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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04
皇室の弥栄を願います。
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【3346806】 投稿者: 外野 (ID:mRA9ZmIijKQ) 投稿日時:2014年 04月 03日 02:47
ことの素さん
大叔父さまのお話、ありがとうございます。
ちょっと、暴れておりましたので、お礼が遅くなってしまって・・・。
すみません。
大叔父さまのお話の前には、私のコメントは確かに軽いです。
本当に、ありがとうございました。 -
【3346878】 投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 04月 03日 08:04
おはようございます。
外野様
>気軽な意見を述べられないのなら
ここは違います。それをいうなら好き放題書いていらっしゃるお方が他にいらっしゃいますが、基本書き込みは悪口や中傷でなければ何でもいいんです。
私も率直な感想を書かせてもらってますから。
英文字三文字様については、彼の書き込みに反吐が出そうになりますし見たくないときもある反面、時々見える誠実さや優しさを見てしまうと心中複雑になりつつ掲示板での人の気持ちの不思議を感じてしまいます(うまく表現できません)。
ですから、あなたのご意見を封じ込めるつもりはありませんので、そこはご理解いただけると嬉しいです。
それと、質問されるのはけっこうですが答えてくださった方へのあなたの反論がよくわからないのです。
せっかくの返事を反故にされてご自分の意見だけをおっしゃておられるようにも感じます。 -
【3346978】 投稿者: 外野 (ID:mRA9ZmIijKQ) 投稿日時:2014年 04月 03日 10:08
ひまわりさん
私が嫌なのは、特攻隊員の死の選択を、
ときの政府の利益面が濃厚な方向、宗教から絶対的価値観で肯定的に捉える、方法論そのものなので、
私のほうが紙つぶてさんの意見封じにかかった、と言えます。
その辺の揶揄が、天皇陛下さんから飛びまくりです。
特攻隊は、当時賞賛され、憧れる少年たちも多くいたでしょう。
ですから、もし、紙つぶてさんの死生観の検討が、特攻隊に限られていなかったら、
また、彼らの死の選択を、宗教を裏打ちにした自発的な絶対的価値観に基づくものとして捉えるというスタイルでなかったら、
私はあまり問題を感じなかったと思います。
私の申し上げたいことは、以上で伝わりますでしょうか?
紙つぶてさんね~~、以前、二俣川さんは憲法を遵守する反射効として
天皇も認めてらっしゃるんじゃないの?と、私指摘したことがあるんだけど、
そのときの返答に驚いたことがあって、ちょっと根に持ってるの、私。
それも、ありました。私のほうが、大変心が狭いので、すみません。
あ、天皇陛下さん。
私、今朝、あなたのひとつ前のHNが、頭に浮かびました。 -
【3346988】 投稿者: 外野 (ID:mRA9ZmIijKQ) 投稿日時:2014年 04月 03日 10:23
すみません。
悪口を書いてしまいました。 -
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【3347014】 投稿者: 外野 (ID:mRA9ZmIijKQ) 投稿日時:2014年 04月 03日 10:57
あ、やってしまいました。
絶対的価値観の否定。読み返して分かりました。
これは私の思い込みが激しくて、すみません。
ずっと、命を絶つ行為を正当化するのに、何を持ってするのか?という疑問が私にあって、
それには絶対的価値観が必要だと、思い込んでいたからです。
これは大変失礼いたしました。
仏教については、家族への執着を断ち切ることで、国のために死を選んだ、という趣旨でいいですか?
あの部分で、かあっとなって、その周辺を吹っ飛ばして読んでいました。
ひまわりさん、あなたの言うとおりですね。
私も、もう少し冷静になって、続きを読みたくなりました。
紙つぶてさん、ご無礼をお許しください。
できれば、続きを、よろしくお願いいたします。 -
【3347117】 投稿者: 紙つぶて (ID:/EkjZZ/KNuM) 投稿日時:2014年 04月 03日 12:51
外野さん、こちらこそ失礼しました。なにぶん、ここのところ数冊の本や資料に目を通し真剣モードに入っていたもので、ちょっと怒りすぎました。
>仏教については、家族への執着を断ち切ることで、国のために死を選んだ、という趣旨でいいですか?
どうでしょうか、仏教(大乗仏教)の諦観の解釈は悟りに近いものがあると思います。此岸(この世)は諸行無常の世であるから、変わらないものはなく形あるものは壊れ人も死ぬ。苦難を「苦」であるとレッテルを張るから苦しいのだから、諸行無常の中で生きている人は心を「空=くう」にすれば、「苦」としてではなく(宇宙の摂理として?)受け入れられる、と説いています。
ですが、回天、桜花、震洋などでの出撃は死に直結しますから、もはや悟りに近い超然とした精神状態であったのでしょう。
新渡戸の『武士道』のコピペを貼りましたが、武士の心得に仏教の説法を取り入れていますね。
ですから、特攻隊員の死生観に仏教の諦観も感じたわけです。
尚、特攻隊員が激突したものの、大した損傷を受けなかった米軍戦艦の甲板では、兵士たちが飛び散った機体の残骸、血液、髪の毛の塊、脳みそ、顔のパーツ、手足などを面倒くさそうに水洗いしたそうです。とても心が重くなる描写ですが、あえて現実を書き込みました。 -
【3347150】 投稿者: 歴史・資料・想像力 (ID:HORgkFAtB3c) 投稿日時:2014年 04月 03日 13:53
紙つぶてさん
引き続き切れ端の時間での書き込みで失礼させて頂きたく。
貴女には申し訳ないが、私は国家神道・武士道と言ったものにあまり興味が持てない。まさに死を前にした若者たちの胸に去来したものは、このような、教養的に与えられたものではないと感じるからだ。では何かと一言でいうのは難しいが、原初的な死、死後の世界についてのイメージではないか、そのイメージとは仏教と古来からの神道に基づくものであったのではないか、というのが私の思う事である。そして、まさにそういうイメージが日本人に共通する死生観のベースとなっているものと考える。彼らに対して、国家神道だ、武士道だというのは、やや勝手な後知恵でしかないのではないか。 -
【3347159】 投稿者: 歴史・資料・想像力 (ID:HORgkFAtB3c) 投稿日時:2014年 04月 03日 14:11
「教養的」は余計・不適当。「与えられた観念」とお読みいただきたい。
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