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【3116105】女性宮家創設へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3339240】 投稿者: 紙つぶて  (ID:DBypIpjKL4U) 投稿日時:2014年 03月 26日 11:24

    冷静に考えると さん、

    >「継続関係にある生命」と「未来の生命の生誕に繋がる連面性」、同義として捉えられますが「個の生命」を超越したいわば「いのち」といったようなことをおっしゃりたいのだと拝察します。例えば一本の木にしめ縄を張るような感性は「その木」ではなく「木そのもの」に対する崇拝、畏敬の念から生じるもの、上記にいうまさに「畏きもの」という概念でしょうか。

    はい、そのような概念です。説明するのが難しいのですが、例えば一本の木が朽果てたなら「無」になります。しかし、その木の消滅によって日陰に甘んじていた他の木が太陽の光を享受することができますし、またやがて朽ちた木が土に還ることで他の木の新たな芽吹きに繋がります。人の死も同様で、「無」ですが「無用」ではないと解釈しています。

    >・・・隊員たちの「個」としての自覚はどこに吹き飛んでしまったのか。その自覚と神道の「個」を超越した「いのち」との整合性を、特攻隊員たちはどう折り合いをつけたのか。この部分を理解せねば彼らの「死生観」を推し量ることは難しいのではないかと感じています。

    まさに隊員たちの「死生観」を理解するための重要な観点です。
    仏教の本(私の精神安定剤です)には、人がこの世で受ける七難八苦から逃れるための説法が書かれています。その教えの中に「執着を捨てなさい」とあります。人生における最大の苦しみは愛する者との別離(死)ですが、愛する者に心が執着しているから辛いのだと。(余談ですが、父の形見をなくした私はひどく自己嫌悪に陥りましたが─また、そのなくし方がここに書くのもイヤになるぐらいひどい(泣)─当時、執着について随分心に問いかけました。)
    「執着を捨てること」と「諦観」が精神に宿れば「個としての自覚」=「執着」を吹き飛ばすことは可能だと推察できます。それはもはや悟りの境地でしょう。
    また、「個」を超越した「いのち」とは、つまり「無」になることは「無用」ではなく、現世の者を生かす意味で「連面」であると解釈しています。
    きのう、特攻隊員の精神は「神道と武士道+仏教の融合体」であると申し上げたのは以上の考察からです。

    『きけわだつみのこえ』和田稔さん、回転特攻隊員(訓練中の事故で殉職、23才)
    彼の手紙の一節より、
    「中略~お母さんの子が一度戦争に出て、そしてそこに敵撃滅の大きな鍵を私の小さな命であがなえることを知った時、やっぱり、その時は、私だって、お母さんの子としてよりも、祖国の子としての自分を顧みるようになるのです。」
    「吾人の死は、吾人みずからよりせば、鴻毛に等しきものたること、論を待たず。しかれど、その死の一般より見らるるや、そはすべからく千斤の重みあらしむべし。」

    和田氏の手紙には、「人として本能的な生への希求、家族への思慕」と「特攻隊員になることの絶対死」との深淵な葛藤が書き綴られています。読むだけでこちらの魂が揺さぶられます。来週、靖国神社に参拝に参ります。

    >現代のわたしたちは遺書・辞世などから「個」としての特攻隊員を捉え、当の特攻隊員は「個」を超越した「何か」を見ていたのか、この乖離はいかんとも埋めがたいと思っています。

    そうですね、畏敬の念しかありません。「個」が超越しなければいけない時代があったことを忘れてはいけませんね。

  2. 【3339460】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 03月 26日 14:40

    紙つぶて様

    死生観のお話を読んでいて鼻の奥がツンとなってしまいました。


    特攻は無駄死だ犠牲者だと捉える人が多いですが、私はそのようには思いません。
    あの負け戦の中で、特攻前の生と死のギリギリの極限状態で、己の公の感情と私の感情との、それは苦しい感情のせめぎ合いがあったと思います。
    それを実は怯えていたとか嫌々だったとか、無責任に英霊の方々の精神を切り離すような様な浅はかなことを言っている人もいることを、本当に悔しく思います。
    彼らは特攻の負の部分を強調して、なんとかその価値を下げようと企んでいるとしか思えません。
    私は特攻隊員たちが桜花にしろ回天にしろ震洋にしろ、これらに乗って敵戦艦に突入するとき、死の直面までにいたる彼らの精神の葛藤を思うと素直に拝みたくなる気持ちです。

    話がそれてしまいますが(最初からそれていますね 汗 )
    私は妻であり母でもありますから、当時の特攻隊員たちの残した母や妻宛の遺書を見ていて心が震えてしまいます。
    遺書には家族に、特攻は犠牲者だと思わせない意味もあるのだと思います。
    そうでないと残された家族が救われないからです。
    自分の思う使命を果たして魂は靖国に帰ってきているのだと、その思いを共有することで、英霊も浮かばれますし家族も救われます。

  3. 【3339493】 投稿者: 天皇陛下  (ID:FR93uvJPhXM) 投稿日時:2014年 03月 26日 15:22

    >あの負け戦の中で、特攻前の生と死のギリギリの極限状態で、己の公の感情と私の感情との、それは苦しい感情のせめぎ合いがあったと思います。


    いまとなっては笑い話である。

  4. 【3339726】 投稿者: 紙つぶて  (ID:atG0PLG8SJU) 投稿日時:2014年 03月 26日 19:19

    ひまわりさん、

    >遺書には家族に、特攻は犠牲者だと思わせない意味もあるのだと思います。
    そうでないと残された家族が救われないからです。
    自分の思う使命を果たして魂は靖国に帰ってきているのだと、その思いを共有することで、英霊も浮かばれますし家族も救われます。

    そうなのです、遺書や手紙には家族、特に母親が嘆き悲しまないように精一杯の文言があります。
    また、彼ら全てが、死後に神となり靖国に祀られることを信じていたわけではないのです。死後はどうなるのか?の問答が隊員同士で交わされ、「何もかも無になる」と言った隊員もいます。当然ですよね、死後は靖国に祀られる神になると諭されても、神になりたいから特攻隊員になる人などいませんもの。
    戦争で命を散らした人たちを、遺族の方々や私たちが靖国神社に参拝し、各々が戦争について熟慮し内省することに大義があるのです。

    取り急ぎでした。

  5. 【3339752】 投稿者: 紙つぶて  (ID:Y8FI.YUTj3Y) 投稿日時:2014年 03月 26日 19:45

    >現状はいまだ政治史中心だが、いずれ他分野でも活発化してこよう。史料批判の訓練を経た専門家らの今後の実証的研究の進展が待たれる。

    現実的に仕事率を論ずる立場に立てば、特攻攻撃は最低だと断じることができます。
    しかし、死生観を論じようとすると、当事者がお亡くなりなった今では史実だけで実証できかねる分野になります。
    イタコでも呼びましょうか。これはもちろん冗談ですが、私たち各々が心の片隅に置き、問いかけ続けることに意味があることと、感じる次第です。

  6. 【3339838】 投稿者: 冷静にかんがえると  (ID:zyzROOF2Cwg) 投稿日時:2014年 03月 26日 21:19

    二俣川 さん

    レスありがとうございます。

    一定の価値観、「物語」からは常に自由な「観察者」でありたい、と心がけてはいるものの、一方で感情移入してしまう自分に気付かされることがあります。物事を相対的に捉える、ポストモダン的思考とでもいいましょうか、こういった自己嫌悪から実証主義的な手法(フィールドワーク的)により価値を見出そうと、例えば特攻隊員の遺書・辞世の句などにあたり、殊更、意味付けを施してみるということ、個別の事象を一般化して捉えてしまう、ご指摘の通りわたしの悪い癖であると自覚しております。

    ただひとつ言い訳らしきものをさせて頂ければ、前回の書き込みの最後の部分、『「個」を超越した『何か』」の「何か」に本来「いのち」の文言が入るべきところ、これを絶対的価値観として認めてしまってよいのだろうか、という(今でも)自問自答が続いていることはご理解いただければ、と思います。

    これは紙つぶてさん、ひまわりさん宛でもあるのですが、、実は生命を絶つという究極の選択を「正当化する」価値観というものは、完全無欠の絶対的価値観でなければならない、という問題意識がわたし自身の中に常にあります。

    例えば「いのち」というものをいわゆる「自然崇拝(アニミズム)」の一態様として捉えた場合、神道は単なる先祖崇拝的宗教としての意味しか見出せなくなるのではないか。このことは宗教の起源を「自然崇拝」に求めたマックス・ミュラー(後の学問領域としての「宗教学」において)、あるいはエドワード・タイラーになる文化人類学の「宗教起源論としてのアニミズム」。これらで用いられる概念と神道におけるそれとの類似性の評価に絶対的相違を見出せなければ、「日本古来の」あるいは「大和魂」とかいった文言は単なる形而学上の排他的コード以外の意味しか持ち得ないのではないか。

    もうひとつ、仏教を結びつけることに対する違和感、例えば北条執権時の「怨親平等」(ここで靖国神社についてまでは言及しませんが)の概念を、特攻隊の行動の中にどう消化させるか(武士道の面からも)。

    もっとも統一された絶対的価値観などあろうはずがない、といった見方も出来るわけで、このことが二俣川さんの指摘される「軍国教育(における人為的価値観)」の介在を認めざるを得ない根拠になろうかとも思えます。

    あ、また一般化して語ってしまった、、個別の価値観こそ重視するべきで、そうなると特攻隊員の「死生観」も、実は各々の「物語」として謙虚に向き合う、
    こういった姿勢が肝要なのかな、、と自戒を込めて結びたいと思います

  7. 【3340286】 投稿者: 紙つぶて  (ID:XgCxZHToSsU) 投稿日時:2014年 03月 27日 09:56

    冷静に考えるとさん、

    >実は生命を絶つという究極の選択を「正当化する」価値観というものは、完全無欠の絶対的価値観でなければならない、という問題意識がわたし自身の中に常にあります。

    私は、「絶対的価値観」の存在の悲観的な否定派です。「絶対的価値観」であるなら、普遍的な客観性の論証を必要とすると考えるからです。完全無欠も付加するとなると尚更、実存するのは困難かと。ですから、冷静に考えるとさんは、「自ら生命を絶つ」ことは許容しないお立場にあると理解しています。

    >例えば「いのち」というものをいわゆる「自然崇拝(アニミズム)」の一態様として捉えた場合、神道は単なる先祖崇拝的宗教としての意味しか見出せなくなるのではないか。 

    「いのち」の概念に立てば、神道は先祖崇拝に傾注すると結論づけるのはやや強引かなと思いますが、まだ理解できていない概念もありますから、もう少し関連書籍を読むことを続けますね。

    >このことは宗教の起源を「自然崇拝」に求めたマックス・ミュラー(後の学問領域としての「宗教学」において)、あるいはエドワード・タイラーになる文化人類学の「宗教起源論としてのアニミズム」。これらで用いられる概念と神道におけるそれとの類似性の評価に絶対的相違を見出せなければ、「日本古来の」あるいは「大和魂」とかいった文言は単なる形而学上の排他的コード以外の意味しか持ち得ないのではないか。

    この点も、現代日本思想大系シリーズの柳田國男編を読んでみようと思います。

    >もうひとつ、仏教を結びつけることに対する違和感、例えば北条執権時の「怨親平等」(ここで靖国神社についてまでは言及しませんが)の概念を、特攻隊の行動の中にどう消化させるか(武士道の面からも)。

    う~ん、ここは強く語りたいところです。わだつみの中で、生と死の葛藤にあったある隊員が「仏教による諦念」の言葉を使用しています。近現代における日本人の精神構造に影響を与えた宗教概念に、儒教─封建的な制度の基礎を成す(年長者尊敬、男尊女卑、家長制度など)、神道─天皇崇拝、自然崇拝、先祖崇拝など、武士道─忠君愛国など主君への忠義、また礼節など、仏教─正維八正道(漢字あってるかしら?)の正しい心のあり方、「諦観」などが考えられます。
    仏教は武士も信仰しましたが、仏教は殺生を禁じていますから、実行可能な仏教通念を取り入れました。そもそも、仏教は現世の苦しみからの解脱方法が説法となったものですから、上記の書きました「諦観」が、特攻隊員の死への恐怖心の緩和法として精神を支配したのだと考えています。
    その意味では、二俣川さんのおっしゃる「軍国教育とあきらめ」が、学徒兵を死に至らしめたと考えることも可能になりますね。

    今日は一日中忙しく、乱暴な書き散らしになりましたが、ご容赦をお願いします。

  8. 【3341138】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 03月 27日 23:50

    お二方ともありがとう。
    参考になった。

    私事だが、昨日一泊ながら家族で日光に行ってきた。
    小学校の修学旅行以来、3度目である。
    さすがに世界遺産であるだけに、言い知れぬ厳かな印象を受けた。
    とくにあの杉木立が良かった。

    その帰りに学生時代の友人らと会食したところ、その一人は日光オタクであるそうな。
    年に10回近くは訪れるという。自分のパワースポットと感じているらしい。
    たしかに、あの空間には生命力のような空気が漂っている。

    年を経るに従い、同一書籍でも解釈や感動が異なってくるもの。
    あるいは、土地や場所も同様かもしれぬ。
    伝統の重み、またそれを改革するときの壁の厚さを感じた次第。

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