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【3515619】「女性宮家創設」へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 09月 09日 20:14

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3547869】 投稿者: 二俣川  (ID:bSlWQZ4.WWo) 投稿日時:2014年 10月 12日 03:13

    大統領制と言えば韓国しか思いつかぬ低能。

    そんなやり切れぬときには、中国歌謡の名曲『最後一夜tuiho iiye』で安らぎを得る。
    私が初めて聞いて20有余年になる。

    しかし、この曲のメロディーはささくれ立った気持ちを癒す。
    諸賢にもぜひお勧めしたい(動画にあり)。

  2. 【3547870】 投稿者: 二俣川  (ID:bSlWQZ4.WWo) 投稿日時:2014年 10月 12日 03:23

    中国人歌手なら、これもお馴染み『張學友zhang syueyou』だ。
    彼も動画にたくさんある。

  3. 【3547882】 投稿者: 自由  (ID:K17jCK37zAk) 投稿日時:2014年 10月 12日 05:58

    二俣川君

    ごまかさないで、君の得意の我流憲法論からして、

    韓国政府の産経前支局長の在宅起訴

    をどう評価するのかね?

    大好きな韓国だから、産経が悪いで終わりか?笑
    しかし・・それでは、君の態度は百田尚樹氏と変わるまい。

  4. 【3547935】 投稿者: いつものこと  (ID:3w7ftUWJuHM) 投稿日時:2014年 10月 12日 08:42

    冷静にかんがえるとさん

    >「民族」の帰属意識、アイデンティティの基準があるなら、なにを信仰しているか、すなわちその民族がもつ「宗教(性)」が重要な要素ではないかと思う。厳密には○○教ということではなく、それを基礎にした伝統、儀礼、習慣などを含むその「民族」固有の宗教文化の様式とでもいうべきか。

    おっしゃる通りですね。僕は、宗教文化、には神話の共有(狭義の神話そのものと、根拠を問うことなく真実と信じられていること、という広義の神話を含みます)を含むものと考え、日本の神話を調べていました。

    >宗教儀礼としては、出雲の国造家は大国主神を奉祀摺る天穂日命の「神霊」を継承する「神火相続(おひつぎ)」、天皇家の「日継ぎ」である大嘗祭というように仮に出雲、大和の民族性に相違点を見出すとしたら、このような様式の差異ではないかと思う。これが大和、出雲の人々の帰属意識、すなわち「現人神」の概念にも通じるのではないか。いつものことさんがおっしゃっている「対抗意識」がこの点に集約されそうである。

    僕はやはり八束水臣津野命の国引きの神話等に注目します。国引き前の出雲が伊邪那美・伊邪那岐によって作られたものであるかどうか、出雲国風土記には書いていないので、記紀神話と対立するとは言い切れませんが、出雲周辺の少なからぬ人間は、自分の生きる地の造りが伊邪那岐・伊邪那美の国生み神話とは異なるという伝承の中を生きてきたわけなので。

    脱線しますが、八束水臣津野命はでいだらぼっち、もののけ姫の世界なんですね。もののけ姫の部隊はタタラ場でもわかる通り出雲。彼が政治的な反体制志向を持っていることは明らかですが、その志向から、作品の中で中央政権の神話とは異なる出雲に注目したのはよくわかります。トトロ・千と千尋・もののけ姫等に現れるアニミズムへの傾倒も同様に感じます。

    出雲の抵抗心の話に戻すと、出雲のみが中央によって廃止された国造という官職名を残し、出雲大社本殿には皇室も入れないとしていることも、中央からの独立性を主張していることの現われのようにも感じます。後者については、今回の婚礼が、大国主の怨恨を覚ますのではないかと心配した年配の方もいたそうだ、ということが友人から聞こえてきました。

    なお、冷静にかんがえるとさんは、大和政権は征服-被征服の関係というより緩やかな連合体であるという解釈から「対抗」と表現されたものと思いますが、僕は全てではないとしても、かなり激しい抗争を経ての征服-被征服という関係が存在したように思います。記紀もそれを示しているのではないかと思います。その立場から「対抗」でなく「抵抗」を使っています。

    >余談となるが、自由さんが「国家の介入」とおっしゃったことは、わたしも本質をついているなと感じる。天皇の元首化それ自体が実は問題ではなく、自民党の憲法改正案(24年決定)の前文、「日本は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって・・」、この「長い歴史と固有の文化」と「象徴である天皇」を結びつけているところに上記で述べた「宗教文化の様式」に対する国家の介入が見出せるのではないか、ということ。そこに「民族の統合」への強制性がみられることが、元首云々よりも重要なことではないかと思う。

    これも同感です。前にも書いた通り、現在象徴天皇制の正当性を捉えるためには、国民の総意で国民統合の象徴として天皇を認めるということの意味を掘り下げるしかないと思っていますが、個々の国民の側から長い歴史ゆえに天皇を象徴として認めるという契機にはなんら問題を感じないものの、歴史故に象徴天皇と国の側から強制するのはおなしな話になると感じます。「国民統合」ということについても、よくわかっていませんが。

  5. 【3547959】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 10月 12日 09:20

    おはようございます。

    いつものこと様。

    >民族を分ける境界線は何か?と疑問を投げておかれながら、アイヌという民族は現在存在しないといわれるのは矛盾していると思います。そう言われるなら民族を分ける基準を示されるべきだと思いますし、

    私のほうがアイヌ民族の定義や基準を教えてほしいですね、定義や基準がわからないのであれば民族ではないと思います。
    民族とは少なくとも文化や歴史、宗教や言語を共通する要素をもった社会集団ではないでしょうか?であるなら、彼らはアイヌ系日本人です。

    アイヌの協会というのがあって(現在は別名)、この協会での定義はアイヌの血の一滴でもあれば、それがアイヌ人であり協会に加入できるとのだといっています。
    協会側からの要求は、
    過去の日本のアイヌ政策の謝罪と反省
    アイヌ人の権利回復
    アイヌ語を公用語とする
    アイヌ視点での教科書を作成する
    などなど。

    彼らの半分以上の血は和人の血ではなかったのか?
    人工的に民族対立を作っているとしか思えません。これは悪意のある差別を生み出してしまう悪循環となってしまいかねないのではないでしょうか?アイヌ系の人たちが受けていた差別解消には決して繋がらないと思います。


    >僕は民族の本質は帰属意識、アイデンティティだと思うので

    民族と一緒にするのはおかしいと思いますが、
    私は生まれも育ちも京都人。帰属意識は死ぬまで京都に有り続けると思っています。
    しかし、子や孫(まだ孫はいませんが)のアイデンティティは京都ではないのです。
    子孫が京都人であり続けるなら、今の土地に独自に京都人のみのコミュニティをつくってそこで暮らさないと無理です。

  6. 【3548009】 投稿者: ことの素  (ID:rHTSIfLGiPY) 投稿日時:2014年 10月 12日 10:31

    >民族は少なくとも文化や歴史、宗教や言語を共通する要素をもった社会的集団ではないでしょうか?

    確かに、民族の定義に沿えば、アイヌ民族ではなく、アイヌ系日本人になるかもですね。
    ボクが北海道で、お世話になったアイヌの方は、少なくとも和人との混血がないようでしたし
    ルーツをたどれば 北方系の混血があったかわかりませんが、ひまわりさんが想像しているような?
    アイヌ人(民族)そのものでしたよ。
     
    本人はアイヌ人だ! というわけでもなく、歴史、伝統、文化を大切にしていらっしゃいましたよ。
    そこで、アイヌの文様を何千点も見せて頂きました。

    アイヌ人の定義や基準は 彼女、彼らの 帰属意識の強さと その誇りなんじゃないか?
    と思っています。 

  7. 【3548023】 投稿者: 紙つぶて  (ID:hxbfyzbZgG2) 投稿日時:2014年 10月 12日 11:02

    冷静に考えると さん

    ロマン満ちた話が進んでいますね。
    古代大和民族と出雲民族における大嘗祭、帰属意識、風俗・習慣の差違あるいは同質性を語るにあたり、邪馬台国の存亡を考える必要があると思います。

    ご存知のように卑弥呼の死後から約150年間、邪馬台国に関する記述が中国の史書にありません。一体いかなる過程で後の大和朝廷の成立に至ったのか。邪馬台国が大和地方に存在したのであれば、全国制覇をした邪馬台国が大和朝廷を開いたとみることが妥当です。しかし、九州地方説(出雲地方~九州地方を含む)をとれば、卑弥呼の後継者たちが大和地方(近畿地方)を征服したことになります。はたまた、後の大和朝廷となる大和勢力に邪馬台国勢力が鎮圧、征服された可能性もあるわけです。

    『記紀』の記述に政治的意図があったであろうことは必然的でしょう。今後の研究により、邪馬台国と大和政権の征服か被征服関係が解明されたなら、「対抗意識」の内容がさらに明らかになるでしょう。 地方の伝承や記録と古代から現代までの事象を対照しながら喧々諤々することも一興ですね。
    冷静にかんがえるとさんの「大和政権は征服-被征服の関係というより緩やかな連合体である」説なのか、いつものことさんの「かなり激しい抗争を経ての征服-被征服という関係が存在した」説なのか、私も非常に興味があるところです。

    卑弥呼の死後、邪馬台国の空白の150年の資料の発見、発掘が待たれます。

  8. 【3548119】 投稿者: いつものこと  (ID:ggB38Upsm5.) 投稿日時:2014年 10月 12日 14:03

    ひまわりさん

    >私のほうがアイヌ民族の定義や基準を教えてほしいですね、定義や基準がわからないのであれば民族ではないと思います。
    民族とは少なくとも文化や歴史、宗教や言語を共通する要素をもった社会集団ではないでしょうか?であるなら、彼らはアイヌ系日本人です。

    申し訳ありませんが論点がよくわかりません。民族とは少なくとも文化や歴史、宗教や言語を共通する要素をもった社会集団というのは民族の定義であり、一方

    >アイヌの協会というのがあって(現在は別名)、この協会での定義はアイヌの血の一滴でもあれば、それがアイヌ人であり協会に加入できるとのだといっています。

    も定義ですよね。だったらどちらの定義が妥当なのか、受け入れられるのかという話であって、自分で定義をはっきりしろ、でなければ民族とは認めない、というような高飛車な話を持ち出す必要はないではないですか。

    しかし、またおかしな話があって、ひまわりさんの定義によれば、アイヌが文化や歴史、宗教や言語を共通する要素をもった社会集団であるかどうかが問題であるはずですよね。だったら、ひまわりさんがおっしゃる、和人の血が流れているかどうかは関係ないのではないですか?。

    僕はアイヌ民族というものにアイデンティティを感じる人の集団があれば(勿論数人でも民族だというような荒唐無稽なことを言うつもりはありません)、それは民族だと思います。ひまわりさんはご自身の定義で言えばアイヌは民族ではないと考えられていると受け取りましたが、少なくとも文化・歴史・言語は共有している人たちが自らをアイヌ民族と同一化しているのだと思うのですが。これをどうして否定できるのか、全く理解できません。

    もしアイヌの血を一滴でも引いていればアイヌ協会に強制的に加入させられ、アイヌ民族になってしまう、という風な話ならおかしいですが、自ら加入することが前提ですよね?。

    >協会側からの要求は、
    過去の日本のアイヌ政策の謝罪と反省
    アイヌ人の権利回復
    アイヌ語を公用語とする
    アイヌ視点での教科書を作成する
    などなど。

    結局、ひまわりさんが問題にされているのはこういう政治的行動の是非ではないのですか?。確かに、これを批判されるのは理解できます。批判するとしても、こういう要求が出てくる背景に抑圧があったことには意を尽くす必要があると思いますが。

    しかし、アイヌ民族を自認する人が皆この協会に入ってこの政治行動を支援しているわけではないですよね?。この行動を批判するために、アイヌ民族の存在そのものを否定する必要がどこにあるというのでしょうか。民族の存在そのものを否定されるということは、内心の問題としてアイヌ民族にアイデンティティを感じることすら否定されるということですよ。逆に大きな対立をあおるだけではありませんか?。

    >しかし、子や孫(まだ孫はいませんが)のアイデンティティは京都ではないのです。
    子孫が京都人であり続けるなら、今の土地に独自に京都人のみのコミュニティをつくってそこで暮らさないと無理です。

    お子さんが内心の問題として京都にアイデンティティを感じるも感じないも自由でしょう。お子さんのアイデンティティをなぜあなたが決められるのですか?

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