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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04
皇室の弥栄を願います。
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【3337818】 投稿者: 紙つぶて (ID:RoodqB8qX12) 投稿日時:2014年 03月 25日 07:54
途中報告です。
特攻隊員の精神には「神道と武士道+仏教」からなる通念の融合体が宿っていたのではと考えています。それは絶対死の任務を完遂するためから生じた狂信的思念でもなく、催眠状態でもない、日本人の通底を成す精神構造の一部だったのではと推論しています。
また、それは今を生きる日本人の「大和さくらこ魂」を脈々と形成し続けているのではと考えています。平和に安穏と繰らす日常では気づきませんが、東日本大震災の渦中の東北の方々に「日本人」を見ました。日本人は精神が極限状態になったきに──親や子が津波に流され、家族と過ごした住居や思い出までも全て失う地獄のような状況──お面が替わるかのように「武士」の顔になるのです。普通の人々が修羅のときを騒がず、取り乱さず、清廉さを保つことができるのはそのためなのかと。
また、日本仏教がもつ「諦観」も大きく影響していると思います。「苦悩や災難はしょうがないこと」と悟ればあとは超然の境地に到達することができるのです。
本居宣長の国学から導きだされる「現世主義」ですが、私は「この世限りの命の営み」の概念を「先祖から継続関係にある生命であるからこそ、現世で終焉しても次世に連面と受け継がれるもの」と解釈しています。仏教の輪廻観ではなく、屋久島の森の厳粛で畏れある秩序のようなものです。一本の木が朽果て現世から消滅することが未来の生命の生誕に繋がる連面性を意味するように。
神道では、人は死後、神になるとされています。菅原道真や楠木正成のように神社が建立され祀られることもあります。
しかし、特攻隊員の中には死後、神になることが意識の外にあった人たちもいたのです。ですから全ての隊員が靖国に祀られと信じていたわけではないと言えます。
特攻隊員の多くは法学、経済、文学を専攻していた若き学徒兵でした。豊かな感受性をもつ優秀で物静かな日本の若者たちが命を散らせていく中で、彼らの多くは日本が勝利することがないことを知っていました。それでも「恩を受けた、親や日本の自然に報いたい」「日本の立ち直りを願う」思いで死に向かったのでしょう。
まだわだつみが途中です。特攻隊員の死生観、神道と武士道と天皇の関係ももう少し探ってみますね。
取りあえずでした。 -
【3337888】 投稿者: 天皇陛下 (ID:FR93uvJPhXM) 投稿日時:2014年 03月 25日 09:24
>豊かな感受性をもつ優秀で物静かな日本の若者たちが命を散らせていく中で、彼らの多くは日本が勝利することがないことを知っていました。それでも「恩を受けた、親や日本の自然に報いたい」「日本の立ち直りを願う」思いで死に向かったのでしょう。
愚かな日本人の物語である。
笑 -
【3337976】 投稿者: 紙つぶて (ID:LJI3aAUMRNw) 投稿日時:2014年 03月 25日 10:45
冷静に考えると さん、
ひまわりさん、
>「万葉集」、「古今和歌集」あたりまでは花を梅に模した和歌が多いですが、「新古今和歌集 」(鎌倉時代初期)辺りから花といえば桜というイメージが定着してきたようですね。
鎌倉初期なら平家と源氏、一族の盛衰が連想されます。仏教の「諦観」と「無常観」のメタファーが桜になったなでしょうか。 -
【3338225】 投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 03月 25日 14:36
こんにちは。
今日は桜のニュースが多いのではないでしょうか?
我が故郷、京都もいよいよ桜が咲き始めています。
勝手なお国自慢で申し訳ありませんが、これから京都は桜に囲まれます。
全国に美しい桜木は沢山ありますが、街中がこれほど桜に包まれるのは京都だけなのではないでしょうか?
これだけはどこにも負けません(笑)
古都中、どこへ行っても桜桜桜。
染井吉野にしだれ桜、そして八重桜。
西山、哲学の道、清水寺 嵐山 平野さん 大沢の池 大覚寺 東寺 岡崎 京都動物園 祇園 原谷・・・思いつくまま書きましたが、まだまだここには書ききれないほど。
神社やお寺だけではありません、京阪、山陰本線や嵐電からも軒並の多くの桜を愛でる事が出来ます。
この春、京都の桜を観にいらっしゃる方々の為に、楽しく快適な桜をご覧に成れますように・・・。 -
-
【3338244】 投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 03月 25日 14:59
冷静にかんがえると様
紙つぶて様
>特攻隊員の多くは法学、経済、文学を専攻していた若き学徒兵でした。豊かな感受性をもつ優秀で物静かな日本の若者たちが命を散らせていく中で、彼らの多くは日本が勝利することがないことを知っていました。それでも「恩を受けた、親や日本の自然に報いたい」「日本の立ち直りを願う」思いで死に向かったのでしょう。 (紙つぶて様)
ネットで検索すると出てきますが、
当時山岡荘八が、特攻に志願し特攻による自らの動揺を克服した西田中尉に「そんな心境にどうしたらなれるのか?」とインタビューしています。
その西田中尉の答えですが
「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。
しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・・・・・
おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。
そう、民族の誇りに・・・・・・・」
紙つぶて様が仰るように、特攻に志願した人たちは相当知的水準の高い方々が多かったようですね。
彼らはこの戦争に勝ち目が無い知っていたし、負けた後日本がどうなってしまうかも知っていました。
欧米による東南アジアの植民地化を考えると、彼らは日本の独立を守り戦う責務を負ったのでしょうか? -
【3338574】 投稿者: 冷静にかんがえると (ID:WNcp8XPzFow) 投稿日時:2014年 03月 25日 19:44
紙つぶて さん
>本居宣長の国学から導きだされる「現世主義」ですが、私は「この世限りの命の営み」の概念を「先祖から継続関係にある生命であるからこそ、現世で終焉しても次世に連面と受け継がれるもの」と解釈しています。
なるほど、、「古事記伝」にいういわゆる「畏きもの」という概念ですね。本居宣長は「カミ」としていましたが、伊邪那美神、伊邪那岐神をめぐる物語に「死=無」とも捉えられる注釈が施されている、という解釈から、批判的な意味合いで「現世主義」という言葉が使われてきたようです。
>仏教の輪廻観ではなく、屋久島の森の厳粛で畏れある秩序のようなものです。一本の木が朽果て現世から消滅することが未来の生命の生誕に繋がる連面性を意味するように。
「継続関係にある生命」と「未来の生命の生誕に繋がる連面性」、同義として捉えられますが「個の生命」を超越したいわば「いのち」といったようなことをおっしゃりたいのだと拝察します。例えば一本の木にしめ縄を張るような感性は「その木」ではなく「木そのもの」に対する崇拝、畏敬の念から生じるもの、上記にいうまさに「畏きもの」という概念でしょうか。
紙つぶてさん、実は先に「桜花」の実際に言及したのはここのところなのです。わたしは無機質としましたが、ここに「個体としての命」、換言すれば「取り返しのつかない(代替性のきかない)命」をどう解釈すればよいのか、特攻隊が「個」を超越した「いのち」の概念のもと、己を兵器と化して敵艦に突っ込んでいく、いわばひとつの物体としての価値に己の身を集約させることに、隊員たちの「個」としての自覚はどこに吹き飛んでしまったのか。その自覚と神道の「個」を超越した「いのち」との整合性を、特攻隊員たちはどう折り合いをつけたのか。この部分を理解せねば彼らの「死生観」を推し量ることは難しいのではないかと感じています。
「敷島の大和心をひと問わば朝日に匂ふ山桜花」(本居宣長)
敷島、大和、旭日、桜花、特攻隊の名称はこの和歌からの引用とのこと。
現代のわたしたちは遺書・辞世などから「個」としての特攻隊員を捉え、当の特攻隊員は「個」を超越した「何か」を見ていたのか、、この乖離はいかんとも埋めがたいと思っています。 -
【3338603】 投稿者: 天皇陛下 (ID:FR93uvJPhXM) 投稿日時:2014年 03月 25日 20:19
冷静にかんがえるとさん。
こんばんは。
天皇陛下です。
>その自覚と神道の「個」を超越した「いのち」との整合性を、特攻隊員たちはどう折り合いをつけたのか。この部分を理解せねば彼らの「死生観」を推し量ることは難しいのではないかと感じています。
特攻しないという選択の自由がなかっただけと思いますよ。
現代なら良心的兵役拒否といった選択もありかなと。
戦後70年を迎え、戦地から引き揚げてきた人々も殆ど亡くなり、
先の大戦について客観的に真実を語ることができる時代が来たのかなと思っています。
侵略、大虐殺、慰安婦強制連行といった旧日本軍の残虐さ、冷酷さ、ハレンチさと真に向き合うべきでしょう。
その根本にあるのは日本人の島国根性、井の中の蛙ではないかな、と思っています。 -
【3339174】 投稿者: 二俣川 (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 03月 26日 10:30
一部に強い自覚あった特攻隊員が存在したことは否定しない。
しかし、ご意見を拝見すると、やや我田引水のきらいが見られる。
要するに、「軍国教育とあきらめ」が濃厚であった結果、ということではなかろうか。
故城山三郎の著書に、士官学校出の将校と幹部候補生上がりのそれとの間で、無駄死論争があったことが記されている。
軍では非主流であった後者だが、死を賭してまでの意味には懐疑的であったようだ。しかし、その多くは前者に押し切られている。
彼らをあまり美化するのも現実的ではない。死を恐れ、しぶしぶ飛び立っていったというのが多くの本音ではなかろうか。
一部に見られるような、彼らを英雄視あるいは殉国の崇高な犠牲者扱いするステレオタイプ的評価には、むしろ胡散臭い意図を感じる。
日本近現代史については、昭和天皇死後20年経過あり、やっと専門研究者らが(タブーから脱却しての)客観的な研究成果の発表を始めたという状況である。
従来から、斯界では今井清らマルクス主義史観からの論陣が圧倒的であり、少数派の歴史修正主義者がそれに反発して世間向けに駄本を書き散らすという形勢であった。
しかし、ここにきてこれまで沈黙してきた両派に属さない研究者らも少しずつ発言をするようになってきた。
現状はいまだ政治史中心だが、いずれ他分野でも活発化してこよう。史料批判の訓練を経た専門家らの今後の実証的研究の進展が待たれる。
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