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【3871615】歴史はロマン

投稿者: ひまわり   (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59

古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。

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  1. 【4024095】 投稿者: ひまわり  (ID:X6ul3.iABMU) 投稿日時:2016年 03月 04日 18:07

    こんにちは、携帯からです。

    >物部守屋はなぜか小姉君の子、穴穂部皇子を擁立する。(冷静にかんがえると様)


    もしかして崇峻天皇とは同母兄弟ではないのかもしれませんね。同母兄弟と伝わる中で、穴穂部皇子・穴穂部間人皇女、そして1人だけ泊瀬部皇子ですもんね。
    石上に穴穂部宮がある事から関連して穴穂部宮皇子と穴穂部間人皇女は物部系、つまり冷静にかんがえると様が仰る通り小姉君の母は物部氏なのかもしれません。
    穴穂部宮が石上にあるからといって、それが即物部に繋がるのかは勉強不足でわからないのですが、ヤタロ―様がこの辺りにお詳しいかもしれませんね。
    そうそう、石上が付く神社は多いのでしょうか?
    岡山に石上神社がありますから。


    紙つぶて様、ご無沙汰です。
    今年のお雛様は時間がなかったので、ダンボールに赤毛氈をかけてお内裏様お雛様だけの一段飾りにしました。
    今年は飾るのを止めるつもりでしたが、かわいそうなので、やっばり出してあげて、、
    へへへ、、お雛様、怖いので子供時分からちょっと苦手なんですけどね。
    だからどうした話ですみません。

  2. 【4024098】 投稿者: 自由  (ID:ILGNBMtsou.) 投稿日時:2016年 03月 04日 18:10

    二俣川


    >>我々の日本は働くことを尊ぶ国である。

    >そうかね。
    その根拠は何か。
    西欧ならばキリスト教(新教)の影響で説明可能だが。



    じゃあ、説明してみろよ。
    マックスウエーバーの主張について。

    背伸びしてもすぐバレる。


  3. 【4024119】 投稿者: 自由  (ID:ILGNBMtsou.) 投稿日時:2016年 03月 04日 18:33

    >投稿者: 二俣川(ID:FdDMWynQZtA)
    投稿日時: 16年 03月 04日 09:08
    ヤタロー爺。
    おはよう。
    さすがに高齢者は早寝早起きだ。





    つ〜か、

    9時過ぎまで寝ていたとは、
    呆れた生活保護爺さんである 笑

    働かない二俣川に血税を使う必要無し。

  4. 【4024161】 投稿者: ヤタロー  (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 03月 04日 19:19

    神武東征の初期段階、日向美々津を出港して、宇佐、その後北九州遠賀川流域
    岡水門に入っている饒速日命の後追いで東征したことになる。
    日本書紀では塩土老翁が東に素晴らしい国があるからそこに行って都を作りたいと言って東征がスタート、塩土老翁は同じ天津族の饒速日命が乗り込んだ大和の事を知っていたことになる。塩土老翁は住吉大社(住吉大神)と言われている。

    岡水門、11月9日、磐余彦尊は筑紫の国の岡水門に着いた。岡水門は遠賀川の河口にある。瀬戸内海を東に向かって東征する際に、難所の関門海峡を通り、わざわざ岡水門に立ち寄っているのは、饒速日命に従って既に大和に行っている物部一族から、大和の情報を集めるためであった。 新撰姓氏録の中に、未定雑姓の分類で「神饒速日命、天降りましし時の従者」として3氏族がある。二田物部、嶋渡物部、坂戸物部である。二田物部があり、嶋渡物部は嶋戸物部であり、物部の出身地が遠賀川周辺であることが分かる。「大いなる邪馬台国」、鳥越憲三郎、講談社を参照した。

    神武東征の際、まず宇佐には入り、その後遠賀川流域、岡水門に入っているが
    (神功皇后滞在、岡田宮)岡水門は、物部3氏族の勢力地帯らしい。

    神武東征の際、日向から従った大伴氏祖、中臣氏祖、大伴氏は大王直属の親衛隊
    中臣氏は祭事、そして物部氏は国軍指揮、このような色分けになる。
    冷静にかんがえるとさん指摘の、筑紫物部の半島出兵はこのような色分けによるのではないだろうか。
    いずれにしても、饒速日命を祖とする物部氏が国軍を指揮したのは間違いない事である。

  5. 【4024184】 投稿者: ヤタロー  (ID:CTb2civ7ctE) 投稿日時:2016年 03月 04日 19:42

    ひまわりさん
    岡山の石上神社は石上布都魂神社のだと思うが、布都魂(フツミタマ)とは
    八岐大蛇を成敗した時の剣(十握剣)の事らしい。布都魂が御祭神、これが
    大和石上神宮に移ったらしい。(石上神宮社殿)
    布都魂(十握剣)で、出雲八岐大蛇を退治してその中から出てきたのが
    三種の神器、草薙の剣である。素戔男尊が使った十握剣(布都魂)が御祭神になっているが剣のその後の行き先、十握剣が石上神宮(物部系)、草薙の剣が熱田神宮
    (尾張氏物部系)を考えると、物部氏祖の饒速日命が使って、出雲に国譲りさせたのではないかと思えてならない。
    石見物部神社と、吉備石上布都魂神社から、出雲を挟みうちにし、出雲を監視したのではないか?百済より貢がれた七支刀、日本を代表する剣、刀を全て
    物部氏が管理、大王家の国軍、武力を完全に掌握したのは物部氏祖
    饒速日命であったようである。

  6. 【4024200】 投稿者: ひまわり  (ID:Hlm6/Ggkrg.) 投稿日時:2016年 03月 04日 19:59

    >岡山の石上神社は石上布都魂神社のだと思うが(ヤタロー様)

    ワアー!その「布都」って物部のフツ姫(崇峻天皇妃)と関連しているのかな?
    ドキドキ。

    ヤタロー様、ありがとうございました。

  7. 【4024228】 投稿者: 二俣川  (ID:4T2iQroHYbw) 投稿日時:2016年 03月 04日 20:27

    >9時過ぎまで寝ていたとは、
    呆れた生活保護爺さんである 笑

    徹夜で本を読んでいた。
    古い本だが、平野義太郎『マルクス主義法学入門』である。
    この先生は本当に凄い。

    そこで、やはり「法」が経済の上部構造である以上、
    『資本論』の理解が不可欠であると改めて感じた。

    わけても第一巻第一部第一章第四節「商品の物神的性格」の部分だ。
    マルクスが明快に分析したこの『商品の物神的性格(der Fetischcharakter der Ware)』こそ、近代における人間の自己疏外(die menschliche Selbstentfremdung)をもたらす人間的諸関係の虚偽性の原因なのである。

  8. 【4024245】 投稿者: 自由  (ID:gGIvboN7O6M) 投稿日時:2016年 03月 04日 20:40

    ひとりでやってろ。

    暇人


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