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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2690130】 投稿者: 量的  (ID:Ky7nMqOcF/w) 投稿日時:2012年 09月 17日 22:53

    効率→ 公立、@ → &でした。
    どうもすみません。

  2. 【2690684】 投稿者: 遺伝  (ID:Ogny8EubWmw) 投稿日時:2012年 09月 18日 11:23

    >結局のところ、グローバル時代で生きる力とは、資格や・看板でリーダーになる力ではなく、仕事でリーダーシップを取れる影響力・実力なのではないでしょうか、と考えています。


    同感です。
    その一例として、アメリカの就職試験では、
    結果を出している体育会チームのキャプテンをやっていると、
    すごくすごくすごく加点されます。
    社会人になっても、仕事やプライベートでお付き合いがある人に、
    一目置かれることになります。
    そうはいっても世間は狭いので、
    わざわざ自分で言わなくても、勝手に知れ渡ります。
    もちろん大学入試でも、高校時代に結果をだしたチームの
    キャプテン経験者は大きく加点されます。
    アメリカのドラマとか観ていると、医療ものでも刑事ものでも泥棒ものでも、
    なんでもチーム、チームってしつこいほどでてくる。
    とにかくチームが大事。個になにかしらの能力があるのは当然。
    結果はチームを束ねるリーダー次第って。
    社会人になると、結局周りは似たレベルの人ばかりになることが多いので、
    資格も看板も、それほど大きな役には立たないでしょう。


    リーダーの条件について、個人的な考えをザクっといってしまえば、
    知的レベルが高くて、専門の分野に精通していて、
    気遣い抜群で、尚且つ魅力的な人、かな。
    で、リーダーになれるかなれないか。
    それは私は先天的なものが大きい。それにプラスして環境がすごく大事かと。
    学力は努力でなんとかなると思う、機転の利く利かないは、環境で鍛えることができると思う。
    ある程度のマメさも必要ですが、それも習慣にしてしまえばなんとかなる。
    でも魅力的な人という漠然としてものは、
    環境だけではどうにもならない気がしています。


    うちは、「機転、気遣い」に関しては、家で生活していくなかで
    パパ塾状態なんですけど、
    最近どーも、パパの顔色を盛んに伺うようになっていて、パパ苦笑状態。
    まあ、習慣づいてくれれば、外にはパパはいないので
    悪くないかもしれないけど、まだ未知数。
    もの心ついたときから始めてしまったので、先天的な気質はどうなのか、
    まったくわからない状態に。
    あとマメ気質をもっているかどうかは、まだちっともわからない。


    余談ですが、、、
    長らくリーダ不在の日本。
    リーダー不在で、ここまで頑張っているニッポンはかなりスゴイ。
    そうはいっても個の能力、民間の能力が、桁違いってことかなと。

  3. 【2690716】 投稿者: 遺伝  (ID:Ogny8EubWmw) 投稿日時:2012年 09月 18日 11:52

    追記です。


    先にリーダーの条件として
    「知的レベルが高くて、専門の分野に精通していて、
    気遣い抜群で、尚且つ魅力的な人」
    と書きました。
    昨日最終回だった「リッチマンプアウーマン」ってドラマがあったんですが、
    これが結構、胸キュン系としては、私的には10年ぶり以上久々!
    というレベルでいい出来だったと思うのね。
    で、そこには小栗君扮する魅力的なリーダーが出てくるんだけど、
    彼はとにかく気遣い能力ゼロなの。
    でも他に魅力がある男なので、
    そこをフォローする人が何人も向こうから寄ってくる。
    ドラマの中の話ではあるけど、リアルでもそれはありだと思う。
    そういう意味では、ひとりでパーフェクトにできなくても、
    「知的レベルが高くて、専門の分野に精通していて、尚且つ魅力的な人」
    ってことでいいのかもしれません。

  4. 【2691182】 投稿者: 適性  (ID:5MLMY8keo7M) 投稿日時:2012年 09月 18日 17:18

    皆さん、いろいろ、リーダーシップや、その、適格性について、書かれていて・・面白いですね。
    リーダーの条件も、そうそうと、納得できます。

    >修羅場で逃げる人は最悪

    そうでしょうね。

    でも・・
    ちょっと、リーダー湿布について・・・「分けて」考えたほうがいいかもしれないと思った「部分」は。


    ■企業人さんの、所謂、組織をまとめる「立場的リーダー(リーダー業?)」の、場合と・・

    ■量的さんの、仕事をパーツ分け?した場合の、「局所的、自然発生的リーダー」の場合・・は

    同じリーダーシップですが・・「意味(質)」が「違う」部分を感じます。


    大雑把に、わけると・・・・

    『大局的』部分で、正しい?判断(決断)と、その判断の実行を、部下?全員に、伝える能力。
    。所謂 旧来のリーダー像(指導者)

    『局所的』部分で、正しい判断(提案)と、その実行を、上司、部下、同僚に伝え、リードする能力。
    フラット的、リーダー像。

    でしょうか・・・

    量的さんの・・

    >仕事でリーダーシップを取れる影響力・実力なのではないでしょうか、と考えています。

    は「指導者」を、意味してはいない。(指導が仕事の場合もありますが)
    まずは、ここ(仕事で)を、目指すというのは、生徒、学生にも「わかりやすい」と思いますし。

    生徒、学生も・・自分は、リーダー「タイプ」ではないので、「リーダーシップ」について、『かかわりたくない』・・と考える場合も、けっこう多いと思うのです。

    しかし、量的さんの、言う、リーダーシップを、意識することは「可能」である。

    十分な実力(能力)があるのに・・・もったいないのは。
    「局所的リーダーシップ」を発揮する意識がないために・・・それが、影響力として、仕事(結果)に現れない。

    つまり、「自分には価値があるのに」・・外部からの評価されないことになる・・・ということを、「局所的リーダーシップ」さえも忌避する人に、伝える必要があるかもしれません。


    悪いイメージの「立場的リーダー」の下で「イエスマン」が、次の「立場的リーダー」になるという、パターンではなく・・「局所的リーダー」をクリアの先に、適性があれば、自然に・・・というイメージになると思います。



    「立場的リーダー」でない場合は、自分は『非』リーダーという意識。  から

    「立場的リーダー」でない場合でも、局所では、自分は「リーダー」的動きを意識する。
    (決定権があるかないかは、別にして)

    だけで・・・「大きな違い」になるかもしれません。

    しかし・・これは、前提として・・・環境的な問題があって・・・先に・・・
    「組織」「立場的リーダー」が、局所の「リーダー」的動きを、推奨する。各人も、そこを意識した動きをする。そして、それを、繰り返し、レベルを上げていく。
    『局所的』のリーダーシップによる、ある種「混乱」を、コントロールする方法も、メンバーに、共有される必要があるかもしれません。(フォロワーシップも意識させるなど。)


    学校における、「リーダーシップ」教育で、生徒間では、基本フラットなのですから、生徒が、『局所的』のリーダーシップを、意識すること、また、それを、「すくい上げる」ことは、「まとめる」ことは、いい経験になると思います。それは、可能だとも思います。
    生徒会長、部活のキャプテンだけが、意識するのではないですから・・・


    ワンマンって『大局的』『局所的』すべて、自分で、判断して、指示したい人でしょうね。
    その方が、統一的で、効率的部分もある。のでしょうけど・・・・・下は、育たないですよね。

  5. 【2691431】 投稿者: 通りすがりの企業人  (ID:0V719G1dCHs) 投稿日時:2012年 09月 18日 20:47

    適性さん

    コメントありがとうございます。
    ご指摘のリーダー像は、おっしゃる通りと思います。

    私は、部隊が20人くらいのときは、部下の家庭や交友関係まで通暁していたし、各人が一日で何をやったか、把握していました(こちらは当たり前ですが)。
    100人超えると、そういうマネージメントは通用しません。ここで質的な変化が起こります。

    もうひとつ言うと、現業部門とスタッフ部門はおおいに状況が異なり、社長スタッフで数十名率いていてもスタッフはスタッフ、異国の地で、日本人一人と現地採用3人で営業所を切り盛りしている小隊長は、これは、小隊長であっても、スタッフとは比較にならない胆力を必要とします。(うちの会社も、このへんわかっていない人が多い)

    技術者であれば、会社のラインに乗らなくても、業界団体をまとめる、とか、標準化で日本の求心力になる、とか、専門性を活かして会社横断的なリーダーになる人が多いです。また、こういう人は、会社で部長や本部長になる人より、余人をもって代えがたく、もっとも求められるリーダー像かも知れません。

    しかし、業界の技術的求心力になっている人に50人の部隊を任せるとからっきし、ということもあり、それぞれ、得手不得手があるんだろうとは思っています。

    ===
    私が主張したかったことは、もうひとつあって、どちらの種類のリーダーであっても、個人的な野心とか、妄執とか、執念とか、そういったものが無いと、なかなかうまくいかないのではないか、ということです。こういうところが無い人は、まず、リーダーたりえないのではないか、と考えています。常に公共の福祉を考えているような人ではないだろうと。

    それだけでは、一部の投資銀行のように、金がすべて、になってしまうので、使命感とか、まあいろいろ付帯要素も必要かな、ということです。

    これも有名な話で、言わずもがなですが、北大の恩人、クラーク博士のいう、ambitiousは、大志、と訳されていて、それはそれで美しいし誤訳ともいえないのですが、もう少し、野心、に近い、と言われていますね。

  6. 【2691722】 投稿者: スプリング  (ID:hmsTu8o1.II) 投稿日時:2012年 09月 19日 00:11

    昨夜、NHKの「TEAM最高の自分になれる場所~
    美容家電の女たち」を見ました。

    パナソニックの美容家電開発チームの
    ドキュメント。
    「忙しくても美しくいたい」
    等身大の女性達のための商品を開発したくて、
    別々の部署から自然発生的に集まった、
    女性ばかり7人のチームの物語。

    日頃、男性職場(上司は男性、同僚もほぼ男性、
    部下も男性)で働いている自分は
    「いいなあ~」と思いながら、とても元気をもらった
    番組でした。

    で、リーダーシップの話、でもあったのですね。
    起業家(アントレプレナー)タイプの、
    リーダーシップ、かな。

    同世代の女性達が本当に欲しいものは何だろう、
    その目的のために、議論し、協働し、
    上層部を巻き込み、それまでの常識を変えながら
    作り上げ、できあがった商品をひっさげて売り込みをかけ。。。
    最初から最後まで、自発性に貫かれた、プロセス。

    番組を見ながら、思い出していたのですね。
    中高生の時期の部活とか、行事に向けた活動、とか
    「何よりも自分達がやりたくて」
    仲間と協働して作り上げていくプロセス、を。

  7. 【2691724】 投稿者: スプリング  (ID:hmsTu8o1.II) 投稿日時:2012年 09月 19日 00:13

    そう言えば、秋は文化祭の季節、ですね!
    うちの娘は、文化祭の前、10月に入ると、毎朝5時起きして、
    6時前には ダーッッシュ!!!! で、学校に飛び出して行きます。
    普段でも、弾丸のように飛び出して行くのですが、
    文化祭前は、「弾丸度」が増す、感じです。

  8. 【2691786】 投稿者: 量的  (ID:Ky7nMqOcF/w) 投稿日時:2012年 09月 19日 01:00

    適性さん、

    わたしはリーダ-とリーダーシップは、使い分けをきちんとしているつもりです。議論の順番は、あくまでリーダ-シップからですね。(*)リーダーシップは自然発生的です。キャプテンだからリーダシップがあるわけではない。


    この点をコロンビア白熱教室@慶應BSの冒頭で、シーナ・アイエンガーさんが言っていたことは、わたしと同じ意見です。リーダーシップと、リーダーを混同する意見は、巷に溢れていますが、分ける必要があります。

    以下思いつくままの雑談です、。

    1) いま必要なのは、第1にリーダ-シップがある若い世代の育成。
    2) ここで、リーダーシップとは、「物の見方」「価値をどこに置くのか」という個人の「選択」からスタートすべき。
    3) 何が価値なのか、を見出すことは千人いれば千人違って構わないが、ビジョンなき「価値」の追求は、国家における才能
       の損失だと思います。「選択」の授業は、その王道の入口。
    4) 4)で書いたことは、国家のために、人生をささげるとか、滅私奉公を意味するものではなく、
       「社会貢献度」と「自分の”ものさし”での満足度」を両立させる形で、人生を設計できる頭を持つということ。
       これが大人になるということの本質だを知ること。


    (*)リーダーとは、組織によりなんらか指定されたものです。リーダーシップとは違う。リーダーとリーダーシップは同じではなく(むしろ多くの場合には無関係で)関係性ありき、で立ち現れるもの。   


    ・・・これが日本の教育の中では、全く教えられないからです。もちろん、子供の私立中高一貫でも、公立高校でも教えられてはいない。(今に始まったことではないですけども)

    ・・・今、学びの現場にあるのは、散文的な「知識」、知恵の「断片」の伝達。お手軽に「検索」できる情報の羅列。これが入試であろうが、その後の社会でのノウハウであっても。そこに、自分で探すことの「意味」とその能力開発を掘り下げたものはない。「ただ、やれ」というだけ。稚拙な教育論とテクニックです。「ち」とはかけ離れている。

    だから、欧米・アジアの優秀層にどうしても若い日本人は「実践哲学」で勝てない情勢。明治期の日本人、あるいはわれわれの世代のように、みづからの頭(体も)を使うこと(=リアル)を、バーチャルな学びにいかに入れるか、実戦している身近な大人から吸収できるか、ですね。

    ・・・だから、こどもにその機会をいかに与えるか、これを国民一人ひとりが、
    自分の子供に、まず、やる。これが出発点であり”希望”。

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