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投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 17日 22:04
皇室の弥栄を願います。
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【3128431】 投稿者: 憲法基本原理と天皇 (ID:BzkpCcGE.pA) 投稿日時:2013年 09月 28日 22:32
ひまわりさん
差し出口ながら、ガーター勲章について他サイトの丸写しはいかがなものか。天皇擁護派としての見識が問われよう。 -
【3128473】 投稿者: ひまわり (ID:F.NuWPIwbnA) 投稿日時:2013年 09月 28日 22:55
憲法基本原理と天皇様
申し訳ございません。弁解のしようもありません。
恥じ入るばかりです。
このようなことで、これからも書き込むことはできません。 -
【3128490】 投稿者: 赤い彗星 (ID:U6Qqh4r9Nc.) 投稿日時:2013年 09月 28日 23:05
じゃあ、チ○棒タイムかしらね。
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【3128574】 投稿者: 紙つぶて (ID:fKgMWdXV2is) 投稿日時:2013年 09月 29日 00:17
>国民の他力本願的な忘我状態と言われる意味を正しく理解できているかわからないが、私には、国民が自ら国家の重要事を決定し責任を取る覚悟をしない、すなわち主権者として振舞わないことと同義と映る。
はい、そういう意味です。
>問題はここなのである。そしてこのことは、国家の重要事の多くが「あいまい」であることと多いに関係がある。人は曖昧なことに対して、決定し、責任を取る覚悟をすることはできない。逆にいえば、日本国民は、決定し、責任を取ることを回避するため、国家の重要事をあいまいなままにしておきたいのであろう。何年も前に大江が「あいまいな日本」と喝破している。
それとなく、仰る意味はわかります。その曖昧さは、日本の古典芸能の「間(ま)」として解釈されたり、書院造りを代表するように建築物にも「間」としても解釈されていますね。また、一昔前の朗読士にも「間」が多分にあったと言われています。つまり、それは相手の解釈に一任することであり、投げ手は、相手と自分の中に思いや価値観の共有を期待すると云ったところでしょうか。そして、これらが現代でもまだ受け継がれているのでしょうね。「日本人の不思議」としと文化と相関づけての解説本も多数あります。善くも悪くも、間、曖昧さは、腹芸、言わずもがな、遺憾、最近では菅義偉氏の「違和感」とか枚挙にいとまがありません。日本人には、なかなか政治の部分だけをチョキチョキ切り離す器用さはないのかも知れません。
>私にとっては、そのあいまいさの頂点にあるのが天皇制である。歴史上日本を率いた実績が殆どなく、昭和天皇の戦争責任は不明確なまま、米国によって生かされた天皇、これをいかなる根拠で国家の中心的な場所において仰ぐように尊重するのか、各位の所論を伺ってもまったく不明確である。
この点においては、歴史事象をどのように咀嚼していくかは個人のイデオロギー、信念、環境などの影響が大きいところです。私は天皇陛下が国家の中心であると考えたことはないですが、政治的な中心ではないけれど心の片隅にあって存続を願うものとしてひっそりと息づいています。
>世の森羅万象がすべてあいまいさを残さず、合理的に割り切れるとは勿論思わないが、国家の重要事についてはあいまいさを排除し、自ら決定すること、それを体現する政治体制を構築することが必要であり、そのことによってのみ、あなたの言われる国民の他力本願的忘我状態から抜け出せると考えるものである。
どうしたら、国民が他力本願的亡我状態からぬけ出せるのでしょうね? 私には答えは出せません。しかし、もし共和制になったとしても初めはもの珍しさから熱心な主権者となっても、あとは元の木阿弥状態にならないとも限りませよね。情けないことですが。
>投票率の推移をもって、主権者意識と天皇制の無関係を論証される点、論旨に混乱があるように思う。再検討されたい。さしあたり、投票行動は現行政治体制における主権者意識の「一つの」尺度でしかないことを指摘しておく。
う~ん、投票が主権者意識の一つの行動であるなら、その分母となる残る行動的尺度ではどのようなものがありますか? 検証してみますので、ご提示頂けたら助かります。
>国民統合の象徴については、憲法制定過程、この文言に関する米国の意図を再検討され、そのうえでなお、国民統合の象徴として日本国民が主体的に決めたと言えるかどうかをお考えいただきたい。
ラジャー、です。 -
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【3128581】 投稿者: 紙つぶて (ID:fKgMWdXV2is) 投稿日時:2013年 09月 29日 00:21
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憲法基本原理と天皇 さんへのレスでした。 -
【3128701】 投稿者: SSJ (ID:Gm4dkv7J9MM) 投稿日時:2013年 09月 29日 07:35
>「国民主権」である以上、その国の政治によるあらゆる結果は、100%国民に責任があることになります。
どんなに政治が腐敗していても、それはその国の国民が招いた結果ということです。
>国の歴史を受け継いで、国民となるのだと思います。
どんな国でも歴史や宗教や伝統をもったナショナリズムがあるはずです。
あのアメリカでも200年なりの歴史や宗教がありますし、フランスでも歴史に裏付けられた国民性や国柄があると思います。
そうですね・・・、完全に歴史から切り離されたイデオロギーだけで国を作ろうとしたのが、虐殺と収容所の恐怖国家であるソ連とお隣の中○でしょう。
この2つは矛盾している。
歴史や伝統ある天皇皇族が先の大戦で多くの犠牲者を出し亡国へと導いた事実を考えれば
歴史に根差したイデオロギーで目指したのが戦前の恐怖国家日本ではなかったか。
スレヌシさんよ
日本を平和で安全安心な社会にするために
我々の手で天皇を倒し
国民のための理想的な国家を我々の手で築いていこうではありませんか。 -
【3128767】 投稿者: 憲法基本原理と天皇 (ID:BzkpCcGE.pA) 投稿日時:2013年 09月 29日 09:00
>日本人には、なかなか政治の部分だけをチョキチョキ切り離す器用さはないのかも知れません。
そこを逃げてはいかんのではないか。楽に、器用にできることではない。現在の日本の政治は西洋の理詰めの制度を輸入しているわけだから、そこにあいまいさを持ち込んで上手くいくわけはない。出来る限りあいまいさを排除し、国民が判断・決定し、国民が責任を取ることを明確に出来る様にしていくことが何より肝要であろう。その意味で、昭和天皇の戦争責任を詳らかにしたうえで、国民投票等を行い、国民の多数が皇室諸経費年間150億円を負担しても残したいということを明確にするならば、天皇制維持を語る余地はあろう。
>私は天皇陛下が国家の中心であると考えたことはないですが、政治的な中心ではないけれど心の片隅にあって存続を願うものとしてひっそりと息づいています。
憲法に国、国民の統合の象徴と規程され、(少なくとも相手から見れば)国を代表した形で海外を訪問する天皇が、国家の中心的な場所に置かれていなくて何と考えればいいのか。
>どうしたら、国民が他力本願的亡我状態からぬけ出せるのでしょうね? 私には答えは出せません。しかし、もし共和制になったとしても初めはもの珍しさから熱心な主権者となっても、あとは元の木阿弥状態にならないとも限りませよね。情けないことですが。
簡単ではない。共和制移行=結果良しではないだろう。しかし、一つずつでも他力本願的要因を取り除いていくしかないのではないか。 -
【3128849】 投稿者: 二俣川 (ID:dvGf9cjemWw) 投稿日時:2013年 09月 29日 10:40
>え~っと、そんなところが「大人げない」って思ったんですよ(^^;
ここには、感情と論理を混同する方がいる。
人間関係に、「あいまい」や「調和」の要素が必要なことは理解する。
しかし、それと思想や信条の部分は別である。
意見の違いを認めつつも、互いにもっと議論を深める努力を尽くすべきだ。
そのあいまいさが、米国の占領政策に依るとはいえ、天皇の戦争責任を不問とし、
われわれ主権者自らが戦争責任を問うことを怠ってきたことの原因である。
結局、そのツケが本スレにも影響を与えている。
「大人げない」は、あなたの口実である。
それは、自分の考えがなく、主体性のない人物との誤解を生みかねない。
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