この飛鳥浄御原令は、681年から天武天皇によって編纂が始まり686年に崩御したあと、配偶者の女帝持統天皇が受け継ぎ689年に施行されている。


    >じゃあそれ以前はと考えると

    網野善彦氏が指摘するとおり、正式には日本と天皇は存在しない。
    概念的には、倭国と大王だった。例えば、天智天皇・・という諡号は使わなかった。
    それでは、なぜ天武・持統の時代に、日本と天皇とがセットで生まれたかというと、
    これに先立つ天智の時代に、朝鮮半島における百済復興のための白村江の戦いで敗れたこと、さらに続く大陸(隋・新羅連合軍およびその後継)との戦いに備えるための強い国への国固めではなかったか。
    天智は宇治で不審の死をとげるが、もしかしたら、天武が天智の政治に不満を感じ、天智の死に何らかの形で関わっているかもしれない。

    天武・持統のこの国固めには、「日本・天皇」以前の「倭国・大王」のイザナギ・イザナミの物語(あるいは伝承、事実)がどうしても必要だったわけで、これが天武天皇の命により記紀が編纂された理由に違いない。

  3. 【3937125】 投稿者: 自由  (ID:TYiDkfJSBC.) 投稿日時:2015年 12月 23日 10:12

    >当然天皇家も、権威祈りの象徴として、新嘗祭等で五穀豊穣を願ってきた。
    我々日本人のルーツを探るには、水稲作の起源が非常に大事でなのである。

    この「稲作」というのは、私が上記レスで書いた

    >天武・持統のこの国固めには、「日本・天皇」以前の「倭国・大王」のイザナギ・イザナミの物語(あるいは伝承、事実)がどうしても必要だったわけで、

    ということを想像する。


    以前に、観光で宮崎の天岩戸神社に行った際に宮司さんから、

    神武天皇がこの国に稲作、食べ物を広め、皇后は綿を積み着る物を作り、
    そして、その子孫がこの国の繁栄を祈っている。

    という説明を受けたことを思い出す。


    その名残りが新嘗祭、
    米は、日本人にとって単なる食料ではないのだろう。

  4. 【3937172】 投稿者: 今聖徳太子  (ID:eAg3PM10aac) 投稿日時:2015年 12月 23日 11:02

    余剰農産物が無ければ人口は増えないし文化文明も進歩しない。日本も朝鮮も稲作だが、太古以来、日本人は耕作法を改良して収穫量を増大させる事に成功した。これは大和民族の優れた特性に依るものである。この特性と余剰農産物が日本文化文明発展の要因である。これが朝鮮と韓国朝鮮人との違いだ。

  5. 【3937216】 投稿者: 今聖徳太子  (ID:eAg3PM10aac) 投稿日時:2015年 12月 23日 11:35

    古来より日本人は山川草木、生ける物、米に対する畏敬尊崇の念を持ち続けてきた。この精神が豊饒な農産物と文化文明を産んだのだ。

  6. 【3937261】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2015年 12月 23日 12:14

    たとえば、高校の教科書で次のように説明されている。

    「日本でも、紀元前4~3世紀ごろ、おもに朝鮮南部から九州北部に渡来した人々によって、稲作と金属器の技術が伝えられ、新しい文化がおこった(『日本史B』東京書籍17頁)」。

    むろん学説には別の意見もあろう。
    しかし、わが国のそれが朝鮮半島から伝えられたとの見解が支配的であることになんら疑いはなさそうである(そうでなければ、教科書には記述されない)。

  7. 【3937276】 投稿者: 今聖徳太子  (ID:eAg3PM10aac) 投稿日時:2015年 12月 23日 12:23

    稲の種子は渡り鳥の糞によって日本に持ち込まれて弥生人が農耕を初めたのだよ。

  8. 【3937287】 投稿者: 二俣川  (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2015年 12月 23日 12:32

    したがって、稲作が中国から直接にわが国へ伝えられたとの説は、
    現状では異説に過ぎない。

    しかしながら、なぜそのようなものを「定説」とまで乱暴な表現をするのだろうか。
    先に私はその根拠を求めたが、今日まで回答はみられない。

    当然である。
    「定説」どころか、当の御本人すら今後の研究に待つほかないとのありさまであるのだから。

    私は思う。
    歴史でも科学でも、未解明な事項は数多い。
    たしかに、それらにつきfantasyは自由である。
    しかし、その勝手なガラクタ的思惟をあたかも事実(史実)であるかの如き前提で考え論じることは妥当ではなかろう。

    不明なものは、明確に解明されるまで「(現時点では)分からない」としておくことだ。
    それが、科学的な姿勢であるものと考える。

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