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【3116105】女性宮家創設へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3275811】 投稿者: 二俣川  (ID:b1my93egxwg) 投稿日時:2014年 02月 07日 20:42

    あるいはそのような事情で日本にやってきた人々がいたかもしれない。
    一方で、戦前に旧満州に開拓民として移住した人々、米国や中南米諸国に永住して行った日本人たちの動機はどうであったろうか。
    双方、事情は同じではではないか。

    また、その後の太平洋戦争勃発によって、米国はじめ中南米諸国に移住した日本人らはみな日本に帰国したのであろうか。
    かの国の多くは、連合国側につき、対日宣戦布告をした国々であった。
    日本が沖縄戦や空襲で被害を受けていたときに、彼らは海外に居住していたのである。
    朝鮮戦争時に母国に居なかった人々と何の違いがあろうか。

    私には分からない、あなたの論理が。なぜ、日本の旧植民地の人々ばかりをことさら執念深くあげつらうのか。
    不公平極まる態度だ。

    日本人移民も、また旧植民地の人々も、その当時それぞれ事情があったに相違ない。
    法改正以前は、殺人罪でさえ時効は15年であった。戦後68年も経過した現在、当時の密航(出入国管理令違反)がなぜそこまで問題視されねばならぬのか。
    私の知る限り、戦前戦後のドサクサにまぎれて日本に入国した人々は、その後法務大臣から在留特別許可などを受けていずれも適法に在留している。

  2. 【3275843】 投稿者: 無理解  (ID:ekNjYIMTpjw) 投稿日時:2014年 02月 07日 21:03

    戦後、日本にいた在日朝鮮人約210万人と言われてます。
    韓国政府の帰国命令に従い、約140万人は韓国に帰国しています。
    帰国命令に背き、日本に残った在日朝鮮人は、
    朝鮮独立に伴い、無国籍となってしまったのです。
    1952年に、韓国大統領の李承晩が、李承晩ラインを公海上に勝手に引きました。
    以降、境界に近づく日本人漁船を銃撃しまくり、日本人漁民44名を死傷させ、
    4000名近くを拉致し、人質にしました。
    日本政府は、人質にされた日本人漁民4000名弱を帰国させるために、
    1965年、韓国有利に、日韓基本条約、日韓漁業協定を結びました。
    そのとき、在日朝鮮人全員に、無条件に、日本の永住権が与えられたわけです。
    本来なら、外国人が日本に帰化するには、犯罪歴がないかなど細かくチェックされるところ、
    ノーチェックにより永住権を与えることになってしまったのです。

    在日と日系アメリカ人が同じ状況でないことがお分かりいただけましたか?

    日系アメリカ人は、「ルーツが日本」というだけで、アメリカ国籍を持つアメリカ人です。
    在日朝鮮・韓国人は、「ルーツも国籍も朝鮮・韓国」です。

    在日韓国人が、韓国に帰らないのは、韓国語ができないからだという言い訳は通じないと思います。
    なぜなら日本語もできないのに、多くの在日1世は日本へ密航してきたんですから。

  3. 【3276019】 投稿者: 統一を夢みる在日  (ID:APpIwZzXJbA) 投稿日時:2014年 02月 07日 22:48

    日本の敗戦と同時に朝鮮は植民地支配から解放され、
    在日していた朝鮮人は朝鮮半島に戻っていく。
    朝鮮戦争(1950年から1953年)によって、一端は朝鮮に帰った在日朝鮮人などが、
    戦災を避けるために日本に再び戻って来た。
    結局在日朝鮮人の数は70万人近くになった。
    この戦後の混乱期の中で、在日朝鮮人は外国人登録が課せられたり、
    選挙権がなくなるなど徐々に「日本人」としての権利を失っていったが、
    一方で、在日朝鮮人の中で民族教育などが盛んになっていく。

    1949年1月韓国は対馬領有を宣言し、連合軍占領下で主権が制限されている
    日本に対馬返還を要求した
    さらに韓国はサンフランシスコ講和条約に「戦勝国」として参加することを希望していたが
    イギリスやアメリカによって即座に拒否されている。

    1951年韓国政府はサンフランシスコ講和条約草案を起草中の米国政府に対し要望書を提出。
    この要望書で竹島を韓国領とすることを要求していたが、アメリカは「ラスク書簡」にて韓国政府の要求を拒否した。

    1951年1月18日 李承晩ライン

    1952年から日本漁船の徹底的な拿捕がはじまる。
    その数は、李承晩ラインが廃止される1965年まで続く。
    日本との国交正常化交渉を有利にする外交カードとして、
    日本の漁船員を人質にした『人質外交』である。
    北朝鮮の拉致となんら変わりありません。

    サンフランシスコ平和条約発効直前の1952年4月19日、
    法務省人事局長通達「平和条約発効にともなう国籍及び戸籍事務の取扱について」が出された
    「朝鮮籍日本人」はサンフランシスコ平和条約の発効と共に日本国籍を喪失される事になった。

    朝鮮戦争中であり、在日朝鮮人は朝鮮半島に帰れる状況になかった。
    加えて国が分断され、朝鮮という統一としての国がもう存在せず、
    事実上無国籍の状態になる。


    日本国籍喪失を受け入れ、朝鮮籍の夫と共に朝鮮半島に渡った日本人女性の数も多い。
    北朝鮮に渡った日本人女性だけでも6000人に上る。

    終戦当時、在日朝鮮人の外国人登録は「朝鮮」であった。
    しかし朝鮮戦争勃発と共に、国が分断され、
    日本が植民支配した「朝鮮」は消滅してしまったのだ。

    現在外国人登録に「朝鮮」とある人々には、二つの違った帰属意識を持つ人々が含まれるだろう。
    一つは、あくまでも統一した朝鮮に帰属意識を持つ人々、
    もう一方は北朝鮮に帰属意識を持つ人々だ。


    日本政府は、人質にされた日本人漁民4000名弱を帰国させるために、
    1965年、韓国有利に、日韓基本条約、日韓漁業協定を結びました。
    そのとき、在日朝鮮人全員に、無条件に、日本の永住権が与えられたわけだ。

    旧併合国・旧植民地出身の内地居住者について
    独立後どう扱うか定めた国際的な条約はないが、一般的には、重国籍とされ、
    ドイツでは国籍を選択させるという措置がとられた。

    日本のように単純に国籍を喪失させた措置は世界的には異例である。

    平和条約国籍離脱者が日本国籍を望む場合は国籍法に基づき帰化を許可する必要があるが、
    その場合は一般の外国人と同様に法律で定められた一定の条件を満たした上で
    帰化裁量権を持つ日本政府によって帰化されなければならない。

    平和条約国籍離脱者とその子孫は、同特例法に規定する要件を満たした場合には、
    日本の特別永住者として扱われている。

  4. 【3276097】 投稿者: 併合の否定  (ID:hdW8rSiFUPg) 投稿日時:2014年 02月 07日 23:24

    国籍選択権を与えるのが国際原則だったかもしれない
    しかし日本と朝鮮の関係は戦勝国から侵略者として非難されている。

    1943年の米中英によるカイロ宣言にこうある。

    右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
    日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
    前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

    「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

    を条件の一つとしたポツダム宣言を受諾して降伏した。

    従ってこの時点で、朝鮮出身者の日本国籍喪失は自明のことだったと思う。
    朝鮮出身者の中には戦勝国民然として振る舞う者もいたのだ。
    しかし、この時点では朝鮮にはまだ独立政府がなかったため、
    国籍は依然として日本にとどめられた。

    そして、韓国と朝鮮民主主義人民共和国が独立した後、
    サンフランシスコ平和条約で
    日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
    と定められ、これが発効したことにより、朝鮮出身者は日本国籍を失うものとされた。


    朝日社説より(以下引用)

    条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で……定めた」のではない。条約の効力によって喪失したのだ(条約は法律を優越する)。民事局長通達はその効力を国内的に確認しただけにすぎない。  だから、選択権を与えなかった責任は連合国にあり、わが国にはない。

    奴隷状態から解放されたのだから、それは当然喜ぶべきことではないのか。何故わざわざ「奴隷状態」に甘んじる選択権を与えなければならないのか。

    仮に当時選択権を与えていたら、どういう事態になっていたか。
    誰がわざわざ日本国籍を選択するというのか、我々の苦しみを何だと思っているのかと猛反発を受けたのではないか。
    また、韓国・北朝鮮両国からも、在外国民を日本に取り込み、分断しようとする策動だと非難されたのではないか。

    そんな選択肢は有り得なかった。
    日本政府も、国民も、在日側も、日本国籍喪失を当然としていた。


    現に民団あいち 60年史もこう書いている(以下引用)

    日本の敗戦は植民地支配の崩壊をもたらし、サンフランシスコ講和条約により日本は朝鮮の独立を承認した。
    法務府民事局は、1952年4月19日、民事局長通達(民事甲第438号)を発し、「条約発効の日から…朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本国籍を喪失する」とした。
    民事局長通達による日本国籍喪失措置は最高裁判所により違法ではないとされたが、国籍選択権が認められなかったことや、法律ではなく民事局長通達によってなされたことから、国際慣習法及び憲法上の法的疑義がある。

    しかし、韓国や北朝鮮政府のように韓国併合条約が当初から無効であるとの立場に立てば、国籍の原状回復は当然のこととなる。
    韓国では1948年12月20日に、北朝鮮では1963年10月9日にそれぞれ国籍法が公布施行されたが、
    南北いずれの国においても、韓国併合条約が当初から無効であるとの前提の下に、自国民が確定されている。

    朝鮮人は、韓国併合以前から日本の植民地侵略に対し、義兵闘争、独立運動等を持続し、独立すれば本来の国籍を回復することを当然と考えていた。
    在日コリアンもまた、朝鮮国籍の回復は当然のことと考え、韓国併合条約によって強要された日本国籍を戦後も保有しつづけるとの考えに与しなかった。

    在日コリアンが、戦後ほどなくして、韓国の在外国民登録を済ませた者を団員とし、大韓民国の国是遵守を綱領に掲げた民団と、朝鮮民主主義人民共和国政府の周囲に総結集することを宣言する朝鮮総連の二大組織を構成し現在に至っていることも、そのような歴史認識に由来するものであり、彼らは総体としては日本国籍喪失措置に異議を提起しなかった。

  5. 【3276428】 投稿者: タブーに挑戦  (ID:dNQK3ck7pnI) 投稿日時:2014年 02月 08日 08:39

    韓国の教科書では日本人が韓国で大量虐殺や奴隷狩りをやり続け、大量の韓国人を日本に強制連行してきたのだと結論づけています。
    なぜ、そう結論づけて日本を恫喝しつづけるのか?

    色々調べるとこの事件にたどり着きました。
    それは、保導連盟事件です。

    アメリカと韓国は北朝鮮に対抗するために、共同戦線をはっており、その時期に韓国国内で保導連盟事件によって、
    20万人〜60万以上の民衆が殺戮され、おおくの人々が日本に逃げてきた事実を隠ぺいしたいからではないかということです。

    保導連盟事件の存在を日本の左翼は隠しています。
    勿論教科書にも掲載されません。
    かつて韓国人がこのことについて書籍を出し話題にのりましたが、日本のマスコミは、日本の右翼団体に洗脳されたのだと
    言って批判的評価しかしませんでした。


    同胞の韓国人を大量に殺され、その真実を必死に訴えた朴泰赫氏さえ袋叩きにします。
    つまり、彼らは韓国人を崇拝しているのではなく、自分の中で断定したストーリーを守りたいだけです。
    韓国人なんてどうでもいいのです。


    韓国最大のタブー  The maximum taboo in South Korea

    http://www.youtube.com/watch?v=jZfziONC0OQ&list=PLTGtjNRcVCDdUVtnV7qIUd8YeNUbKBZVR&index=1

  6. 【3276523】 投稿者: 紙つぶて  (ID:ka2GwZf/w..) 投稿日時:2014年 02月 08日 09:41

    歴史・資料・想像力 さん、

    >これは典型的な占領側の論理。「悪政・圧政に喘ぐ民族を解放する進歩した占領国」というステロタイプの発想。

    そのようには考えてはおりません。慰安婦に対する私の考えと同じく、時代背景がどうあれ韓国併合を「正当化」することはできないと考えています。創氏改名の強制性をつき詰めれば懐疑的な側面はありますが、元来、民族の尊厳を損なうこの政策を認めているわけではありません。また、総督府による朝鮮のインフラの整備、朝鮮人の教育、より高度な生活環境の推進等は、朝鮮人のために行われたのではなく、日本国の富国強兵のために役立つ、使える朝鮮人を育成するためであったと考えるのが妥当です。
    さらに、朝鮮人は被占領民ですから、当然下等民族として日本人から心情的に差別されていたでしょう。この点においても、ロシアの朝鮮植民地を仮定的に比較し、日帝の支配の方が朝鮮人は幸福であったとする説は詭弁で以外ないと思います。

    その上で、創氏改名を肯定しているのではなく、結果分析として、中には「受益者」も存在していたのではと申し上げているのです。もちろん、この分析は日本人、日本国内で議論できることであり、被占領国に発信、発言するべきことではないこと、発言すれば強い反発を受けることは当然でしょう。

    >大蔵省の資料は以前に示したし、文部省見解は教科書問題で有名になった話であるのだが、見返したり、調べる余裕もないのであれば、わざわざ「コメント」戴かなくて結構。

    この件に関しては、お詫び申し上げます。仕事柄、受験が終わるまで多忙につき、きちんと考え判断することができず、粗野な返答となってしまいました。
     
    これで最後になりますが、まとまった時間ができ次第、日韓関連の本に目を通し考えをまとめたいと思っております。

  7. 【3276611】 投稿者: 書籍紹介  (ID:BiNPuiud6sY) 投稿日時:2014年 02月 08日 10:50

    醜い韓国人―われわれは「日帝支配」を叫びすぎる (カッパ・ブックス)
    朴 泰赫

    大韓民国の物語 [単行本]
    李 榮薫


    日本帝国の申し子高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945 [単行本]
    カーター・J・エッカート


    朝鮮紀行~英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫) [文庫]
    イザベラ・バード (著), 時岡 敬子 (翻訳)

  8. 【3277669】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 02月 08日 23:04

    歴史・資料・想像力様

    もう一度154ページ辺りから歴史・資料・想像力様のレスを読み返してみました。
    私は、「創氏改名は自由であった」、「政府が強制する意味はなかった」ということが頭から離れなかったので、ずいぶんトンチンカンなお返事をしていたと思います。
    なのに辛抱強くレスを返してくださった事に感謝します。
    表面上は朝鮮名であろうと、たとえ一部に日本名を望んだ朝鮮人がいたとしても、

    >字面が同じだけで、姓から氏に意味付けを変えること、
    >別姓であった妻は夫の氏を名乗るよう強制されたことだが

    これを日本側が朝鮮人に課したことは問題だったと思います。
    強制や日本名に変えたことばかりがネットで問題化されているように思いますが、上記の二点が問題の根本だったことに、ようやく気が付きました。
    私の中で、「字面が同じなのに、どうして尊厳をそこなうねん?名名前は一緒やん」って思いがあったようです。

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