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【870545】【大学受験目標】公文式有効利用法の探求

投稿者: なる   (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 03月 09日 13:55

多くの皆様の願いが叶いまして、高学年(高校受験用)の板がついに誕生しました。
「公立高校受験から大学進学を目指す先取りを含めた学習方法」の正統の流れを汲む
分科スレです。 スレ主は「なる」(公文一般父兄・公文算数3年経験)です。


公文式は、高校数学教師公文公の発想から開発された幼児〜高校生を対象とした
学習アプローチです。このスレでは公文式算数・数学を有効活用しながら、
『青チャート』(数研出版)レベルの大学受験数学標準問題の解法パターンの
効率的な習得を目指しつつ、公文国語、公文英語(他外国語)、SRSの学習法の
情報交換を目的とします。


「小学高学年で、中学受験を目指すなら公文は効率の良い算数学習方法ではない。」
しかし将来の大学受験を見据え中学受験算数にとらわれない公文式の利用法や、
中学受験を目指す場合の幼児〜小学中学年。中学合格以降の中学時代などの
大学受験数学基礎期などの学習効率の良さは、一般に認められるようです。


★情報交換の場です。
中学受験をするかしないかは問いません。(幼児・低学年・中高生のご父兄も大歓迎)
公文式高進度者・公文式関係者指導者大歓迎(一般父兄に色々教えてください)
海外の公文経験者大歓迎です。(海外の公文式事情、色々教えてください)
高進度者は情報提供の立場で情報交換を「ただの自慢」は意味も品もありません。
先天的資質「地頭」議論は、不毛です。意味がないのでやめましょう。
中学合格目標なら、中学受験塾の方が効率良いです。議論に値しません。
極端な持論の押しつけや、批判と否定が主の参加はご遠慮下さい。
特に、私立中学受験批判、先取り学習批判はおやめください。
水道方式等他のアプローチを否定する意図はありません。(むしろ肯定的)


★公文式の有効利用のスレですから、公文式批判・公文経験者批判は「厳禁」で
お願いします。批判は完全にスルーします。スレが荒れますし、一般に公文経験者
の方が、公文式批判の内容について詳しいです。

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  1. 【885185】 投稿者: タント  (ID:6eev9u28iN6) 投稿日時:2008年 03月 25日 14:19

    誰も言わないのに、公文メソッドがさも万能であるか如き期待をよせるので、
    限界が見えた時に否定論者がでる。否定論者に公文に詳しい方が多いのも、
    それで頷けるのである。期待が大きい分、限界が見えた時さも裏切られたよ
    うに感想をもつのであろう。そこで、擁護論者もあっさり限界を認めた上での
    有用性に建設的に話を展開できれば、分があるのだろうが、やはり限界を認め
    ないのだと思う。まるで、宗教のようだ。
      
    学習の方法に絶対がないのは、当たり前のことであるのにである。
    そもそも人間が主体の学習方法に絶対などありえない。人間はロボットではない。
    絶対的な学習方法があれば、相対的な偏差値なども意味がなくなるが、やはり、
    将来にわたり統計手法が変わることがあるかもしれないが、相対値を示す偏差値
    的なものもなくならないであろう。絶対評価だけでは、やはり不充分である。
    絶対評価も重要だが相対評価も同じく重要である。
      
    人間は法の下に平等であるが、実際には生まれた時から平等ではない。
    子供全員が才能を全開に開花できる訳もない。才能はギフトである。
    選ばれし者しか持たないギフトなのである。
     
    判を押したようなステレオタイプ的な親のレールに脱線せずに全員のれるわけがない。
    人生あらゆるところに分岐ポイントがあるものだ。誰も予想はできないのだ。
    実際は、レールは幻であり、単なる期待でしかない。自分の道は自分でしか
    切り拓けない。子供自身が切り開くしかないのである。
      
    親は、ただ自分の経験則から子供の分岐ポイントを予想し期待するが、子供は
    結局自分のレールは自分で敷かなければならないのである。親は愛情込めて
    その肩を押すことのみである。
      
    この辺を、わきまえずして公文は語る勿れである。白熱するのみ。意見一致はない。
    私は公文をあまりにも、知らなさすぎたが、他の皆様や、なる さんは認識されて
    おられるのだろう。この歳にして自分の未熟を感じる。
     
    長文失礼。 

  2. 【885344】 投稿者: なる  (ID:6fAMqbUPYWM) 投稿日時:2008年 03月 25日 18:09

    タント さんへ:
    -------------------------------------------------------
    求めよ、さらば与えられん。
    たずねよ、さらば見出だせん。
    門を叩け、さらば開かれん。
    すべてを求むるものは得、
    たずぬる者は見出だし、
    門を叩く者は開かるるなり。


    学習ってある意味、習慣を応用する精神活動なので「信仰」に近いですね。
    絶対などあり得ない。しかし求めねば、与えられない。
    学習方法は信じなければ効果はないが、盲信もまた戒めねばならない。


    教育はそれ自体に「時代を背景とした国家の思惑」も加わって、
    ステレオタイプに語れるものではない。


    子が「学校で学んだこと」が、どれほどその子の人生に影響を与え「られる」かも、
    当の親ですら計り知れない。


    > この歳にして自分の未熟を感じる。


    未熟だなんてとんでもない。いつも勉強させていただいてます。
    タントさんのおかげでスレが引き締まるわぁ。
    批判を排除してるから、「ちょとアブナイスレ」だもの。(笑)
    見捨てず「役回り」をわきまえていただき、ありがとうタントさん。

  3. 【885822】 投稿者: さくら  (ID:MXXBAAvpc9g) 投稿日時:2008年 03月 26日 08:32

    高学年開始組 さんへ:
    -------------------------------------------------------

    うわあ、と感嘆の声が出る程嬉しいですね。
    同じ様に考えて下さる先輩がいるのは、本当に心強いです。
    しかも教える方の専門の方ですか。
    是非、経過などもお知らせ頂きたいと思います。
    しかも、Z会。我が家の狙いとほぼ同じかもしれないです。
    あっ、なるさんちも同じですね。きっと。

    私もじつは、公文にはかなり否定的な見方を持っていたのですが、
    実は隠された良さがあるのではないかと思い興味を持ち始めました。

    こちらを読んでいるとやはりあるようですね(笑)


    > 学習・理解→反復→深い理解


    変な言い方ですが、学習と理解まではあの手この手でできるものですが
    反復して定着させるというのは、素人母では難しい。
    それを公文さんの問題である程度筋を付けるというのでしょうか、補助的に
    利用出来ないかと私は考えているのですが。
    ただ、高学年スタートの場合、どの程度の時間を毎日費やすかですね。
    また、並行教材も必要になるでしょう。
    勉強全体としてのバランスを考えながら公文も取り入れていけると面白いと
    思っています。


  4. 【885823】 投稿者: なる(検索職人)  (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 03月 26日 08:33

    サイレントマジョリティである、大学生が東大教養学部(後文学部
    西洋史学専攻)で公文を語っている。ちょと長いですが、教育は
    宗教的であると語っているところがスレの流れとかぶるので…。



    ■[勉強]公文式について再考 23:58


    はっきり言ってこんなこと書きたくない。別に私は公文式の回し者ではない上,
    広告塔でもない。しかし,書かないといつまでもモヤモヤするだろうから書こ
    うと思う。ここで書くことは決して嫌味でも自慢でもなんでもないことを最初
    に断っておこう。それでも嫌味や自慢に聞こえるならそう思ってくれて構わな
    い。もう,慣れた。
    私は3歳のとき近所の公文式の教室で勉強を始めた。親が無理矢理やらせたわ
    けではない。「読み聞かせ」という形でしか読書することのできない不便さに
    苛立ち,「1人で本を読めるようになりたい,現状が続くといつまでもママが
    いる時にしか本が読めないじゃないか」と親に迫ったのである。すると母が
    「とりあえず参考までに話を聞きに」私を公文式の教室に連れて行ったという
    わけである。ということで,まず国語から始め,ほどなくして算数も始めた。
    私はバカみたいに向学心旺盛だったので,小4の時に国語は全課程を修了し,
    数学に関しては,全課程修了にはいたらなかったものの,とりあえず中学入学
    までに数II・Bまでの範囲はなんとか終わらせた。これ,いつも驚かれる上,
    「天才」などと言われるのだが,公文式をやっている子どもの進度としてはい
    たって普通である。そして私が秀才でもなければ,ましてや天才などではない
    のは周知の事実であろう。むしろ理解力も記憶力も平均以下である。他の人が
    1回でわかるものは,5回以上やらないとわからない。頭の出来としては悪い
    方だ。


    当時,幼児教育は風当たりが強かった。岡山は教育県だなどと言われているが,
    私はそんなことを信じていない。所詮田舎である。ほとんどの人間は,幼い子
    どもが勉強しているのを決して良く思っていなかった。母も私も,無関係な人
    間からずいぶん謂れのない中傷を受けたものだ。特に母は私を虐待でもしてい
    るかのように言われていた。私は私で「かわいそうねぇ」などと言われていた。
    就学してからは「Mちゃんは天才だからね」「頭の出来が違うからね」などと
    言われた。それが好意ではないことを私は知っていた。美辞麗句を並べ立てる
    周りの大人の目は笑ってはいなかった。人に先んじて,成績のよさをひけらか
    して,そんなに楽しいか,彼らの目はそう語っていた。勉強することは悪いこ
    とだ,子供らしくないことだと言わんばかりだった。中学に上がる頃にはもっ
    とはっきり言われるようになった。全く関係ない人から「公文なんて役に立た
    ないわよ」とか「いい塾を紹介してあげるわ」とか言われたことが何度あった
    か。まったく大きなお世話である。私は「結構です」としか言わなかったが。
    私が出来ることは,結果を出すことだけであった。私のやり方(≒公文式のや
    り方)で結果を出すこと。それが私に出来る唯一の抵抗であった。


    はっきり言って,これらのことは私の中では根強い「恨」となっている。だっ
    て,そうだろう。私にとっては,公文式は理性と学問の素地であると同時に,
    人格形成の素地でもあったのだ。何においても諦めないこと。真摯に取り組む
    こと。まずは,自分でやってみること。物事に取り組む基本的な姿勢を教えて
    くれたのが公文式であった。周りの人間はそれを全否定したのだ。国語に比べ
    て数学は苦手であったけれど,それでも嫌いにはならなかった。数学の勉強は
    いつも楽しかった。そしてその姿勢は他の苦手なことに取り組む時にも役立っ
    た。最初からできないと決め付けないこと。とりあえず,やってみること。
    出来た時の感動はひとしおだった。私は前述の通り理解力も記憶力もないので,
    人一倍時間はかかったが,その分,出来た時は人一倍嬉しかった。


    特に数学については,「機械的な計算練習ばかり」などと揶揄される公文式で
    はあるが,それははっきり言って間違いである。計算練習は確かに多いが,思
    考を求める問題も出題されているし,教材も上にいけば電磁気学やら線形代数
    やらを学ぶところまであるのだ。すなわち,大学の教養課程相応の教材も用意
    されているのだ。これを「機械的な計算練習」だと呼ぶ人がいれば,話してみ
    たいものだ。たまに公文式をやっていた人でも「機械的な計算練習ばかりでま
    ったく役に立たなかった」と言う人がいるが,それはやり方が悪かったんじゃ
    ない?と言いたい。公文式に限らず,どの教材を使うにしてもそうだと思うが。
    それに,計算なしでは何もできないでしょう。むしろ,それを軽んじることの
    意味がわからないのですが。応用は基礎の組み合わせでしょう。


    「意味もわからないまま機械的にやっているに過ぎない」もよく言われること
    ではある。幼い子どもが高校レベルの問題を解いているのは確かに不可解だろ
    う。不気味かもしれない。しかし,断言するが,意味はわかっている。子ども
    の吸収力の強さと向学心を侮ってはいけない。難しい言葉や記号を使って教え
    ようとするからわからないのである。教職の授業で「どのような内容であれ,
    その知的性格を損なうことなく,すべての年齢の子どもに教えることができる」
    (J.Bruner)と教わったが,確かにその通りである。だって,現に私がそうな
    のだから。


    まぁこれらのことは一例としても,他にも数々の誤解があると思う。これまで
    も,今も,私はその誤解の信奉者達から敵のように扱われ続けてきた。なぜだ
    かわからないが,私の周りの「公文式嫌い」な人々は,私を見るたびに,私が
    公文式側の代表者であるように糾弾するのだ。あの,困るんですけど,そう言
    いたいのを堪えて「ああ,そうですか」とだけ言ってきた。私は公文式を信頼
    してはいるが,公文式を伝道しようとは毛ほども思っていないので,別に嫌い
    な人に好きになってもらおうとは思わない。知る人ぞ知る公文式でいいと思っ
    ている。


    では,なぜこんなことを書いているかというと,別に何でもないのだが,最近
    ともちゃんと公文式について話すことがあり,その時,ともちゃんも少なから
    ず誤解しているように見受けられたからだ。さすがに腹が立ったりはしなかっ
    た*1が,そうか,やはり誤解は根強いのか,と思った。だから思ったことを書
    いた,それまでである。


    ただ,それらの誤解の背後には,公文式の商売色の強さもあるかもしれない。
    幸いにして,私がついていた先生は,公文式教室の指導者でありながら,
    「公文式至上主義」の人間ではなかった。私や妹の学問の師としてのみではな
    く,子育ての先輩として母の相談相手にもなってくれたし,私や妹のカウンセ
    ラーにもなってくれたし,私たち姉妹のピアノの先生を探してくれたのも,公
    文式の先生だった*2。実際,ピアノのコンクールや発表会の前には「公文なん
    てやらなくてもいいからピアノの練習しなさい」とか言ってくれていた。勉強
    に関しても,公文式だけやっていれば,という考え方ではなく,他に工夫でき
    る点があればどんどん取り入れてくれていた。私は中3の時に卒業したが*3,
    今でも帰省の折にはお土産を持って先生のお宅に伺っている。


    しかし,公文式においてそういう指導者はかなり稀なのである。大半の指導者
    や親たちは盲目的に公文式を信奉しており*4,自分の教室の生徒や自分の子ど
    もが「進度上位者」として表彰されるのをステイタスとし,教室にその折の写
    真を飾ったりしているのだ。私の先生は私が表彰を受けることをステイタスと
    思っていたどころか,むしろ私が公文式の商売道具として利用されないか,私
    への風当たりがさらに強まらないか,いつも心配してくれていた。私は根拠の
    ない賞賛が大嫌いなので,かなり先生に助けられた。しかし公文式全体として
    は,生徒の学習意欲高揚のため,そういう式典のようなものをやるのである。
    私も仕方ないので参加はしていたが,あれははっきり言ってどうかと思う。た
    だの変な集会である。


    私は,東大に合格したのも*5,今の私の人格も,少なからず公文式が関係して
    いると考えている。だから公文式を悪く言うつもりはない。いかに人から悪く
    言われようと,私はそれを認めるつもりはない*6。特に理解力の乏しい私にと
    って,「出来た」「わかった」などの気持ちを早くから味わえたことは,学習
    に対する真摯な姿勢を生み,また,自信にもなった。これは幼児教育において,
    ひいては教育全体において大切なことではないかと,私は素人目に考えている。
    「できない」「わからない」と思ってから慌てて対策してももう遅い。わかるこ
    との喜びを知っていれば,決して勉強を嫌いになったりはしないはずである。


    しかし,ともちゃんとも話した通り,すべてはその子どもの適性に合わせるべ
    きだろう。私は自分が大いに公文式のお世話になっているので,出来れば自分
    の子どもにもやらせたいと考えてはいるが,もしやってみて,自分の子どもに
    合わないようなら無理にやらせる必要はないだろう。しかし,公文式に限らず
    だが,よく知りもしないで「どうせ役に立たない」とか「子どもに合わない」
    などと言ってやらせないのは良くないと思う。結局,その点は親の好き嫌いに
    よるのであろうが。


    私が幼児期から今までずっと考えていたことを成文化してみた。今後,幼児教
    育に対しても公文式に対しても,風当たりの強さが改善されるようには,現時
    点ではとても思えないから,これは私の独り言になるのだろう。まぁ,それな
    らそれで,別に構わないが。


    *1:昔から友達にも誤解を受けていたので,いちいち腹を立てていたらキリがない。
    *2:先生のお嬢さんはM音大だった
    *3:公文式は先取り学習としてやるものであって,高校に入ってまでやるもので
    はない,という先生の考えにより
    *4:公文式トランス状態,とでも言おうか
    *5:現に苦手な数学でも「2完」できたし
    *6:だから私に公文式の悪口を言ったところで無駄なのです。


    [コメントを書く(以下 友人のコメント)]
    #
    ぶんちゃん
    『拝読しました。
    公文式のなんたるかなんて全然知らなかったから、興味深く読んだよ。
    ふつうに中学入学時に?Bが終わってるとか、すごいと思った(笑)


    教育に限らず、自分の実体験は、あくまでも主観的な意味で「良い」ものに映るよね。
    なんだか、いつぞやの「思い出はなつかしいもの」にも通じるものはあると思うけど。
    もちろん、それは公文式じゃない教育を受けてきた自分も含めて。批判の意味じゃないよ。
    うちにはこれだけ多様な教育を受けた人が揃っているんだろうから、
    実体験を交換しあうだけでも結構おもしろい井戸端会議になると思う。』


    #
    Mephistopheles
    『そう,まさにそうなのですよ。やっぱぶんちゃんとは価値観合うなぁ。
    教育は結局のところ義務教育を除いては相容れないものなのだと思う。だからある
    意味において宗教戦争みたいなものかな。教育も宗教も自分の信ずるところが自分
    にとっては絶対善なのであり,他の人が信じているものは「異教」に見えるって点
    では,さほど悪い例ではないでしょう。ただ,それを実行に移しちゃうのはどうか
    と思う。つまり「そっちは正しくない」「こっちが正しくない」っていがみ合うの
    は不毛以外の何者でもないよね。
    思い出もそうだね。教育を含めての思い出だからね。特に私たちはまだ若いし,今
    までの思い出の大半が教育に関することだとも言えるからね。うちの大学の人はほ
    とんど教育に関して一家言あるみたいだし,どんなテーマを設定しても結構な実の
    ある議論はできそうだよね。
    あんな長々と書いたものを読んでくれてありがとう。それに何か感じてくれたとい
    うだけでも私は嬉しいです。
    ちなみに中学入学時に?Bは,ほんとにすごいことじゃないんですよ。むしろ私は途
    中で数学の深みに足を突っ込むのを諦めた人間だからね。力及ばず。?Cもちょっと
    だけやったけど,挫折したのよ。だから私と同じくらいで数学始めた他の人はもっ
    と先まで行ってたと思う。実際,今でも数学やりたいです。?Cはもちろん。中途で
    諦めたことは今でも悔しく思っています。』


    #
    ちもこ
    『拝読しました。いやー、貴女だからこそ私もいろいろと正直に議論を交わしたのです。
    そう、教育界は大概宗教がかっているからね。私も中学受験のために通っていた、関西
    きってのスパルタ受験塾・H学園には、各教室に「常在戦場」との札がかかっており、
    塾生4つの約束なるものを、毎回授業前に全員で暗唱させられていたものです。当時は
    何も思わなかったけど、今から考えると恐ろしい。子供は洗脳されやすく、また教育熱
    心な親たちも洗脳されやすい。それは、今のバイト先でも思うことです。冷静で客観的
    な判断って大事だと思うね。』


    #
    な。
    『ごめん、多分焦点違うと思うのだけど、思ったこと。
    「できた!」っていう感覚とか自信って実はすごく
    大切で影響力のあることだよね。私もそう思うー!
    そして「案外」自分が(そして文章を読んでる限りやっつんもでしょう)
    そういう自信や感覚を育んでもらえる良い環境にいたのかも
    しれない…とカテキョ先の子を見てて最近気付きました。
    「どーせ馬鹿だから」って小6の小さな女の子が言う
    その衝撃とその時に感じるものすごい寂しさは結構筆舌に尽くしがたい。
    別にいつも親や先生から褒められてたとは思わないし、むしろ絶対
    腹立つこと一杯言われて生きてきたはずなんだけど、心の底から
    自分が馬鹿で自分が能無しだと思ったことってよく考えたら
    なくない?私は多分、正直になって考えたら、無いと思う。
    自分が賢い!と思ってるという意味じゃ絶対ないんだけど、どこかに根拠のない
    (もしくは根拠のはっきりしてない)自信がある感じ。その自信って
    やっつんの言うように勉強に取り組む姿勢へ大きな影響を与える気がする!

    そして私が最近感じる将来への絶望は、自分の自信が崩れ始めた結果
    なのかしら?!誰か、自信立て直してくれ…(苦笑)そして私は明日
    (今日?)文科省に行ってきまーす♪』


    #
    Mephistopheles
    『みんなが真摯なコメントをくれたので,「恨」も和らぎました☆

    >ちもこ
    貴女との議論はいつもとても楽しく,なおかつ刺激になりますよ。いつも違う視座を与
    えてくれるし。ぶんちゃんと並び議論したいお人だ。
    そうそう,私も公文式を信頼しながらも,公文式がどんな集会をやっているかは恥ずか
    しくて言えなかったのだけれど,そういえばどの塾でも多かれ少なかれ似たようなこと
    はやってるもんね。集会とはいかなくても,暗誦なんて結構どこでもやってるでしょう。
    それにしても「常在戦場」とは…なにか団塊の世代の受験戦争を想起させますね。
    びっくり。幸か不幸か,岡山には中学受験の概念があまりないし,高校受験も形骸化し
    ているので,岡山の王道の教育を受けてきた私は割とのびのび東大に来ることが出来ま
    したよ。子どもは地方で育てようかしら。子どもは私,地方で育ててしまいそうです。


    >な。
    その筆舌に尽くしがたいって気持ちはとてもよくわかります!あなた,まだ若いのに,
    何をいきなりって感じだよね。私は本当に親からけなされまくってバカバカ言われて育
    ったけど,だからこそ「なにくそ」と思って勉強できたのもあるし,大体「自分がバカ
    で自分が能無し」だと思ったことはないですね。断言できる。幼年期の思い出や,東大
    に受かったことなんかがどこかで私を支えていると思います。どんな苦境にあっても
    「今回も大丈夫,きっと大丈夫」みたいな。今でも私はやれば出来ると盲目的に信じて
    るからね。いや,むしろ,やって出来ない子はいるのか?って感じなんだけど。
    将来への絶望…まだハタチそこそこの若造が何を言うか。将来に絶望するほど,私たち
    はまだ生きていないじゃないですか。特にゆーみん,はっきり言うが,君は絶対将来何
    かを成し遂げると思っています。教育と史学で,進む道こそ違えど,私はあなたを尊敬
    していますから。あなたの勉強に対する真摯さには私も脱帽だよ。絶望だなんて言わず
    にがんばろうよ。私たちにはまだ可能性があるはず,いくらでも。私は「頭の出来」な
    んて信じちゃいないぞ。まぁ文科省に行って立て直しておいで♪それでも立ち直らなか
    ったら,また語ろう。』


    #

    『読んで思ったことね!
    あたしは今まで塾にお世話になることなく過ごしてきました。そして、高校くらいまで
    「塾なんて何で行くの?」て思ってて、はっきり言っちゃうと否定的でした。小学生の
    時から塾行ってる子とか、「まじ意味わかんねー」と思ってた。なんでかっていうと、
    それは多分、自分が塾行ってる子よりも勉強ができちゃったからなんだよねー
    しかも苦労せずにね!学校で出された宿題やって、授業ちゃんと聞いてたら、テストと
    かすらすら解けたからね!だから「塾なんて行ってどうすんの?学校でちゃんとやれば
    出来るって!」て思ってた。(金もかかるし。分かんないとこは親に聞けば分かるし。)
    でもそれはやっぱ「あたしの場合はそうだった」ってことなんだな〜と最近、てか高3
    くらいから思うようになった!
    きっかけは、いとこ!いとこは成績悪くて、やっても分かんないから課題宿題もやんな
    くて、ますます成績落ちて・・・みたいな悪循環に陥ってて、「あんた大丈夫なん!?」
    て感じだったんだけど、塾行き始めたらめきめき成績上がって、その結果学校でも真面目
    に授業に取り組むようになった。
    それ知ってから「あーそれなら塾に行くのもアリだな」と思うようになりました(めっち
    ゃ単純だけど)。その子のタイプによるよね。行かなくてもいい子、行った方がいい子、
    行かない方がいい子。あたしはどっちかというと、行かない方がいい子かな笑 理由ある
    けど長くなるからやめとく。今までは「小さい頃から塾通いで・・・」とか聞くと「おぉ
    大変だのぅ・・・小さい頃から勉強なんて」と思ってたけど、そうじゃないって思った。
    だんだん何書きたいか分かんなくなってきたからやめます(>_<)このコメント書いてる人
    の中で1番頭悪そうな事書いてるよね、すまん!でも友達でいてね!』


    #

    『↑長っ!まじごめん。長い割に中身ないよね。ほんとごめん。消えますー』


    #
    クルモワ
    『とりあえず思ったのは、機械的な勉強が後々役に立たないなんてことは絶対無いとい
    うこと。自分は5〜7歳の3年間くらい公文式で勉強してて、実際今覚えてるのって機械的
    な勉強ばかりだけど、それが確実にプラスになってます。思えばファミコンをやり出しの
    も5歳くらいの時で、あの頃の僕にはゲームも勉強も同じようなものだったんだろうけど、
    そんな自分を含め、いつの時代も世の中には公文式の勉強みたいなのを無邪気に楽しんで
    やれる変わった子供が一定数いて、長い目で見ればそれは絶対良いことなんだと思います。』


    #
    aete344920
    『はじめまして、koguusのところから飛んできていつも読ませていただいています。
    私も舞姫さんと同じく3歳の時に国語・算数(あとで英語も)を始めて小4までやってい
    ました。私は数学のほうが進度が速くて、結果として今理系にいるわけですが、公文式で
    鍛え上げた計算力とか、勉強に対する姿勢や根気とかには自分なりに自信を持っています。
    「何においても諦めないこと。真摯に取り組むこと。まずは,自分でやってみること。物
    事に取り組む基本的な姿勢を教えてくれたのが公文式であった。」という記述に関しては
    120%同意です。
    カテキョ先の生徒(言ってしまっては悪いですが、ひどい出来です)を見ていると、「勉
    強するためのベース」しだいで勉強の効率に天と地ほどの差が出るよなぁ、と思います。


    >ぶんちゃん
    「うちにはこれだけ多様な教育を受けた人が揃っているんだろうから、実体験を交換しあ
    うだけでも結構おもしろい井戸端会議になると思う。」とのことですが、実際やってみる
    と本当に面白いですよ。以前koguusと朝の6時半くらいまで勉強の基礎とかについてメッ
    セで話し続けたこともあります。』


    #
    Mephistopheles
    『>ひ
    私も基本的に塾にはあまりいい印象を持っていません。予備校も好きじゃない。岡山にな
    かったこともあったし,行ってませんでした。マスプロ形式の授業が大嫌いなのですよ。
    別に学校の授業とかはマスプロでいいと思うんだけど,わざわざプラスアルファで高い金
    払ってなんで大教室で授業受けなきゃいけないの?って。サテライトなんて言語道断でし
    たね。公文式はその点個別学習形式をとっていたのでね,みんなのせいで遅れることもな
    ければ,みんなに遅れることもない,ただ淡々と自分のペースでやればいいっていう勉強
    法は本当に私に合っていたと思います。あと,マスプロ形式だとどうしても甘えが生じる
    ような気がして。自分ひとりくらい予習してなくても宿題してなくても寝てても,別にク
    ラスの進行に支障があるわけじゃない。ならもういいや,ってどうしてもなっちゃう気が
    するんだよね。結果的に困るのは自分,ってことが分かってる人はやらないと思うんだけ
    ど。以上のような点から塾やら予備校やらは嫌いでした。でも現に私たちの周りには予備
    校に通って東大に入った人がいっぱいいるし,そういうの見てたらやっぱり何事もやり方
    次第なんだって思うね。塾でも家庭教師でも公文式でも,要は自分でそのメソッドをどう
    生かすかじゃないか,と思います。自学自習できる人は強いよね。だから,学習習慣をつ
    けるって意味では幼児教育を受けててよかったと思うよ。物心ついた頃には既に勉強は「
    して当たり前」のものだったからね。歯磨きや食事と同じ,生活に組み込まれていたわけ。
    しないと気持ち悪いくらいだった。私の場合,それはやっぱり幼児期からの公文式の習慣の
    おかげであって,絶対それやってなかったら勉強なんてやってなかっただろうし,今考える
    と空恐ろしい気がします。あなたみたいに,何も言われなくても勉強して当たり前,と思う
    ような子はかなり稀なんじゃないかな。特に教師の子どもって,私の周りにはあんまりロク
    なのいなかった(親の目がないことをいいことに遊び放題だったよ)からますますそう思い
    ますよ。


    >クルモワさん
    そう,計算マシンになることは基本的に数学では意味があると私も思います。だから「機械
    的な計算ばかり」なんていう批判はわけわかんないなぁ,とずっと思ってました。ちょっと
    前にはやった「百ます計算」とかだって,機械的な計算ですよね。だからなんで公文ばっか
    悪く言われるのかなぁ,って。
    勉強=ゲーム,っていう感覚はとても大事なことだと考えています。私も数学の教材は知的
    ゲームでしかなかったし,国語の教材は読み物でしかなかった。でもそのおかげで,ずっと
    私にとっては勉強は楽しいものでした。クルモワさんの言うとおり,長い目で見れば,絶対
    に良いことだったと思います。


    >aeteさん
    わーaeteさんまで!お噂はkoguusからかねがね伺っております。コメントありがとうございます☆
    勉強するためのベース,私は(上のコメントを拝読する限り,たぶんaeteさんもじゃないかと
    思いますが)知らず知らずのうちに公文式で培われていたわけですが,それって公文式をやっ
    ていなければ望んでも得られないものだったなぁ,よかったなぁ,と,最近ではひしひしと再
    確認しています。少なくとも,私もカテキョ先の生徒とか塾講の生徒とかを見ていた限り,は
    っきり言って「ここまで勉強が嫌いだなんて,何かよほど大きいトラウマがあるのかなぁ」と
    しか思えないくらいですから。
    私は文系の科目が大好きで,結果として今文学部の西洋史学専攻に内定していますが,だから
    と言って理系科目が嫌いなわけでもなく,数学は今でも大好きです(苦手ですが)。これも結
    構貴重なことだったなぁ,と思っています。「やっててよかった公文式」のキャッチコピー,
    やっている時はとても白々しく感じられもしたものですが(それこそ上に書いた公文式の商売
    色を反映している気がして),今になって身にしみている次第です。公文式によって得られる
    ものは,基礎学力ももちろんですが,それ以外にもたくさん貴重なものが得られたと思えてな
    りません。』


    トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Mephistopheles/20051207

  5. 【885915】 投稿者: 基礎の基礎  (ID:WgTVklvG4sk) 投稿日時:2008年 03月 26日 10:46

    なる(検索職人) さんへ:
    -------------------------------------------------------
    レス番号【885823】、興味深く、そして「うんうん!」と頷きながら拝読しました。
    探し出して下さってありがとう!


    > 私にとっては,公文式は理性と学問の素地であると同時に,
    > 人格形成の素地でもあったのだ。何においても諦めないこと。
    > 真摯に取り組む こと。まずは,自分でやってみること。
    > 物事に取り組む基本的な姿勢を教えてくれたのが公文式であった。


    > 「やっててよかった公文式」のキャッチコピー, やっている時はとても白々しく
    > 感じられもしたものですが(それこそ上に書いた公文式の商売色を反映している気が
    > して),今になって身にしみている次第です。公文式によって得られるものは,
    > 基礎学力ももちろんですが,それ以外にもたくさん貴重なものが得られたと思えて
    > なりません。


    これ、以前このスレでもチラッと触れた我が親戚の公文経験者(既に大人)の
    言っていた趣旨とほぼ同じです。
    公文の醍醐味って、おそらく これ なのでしょうね。



  6. 【885941】 投稿者: ぼたん雪  (ID:sh15k3FRyEY) 投稿日時:2008年 03月 26日 11:13

    なる(検索職人) さんへ:
    こちらのスレを立ち上げて頂いて本当にありがとうございます。
    皆さんのご意見、どれもこれも、娘が公文の体験に行き始めた頃、熟考し、先生とも討論したことばかりです。
    小学校入学にあたり、少しお休みしていた間にもまた再考しましたが、またこのスレにて考える機会になりました。


    > まだまだ、先のことは判りませんけれど、あかるい未来をえがきながらやるのと、
    > 何も考えずにやるのとでは、効果も違うかもしれませんね。(笑)
    > とはいえ「客観的な視点も」持ちつつ継続しなければ、いけないかもですぞ。

    客観的な視点は常に持ち続けております。
    私は非常にあまのじゃくで疑り深い人間ですから(笑)
    そんなに上手くいかないよー。またまたウマイこと言ってその手には乗らないよ。って感じです。思えば七田式にも当てはまったな、この感じ。七田教、公文教と、良く言われますもんね。


    > 意欲的計画的な利用が出来ればよいですね。

    それはもう・・。
    意欲的という観点では、幼い子供が始める公文式の場合は非常にスムーズに進む場合が多いようですね。一部には繰り返しの単純計算を嫌がる子供もいるようですが、この場合、子供と言より、その親のうんざり感?が子供に伝わっているのでは?と思います。幼子は単純。ほとんどの場合は繰り返しを好み、簡単だからこそ、もっともっととやりたがり、結果、進度が早くなるのだと思います。

    またうちは、自己肯定感を高めるといった点でも、表彰式は役立ちました。
    事務局から先生経由で依頼され、代表で作文を読んだのですが、もう喜んで、喜んで。キラキラ大好きな女の子なので、あのどうってことない(失礼)オブジェも抱いて寝るほど喜び、これをいつももらいたい!と。単純な我が娘は一丁上がり、公文の思うツボです。

    高学年で始める場合は、意欲の点も、計画の点も、より、明確なビジョンがなければ大変でしょうね。
    幼いうちから始める場合とは、利用の仕方も到達点も違ってくると感じています。


    まぁ、とりあえず今は遊びとスイミングに忙しい娘ですので、公文はまったりやっております。


    皆様の投稿を拝見するに、私は何もお役に立つ書き込みが出来ていないので、以降みるだけにします。

    これからも、たくさんのご意見を参考にさせて頂きますね。
    なる様タント様はじめ皆様、ありがとうございました。


  7. 【886125】 投稿者: なる  (ID:6fAMqbUPYWM) 投稿日時:2008年 03月 26日 14:33

    ぼたん雪 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 皆様の投稿を拝見するに、私は何もお役に立つ書き込みが出来ていないので、
    > 以降みるだけにします。


    ぼたん雪さんのレスは、なんとなく心に安らぎをかんじちゃう私。
    お子さまとのやり取りの描写の部分がとても好きです。
    そうおっしゃらずに、たまには書き込んでくださいな。
    このスレちょと怖くなってしまっているみたいなの。
    ぼたん雪さまこれまで通り、やさしくご協力のほどを。


    ということで、ぼたん雪さんにも
    本日から「ずっとROM専は禁止だよ」を通告します。
    例によって「拘束力のあるスレ主勧告」です。(笑)
    たまに書き込んでくださいませ。楽しみにしています。

  8. 【886149】 投稿者: タント  (ID:6eev9u28iN6) 投稿日時:2008年 03月 26日 15:01

    なる(検索職人) さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > サイレントマジョリティである、大学生が東大教養学部(後文学部
    > 西洋史学専攻)で公文を語っている。ちょと長いですが、教育は
    > 宗教的であると語っているところがスレの流れとかぶるので…。
       
    あ〜、しんどかった。
     
    感想です。
    学生にしては、大人のやりとりです。
     
    ここで云えてる事は、公文を否定していないで、友人(?)の学習体験
    として肯定しつつ、皆さんご自分の学習体験も否定している訳ではな
    いこと。つまり、自己肯定の上に相手のことも尊重しているのです。
     
    公文にしても、H塾にしても、**予備校にしても出来る学生と出来
    ない学生がいるわけで、それは学習の方法によらず、個人の姿勢とか
    素養とかいった勉強以外の要素が大きく関係していると思う。
     
    別のスレで、計算が上手にできないお子様をお持ちのお母様とのやり
    とりをしていて、いろんな術を考えるがそのほかの要因で頓挫してし
    まう。目標へのプロセスは色々だと思う。

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