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投稿者: あおいとり (ID:1He7D2g8uno) 投稿日時:2016年 08月 21日 02:44
いわゆる「受験算数」は事実上何らかの形で「やり方」を指導されないと対応が難しいこと、中学以降のカリキュラムと連続性のない領域があることからしばしばその存在意義が疑問視されてきました。
しかし、中学受験では総じてこの教科が相当高い配点を与えられていることが多いです。
そこで思うのですが、こうした「中学受験の主流」に対するカウンター的なコンセプトとして、入試でいわゆる受験算数を課さずに麻布とか開成くらいの進学実績をたたき出す一貫校が現れたら面白いと思いませんか?
私自身も「受験算数劣等生」だったけれども、それでも大学段階では特に引け目を感じないようなところに進学しているので、そういう系統の生徒が相当数集まればやってできないことはないはずだと思うのですが。
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【4232134】 投稿者: 受験算数 (ID:7XxzwbAIId2) 投稿日時:2016年 09月 01日 09:40
思考能力を見るために
この科目はあると思いますよ
ある一程以上だとかなり大人でも難しいです
そう 大人みたいな子供です
先取りしても塾内では能力ある子が出てきますよ
受験した学校残念でも後は 努力する問題とか
容量や回転や要領も全然違いますよ
少し話したらわかりますよ
顔も違います。 -
【4232176】 投稿者: バラード (ID:2TIXkiIDTG6) 投稿日時:2016年 09月 01日 10:29
どうも教育改革に向けてだけではないですが、中学の出題も年々変わってきていると感じてます。5年10年単位で見るとますますです。
かつては、武蔵のように独自の奇抜というか合格ラインが4割程度なんていう出題があったり、難関でも算数なら満点が続出だったり、バラバラに校風に応じた出題していたように感じますし、当然一部慶應のように残っている部分もありますが、昨今では公立一貫で、はじめは奇抜(400字でとか、複合課題とか)と思われていた出題でも、私立も難関の国語などほとんど記述とか、大分書かせる問いを入れてきてますし、算理、算社的問題も出るようになってきてます。
大学のセンターに代わるテストも、表やグラフを見ながら考察しなさい的な出題例など出して、考察とともに、小問ではグラフの平均や解析的数学要素、産業や地理や気候の社会的要素、グラフ見て光と速度とか物理的要素など問うような複合化の傾向ではと思います。
そういう意味では、公立一貫の一部の検査は進んでいるのかもしれません。
現状の中学受験見ますと、独自性も保ちながら、併願考慮して、学校も地域も通塾(主に併願の課題です)も考えて、易問、応用問題、難問というかヒネリ労力系加えたバランスで出題する学校が多くだと思います。
ある意味、四谷とか日能研などの模試が大学におけるセンター的、共通試験として目安がはかれる位置づけとして、以前よりも多くの受験生が大きな番狂わせなく機能しているようにも思います。
以前なら500点満点の、模試の100点差の本番の合否逆転なども難関で少々見られましたが、今ではせいぜい50点以内くらいではないでしょうか。
これから、算数の課題だけでなく、語学、複合、考え述べよ、考察せよ、などの訓練も(音楽図工や保健体育要素も含め)おそらく必要になってくると思います。
小学校から、中学校から教育改革進めていかないとダメなのかもしれません。 -
【4232595】 投稿者: 人事 (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2016年 09月 01日 18:25
もともと思考能力を見るためのものだったのが、問題パターンが塾等に研究し尽くされて、訓練すれば解けるようになり、それに合わせて学校側もいたちごっこで問題が難化し、今や思考能力と訓練の両方が必要になっているのでは?
国立の建前上、塾なし筑駒も可能な問題にしているはずですが、実際はどうか? -
【4232729】 投稿者: 酒好きTOEICer (ID:ZjhBtVOqMuU) 投稿日時:2016年 09月 01日 21:33
人事さん
帰国子女は英語が強い分日本語を勉強する時間が削られるのだから
日本の中高に普通に通っているというのはその分努力しているのでしょう
英語環境に放り込むだけでコストゼロで英語力が国内基準で頂点に達するなら公立中高の代わりにインターナショナルにいれて六本木にでも住めば
高校受験・大学受験で数学にも国語にもなんの支障もなく英語で高得点が狙えることになります。そういうことはないので基本は他の学力と同じ努力・能力の問題でしょう。
国語語力+英語力という評価基準であれば数学その他とくらべて
帰国子女だけ環境がどうこう言う根拠には乏しいですよね。他の環境にも
ケチをつけていかなければ不公平です
もしかして英語と頭の良さを結びつけたがらない人は国語のことも嫌いなんじゃないでしょうか -
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【4232734】 投稿者: 需要はある (ID:ZohvYvL3GYI) 投稿日時:2016年 09月 01日 21:39
つい先日、1964東京オリンピックの金メダリストだったベラ・チャスラフスカさんが亡くなったとの報道がありました。
故人を悼むということで、彼女の跳馬の演技の画像が何度か流れていましたね。
長期にわたって世界チャンピオンだった彼女の一番の得意種目が跳馬で、東京オリンピックも含めて世界大会で常に1位だったわけです。
ただ、採点種目の残酷さをあらためて痛感するものだったと思います。
現在この演技内容では小学生の大会でも評価対象にならないでしょう。
要求水準がじわじわ上がる中で、それにこたえる訓練が繰り返され、さらに要求が高まって…という結果が現在なんですね。
中学入試問題もそういう経緯をたどって、よりシビアなものになったとお考えでしょうか?
私は少し違うと思います。
つまり、洗練の方向はそういうほうには進んでおらず、より単純な原則から持ち上げていかないと難しいという本格的な問題になっているのでは? -
【4232767】 投稿者: 需要はある (ID:ZohvYvL3GYI) 投稿日時:2016年 09月 01日 22:03
たとえば動機さんは「教養主義的な方向」に妙なロマンを感じているようで、愚劣すぎてとても本気で書いているとは思えないのですが、たしかに教養のない人ほど「その人にとって教養のもとに見える権威」に拝跪するというのはありがちなので、一定のリアリティはありますね。
ブルデューがフランスのエリート校への進学者を分析した一連の研究がありますが、興味深いのが「音楽の趣味」についてでした。
小市民が好みがちなのが「金と銀」のようなライトクラシック。ちゃんとした音楽に聞こえるらしいです。
学校の教員や企業の幹部社員などの教養層を自認するあたりになると、いわゆる本格的な古典派・ロマン派が鑑賞の対象になる。
家族で連れ立ってコンサートにも出かける。前知事の家族みたいなイメージでしょう。
では、グランゼコールに進むような層ではどうなるかというと「フリージャズ」クラシックでも調性を持たないような「前衛音楽」が最も好まれている。
なるほど、と頷けることが多かったです。
それこそ「哲学」など、高度な言葉を駆使してしっかりした文章を書かせるなどの試験をすると、訓練をするまでもなく日常の中で教養を形成できるエリート層が圧倒的有利になるわけです。
いわゆる改革で、その種の「高いレベルの教養主義的な試験」を進めたとしたら、間違いなく現在のトップ進学校が3割増しくらいに有利になるでしょう。
採点など物理的に無理なところも多いので、それほど変えないとは思いますけどね。 -
【4232870】 投稿者: 他人事 (ID:LdZhRIUwEdQ) 投稿日時:2016年 09月 02日 00:24
>中学入試問題もそういう経緯をたどって、よりシビアなものになったとお考えでしょうか?
>私は少し違うと思います。
>つまり、洗練の方向はそういうほうには進んでおらず、より単純な原則から持ち上げていかないと難しいという本格的な問題になっているのでは?
私は、出題する私立中高の先生の作問スキルが上がったからというのが理由だと思います。メッセージ性が強くなったと感じます。
また面白いのは、不思議な食べ合わせで食べてみると美味しいという新しい発見ができることです -
【4232874】 投稿者: 人事 (ID:EAMH1mXSDCM) 投稿日時:2016年 09月 02日 00:34
国語は非常に重要な科目だと思っています。何せ思考のベースですから。
英語は理屈じゃない。こんな言い方しない、と言われれば終わり。頭の良さとは関係ないでしょう。
もちろん、帰国子女で国語も数学もできる人は凄いと思います。
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