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【870545】【大学受験目標】公文式有効利用法の探求

投稿者: なる   (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 03月 09日 13:55

多くの皆様の願いが叶いまして、高学年(高校受験用)の板がついに誕生しました。
「公立高校受験から大学進学を目指す先取りを含めた学習方法」の正統の流れを汲む
分科スレです。 スレ主は「なる」(公文一般父兄・公文算数3年経験)です。


公文式は、高校数学教師公文公の発想から開発された幼児〜高校生を対象とした
学習アプローチです。このスレでは公文式算数・数学を有効活用しながら、
『青チャート』(数研出版)レベルの大学受験数学標準問題の解法パターンの
効率的な習得を目指しつつ、公文国語、公文英語(他外国語)、SRSの学習法の
情報交換を目的とします。


「小学高学年で、中学受験を目指すなら公文は効率の良い算数学習方法ではない。」
しかし将来の大学受験を見据え中学受験算数にとらわれない公文式の利用法や、
中学受験を目指す場合の幼児〜小学中学年。中学合格以降の中学時代などの
大学受験数学基礎期などの学習効率の良さは、一般に認められるようです。


★情報交換の場です。
中学受験をするかしないかは問いません。(幼児・低学年・中高生のご父兄も大歓迎)
公文式高進度者・公文式関係者指導者大歓迎(一般父兄に色々教えてください)
海外の公文経験者大歓迎です。(海外の公文式事情、色々教えてください)
高進度者は情報提供の立場で情報交換を「ただの自慢」は意味も品もありません。
先天的資質「地頭」議論は、不毛です。意味がないのでやめましょう。
中学合格目標なら、中学受験塾の方が効率良いです。議論に値しません。
極端な持論の押しつけや、批判と否定が主の参加はご遠慮下さい。
特に、私立中学受験批判、先取り学習批判はおやめください。
水道方式等他のアプローチを否定する意図はありません。(むしろ肯定的)


★公文式の有効利用のスレですから、公文式批判・公文経験者批判は「厳禁」で
お願いします。批判は完全にスルーします。スレが荒れますし、一般に公文経験者
の方が、公文式批判の内容について詳しいです。

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  1. 【904724】 投稿者: ぼたん雪  (ID:G0ch/a9Ga56) 投稿日時:2008年 04月 17日 12:55

    なるさん、『公文公を読む会』会員のぼたん雪です。 
    ソフィスト伝、読み進めていますよ。うーん、唸ることしきりで、興味深く楽しんでいます。 
    波及して、既読のくもん出版の公文式の本を読み返したり、少し前に書きましたが、教室のカタログで注文した、『公文式の価値1入会説明、及び教室便りより』、『公文式の価値2質疑応答、及び教室便りより』も読みました。
    こちら2冊は、くもん人材開発センター 指導研究教室担当で、東難波3丁目教室・責任者 木全徳裕 先生 が書かれたものです。今まで読んだ公文関係の中で、まだまだ公文初心者の私には、一番親しみやすく、分かりやすい内容で、そうそう!と頷きながら読みました。 
    なるさんはお読みになりましたか? 

    この、木全徳弘さんは、くもん出版から市販で 『だいじょうぶ!「共育」でわが子は必ず伸びる』等、書かれています。 
    私はこちらは読んでいないのですが、多分、公文式の価値を一般市販向けにした内容ではないかな?と思います。 

    ロザン宇治原くん、母子ともにファンです。 
    プレッシャースタディや、平成教育委員会も、彼が出ている時は必ず見ています。
    私の刷り込みのせいか、娘に至っては 「宇治原くんみたいに賢いヒトと結婚する!」そうです。 

    私はといえば、たまに宇治原くんが答えられなくて私が正解だったりすると、「どぅおー、ママも賢いでしょっ!」なんて、ここぞとばかりに娘にアピールするのですよ(笑) 

    あー、宇治原くんが公文、していてほしかったな。彼はしていませんよね?

    そんなの関係ねぇ、だと余り説得力?ないです。 

    宇治原くんは、各科バランスとれていますよね。当たり前なんでしょうが。 
    一時期、東大卒の菊川怜さんがよく出ていましたが、国語なんか、えっ!?という解答していたこと度々で、偏ってるなーの印象を強く受けたことを覚えています。


  2. 【904915】 投稿者: kara  (ID:2A/yhPecuF.) 投稿日時:2008年 04月 17日 16:40

    なるさん、そうですね、インド系の人は計算力は最低限身に付けるもので、しかもアメリカの現在の教育制度では一番おざなりになっている部分なので、特に熱心なのだと思います。
    こちらは中学になると数学の時間に計算機を使っていい事が多いので、益々アメリカ人の計算力が落ちるのだと思います。
    ですが、Prep Schoolと言われる大学進学を前提とした私立高校に入る為の入試は、計算機や定規は厳禁で、普通のアメリカの公的教育を受けてきた生徒には難関となっています。
    矛盾していますよね。結局学校では教えてもらえないスキルを高等教育では必要とされているので、公文が流行るのでしょうね。
    興味深いのが、インド系の人は高校生になっても続けます。続ける過程でいつしか学習しながら他の子供にも教える、という感じになっているのです。実は私もそうで、高校生の時は自分の学習が済んだら小学生〜高校生の質問を受けて採点していました。通っていた教室の指導者は全ての事を把握している方だったので、私が採点したものを必ず素早く確認して、決して手抜きにならないように目を配っていました。
    私も自分の習った事を教えるこいうことでさらに強化でき、とてもいい経験になりました。本来理系の科目が苦手な私ですが、センター試験では(得意の)国語、英語、と共に数学がそれぞれ5点差以内に収まり、バランスの取れたいい結果が出ました。本当は英語で得点を稼ごうと思っていたのに自分で自分の結果に驚きました。
    10年近く通ったので生活の一部と言ってもよく、子供時代の一番の思い出となっています。

  3. 【905312】 投稿者: ぼたん雪  (ID:j9X/u5NKm2k) 投稿日時:2008年 04月 18日 01:03

    kara さんへ:
    ------------------------------------------------はじめまして、小学校2年生の娘がおります。

    Kara様ご自身、また、子供さんのアメリカでの公文のお話、アメリカでの教育事情など、大変興味深く拝見しております。
    以前、テレビ番組でインドでは、掛け算九九は19×19まで、皆暗記させられる、とのことでした。

    >インド系の人は計算力は最低限身に付けるもので、しかもアメリカの現在の教育制度では一番おざなりになっている部分なので、特に熱心なのだと思います。> こちらは中学になると数学の時間に計算機を使っていい事が多いので、益々アメリカ人の計算力が落ちるのだと思います。
    > ですが、Prep
    > Schoolと言われる大学進学を前提とした私立高校に入る為の入試は、計算機や定規は厳禁で、普通のアメリカの公的教育を受けてきた生徒には難関となっています。
    > 矛盾していますよね。結局学校では教えてもらえないスキルを高等教育では必要とされているので、公文が流行るのでしょうね。


    本当に妙な話ですね。しかし、日本においては興味深いです。

    > 興味深いのが、インド系の人は高校生になっても続けます。続ける過程でいつしか学習しながら他の子供にも教える、という感じになっているのです。実は私もそうで、高校生の時は自分の学習が済んだら小学生〜高校生の質問を受けて採点していました。通っていた教室の指導者は全ての事を把握している方だったので、私が採点したものを必ず素早く確認して、決して手抜きにならないように目を配っていました。
    > 私も自分の習った事を教えるこいうことでさらに強化でき、とてもいい経験になりました。本来理系の科目が苦手な私ですが、センター試験では(得意の)国語、英語、と共に数学がそれぞれ5点差以内に収まり、バランスの取れたいい結果が出ました。本当は英語で得点を稼ごうと思っていたのに自分で自分の結果に驚きました。
    > 10年近く通ったので生活の一部と言ってもよく、子供時代の一番の思い出となっています。


    あのー、失礼ですが、kara様ご自身は、大学受験まで公文をされたとのことですが、どういう経過をたどり、最終どのあたりまで、進まれましたか? 
    ちなみに、小学校2年生の娘は、幼稚園年中終わりから、年長、一旦中断し、秋から再開、算数、国語ともにE 、国語はFも近いです。
    英語は小学校入学まででJに入るまえにやめております。



  4. 【905337】 投稿者: なる  (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 04月 18日 02:28

    ぼたん雪 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 『公文式の価値1入会説明、及び教室便りより』
    > 『公文式の価値2質疑応答、及び教室便りより』も読みました。
    > こちら2冊は、くもん人材開発センター 指導研究教室担当で、
    > 東難波3丁目教室・責任者 木全徳裕 先生 が書かれたものです。
    > 今まで読んだ公文関係の中で、まだまだ公文初心者の私には、一番親しみ
    > やすく、分かりやすい内容で、そうそう!と頷きながら読みました。 
    > なるさんはお読みになりましたか? 


    私知りませんでした。是非読もうと思います。
    ぼたん雪さんありがとうございます。


    > 木全徳裕さんは、くもん出版から市販で 『だいじょうぶ!「共育」でわが
    > 子は必ず伸びる』等、書かれています。


    こちらは、出版されて直ぐに読みました。もう7年も前になりますね。
    木全徳裕さんは、指導研究担当で教室責任者でもありますが、現在公文の組織
    内で本を書かれている数少ない方です。大変優秀な先生で、優しく「親」を
    育てることを意図して書かれた本だったと思います。読み返す機会があれば…。


    > あー、宇治原くんが公文、していてほしかったな。彼はしていませんよね?
    > そんなの関係ねぇ、だと余り説得力?ないです。


    宇治原さんは、私も狙って検索かけていたのですが、出てきませんでした。(笑)
    小島よしおさんも、早稲田卒で優秀な方なのですね。知性を活かしたテレビでの
    活躍が今後期待できるかも知れませんね。(そんの関係ない?)(笑)



    kara さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > Prep Schoolと言われる大学進学を前提とした私立高校に入る為の入試は、
    > 計算機や定規は厳禁で、普通のアメリカの公的教育を受けてきた生徒には
    > 難関となっています。矛盾していますよね。


    たしかに変なお話ですが、全員が大学進学をするわけですものね。
    でも、そういった教育の差は「社会の格差」に繋がるかもしれません。


    > 興味深いのが、インド系の人は高校生になっても続けます。続ける過程で
    > いつしか学習しながら他の子供にも教える、という感じになっているのです。
    > 実は私もそうで、高校生の時は自分の学習が済んだら小学生〜高校生の質問
    > を受けて採点していました。


    インドの方は、他の子に教えるのですね。これは違う意味で教育効果が高い
    かも知れませんね。karaさんも、それをなさっていたということも、面白い。
    確かに有名大学の近辺の公文教室には、その有名大学に通う公文出身者が、
    公文教室で○付けと、高進度者指導のバイトをしていたりしますね。
    公文教室でバイトをする、大学生のブログはたくさん発見できます。
    もっと高い時給を取れるバイトがあるにもかかわらず、東大生にもいますから、
    公文のバイトを選んでますから、ある意味「恩返し」的なものか知れませんね。(笑)
    でも、高校生の自分から「教えること」をしているというのは、
    素晴らしい経験ですね。きっと良い勉強になるだろうなと思います。
    またインド系の方がアメリカで、karaさんと同じ経験をしているという
    ことが、何より興味深いですねぇ。公文ではそれが、世界標準なのかも。


    > 国語、英語、と共に数学がそれぞれ5点差以内に収まり、バランスの
    > 取れたいい結果が出ました。10年近く通ったので生活の一部と言って
    > もよく、子供時代の一番の思い出となっています。


    karaさんは、とても優秀な受験生だったのですねぇ。文脈から察するに
    満点にかなり近かったようですね。ご立派!(笑)

  5. 【905364】 投稿者: なる  (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 04月 18日 07:49

    誤(そんの関係ない?)
        ↓
    正(そんなの関係ない?)


    誤 全員が大学進学をするわけですものね。
            ↓
    正 全員が大学進学をするわけでもないですものね。

  6. 【906335】 投稿者: なる(検索職人)  (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 04月 19日 09:58

    公文出身者の公文式でのバイトという事例でも、相性があるようです。
    公文出身の東大学生でも、教室により公文は違うと言ってますね。
    こういった相性が、恐らく教室選びにもあるのかと思います。
    学生のヤル気が感じられなかったのか、指導者の意識が低かったのか。
    同じ視点でも教室により公文像が、異なるのならば、いわんや…。




    バイトやめました。あっさりと。
    4,5時間休むまもなく働きっぱなしで
    自給800ってのもあったし、まぁそれは別にいいんだけども、
    やりがいが感じられなくなりました。
    小さいころからずっと公文に通っていたんですが、
    自分の中の公文と勤務先の公文があまりにも違いすぎました。
    まぁ公文ってのもいろいろだから仕方ないでしょうが・・・。
    行くのが苦痛でしかなかったですしサボりがちでした。
    後は自分いなくても問題ないじゃんというのを
    感じてしまったからですかねぇ。
    行ってもあんまりすることなく早くあがっていいよと言われたり
    今日は人十分だから来なくていいよと言われたり。
    まぁでも別に恨みたっぷりでやめるわけではないですがw
    とりあえず今はテストに専念して
    テスト終わったらバイト探そうかなと思います。
    まぁ9月真ん中から働いたのでだいたい5ヶ月。
    初バイトにしては意外と続いたなと思います。
    とりあえず俺乙ー。


    http://bloGs.yahoo.co.jp/my_aim_todai_007/archive/2007/02/04
    http://bloGs.yahoo.co.jp/my_aim_todai_007/34466441.html

  7. 【906714】 投稿者: なる  (ID:rWbeU3GqEEA) 投稿日時:2008年 04月 19日 20:12

    本日は、特別ゲストを招聘しました。KYさんです。
    ちょっと長めに、語っていただきましょう。
    KYさんは、奈良の進学塾の塾長さんです。プロの視点で、そして、
    公文一般父母の視点で、KUMONを語っていただきます。


    KYさんのプロフィール
    16年間、大手進学塾に勤め、中学生に英語を教える。教科主任、
    校舎長を長年に渡り務める。学年主任として3年間担当した生徒数
    は1,200名以上。教えた生徒の延べ数は途方も無い数字になる。
    また、奈良、畝傍、郡山高校へ進学させた教え子の数は、奈良県の
    塾講師の中でもトップレベルであることは間違いなく、その経験値
    は全国でも有数のものであるといえるであろう。平成18年6月、
    自らが積んできた『経験』を活かし、研鑽してきた『教育技術』を
    実践する場として、奈良県橿原市に『進学塾S』を開く。



    息子の公文


    もう数日で5歳になる息子は毎日「公文式」のプリントで「おべん
    きょう」をしている。なるほど教材を見ると「公文式」というのは
    よく考えられたものだと感心してしまう。ステップの細分化が見事
    で、これならプリントをこなしているだけで力がつくだろうと納得
    をすることしきりだ。しかしながら、これもよく言われていること
    だが、あるところまでは「公文式」でよい。しかしいつまでもこの
    教材を片付けるだけの学習をしていては「よくないこと」も多いだ
    ろうと推察する。弊害も生まれることだろう。


    「公文式」はまちがいなく教室によって先生の力量に大きな差が出
    る。「公文式」で伸びた子と「公文式」で伸びなかった子の差がで
    きる理由の一つは教室間の先生の力量の差であると思う。(もう一
    つの理由は「親の根気」の差のような気がする。家内は毎日あれを
    させるのに大変だろうと思う)力量の高い先生は「公文式」の限界
    や問題点を理解されていることだろう。そういう先生に習うのがよい。
    じっくり取り組ませることや丁寧にやることは「公文式」とは別に
    身につけさせなければならないし、当然「身に着けたこと」よりも
    「やったこと」「こなしたこと」に満足してしまいがちになるだろ
    う。「道のり」よりも「結果」にばかり目が行きやすくもなるはずだ。
    「公文式」は「一点」の強化には強いが、万能の教育システムなど
    ではないのである。


    「公文式」はある一点を集中して強化するので、親や教師はよく見
    ておかないと、子どもはバランスを欠いた成長をしてしまう可能性
    がある。ただ、「公文式」だけで安心、といった考え方さえ持たな
    ければ、素晴らしいプログラムではあると思う。息子は公文へ行っ
    ていなければ、字を書くのはもっと遅かっただろうし、1から100
    までを言えたり、書けたりするのはまだできていなかったろうと思
    う。別に早ければいいというわけではないが、彼は「おべんきょう
    する」ということをすでに知っている。それはよいことだと思う。
    勉強することが身近にある環境というのは早くからあって悪いこと
    は何もない。要は「偏らせない」ことである。


    ところで、私は息子に普段から「お勉強をしっかりやって偉くなれ」
    と言っている。アナクロな言葉であることこの上ないが、「偉くなれ」
    というのはいいフレーズだと思っている。自分の息子である。誰の
    気兼ねなしに好きなことが言えていい。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=76


    成長は突然に訪れる


    私は、先日5歳になったばかりの息子が起きているときには、ほとんど
    家にいてやれない父親である。ついつい不憫になって、昨日も夕方近く
    にファミレスへ二人で行って、お子様カレーだの、アイスクリームを食
    わせてしまった。たかだかファミレスでアイスクリームなのだが、息子
    は大層喜んでいたそうだ。家内が言うにはお父さんと二人で出かけたこ
    とと、夕食のメニューを二人で決められたことがとても嬉しかったらし
    い。なんといっても「男同士」のお出かけと「男同士」の約束である。
    ちなみに二人が決めた夕食のメニューとは「お茶漬け」である。


    普段はほとんど寝顔しか見ることができないので、夜遅く家に帰ると、
    息子の言動を家内に根掘り葉掘り聞き倒したり、「書いたもの」や「描
    いたもの」を全部見せるように言うことが多い。先日見せてもらった公
    文のプリントはこんなだった。↓字ががちゃがちゃしている。(仕方無
    いといえば仕方無いが)ところが、このがちゃがちゃの字が昨日ちょっ
    と字を、もっと小さく丁寧に書くように言うと、急にこんなになってし
    まった。↓


    こんなに激変するなら、もっと早くから言ってやれば綺麗な字が書けた
    のにと言われそうであるが、小さなアドバイスは普段から家内がやって
    くれている。だから、私のアドバイスが彼の字を変えたのはただの「き
    っかけ」である。「成果」が表に出てくるまでの「蓄積」は、既に彼の
    内部に山盛りになっていたのであろう。「成長は突然訪れる」というの
    は、私が生徒に言って聞かす言葉の中ではかなり頻度の高いフレーズだ
    が、まさに息子の字の変化は突然表れた「成長」である。


    実はここからが大切で、このような「変化」の後こそ、よく注意して見
    てやり、この「変化」を継続させるよう指導してやらないと、元に戻っ
    てしまう。私はとりあえずこの字をうんと褒めてやり、「流石は5歳だ
    ね〜すごいね〜!」と褒めたおしておいた。きちんとできたらうんと褒
    めて、いい加減になった出鼻にきちんと注意すれば「よい状態」が維持
    され、それが「固定」されていく。私は息子がプリントをやっている姿
    を見るのがいじらしくて好きなのでやらせていて、やってたらそのうち
    ちょっとは賢くなるだろうというくらいの気持ちで見ている。幼児教育
    というのはそれくらいの気持ちでいるのがいいのだろう。(家内はきっ
    と「男親」は気楽にそんなことをいうのよ、と怒るにちがいない)


    親や指導者は「成果を焦ってはならない」。なかなかそういうわけにも
    いかないのが現実なのだろうが、「成果」が出なくて一番辛い思いをす
    るのは子どもの方である。そこへ親や指導者が追い討ちをかけてはいけ
    ない。「成果」が出るまでに親や指導者が子どものやる気を奪っている
    ことは多いだろう。いつもいつものんびり構えていてもいけないが、
    「追い詰める指導者」にはなってはいけないと思っている。「追い詰め
    ること」こそが指導だと思っている指導者は少なくない。我が塾の先生
    は皆厳しいが、生徒の「やる気」を削がないようにかなりの心配りをし
    ているのがわかる。(ただ、時折成長させるためには、意図的に追い詰
    めてやる必要があるときもあって、そこのところは難しいが。)


    「やる気を引き出す」という言葉があるが、本来子どもが持っている
    「やる気」を削がない指導が大前提だと思う。それもできずに、子ども
    に媚びた、とってつけた褒め言葉や煽てで子どもを動かそうとしてもそ
    んなくらいは子どもは見抜くのだ。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=100


    やらなきゃよかったか?KUMON式(1)


    仕事から帰ると家内がいきなりこう切り出した。「塾の先生として(話を)
    聞いてくれる?」5歳の息子は今日のKUMONでのテストに向けて勉強を頑張
    っていた。息子にとって人生で3回目くらいの「テスト」。「テスト」とい
    うものの意味がぼんやりと分かってきたかどうかという頃である。母子は
    「がんばって100点を取ろうね」とそれは一生懸命に取り組んでいたの
    である。そして今日、KUMONへ行き、配られた問題を見ると、何やらおかしい。
    一度息子がやりかけて難しかったので一旦止めておきましょうとなった問題や、
    やったことのない問題が出ていた。息子はフリーズである。家内もこの日の
    ために頑張ってきたのにショックである。


    「先生、この問題はやりましたか?」と確認すると、先生はさほど大きなこ
    ととも受け止めず、「ええ、やりましたよ」と答え、「でももう何か月も前
    にやって一旦止めたやつですよね」と返すと、そのことに関してはのらりく
    らり。「時間は別にかかってもいいんですよ」「えっでも所要時間を計らな
    ければならないことになってますよね」「ああ、それはそうはなってますけ
    れど…」と万事こんな感じだったという。とにかく息子はテストがまったく
    できなかった。できる問題も、できない問題にパニックとなり、全然できな
    かった。http://kamiesu.jugem.jp/?eid=213



    やらなきゃよかったか?KUMON式(2)
    家内が「先生、この問題はこの子やりましたか?」と聞くと、「ええ、
    やりましたよ」と答え、「それからこれはもう何か月も前にやって一
    旦止めたやつですよね」とさらに確認すると、そのことに関してはの
    らりくらり。あちこちにやっていない問題や遠い昔にやったきりの問
    題がいっぱい。「時間は別にかかってもいいんですよ」「えっでも所
    要時間を計らなければならないことになってますよね」「ああ、それ
    はそうはなってますけれど…」こんな感じだったという。


    テストに向けてああいう勉強をさせておいてください、こういう問題
    が出ますからなどの言葉も先生からは頂いてないという。(大雑把な
    範囲表だけだったそうだ)それは試験範囲を具体的に根掘り葉掘り聞
    かなかった親の過失ではあるまい。先生はきっと息子の学習履歴を
    「はっきりとは」把握していらっしゃらないだろう。KUMONの小さい教
    室で、そんなに生徒はいないだろうに、一人ひとりの生徒のことがあい
    まいでうろ覚えなのである。しかも家内の突っ込みに対しては、その
    場限り、とにかく丸く収めようとする姿勢が感じられる。(話を聞いて、
    私がそういう印象を受けた)「この問題はやってますよ」と先生に言わ
    れても、家内は横で教えながら全部問題を見ているのである。彼女にし
    てみれば、本当にやっているかやっていないかくらいはわかる。愛する
    息子のためなので、家内はしっかりと覚えているのである。先生はどう
    やら息子と家内をずいぶんと軽く見ておられるようだ。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=214


    やらなきゃよかったか?KUMON式(3)
    誤解を恐れずに言えば、私は「人を傷つけることなしに教育はできない」
    と思っている。勉強を一所懸命やっていたり、あるいはやらせていたりす
    ると、本人や親は間違いなく傷つくことがある。どんな素晴らしい先生に
    習っていてもそういうときはある。成長の過程には必ずいくつもの「壁」
    があるからだ。教育のその営みの中で息子が傷つくことがあってもいい。
    しかし子どもの傷ついた心の痛みを知っている先生に見ていただきたいと
    思う。家内と息子を軽く見ている、息子の先生は残念ながらそういう先生
    ではないだろう。


    先生に腹が立った家内は息子に言った。「もうKUMONやめようか?」
    もちろん、たった一回のことにキレて出たセリフではない。先生に対する
    不信感が頭の隅にずっとあったのである。しかし息子はこう答えた。
    「ううん、KUMON行って字も読めるようになったし、算数もできるよ
    うになってきたからやめたくない。」そしてKUMONからの帰り道、
    ぽつりとこう言った。「お母さん、テストできなくてごめんなさい。」
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=215


    やらなきゃよかったか?KUMON式(4)
    家内の名誉のために言っておくと、息子はテストの点数が悪かったから
    KUMONをやめようかと言われたのではないことを知っている。母親が一所懸
    命教えてくれたのにもかかわらず、それに自分が応えられなかったから
    「ごめんなさい」と言ったのである。このシリーズを書いてきて、読んで
    くださってる方々は我が家の教育熱心ぶりに、さすがは塾の先生の家だねと、
    呆れておられる方も少なくないだろう。また、KYは普段偉そうなことを
    言っているくせに自分の子どものこととなると、馬鹿親だね、などと嘲笑さ
    れている方もおられるやもしれない。


    確かに、このエピソードだけを抜き出して、多少の怒りも感じながら書き綴
    ると、過度な教育熱心さと映ることだろう。自分で書いていながら実際の
    我が家の様子とは違っていて違和感を感じるくらいなので、本当のところは
    もっといいかげんな子育てである。しかしながら、私は塾の講師をしていて
    「毎日勉強する習慣」をつけることがどれだけ大変かをよく知っている。
    塾の講師は「毎日勉強する習慣」を子どもが身につけることの大変さを日本
    で一番よく知っている職業人だろう。


    中学生からこの習慣を身につけるのは不可能に近いくらい難しい。相当な心の
    葛藤や痛み、自己嫌悪を伴った末に何とか身につけることができるくらいのも
    のである。「勉強する習慣」は歯磨きの習慣のように小さいうちから叩き込ん
    でおいた方が最終的には楽なのだ。この世には「おべんきょう」というものが
    あって、それは「たいせつなもの」で、「いっしょうけんめい」やらなくては
    いけない。それを私は息子に小さいうちから叩き込んでおきたかったのである。
    勉強の出来はその次でいい。ただ、気楽に「叩き込んでおきたかった」などと
    言うものの、息子の教育の99パーセントほどは家内がやってくれている。
    今回のことで、息子が勉強の大切さを理解していることは息子の言葉を振り返
    ればわかる。


    「ううん、KUMON行って字も読めるようになったし、算数もできるように
    なってきたからやめたくない。」そしてこの言葉は、大好きなママが自分のた
    めに懸命になってくれているのを理解しているからこそ出たのだと思う。
    「お母さん、テストできなくてごめんなさい。」普段しょっちゅうどこかにつ
    まづいたり、寝転がっている私の足の指を踏んだりして、私を閉口させる家内
    であるが本当に彼女に感謝をしなければならない。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=216



    やらなきゃよかったか?KUMON式(5)
    さらに話が逸れて大変恐縮であるが、私のそそっかしい妻は昨日が幼稚園のお
    弁当の日だとすっかり勘ちがいし、息子お気に入りの仮面ライダー電王のお弁
    当箱に弁当を作ってもっていかせた。幼稚園から電話があり、先生から言われ
    て弁当を引き取りに行ったのだが、悪くなってはいけないので自分のお昼ご飯
    にその弁当を食べた。さて夕方になり(その日は延長保育というやつだった)、
    息子を迎えに幼稚園に行き、その帰りしなのこと。「お母さん、僕の電王のお
    弁当は?」「あー、あれ?悪くなったらいけないからお母さん食べちゃったよ。」
    「え、ええ〜〜!!!!!!」そう言うなり息子は、がっくりとアスファルトの
    上に両膝をつき、愕然としてその場にへたり込んでしまった。(しかも横断歩
    道上)両膝をついたというのは比喩でも何でもなく、本当にそうしたらしい。


    「ぼくが食べようと思ってたのに〜〜!電王のお弁当はぼくのやんか〜〜!」
    と号泣しはじめた。その落ち込みようは、先日のKUMONの試験ができなかっ
    たどころの話ではなかったらしい(笑)子どもというのは本当に面白い。
    ちなみに息子復活の呪文は、「でも西村さんからもらったゼリーがあるで」と
    いう家内の言葉だった。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=217



    やらなきゃよかったか?KUMON式(6)
    KUMONには根強い批判がある。私のブログにも「公文の弊害」なんて
    いうフレーズで検索してたどり着かれる方がちょくちょくおられる。以前
    にそのような内容で書いたブログにヒットするらしい。そしてKUMON
    に関してブログを書くと、必ずといってよいほどKUMONへの「悩み」
    あるいは「批判」、そして「意見」を書き込んでくださる方がおられる。
    それは世間のKUMONに対する微妙な思いを反映しているようにも思われる。
    そのようなKUMONへのネガティブな印象を持つ方が一定の割合で存在する
    一方、私が教えてきた生徒の中で、成績優秀だった生徒、それこそ東大寺学園
    なんかに合格する子の中に「公文経験者」は多かったのである。


    はたしてKUMONはよいのか、悪いのか?結論は簡単なことで、それは
    『使い方次第』なのである。世の中には完全なカリキュラムもなければ完全
    な教材も存在しない。つまり「これだけやっておけばどんな力もつきます」
    というシステムは存在しないのである。息子の勉強用の机(といってもアン
    パンマンのテーブル)には「おはじき」が置いてある。その使い方を家内が
    息子に教えてやったとき、彼はこう驚きの声を上げた。「これあったらどん
    な問題もできるやん!」


    KUMONは他のシステムと同じく「オールマイティ」ではない。「欠けた
    部分」がある。それは補われなければならない。塾や学校の先生の多くは分
    かっていることだが、「親」である方の多くは分かっておられない(それは
    当然のことだ。親は教育の専門家ではない)。しかしそこをKUMONは明
    確にしていないと私は思っている。(意図的に?)「オールマイティ」のふ
    りをしているのではないか。そしてその「欠けた部分」を(実質は)親にお
    んぶしてやりくりいることを明確にしておらず、「KUMONをやっていれ
    ば大丈夫です」という印象を世間に与えたままにしている。KUMONに対
    する批判は、そういうKUMONの「誠実さに欠けるところ」から起こって
    いるのではないか。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=220



    やらなきゃよかったか?KUMON式(7)
    一般的に「幼児教育」の世界では子どもへの教育だけでなく、親へのフォロ
    ーや、働きかけがあり、時には親に「幼児教育」を勉強するようプレッシャ
    ーをかけるときもある。私はそれは正しいことだと思う。幼児を教育するこ
    とに関しては、どんなに教育機関が頑張っても親の影響を超えることなどで
    きない。だから子どもを伸ばそうとすれば、親へのアプローチが行われるの
    は当然である。


    しかしKUMONにはそういう側面はない。もしくは限りなく少ない。ウチ
    は息子を通わせているのでそう断言できる。そのくせ莫大になっていくプリ
    ントを親子はこなしていかなければならない。中にはその過程で歪んでいく
    場合もあるだろう。「子どもが勉強嫌いになった」「ウチの子は文章題が苦
    手です」「算数を暗記でしか捉えられません」KUMONの勉強の過程で、
    そうなってしまった子がいて、それは誰の責任なのだろうかと考えてみる。
    それはやはりKUMONの責任なのではないかというのが私の意見だ。


    親は子どもの勉強をできるようにさせたくて、日々のプリントをさせていく
    のである。時にヒステリーを起こしながら、親子で泣きながらKUMONの
    プリントをやっている、そういうのは日本全国津々浦々数限りなくみられる
    ことだろう。すべては子を伸ばしたいと思う親の愛情なのである。それを
    「あれは馬鹿親なのだ」と責任を親の方に持っていってしまってはあまりに
    非道である。


    親だって教育の知識を持っていたほうがよいし、そうするべきだとも思うが、
    あれだけのプリントをさせていくのだからKUMONからのフォローはある
    べきだろう。フォローならありますと、KUMONにはKUMONの言い分
    があるだろうが、それは絶対的に足りない。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=221



    やらなきゃよかったか?KUMON式(8)
    息子の「魔法のツール」である「おはじき」は息子の手助けとなるだけでなく、
    他にも色んなふうに使われる。「おはじき」の使い方は無限だ。

    たとえば、おはじきを隠し、一瞬だけ見せて隠す。その数をあてさせる。それ
    なりの意図はある。息子はもっとやってもっとやってというが長くはやらない。
    それも意図がある。
    ●●● ●
    これはっ?
    「4!」
    ●●● ●●
    これはっ?
    「5!」
    ●●● ●●
    ●●
    これはっ?
    「7!」
    KUMONで学力を伸ばした多くの子は、親が多かれ少なかれこのような働きかけを
    行っているだろう。その手法やアプローチはKUMONから提供されたものではなく、
    親が自ら学び、勉強し、獲得したものをベースに行っているので、そういった
    意味では、その子の学力を伸ばしたのはKUMONではなく、親である。
    KUMONは親に「KUMONをやらせるなら、親が頑張らないといけませんよ」とは言わ
    ない。そこのところを明確に言うなら私はもっとKUMONを評価するのにと思う。
    なんといってもKUMONは不誠実なのである。だからこそあれほどの「アンチ」を
    生むのだろう。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=222


    やらなきゃよかったか?KUMON式(9)
    幼児教育を行う場合、親をサポートすることは大切なことである。それをするべ
    きは一般的には「先生」なのだが、KUMONは基本的に「先生」をあてにはし
    ていない。どんな人でもKUMONの教室を開くことができるように教材を作成
    している。それはビジネスの視点から見た場合、数多くの教室を展開するならば
    当然のことだろう。息子のKUMONの教室では息子が問題を解いているときも
    ひっきりなしに電話がなる。生徒の親が終了時刻を尋ねるためにかけてくるのだ。
    そして生徒の中には騒がしかったり、ニンテンドーDSを持ってくるような子も
    いるらしい。


    ときおり本部の先生がチェックに来ていることもあるらしいが、そういうチェッ
    クの後もさほど改善がないので、チェックに来た本部の先生も教室の状態を抜本
    的にカイゼンするつもりがないのか、するだけの力がないかのどちらかだろう。
    ときおり、地域で評判になり、生徒があふれかえるKUMONの教室がある。
    例外なくそれはその教室を担当している先生がよいのである。そしてそういう先
    生のほとんどはどこかの学校、あるいは塾、幼児教室の経験をお持ちで、
    KUMONの教材を用いて、独自の教育を行っておられるのだろうと推測する。
    そういう教室が近隣にあればそれはとてもラッキーなことだ。


    KUMONは教材を売っているのではない。教室へ生徒を通わせて月謝を取って
    いる。であるならば指導者の質をそろえる努力をしなければならない。しかしそ
    ういう努力は結果となっては表れていないのが現状であろう。KUMONのHP
    を見ると「教わるのではなく自ら学ぶ学習法です」と書いてある。なるほど、と
    思う。こう書けば「教えなくてもよい」のだ。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=223


    やらなきゃよかったか?KUMON式(10)
    結論から言えば、私は息子のKUMONを今のところやめさせるつもりはない。
    あの教材を自分で色んなところから見繕ってそろえるのは大変である。だから
    KUMONの教材を使っていこうと考えている。KUMONの批判を続けてき
    たが、KUMONにはよいところもある。何よりいいのは子ども自身が自分の
    成長を目に見える形で捉えることができるということである。そしてそこから
    成長の喜びや継続の大切さを学ぶことができる。そういう点は素晴らしく、
    だからこそあれだけKUMONが強く支持されたのだと思う。


    よいところはよいで認め、足りない部分は親の勉強と働きかけで補うというやり
    方をするということである。といっても我が家の場合は家内が幼児教室のスタッ
    フだったこともあり、私もこのような仕事をしているので、一般の方よりも大変
    ではないと思う。現代の子育てにおいては、親は「子育てのメンター」ともいう
    べき人を持っておいた方がよい。昔と違って「子育て」は孤独な作業となってし
    まったからである。子育てについて相談したり、客観的な意見をしてくれる、教
    育の技術と力量を持った人がいれば親の負担は減り、良い子が数多く育っていく
    のではないだろうか。


    そのような「メンター」の役割を、多くは幼児教室の先生や塾の先生が担ってい
    る。塾の先生は子育て相談を受ける機会がとても多いのである。(学校の先生は
    様々な理由で「メンター」になり得ていないのが現状だと思う。)本来ならば、
    KUMONこそ地域社会の中で子育ての相談に乗り、親の子育てのサポートをな
    すべきだろうと思うのだが、そうなっていないところにちょっとばかり憤りを感
    じるのである。(むしろ子育ての悩みを大きくしてはいないか?)


    このシリーズ、私は一貫して「公文」とは書かずに「KUMON」と表記してき
    た。それはまったく私の印象であるが、かつて「公文式」がスタートしたころの
    理念と「KUMON」の理念が違ってきているのではないのかという疑念が根底
    にあるからである。さて、息子と家内のことを軽く見ていた先生のことであるが、
    当初は私がいっちょ乗り込んで話をしてやろうかなとも思っていた。しかし、家
    内はそうとうビシッと文句を言ったようで、先生の態度が変わったらしい。私の
    出る幕はなかった。母は強しである。

    (おわり)
    ※長いこと読んでいただきありがとうございました。
    http://kamiesu.jugem.jp/?eid=224

  8. 【906812】 投稿者: 基礎の基礎  (ID:WgTVklvG4sk) 投稿日時:2008年 04月 19日 22:30

    なるさん、いつもいつも、ありがとうございます。
    KYさんの文章、大変読み応えがありました。
    なるさんの検索力は、本当に凄いですね。


    それにしても、KYさんのお書きになってらしゃること、正に「我が意を得たり」の
    心境です。特に、


    >世の中には完全なカリキュラムもなければ完全な教材も存在しない。
    >つまり「これだけやっておけばどんな力もつきます」
    >というシステムは存在しないのである。


    ↑の部分ですね。
    以前、私はこのスレに自力と他力についての話を書かせていただきましたが、
    それに繋がる話だと思います。
    依存心が強いと、ついつい「完全なる存在」を求めがちですが、そんなものなど
    存在しないと腹を括れば、どんなものでも自分でうまくやりくりしてゆかざるを
    得ませんよね。
    と、同時に、KYさん御指摘の<KUMONの「誠実さに欠けるところ」>に
    頷きつつも、この資本主義社会において誠実なものを見つける難しさも実感して
    いるこの頃です。
    (最近は資本主義ではない国まで、日本以上の拝金主義ですから・・・。)
    それでもまだ、日本は他国より多少誠実さが幅をきかせている社会なのでしょう。
    おそらく、「狭い社会」ゆえであると思います。


    一方、日本人が本当に「国際化」を求めるのならば、本当は英語を小学生に学ばせる
    よりも、徹底的に自主独立の精神を幼少時から叩き込み、依存心を断ち切る教育を
    したほうが、ベターであるように思われます。
    何かに頼るのではなく、自分が主体となることを常に意識するということが
    出来るようになれば、公文に限らず、進学塾でも、通信教育でも、使いこなす
    ことが出来るのではないか、と思います。
    そして、世界のどこへ行っても、生き抜いてゆけると思います。
    本来、教育の最終目標はそれですものね。



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