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【3116105】女性宮家創設へ

投稿者: ひまわり   (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04

皇室の弥栄を願います。

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  1. 【3317763】 投稿者: それはね  (ID:fC002zkHC.M) 投稿日時:2014年 03月 10日 06:22

    全責任を前政権に押し付け
    自己保身のために前政権を抹殺することを
    恨の文化と言います。

  2. 【3317820】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 03月 10日 08:04

    おはようございます!

    二俣川様

    当時の日本政府がナチスの顔色をうかがっていようが、ユダヤ人たちを排斥しなかった事は、事実なのです。
    許可しなかったビザをもったユダヤ人たちの入国を、阻止することも可能だったのにそれをしなかったのですよ。
    あなたがなんと言おうと、杉原氏・樋口氏・松岡氏・東条氏・板垣しによって数万のユダヤ人たちの命が救われたのは間違いありません。

  3. 【3317827】 投稿者: ひまわり  (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2014年 03月 10日 08:08

    紙つぶて様
    外野様

    すみません、私も取り急ぎ(汗)
    彼らの死生観。
    心の中では、「きっとアメリカに守られているから大丈夫」と思っている多くの日本人と、当時の戦った日本人達とは「独立の価値」の考え方が違うとも思います。

  4. 【3317828】 投稿者: 紙つぶて  (ID:/it7HYGrDzY) 投稿日時:2014年 03月 10日 08:09

    外野さん、

    >大和島根。

    >私は、最初「島根県出身?」などと思ってしまった、無知な女でした。

    いえいえ、一瞬、桜島大根のように何か日本固有の根菜かと私も思いました。

  5. 【3317923】 投稿者: 二俣川  (ID:itiWh1K/dEs) 投稿日時:2014年 03月 10日 09:28

    >当時の日本政府がナチスの顔色をうかがっていようが、ユダヤ人たちを排斥しなかった事は、事実なのです。
    許可しなかったビザをもったユダヤ人たちの入国を、阻止することも可能だったのにそれをしなかったのですよ。
    あなたがなんと言おうと、杉原氏・樋口氏・松岡氏・東条氏・板垣しによって数万のユダヤ人たちの命が救われたのは間違いありません。


    論点をずらさぬように。
    ユダヤ人問題を例に、当時の日帝政府がナチス・ドイツについてどのような態度であったかがここで問題となっている。
    現象面や結果論で判じて、いったい何の意味があろうか。もっと、本質を考察なさい。
    また、私はここで提示された東条や板垣らのユダヤ人らに対する態度については、事実の真否も含め額面通り受け取れない。

  6. 【3317981】 投稿者: 外務省の長い物には巻かれろ精神  (ID:8svDPGxy6KE) 投稿日時:2014年 03月 10日 09:55

    http://bylines.news.yahoo.co.jp/eikenitagaki/20140216-00032711/


    1938年2月、ナチス・ドイツの迫害から逃れた100~200人の
    ユダヤ人難民の第1陣がシベリア鉄道でソ連側にあるオトポール(満州国最北端・満州里駅近く)に到着。
    ソ連に受け入れを拒否されたため満州国への入国を強く希望した。

    だが、満州国にも拒否されたため、極東ハルビン・ユダヤ人協会の幹部らは、
    大日本帝国「関東軍」の特務機関長・樋口季一郎少将にユダヤ難民を救うように懇請した。
    樋口季一郎少将はハルビンで満州のユダヤ人を助け、第1回極東ユダヤ人大会開催の支援を行っていた。

    この同志に陸軍士官学校同期の安江仙弘大佐(陸軍随一のユダヤ専門家、満州にユダヤ難民の安住の地となる「ユダヤ国家」を建設する「河豚計画」の提唱者で有名、ソ連軍侵攻を受けて、シベリアに送られて病死)がいたのである。


    樋口季一郎少将は、満州国建国の「五族協和」理念からこれを人道問題と受け止めた。
    ユダヤ人難民を救う決断をし、満州国外交部に働きかけ、松岡洋右満鉄総裁にも折衝し、
    難民を特別列車でハルビンまで受け入れることを認めさせるとともに、

    関東軍参謀長の東條英機中将に

    「参謀長、ヒットラーのお先棒を担いで弱いものいじめをすることは正しいと思われますか」と説得。

    すると、東條英機中将は、

    「当然、人道上の配慮によって行わなくてはならない」と受け入れを認めた。

    この寸前、ドイツ外務省が満州国によってユダヤ人難民大量受け入れられたとの情報をキャッチし、
    日本政府に強硬抗議を行ってきていた。

    この抗議は東京から新京の関東軍司令部にすぐ伝えられたが、東條英機中将は、これを一蹴したのである。


    安江仙弘大佐は、ユダヤ人を公正に遇する「ユダヤ人対策要綱」制定に際し、
    板垣征四郎陸軍大臣に働きかけていた。

    板垣征四郎陸相は

    「我国は八紘一宇の国である。ユダヤ人だからといって、特定の民族を差別することはできない」

    と決議を実現している。

    難民は、その後も増え続け、1941年ごろまでに累計5000~6000人に上ったと見られている。



    ユダヤ人を助けた日本人としては、外交官・杉原千畝(1900年1月1日~1986年7月31日)が、有名だ。
    「日本のシンドラー」と呼ばれている。

    第2次世界大戦中、リトアニアのカウナス日本領事館領事代理(1939年7月20日~1940年9月11日)に赴任していた。

    ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、
    外務省訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6000人にのぼる避難民を救った。
    しかし、1947年6月13日、岡崎勝男外務次官から退職通告書が送付され、
    6月7日に外務省を依願退職、晩年は、不遇だった。

    だが、1985年1月18日、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で
    日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を受賞した。

    これには、日本外務省は、かなり困惑したという。

    杉原千畝を訓令違反で退官に追い込む処分をしていたのと、
    ユダヤ人を助けた東條英機元首相が、極東軍事裁判の判決に従い、
    GHQにより絞首刑に処せられていたからである。

    日本政府が、公式に杉原千畝の名誉回復したのは、
    21世紀も間近の2000年10月10日になってのことだった。

    しかし、ユダヤ人を大量虐殺したドイツ第3帝国
    (1933年1月のヒトラー内閣の成立で始まり,1945年5月の第2次世界大戦におけるドイツの敗北によって崩壊)の
    ナチスのアドルフ・ヒトラー総統と同列視して東條英機元首相を憎むのは、大きな間違いである。


    それは、満州国関東軍参謀長(中将)時代、東條英機は、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民を多数保護し救ったという歴然たる事実があるからである。

    軍国主義下で、日本の軍部が、欧州で迫害されていたユダヤ民族を保護し、
    救出していたという事実である。
    何とその立役者の1人が、「靖国神社」問題で日本国民の多くばかりか、
    中国、韓国などで嫌われ者になっているあの「東條英機元首相(陸軍大将)」だったというから、
    驚きであり、ややこしい。



    日本の外務省は進化してるか?後退してるか?






      

  7. 【3318027】 投稿者: 歴史・資料・想像力  (ID:HORgkFAtB3c) 投稿日時:2014年 03月 10日 10:22

    ひまわりさん

    当時日本政府の対ユダヤ人政策は不明確なところが多くあり、日本がユダヤ人を助けたという趣旨であるとすると、やや決めつけに過ぎる様に感じる。ゆえに、杉原・樋口、あとお忘れのようだが上海の犬塚を称賛することには賛成だが、これに東條・板垣を含めるのには抵抗感があるし、松岡についてははっきりと反対。杉原・樋口・犬塚については「ユダヤ人をどうするか」という切り口でなく、目の前にいる「難民」への対応に徹したがゆえに東條・板垣にも認めさせ得たということと理解している。

    紙つぶてさん

    死生観についてはかつて自分としては詳しく調べたつもりだが、よくある「日本人の死生観」等の書物は一定の価値観に引きつけ決めつけ過ぎたものが多いので、かなりの数のものを比較検討しないと臆見に堕する危険性が高いものと思う。むしろ、わだつみを初めとした原典にあたることをお勧めする、おせっかいながら。

    また「死生観」「死生」という言葉は明治末期になって初めて出てくる言葉で、それまでは仏教の用語である「生死観」「生死」(それぞれ、しょうじがん、しょうじ)という言葉が使われていたこと、用語の違いが生み出す内容の違いに注意されることは有用ではないかと思う。なお、太平洋戦争当初は「生死観」が優勢であったのに、末期には「死生観」しか見られなくなっていくことは、非常に悲しい気持ちを持った。

  8. 【3318079】 投稿者: 紙つぶて  (ID:Tw.LHFFgXlE) 投稿日時:2014年 03月 10日 11:04

    外務省の長い物には巻かれろ精神さん、

    コピペ、ありがとうございます。
    ブログ主の板垣英憲さんは、ネットでは「左翼の毎日新聞の元記者」として叩かれていますね。この方は思想に片寄らず、時の政権・政策を批判、論述しておられるにもかかわらず、左派も右派も自らの政治的イデオロギーに反する記述には感情的に反論する自己矛盾が見てとれます。

    東条英機を絶対悪とする人間イデオロギーに囚われますと、史実まで歪曲理解することになります。
    領事館は日本政府の機関であったのですから、日本政府はユダヤ難民の命を救ったことになります。

    「五族協和」の根底にあった理念には日帝の統治政策の一端が垣間見られますが、(板垣氏の史実のウラ取りは時間がなくてできませんが)この論述を覆す証差がない限りは、イデオロギーを排除すれば杉原千畝氏の誉を日本政府の誉と同一視することが自明だと思います。

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