最終更新:

6763
Comment

【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【2526266】 投稿者: 通りすがり2  (ID:TCKob3UQX3o) 投稿日時:2012年 05月 01日 12:37

    高校生親 様

    はじめまして。
    信頼感様のやりとりを、興味深く拝見させて頂いておりました。

    御二方の言いたい事が、よくわかる(気がしている)ので、やりとりを見ながら、ずっーともやもやしておりました。
    私から見ると、御二方は同じ「志・気持ち」を見ているのですが、「観点」(見ている位置)が違うのではないかと思っております。


    当たり前ですが、人は、学生時に「教育(教育活動)」を受け、社会人になり「仕事(経済活動)」をするようになります。
    それぞれの活動の目的を考えると、

    ①「教育活動」・・・純粋に「人を育てること(自分が育つこと)」が目的
    ②「経済活動」・・・目的は非常に複合的(「利を上げること(生活費をかせぐこと)」、「自己実現(幸せになること)」、「社会貢献(人に役立つこと)」等・・の複合)

    と、違いがあると思います。
    「教育活動」においては、「人を育てること(自分が育つこと)」が純粋な目的であるのに対し、「経済活動」においては、純粋な目的というよりは、上記のような複合的目的を達成するための1つの「手段」に変化していると思います。
    もちろん、「経済活動」する頃には、既に「一定の成長」をしてしまっているということも大きいと考えられます。

    おそらく、「信頼感様」は、主として「教育活動」という観点から、純粋に「人を育てること(自分が育つこと)」を主たる目的として見た場合、「志・気持ち」というものに「優劣をつける(市場規範を取り入れる)」のは、マイナスの面があるとおっしゃっているのだと思います。
    実は、私もそう思っています。
    「人を育てること(自分が育つこと)」とは、まさに「志・気持ち」自体も育てるということでもあります。
    その成長中の「志・気持ち」に、外から半強制的に「優劣」を与えてしまっては、「劣」と評価された「志・気持ち」(もしくは、その気持ちを持っている子供)は、成長できなくなってしまうと思います。

    ですから、入試のようなもので、「志・気持ち」の優劣を判定し合否を決めるようなことをすれば、「教育活動(人を育てる)」という観点でみれば、マイナス面が大きい(人が育たなくなる)のではないでしょうか。
    (これは、蛇足ですが、憲法26条では、教育を受ける権利は「能力」以外ものもので(つまり今回のような、「志・気持ち」の強弱で)、差別してはいけないとあります=私の解釈ですが)


    一方、高校生親様は、「経済活動」という観点で見れば、「志・気持ち」は非常に大事なものだと感じていらっしゃり、「自分の行動」を動機付ける「アクセル」になると考えていらっしゃるのだと思っています。

    ご自身の経験からも「志・気持ち」は重要であると考えており、また、「経済活動」は目的が様々で、しかも、仕事により多種多様な能力が求められるものであるから、どのような能力であっても、その能力を最大に出させる「志・気持ち(アクセル)」が肝心だとお考えになったのではないでしょうか。
    それで、「経済活動」においては、「強くアクセルを踏める人間(志が強い人間)」が多く必要で、その人たちが社会で活躍できるように、良い教育を与えるべきだというお考えになったのではと思いました。


    「人」を「車」に例えれば、

    高校生親様は、

    「速く走る」には、「アクセルを強く踏めること(強い志・気持ち)」が肝心であると考え、

    一方、信頼感様は、

    「速い車をつくる」ことがまず大事(結果的には、強い志・気持ちも同時に育つ)というお考えなのでは、と思いました。

    確かに、「速い車をつくること(人を育てること)」「アクセルを強く踏めること(強い志・気持ちを育てること)」両方、大事なんですよね。


    これは、あくまで、私の勝手な想像です。
    検討違いであれば、すみません。

  2. 【2526461】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 05月 01日 15:41

    通りすがり2様


    レスありがとうございます。


    私もその後も振り返りつつ色々と考えているのですが、私自身の中で2つの問題意識を整理しないままお話ししていたのが混乱の元だったかと反省しています。


    最初に大学教育を受けさせる前提として、社会に貢献しようという志(今にして思えば姿勢、という言葉の方が適当だったかもしれません)を問いたいという意見をしたときは、寧ろ「本人の経済的成功なんかではなく」社会に貢献したいという姿勢を思っていました。憲法の教育を受ける権利は、(主に)義務教育に関することではないかと思っていて、国がおカネも掛けてやる事業である大学教育については、自分の事しか頭にない人間にそれを与えてどうすんのよ、という気持ちでした。


    ところがもう一方の問題意識として、日本が国として、また企業単位でも、経済面で世界で戦えなくなっているという事態を変えられるとすれば教育から変えるしかないと思っていて、ここで主張、というかニュアンスが一緒くたになってしまったと思っています。


    車の例えについてはまさにその通りで、分かりやすく纏めて頂き感謝しております。


    私がその後考えていたのは、プロフェッショナルと呼ばれる人の仕事振りです。私の経験でしかありませんが、私がプロフェッショナルだなあと思う人の仕事には感動を覚えます。自分自身がなかなかその領域まで行かないので想像でしかないですが、プロフェッショナル達にとっては、感動を与えるような仕事をしたいと言うのも動機づけの一つになっているのではないか。しかし一方で、これも私の経験では、プロフェッショナル達はしっかりと高額報酬を求めてくることが多い、というか多数がそのように感じます。金銭的動機と仕事の中身、それによって感動を与えると言ったところが矛盾してないように感じます。簡単に言うと、高い報酬を求めるくらい自分に、仕事に誇りを持っている人は良い仕事をするということになってしまうのかも知れませんが。その辺の事をウダウダと考えています。

  3. 【2526604】 投稿者: シルバースプーン  (ID:JnsPyIAjwmY) 投稿日時:2012年 05月 01日 18:05

    高校生親さん

    プロフェッショナルと呼ばれる人が高額報酬を求めるのは
    自分の価値を量るものさしがお金しかない場合(依頼者)に限る、と私は考えます。
    (ほとんどの場合がそうなのでしょうが)

    例えば、ある仕事の相場が100万円だとして、
    その道の第一人者だと自負するプロが150万円を要求したとします。
    そのプロは、50万円余分に欲しいからというより、
    「他の人には150万円を出さない」という「自分の価値の証明」が欲しいのだ
    と思うのです。

    逆に、別の依頼者が「50万円しか出せないが、あなたにしかできない仕事なんです!」と
    強い熱意をもって持ちかけてきたら…
    少なくとも門前払いはしない、会って話を聞いて熱意が本物なら受ける、
    プロフェッショナルとはそういう人でしょう。
    この場合、依頼者の熱意が「自分の価値を量るものさし」になるわけです。

    プロフェッショナルにとっての報酬とは、
    外的要因(インセンティブ)の姿をした内的要因(モチベーション)である。
    これをひとことで言うと「手塚治虫のブラックジャック的価値観」なのですが(笑)
    職人やクリエイティブな業界の方なら誰もが持ち合わせていると思われます。
    地域、時代さん、いかがです?

  4. 【2526886】 投稿者: 高校生親  (ID:EQyYQsObNRo) 投稿日時:2012年 05月 01日 22:56

    シルバースプーン様

    インセンティブの顔をしたモチベーションというのは良く分かります。カネの背後にある評価が重要で、評価が明確ならカネにこだわらない、と言うことかと。
    ただですね、ちょっと意地悪く考えると、それってやはりぜいたくの範疇なんじゃないかな、と。そこでは、そもそも高額の報酬が前提で、でも必ずしもこだわらないってことですよね。
    わたしはそれも全然悪くないと思うけど、カネじゃないよー、というのとは少し違うかなと思います。

  5. 【2526888】 投稿者: 地域、時代  (ID:Nsyjs1.FIvw) 投稿日時:2012年 05月 01日 22:57

    シルバースプーン様

    私自身は、シルバースプーン様のおっしゃる

    プロフェッショナルにとっての報酬とは、
    外的要因(インセンティブ)の姿をした内的要因(モチベーション)である。

    この通りかと思います。

    ですので、マネージメント会社が間に入り、個人の嗜好の偏りを修正してくれるのです。
    自分で「私の価格はこれだけです」と言える、また「お金が欲しいのでこの仕事を選びました」と思いクリエイティブな仕事に就くものは、少ないかと思います。

    仕事の依頼やコンペ、職種によってはオーディションの期日、ギャラ、それらを個人把握しながらとてもじゃないけれどやっていけるものではない、、と私は思います。
    普通はマネージャーが居て、それらの煩雑な業務を一切合切引き受けてくれるのですね。
    だからこそ、クリエイターは自由に表現出来る。
    自分の表現に没頭出来る。

    もちろん、報酬と仕事の内容はケースバイケースなんですけどね。
    また、自分がやりたくてやりたくて仕方のない仕事は、報酬が低くても、「やりたい」ですね。

    高校生親様は商社の方なんですよね。
    ですので、プロフェッショなるの業種が違うんだろうな~と思っています。

  6. 【2526894】 投稿者: 地域、時代  (ID:Nsyjs1.FIvw) 投稿日時:2012年 05月 01日 22:59

    私が書いている間に高校生親様が出てきて下さいましたね。

  7. 【2526903】 投稿者: 地域、時代  (ID:Nsyjs1.FIvw) 投稿日時:2012年 05月 01日 23:05

    プロフェッショなる って、自分で書き間違っていて可愛い♪

    プロフェッショナルですね(笑)。

  8. 【2526913】 投稿者: 地域、時代  (ID:Nsyjs1.FIvw) 投稿日時:2012年 05月 01日 23:13

    ただですね、ちょっと意地悪く考えると、それってやはりぜいたくの範疇なんじゃないかな、と。そこでは、そもそも高額の報酬が前提で、でも必ずしもこだわらないってことですよね。
    _____________________________

    高校生親様

    高校生親様がご自分でお書きになった「プロフェッショナル」は、どういった業種のプロフェッショナルの方たちなのですか?

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す