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【3116105】女性宮家創設へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3136821】 投稿者: 赤い彗星  (ID:qJQftCwssyg) 投稿日時:2013年 10月 06日 16:04

    生きてたのか。

    w

  2. 【3136822】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 10月 06日 16:04

    憲法基本原理と天皇

    >天皇擁護派がこぞって昭和天皇の戦争責任について沈黙したままなのはどうしたことか。不都合な真実にはだんまりか。この点を清算せずにいかにして国民統合の象徴として国民が選んだなどと(たとえ擬制であっても)言えるのか全く理解できない。ここで戦争責任というのは、東京裁判で問われた類の戦争責任ではなく、我が国国民に対する敗戦の責任である。少なくとも、昭和20年2月の近衛敗戦上奏文に対し積極的に戦争継続するためこれを退けたことの責任は重い。ここで容れていれば沖縄決戦、原爆被爆で多くの国民が死ぬことはなかったのである。この点を自ら清算することもできような者をどうして「国民統合」の象徴と思えるのか。私には理解の外である。


    いまさらで申し訳ないのですが、戦争責任について、どうしても気になります。
    近衛の上奏文を、昭和天皇のお立場として「聞き入れる聞き入れない」ということが可能であったとお考えでしょうか?
    昭和天皇は立憲君主でありました。
    天皇は国政に直接介入できないシステムだったのではないですか?
    昭和天皇が憲法を逸脱して、ご判断を示されたのは2.26事件と終戦時の2回しかありません。
    あなたがおっしゃる事は、「天皇が憲法を無視してもよかった」とおっしゃるのと同じことだと思います。

    「敗戦の責任」は天皇が負うものではないと思います。
    この責任は軍担当や外交交渉の担当者が負うべきものではないでしょうか?
    責任があるのであれば、ただ一つ。
    昭和天皇ご自身による、良心の、お心の責任です。
    この責任は、未曾有の敗戦を迎えた天皇として、一生背負われておられました。
    私は、昭和天皇の戦後の全国ご巡幸や、沖縄への思い、戦没者の方々への思いを知るにつけ、そう考えてしまいます。

  3. 【3136826】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 10月 06日 16:06

    >生きてたのか。


    はい、おかげさまで(笑)

  4. 【3136977】 投稿者: 二俣川  (ID:dvGf9cjemWw) 投稿日時:2013年 10月 06日 19:05

    >ただし、残念ながら今の自衛隊は「暴力装置」として不完全ではありますが。


    横から申し訳ない。
    「不完全」とは?

    もと自衛隊幹部が書いた本(立ち読み)に、
    学生運動盛んだった1970年前後に自衛隊内で治安出動の準備がなされていたとあった。
    この人物は、市ヶ谷で割腹自殺した三島由紀夫の信奉者である。

    60年安保のときには、国会を取り囲んだデモ隊に恐懼した戦犯・岸信介が自衛隊に治安出動を命じる直前だったことは有名(ハト派の赤城宗徳農相らの猛反対で断念)だ。
    しかし、実際にはその10年後の70年安保も危うかったことになる(ときの総理は、岸の弟の佐藤栄作。悪の血脈だ)。

    戦後の自衛隊は一発の銃弾も撃たないことで、国民からの信頼を勝ち得てきた。
    もし60年あるいは70年のときに権力側の暴力装置として自衛隊が国民に銃を向けるような悪夢出来ならば、
    今日のような自衛隊に対する国民からの支持など期待すべくもなかったことであろう。

  5. 【3136992】 投稿者: 二俣川  (ID:dvGf9cjemWw) 投稿日時:2013年 10月 06日 19:17

    >昭和天皇が憲法を逸脱して、ご判断を示されたのは2.26事件と終戦時の2回しかありません。


    違うね。
    レイテ沖作戦や沖縄方面作戦で、積極的に作戦上の所見を開陳している(『昭和天皇独白録』)。
    連合国と少しでも有利な条件で講和するため、裕仁が『一撃講和論』に与していたことは明らかだ。
    その真意は、保身である。

    日本の敗戦は、1944年時点で明白だった。
    敗戦が1年遅れ、これにより生じた東京大空襲や原爆投下、沖縄や特攻隊などの悲劇の根源は、
    この一撃講和論にすがった当時の天皇や軍部・官僚らの保身・無能である。

  6. 【3136999】 投稿者: なんで  (ID:l8ySmgUty4M) 投稿日時:2013年 10月 06日 19:25

    >東京大空襲や原爆投下、沖縄や特攻隊などの悲劇の根源

    これは、アメリカの作戦、あえていえば、戦争責任じゃないのー?(戦勝国だから、謝っていないってだけで。) 日本のせいなの?
    今、シリアの化学兵器の使用責任の追及が問題になっているけど、「そんなこと言えば、そもそもアメリカにそんなこと言える権利はあるのか」って、原爆までさかのぼる議論もあるけどねー。これは、ベトナム戦争の枯れ葉剤作戦の時にもあった議論だけれどもねー。

  7. 【3137002】 投稿者: なんで  (ID:l8ySmgUty4M) 投稿日時:2013年 10月 06日 19:30

    連投、申し訳ないですが。
    わたしは、1945年には、日本がどうでようがアメリカは何が何でも原爆を落としたと思う。彼らが見ていたのは、もはや日本ではなく、スターリンだったからだ。

  8. 【3137039】 投稿者: 二俣川  (ID:dvGf9cjemWw) 投稿日時:2013年 10月 06日 20:15

    >わたしは、1945年には、日本がどうでようがアメリカは何が何でも原爆を落としたと思う。彼らが見ていたのは、もはや日本ではなく、スターリンだったからだ。


    あなたの推測ではね。
    しかし、1944年時点で日本が中立国を通じて敗戦に関わる働きかけをすれば、戦争は終結した可能性が高い。
    しかも、その時点で米国の原爆はいまだ完成していなかった。

    太平洋戦争に関わる戦死者・戦病死者の多くは、敗戦前1年間に急増している。
    中国戦線でも、この当時の日本軍兵士の多くは現地(再)召集兵であったのに対し、英米の援助でもって中国軍の装備は整ってきていた。
    実際に、この時期密かに中国に渡り関東軍の状況を視察した大本営の武藤は、その後の天皇に対する報告で、関東軍兵士の士気の乏しさ、軍紀の乱れ、装備の貧弱さなどを正直に述べている。
    それに対し天皇は、精強の関東軍にしてそれか、と大いに嘆いたという。この時期、連合国の上陸が予想された九州の防備すらままならない陸軍に対しても、裕仁は激怒している。

    ポツダム宣言受諾の1年前に、すでに日本の命運は決していた。
    それでも、日帝支配層は狂信的皇国史観でもって国民を欺き、無駄死にを強いていたのだ。

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