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【3116105】女性宮家創設へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3277793】 投稿者: ジイジイの経験談  (ID:iM4bh/zGMB.) 投稿日時:2014年 02月 09日 00:41

    昭和一八年に、学徒動員となり、日本人学生たちは強制的に呼び出されて戦地に向かいました。
    ……そんなときでも、大部分の朝鮮人は戦地に行く必要がありませんでした。
    正直な話、朝鮮人がうらやましかったですよ。『これは差別じゃないか』と言ったりもしたもんです。

    朝鮮人までが徴兵されるようになったのは、昭和一九年四月からのことでした。……自ら志願して戦地に行った朝鮮人たちもたくさんいました。……しかし志願ではなく戦死した人たちもいますし、……それを思うと本当に心が痛みます

    かつて日本人と朝鮮人が手を取り合って生きていた時代があった、ということです。

    庶民レベルでもごく普通に仲良くつき合っていました。

    もちろん当時、日本と朝鮮は一体でしたから、戦争末期には朝鮮国内でも徴兵や徴用(労働に呼ばれること)が行なわれ、苦痛を感じた者たちも多くいました。
    しかし、それは日本人も同じだったのです。日本と朝鮮は運命共同体になっていました。

    だからこそ、朝鮮で徴兵制が敷かれる以前にも、朝鮮人の中には自ら志願して兵士となり、日本人と一緒に敵と戦おうという人たちが少なくなかったのです。
    その朝鮮人志願兵の倍率は、昭和一七年にはなんと採用数の六二倍にも達し、非常に狭き門でした。

    それほど多くの朝鮮人が、志願してまでも日本人と共に戦いたいと願ったのです。

    戦争末期の朝鮮は、たしかに苦しい時ではあったでしょう。しかし、日本の内地も同じでした。
    いや実際は、日本の内地より朝鮮のほうがはるかに恵まれていたのです。
    なぜなら日本の内地は、アメリカ軍の爆撃を受けて多くの都市が破壊されました。しかし朝鮮は、そうした攻撃を一切受けなかったからです。

  2. 【3278125】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 09日 09:59

    >第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す
    >日本人は世界一人種差別を嫌う民族である。


    嗤った。
    その政治的意図は何だったかご存じかな。
    また、なぜ諸国に反対が多かったのであろうか。
    多くの近代史研究者がその答えを論じている。
    現象面だけ見て、きれいごとばかり言うでない。

  3. 【3278165】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 09日 10:24

    >それほど多くの朝鮮人が、志願してまでも日本人と共に戦いたいと願ったのです。

    現象面にとらわれず、歴史の流れや本質に思いを致せ。
    むろん、進んで日本軍国主義に加担した者も居たであろう。
    しかし、当時朝鮮半島の多くの国民学校で、皇民化教育が強力に推進された事実に留意すべきである。
    また、当時の朝鮮は朝鮮総督府の土地政策で農地などを強制収用され、多くの植民地の人々は働き口を失ってしまった。
    さらに、米どころ全羅道のコメも日本内地に供出させられており、餓死者も出るありさまであった。
    それらの事情で、食い扶持を求めてやむなく日帝兵士に志願せざるを得なかった可能性も大きい(その他、北部の人々は旧満州へ流動、南部は日本内地へ)。


    >なぜなら日本の内地は、アメリカ軍の爆撃を受けて多くの都市が破壊されました。しかし朝鮮は、そうした攻撃を一切受けなかったからです。

    「一切」どころではない。台湾同様に朝鮮半島も米軍によって空爆を受けている。
    ただし、朝鮮が日本の植民地であったことによる、内地の人々との戦意の温度差。
    また、厭戦気分醸成や本土決戦のために、米軍が朝鮮より日本本土空爆により大きい戦略的価値を置いていただけの事情であろう。
    なぜなら、沖縄戦の次は本土決戦だと、大本営も米軍もともに認識していたのであるから。

  4. 【3278193】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 09日 10:41

    お~い、起きろ。
    ネ〇ウヨの阿呆諸君。

    快晴だぞ。
    早く投票に出かけないと「閣下」が落選、供託金没収になっちゃうぞ。

    なに?
    投票したことないって。
    こりゃ、ダメだ 笑


    「閣下」の御為に転載申し上げた 笑

  5. 【3278239】 投稿者: ↑  (ID:lCnB1Zuyplw) 投稿日時:2014年 02月 09日 11:06

    みっともない  (呆)

  6. 【3278327】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 09日 12:04

    それしかないのか。
    低能ゆえ。

    もっとも、この阿呆はやっとお目覚めらしい。
    朝昼兼用のカップめん食ったら、早く投票に出かけな。

  7. 【3278519】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 02月 09日 14:11

    >なぜなら、被差別部落問題の解決を考えることは、
    必然的に身分的差別の象徴たる天皇制の矛盾を浮き彫りにしてしまうからである。


    この命題に天皇制盲信派連中がどう応えるかである。
    福澤諭吉が「学問のすすめ」で説いたように、

    天は人の上に人を造らず
    人の下に人を造らず

    であったはずである。
    その意味で、生まれながらにして身分的特権を持つ天皇(皇族)はこの社会から排除されるべき存在であることは指摘するまでもない。

  8. 【3278840】 投稿者: 清い日本人  (ID:wL56nszs9YQ) 投稿日時:2014年 02月 09日 17:38

    大正8年(1919年)にパリで講和会議で日本が国際連盟の規約に人種差別の撤廃条項を入れることを強く主張した。
    この頃、アメリカで日系移民が差別されており、日本にとって大きな課題であった。
    そしてこの日本の姿勢に全米1200万人の黒人は大きく期待した。
    日本の全権使節団がニューヨークに立ち寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、
    黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出した。
    自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願した。
    全米黒人新聞協会が発表したコメント
    「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」
    しかし、日本の主張は否決された。
    この報が日本国内に伝わるや、世論は「白人の暴挙」に憤慨、一致して「国際連盟不参加」の世論に導かれた。
    日本は今度は「諸国民平等の原則」という言葉を規約本文ではなく前文に挿入するという提案を行う。
    当初の案からは大きな後退であったが、この提案は国際連盟委員会17票中11票の賛成を得た。
    しかし委員長のウィルソン(アメリカ)は全会一致をいきなり主張し、遂に日本の提案は不採択となった。
    アメリカの黒人は自国の政府の措置に怒り、全米で数万の負傷者を出すほどの暴動に発展した。

    明治5年にペルー船籍の奴隷船マリア・ルス号が日本に寄港したとき、支那人奴隷が脱走し、
    助けを求めてきたため日本政府は保護し、支那人らを救助し、国際仲裁裁判で争い、勝訴している。
    日本には有史以来、奴隷制度は存在しない。
    従って伝統的に人種差別を嫌っていたというわけだ。

     パリ講和会議で日本の人種平等の提案は退けられ、時の首相、原敬は国際連盟の参加・不参加の決断を求められました。日本の世論は不参加でした。しかし、原首相は米英に屈し、世論を押さえて参加の調印に踏み切りました。このとき日本の主張は通りませんでしたが、第二次世界大戦後、昭和23年、国際連合で「世界人権宣言」が採択され、人種差別は撤廃されています。日本の主張は正しかったのである。

     PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之共著より引用

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