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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04
皇室の弥栄を願います。
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【3274877】 投稿者: 紙つぶて (ID:APpIwZzXJbA) 投稿日時:2014年 02月 07日 09:48
歴史・資料・想像力 さん、
あなたがおっしゃるように、創氏改名が法的で制度的に義務であった思います。また、創氏改名が他民族の尊厳を損なう性質のものであったことも同意です。
しかし、強制性はどうでしょうか?例えば、現在ではNHK の支払いは法的に国民に課せられていますが有無もない強制と同義ではありません。
>手持ちの書籍には、その意味での強要を示す具体的な資料は見当たらない。一方で創氏することによって権利が与えられたという事例を示す資料も見当たらない。ご存知であればご教示願いたい。
そうですね、資料はないようですが、数日前にひまわりさんより以下のレスをいただいております。
>紙つぶて様、調べてみたら赤旗が以下の理由で強制があったと書いています。
「創氏改名は、申告制でしたが、事実上強制でした。一族で届け出を拒否した人、祖先に申しわけないと自殺した人など、さまざまな抵抗がおこり、「創氏」の届け出は、3カ月後の40年5月20日にいたっても全戸の7・6%にすぎませんでした。同年8月10日までに全戸数の80%が創氏届けを出しますが、これは、応じなければ学校に入学させない、役所の手続きに応じない、「反日分子」として徴用の対象にするなど、強制した結果でした。」
さて、Wikiによれば、初代総督、伊藤博文が就任当時、朝鮮には学校の数が40校しかないことに衝撃を受けたとあります。また、このような状態の朝鮮半島に、総督府による統治以前に機能的な「役所」は存在していたのでしょうか?以上のように考えますと、元来朝鮮の支配層から虐げられていた多数の朝鮮人にとっては創氏改名により受益者になり得たとの解釈も可能になります。朝鮮人が「望んだ」とは思いませんし、従面腹背な朝鮮人もいたのだろうと思います。
他投稿者による朝鮮人の日本への密入国のコピペ資料を見ますと、新たな疑問も沸きますが。
すみません、時間がないので、あなたからの後半の質問には後ほど返レスさせてください。 -
【3274927】 投稿者: 紙つぶて (ID:APpIwZzXJbA) 投稿日時:2014年 02月 07日 10:13
従面→面従に訂正です。
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【3275425】 投稿者: 紙つぶて (ID:APpIwZzXJbA) 投稿日時:2014年 02月 07日 15:54
歴史・資料・想像力 さん、
続きです。
>私は、戦後、大蔵省・文部省(当時)など、強制・無理があったことを認めるメリットがないものが、自ら(設定創氏の)強制、無理があったことを認めていることに注意を払っている。このことをどう解釈されるであろうか。
やはり、資料や史実がなければコメントのしようがありません。
>また、以前に挙げた坪井幸生発言についての感想をできれば伺いたい。ちなみに、坪井は勿論、対談相手の呉善花も親日であり、日本は朝鮮統治時代悪いことはしていない、という全体的トーンの中での発言であることを付記しておく。
公立高校が総督府により設立された学校であるなら、入学手続きの一つであったと考えられます。米の配給云々も、「~ようだ」と書かれたあたりやはり資料がないのではありませんか?
>もう一つ、設定創氏が8割に及んだ一方で、改名したのは1割に満たないことをどう考えられるか。このことは、つまり、朝鮮人の少なくとも7割は、例えば金大中から金本大中になったことを意味する。これは、朝鮮人自身が日本人名を名乗りたがったという主張(紙つぶてさんの主張でないことは承知している)と整合するであろうか。
整合する可能性もあります。朝鮮人が日本式名を選択した理由はネット上に諸説あるようですが、いずれにせよ、朝鮮名より日本名の方が生活していく上で都合が良かったのでしょうね。 -
【3275568】 投稿者: 歴史・資料・想像力 (ID:769pvrCuGrY) 投稿日時:2014年 02月 07日 17:34
ひまわりさん
>「設定創氏」は届出期間中に、届出された氏で、日本式の名前を届ける場合と朝鮮式の本来の姓を氏に変える届ける二通りがあるということ。「法定創氏」とは、自分で届出をしなかった者に対して、自動的に姓が氏になったということ。
政令20号文言からすれば設定創氏の場合に朝鮮姓を氏とすることが可能なことは明らかだが、実務としてかかる届出が受け入れられたかについては二説あって判然としない。創氏が皇民化政策の一つとして行われたことから日本風の氏の設定のみが受理されたとする説を無批判に受け入れていたが、この点はわからないとしか言いようがない。先に、設定創氏=日本風の名前の届出と断定した点はお詫びして訂正させて頂く。
>ですから、日本式を選ばなかった場合でも届けることになっているのではないでしょうか?
どちらにしても届ける義務があったということです。
届出制というものを理解していないということ。貴方の論旨に従っても、どこから届ける義務があった、となるのか理解しがたく論評は差し控えるが、届ける義務がないことが政令20号を読めば明らか。
>届出の推移の数字についてですが、私も5、6月以降に「何か」があったと思います。届出の駆け込みをおそれて行政が推進しただけだと思います。
「行政が推進した」内容が問題であろう。いったいどのように「推進」したら10%代の届出が3ヶ月間で80%に達しうるのかということだ。例え話になるが、政治学の世界では異様に高い投票率は投票の強制が背後にあることを示すというのは常識である。また、届出の駆け込みを恐れたというのは事実によって否定されているといってよかろう。先の届出実績でお分かりの通り、8月は10日間で100万件、一日10万件の届出を捌いている。4月までの30倍以上、7月と比較しても3倍の量である。
>行政が制度として、別姓を同姓にした理由を調べてみたいと思います。
まだお分かりでないようだ。別姓を同姓にした、のではなく、血縁一族名である姓を否定し、家の名である氏に切り替えさせたという事。婚姻によって血縁は変わらないから夫婦別姓は当然。一方婚姻によって家を作ったのだから、家のメンバーは全てその家の名である氏を使うのが当然、したがって夫婦同氏が当然と言うことである。近代日本は氏と姓を曖昧にしか区別しないのでわからないのかもしれないが、天皇を擁護しながら、八紘一宇の中心概念である「家」とその名としての「氏」という概念すら把握しておられないのにはいささか驚いた。
紙つぶてさん
義務であることと強制されていることは同義であると私は考えるが、見解の相違である。わざわざ「有無もない」という形容を忍び込ませる必要もない単純な話であろう。
赤旗の記述は、既述の通り、鎌田沢一郎の孫引き、ひ孫引きだろう。
>元来朝鮮の支配層から虐げられていた多数の朝鮮人にとっては創氏改名により受益者になり得たとの解釈も可能
これは典型的な占領側の論理。「悪政・圧政に喘ぐ民族を解放する進歩した占領国」というステロタイプの発想。それそのものに大きな疑問があるが、より重要な問題はそれを、貴女が認める通り、民族の尊厳を損なうことと引き換えで行ってよいと考えるかどうか、その点に掛かっている。それを是とするなら、民族の尊厳を損なう性質のものだった、などと大層な表現を生半可に使わないことだ。民族の尊厳など大層なものではないとお考えであることを示している訳だから。
>資料や史実がなければコメントのしようがありません。
大蔵省の資料は以前に示したし、文部省見解は教科書問題で有名になった話であるのだが、見返したり、調べる余裕もないのであれば、わざわざ「コメント」戴かなくて結構。
その後のご発言を含め「日本は悪いことはしないと信じたい」というだけで、批判的に振り返ってみることのできない方とお見受けするので、貴女とのやりとりはここまでとさせて頂く。
最後に一つだけ言っておくと、帝国議会での創氏強制に関する質問・答弁(ネットでで簡単に入手可能)と先述の大蔵省資料等にあたって、事態直後には強制があったと当事者が認めていたものを、資料が散逸したころになって強制はなかったと主張することが何を意味しているのか、一度虚心に考えてみることをお勧めする。 -
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【3275639】 投稿者: 特異な植民地支配 (ID:APpIwZzXJbA) 投稿日時:2014年 02月 07日 18:26
朝鮮の歴史で教えないことがある。
戦前の内地に住む朝鮮人には日本人と同じように参政権があったことだ。
1920年の衆議院選挙では、所定の納税者の朝鮮人が選挙権を行使している。
1925年には普通選挙法が成立
納税とは関係なく選挙権・被選挙権が与えられた。
朴春琴は1932年から42年までに実施された四回の衆議院議員選挙に東京4区で立候補した。
うち32年と37年の二回当選している。
在日では他に何名かが立候補しているが、落選となっている。
なお地方議会議員選挙でも立候補した在日はかなりの数にのぼり、当選も少なくない。
戦前の選挙法では、立候補は戸籍名で行なうことになっていた。
従って1940年の創氏改名令以前は、当然本名=民族名での立候補だ。
前述のように朴春琴もその名前で立候補し、当選した。
日本人からも多数の支持があったためで、民族名はマイナスにならなかったことが
よく分かる。
創氏改名令後に行なわれた1942年4月の衆議院選挙
朴春琴、李英介、李慶圭、李善洪、辛泰獄、任龍吉の6名が民族名のままで立候補している。
日本名で立候補した朝鮮人はいない。
彼らは創氏改名後も名前を変えなかったものと思われる。
軍国主義最盛期といえる時代にである。
この時の選挙結果は同一選挙区で競合したこともあって
全員落選であった。
選挙では有権者はハングルで投票することが認められていた。
1930(昭和5)年1月31日に内務省法令審議会はハングルの投票を有効とした。
ハングル投票が予想される選挙区の投票管理者には、諺文字書が配布された。
植民地の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは、
世界植民地史上おそらく唯一ではないかと思われる。 -
【3275688】 投稿者: 二俣川 (ID:b1my93egxwg) 投稿日時:2014年 02月 07日 19:05
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分かってないな。もっと本質を考察せよ。
軍事力を背景にした強引な韓国併合に対する植民地の人々からの反発は大きかった。
そこで、「内鮮一体」を建前とする日帝は、表面的には差別に関わる部分を隠ぺいしようと画策した。
その一環として、日帝協力者らを候補者にでっち上げたのではないか
(また、それら一味の象徴が、元日本軍将校であり戦犯岸信介の盟友でもあった、軍事独裁者朴正煕である)。
ナチ占領下でのフランスやユーゴなど、被占領地域でのファシスト協力者らへの優遇ぶりを見よ。
「明日からここはドイツになる」と述べ、フランス万歳と板書して学校を去った心ある先生の有名な実話もあった。 -
【3275694】 投稿者: 二俣川 (ID:b1my93egxwg) 投稿日時:2014年 02月 07日 19:08
>その後のご発言を含め「日本は悪いことはしないと信じたい」というだけで、批判的に振り返ってみることのできない方とお見受けするので、貴女とのやりとりはここまでとさせて頂く。
そのお気持ちよく分かる。
私も当初の「期待」が幻想であったことが分かり、失望した。
何ら科学性・公平な客観性を持たぬ御仁であった。
相手にするだけ徒労である。 -
【3275739】 投稿者: 階級制度 (ID:Obj8Y4fkqrI) 投稿日時:2014年 02月 07日 19:42
朝鮮王朝時代の八段階の階級で最も階級が低いのが、白丁という奴隷階級です。
日本が奴隷階級の白丁を解放しましたがそれでも韓国で激しい差別を受けました。
生活が苦しくなり日本に大量移民したと考えられます。
韓国へ帰国すれば白丁として日本に住んでいるより差別を受けました。
韓国人の中で日本に住む在日への気持ちは朝鮮戦争の時逃げた人間、
兵役逃れたい人間、という視線があり帰国できな状況もあります。
在日が北朝鮮に帰国すれば朝鮮戦争の時逃げた罰で強制収容所送りです。
そこで日本に残るために強制連行と言う嘘を付き始めたのかもしれません。
マルハンの会長が戦後のどさくさに紛れ、兄の手引きで一緒に密航して
来日したと証言していますね
http://www.youtube.com/watch?v=cdr06WIqK0k&feature=related
戦後でも現在でも韓国、朝鮮人の密入国はあとをたたないのが真実です
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