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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04
皇室の弥栄を願います。
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【3498912】 投稿者: イワンのばか (ID:zFn1dAmv/.6) 投稿日時:2014年 08月 25日 15:49
ふふ・・・さん
>島国であり外国の思想が入ってくることが少なく、長きに渡り単一民族であったことから国民性が統一されていく要素が整っていた、というのはわかる気がしますが、そこで尊ばれ、育まれたたのが「和の精神」であったことの理由として考えられるのは、やはり「天皇」の存在です(自由さんがそこまで言っていないのは承知していますよ)。
天皇中心の明治憲法下で、日露戦争後の「日比谷焼打ち事件」、関東大震災後の「朝鮮人狩り」などの多くの暴動や一揆、さらに要人の暗殺があったことを考えると、「和の精神」の源が天皇であるとするのは無理があるのではないでしょうか? -
【3498927】 投稿者: いつものこと (ID:IdTX6UNBcQ6) 投稿日時:2014年 08月 25日 16:16
自由さん
>外国との比較において、日本の暴動、略奪、犯罪が少ないのは、教育あるいは警察力による抑止の結果であって、日本社会のDNAでも、日本人の良心の発露によるものではない・・
僕の考えはその通りです。
>それはそれで正しいにしても、
それでは、その教育あるいは警察力による抑止の根源に何があるのかと考えてみると、
「和の精神」を貴ぶ心性 が日本社会にDNA的に組み込まれていないか。
(勝手に改行詰めています)
日本社会に和の精神が根付いているというのはその通りだと思いますが、社会のDNAは遺伝子で生物学的に組み込まれるものではなく、種々の文化的制度・仕組みによって形成され、受け継がれるものだと思います。教育との関係で言えば、和を重んじるように教育してきたから和の精神が受け継がれてきたというトートロジー的な面があります。
いずれにしても、どうして日本では犯罪が起こりにくいのかという問題に対して、和の精神を答えとして持ち出すのは当たってないと思います。現実として犯罪に手を染めてしまうか、思いとどまるかの局面では、発覚への恐れが抑止力の決め手になります。その意味では抑止の根源が和の精神だというのは納得しにくいです。
>とすれば、
「公共の福祉」を無視した制限なき自由権は、
日本社会では、実現困難であろう。
「とすれば、公共の福祉を無視」の繋がりがちょっとわかりづらかったんですが、制限ない自由権は和の精神とは相容れないという趣旨と理解しました。とすれば、僕も同意見です。というか、僕は和の精神は自由をあらかじめ制限するところから出発していると考えるので、トートロジーだということになります。
そもそも「公共の福祉を無視した制限なき自由権」は日本社会のみならず、どこでも実現していないし、するべきだとも思いません。
個人の前社会的自由権を尊重して、しかし社会を成り立たせるためには調整する仕組みが必要だという、欧米的社会契約論的ルートで考えれば、調整要素(公共の福祉等)は明確に、限定的に規定されるべきということになるのに対し、和の精神を尊重するためにあらかじめ個人の自由権は制限されてしかるべきというところから出発すれば、社会、和を成り立たせる調整要素は無限定でよいという考え方になるということです。
だからこそ、現実問題として欧米的人権概念で運営されている場で、日本の立場を語って理解を得ることは無理だろうということです。 -
【3499011】 投稿者: 自由 (ID:tIdTj8RMCfQ) 投稿日時:2014年 08月 25日 18:17
>社会のDNAは遺伝子で生物学的に組み込まれるものではなく、種々の文化的制度・仕組みによって形成され、受け継がれるものだと思います。教育との関係で言えばというトートロジー的な面があります。 (いつものこと君)
多分このような反論がくると思って、私は意識的に、
>「和の精神」を貴ぶ心性 が日本社会にDNA的に組み込まれていないか。 (自由)
「DNA的」と「的」を入れたわけで、あくまでもDNAは比喩であって、当然ながら、生物学的に日本人のDNAに「和の精神」が組み込まれているわけではない。
したがって、
>社会のDNAは遺伝子で生物学的に組み込まれるものではなく(いつものこと君)
これはもちろん、そのとおりである。
それでは、なぜ、「DNA的」と比喩を使うのかというと、
いつものこと君が表現した「和を重んじるように教育してきたから和の精神が受け継がれてきた」というのは、実は論理が倒錯しているのではないかという疑問をもっていて、逆に、和の精神を重んじる社会だから、和を重んじる教育をするのではないかと考える。
和を重視する日本人の精神は、古代より脈々と受け継がれてきた。
社会が和を重視するから、これを伝承(教育)してきた。
人々は能動的に、和の精神の日本社会を変えることはできず、
社会に合わせて受動的に伝承(教育)せざるを得ない。
いたって運命的・・比喩として「DNA的」である。
和の重んじる教育をすれば、和の精神が定着するというあたかもインプット、アウトプットの関係は、自然を征服しようという欧米思想的な考え方ではないだろうか。
多分、日本人は、自然(和の精神)を受け入れて、伝承、教育してきたのである。
そういった日本人の感性からすれば、国連の言う自由権は金属製の異物であろう。
公共の福祉に反しない限り自由権を行使できる。
この考え方の方が、日本人の思想に適合しているのである。 -
【3499017】 投稿者: 自由 (ID:tIdTj8RMCfQ) 投稿日時:2014年 08月 25日 18:26
>そこで尊ばれ、育まれたたのが「和の精神」であったことの理由として考えられるのは、やはり「天皇」の存在です(自由さんがそこまで言っていないのは承知していますよ)。
あまり先走りすると、うるさい連中がいるので、
スローペースで書いておる。
くどいようだが、私は、右翼でも、左翼でもない。
笑 -
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【3499050】 投稿者: 自由 (ID:tIdTj8RMCfQ) 投稿日時:2014年 08月 25日 19:01
>わたしの手元の高校参考書は、自然権は神とは切り離された概念であることを明確に説明しています。
それは間違いだろう。
神が与えし自然権を前提にしないで、
どうやって、「人間は平等」という理屈を導き出すのかね? -
【3499402】 投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 08月 26日 05:50
おはようございます!
申し訳ないです、先週からの続きです。
第60講 皇室問題の抜本的解決は男系子孫による新宮家創設を 百地章先生
旧皇族について知っておきましょう(産経から抜粋)
「 幸い、現在旧宮家の中には若い男子がたくさんおられます。例えば、賀陽(かや)家(旧賀陽宮家)には未成年の男子が2人おられますし、明治天皇と昭和天皇のお子様(内親王)が2代にわたって嫁がれた東久邇(ひがしくに)家(旧東久邇宮家)にも、悠仁親王と同世代の男子が2名いらっしゃるようです。
例えばこのような人々の中から、皇室のご意向を伺いつつ、ふさわしい方々に皇族になっていただき、将来、新宮家を創設すれば、皇室の将来は盤石となり明るい展望が開けるでしょう。」
言論の自由が許されているとはいえ、現実不可能なことを中高校生にむけて発信してもいいんでしょうか?これが皇統問題を解決する正当な答えのように掲載されてしまっています。
これを「そうなのか」って受け入れる子供達がいれば大変な事になってしまいます。子供達にはどうかこの記事を読んで思考停止する事の無いようにお願いしたいです。 -
【3499408】 投稿者: いつものこと (ID:e/hgM75aQTQ) 投稿日時:2014年 08月 26日 06:11
ひまわりさん
男女差別についてレス頂いていたのに失礼しました。男女差別はある程度良いが男尊女卑はいけないと言うのは正直理解不能です。
僕はむしろ男尊女卑はまだ個人の考え方、文化の問題として許容の余地はあれど、それが差別になるなら許容できないように感じます。 -
【3499424】 投稿者: 赤い彗星 (ID:R4rWHIlHhts) 投稿日時:2014年 08月 26日 07:07
>僕はむしろ男尊女卑はまだ個人の考え方、文化の問題として許容の余地はあれど、それが差別になるなら許容できないように感じます。
同意する。適切な表現である。笑
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