アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
適性さま、おっしゃりたいことはとてもよく分かりました。
これからは、不適切と思われる言葉を拡大解釈せずに遣っていくよう心がけましょう。それが、人の心を傷つけることもよく理解しているつもりですから、浅慮であったことは謝らねばなりません。
ただ、その、言葉の解釈という、そこに焦点を当てるよりも、
もっと、その深淵を考えたい、とも考えます。
たぶん、それは、6年の歴史の中で、やり尽くされたのでしょう。
新参者の私が蒸し返しただけという印象を今現在は持っています。
経緯は6年分読め。。。というご意見もありましたが、それもまた少し傲慢な気もいたします。
また、アンフェアということですが、それもないわけではないと思います。
しかし、それは、いつの時代にもあったことです。
お金のある人間が欲しい生活を手に入れられる。
だからこそ、みな、勤勉に働き、お金を得ようとするわけです。もちろんお金だけですべてが解決できるようには創造されていませんが。
中には、不当な手段を使う人もいるでしょうが、塾や早期教育は不当な手段だとは思いません。
しかし、能力はあるが余分なお金のない人間は、弾きだされる可能性はあります。
視点さんの憂えているのは、
国の将来を担うとされ、国費が多く投入されている、そんな位置づけの大学に、
早期に受験教育を始め、塾で鍛え上げなければ、進学できない現状、
それでも、本当の意味での、人類の為の何かを成し遂げていないのではないか、
という懸念・・・あくまで懸念ですが、そこかなと思います。
私は、それを検証する術も、気もないので・・・・
なぜなら、個人的には、そうなれば、所謂、東大・京大の価値が下がり、
他の大学へのテコ入れを政府がしていく覚悟をすればよいと思うからです。
そして、社会も、そこで教育を受けた人間が、必ずしも、中枢として、
国を支える人材に成長するとは限らないということを肝に銘じる必要が生じてくると思います。一度定着した価値観はなかなか変わらないかもしれませんが。
使命をもってそこに存在する、その役割を果たせなければ、衰退する、当然です。
危機感を抱いているのは、大学、ではないかと思います。
その中からも、一人二人の逸材が現れる、それが人間の不思議なので、期待しています。それが、絶対に一貫校出身者ではない、という考えも微塵もありません。
さて、随分、書き散らしてしまった感がありますが、
私も帰省の準備をしております。
この掲示板をみる限り・・・ですが、親の教育観もだいぶ変化してきたような気がします。6年前と比べていかがですか?
あなたにとって教育とはなんですか?禅問答みたいですね。
学力形成の分野に於いて、中学受験はその児童の発達段階に応じた科学的トレーニングと言った方が正しい。
アスリートにもそれは必要な事であり。
決してフライングやドーピングと言ったものではない。
中学受験をフライングやドーピングに例えるのは、悪意ある歪曲表現としか言い様が無い。
>まず、言葉の使用方法は適切だとは思っていません。
>「フライング・ドーピング」には「卑怯な手段を使っても勝負に勝つ」という意味合いも含まれると考えるからです。
ニュートラルな良識派の枕流漱石さんの揚げ足とって無理やり認めさせるのはよくないですよ。
比喩とは、
「物事の説明に、これと類似したものを借りて表現すること。」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
なのですね。
経済的に余裕のない学生が「よーいドン」で勉強を始める中学のはるか前から勉強を始める・・・フライング。
経済的に余裕のない学生が受けられない特別なものを与える・・・ドーピング
と言ったらイメージがわきやすいでしょ。
「類似」とは「違う」ものであることが前提です。
だから、失格になるかならないかの違いがあっても、不適切な比喩とはなりません。
むしろ、100メートル走のフライングはミスですが、受験のフライングは確信犯ですから、より罪深いとも言えます。
薬物によるドーピングは依存症があるようですが、塾も依存症があり、受験以外に悪影響があるという意味でも、ナイス比喩ですね。
>学力形成の分野に於いて、中学受験はその児童の発達段階に応じた科学的トレーニングと言った方が正しい。
社会での活躍のためではなく「受験」に特化した科学的トレーニング。
受験以外には役立たず、社会での活躍に副作用あり。
>しかし、能力はあるが余分なお金のない人間は、弾きだされる可能性はあります。
>視点さんの憂えているのは、
>国の将来を担うとされ、国費が多く投入されている、そんな位置づけの大学に、
>早期に受験教育を始め、塾で鍛え上げなければ、進学できない現状、
>それでも、本当の意味での、人類の為の何かを成し遂げていないのではないか、
>という懸念・・・あくまで懸念ですが、そこかなと思います。
いろんな懸念がありますね。
あまりに競争条件が違えば、経済的に恵まれない公立の学生があきらめてしまう。
400メートル走で、公立組がスタートするときに、100メートル先を走っているのがいる。
そこで、頑張って追い抜けといっても、あきらめますよね。
じゃあ、100メートル先を走っているのを選抜してモノになるのかといえば、親や私学が敷いたレールを思考停止で走ってるだけだから、モノにならない。
大学に入って、塾がなくなれば、何をやればいいのかもわからない。
競争条件をそろえるということが、子供たちの健全な競争に不可欠だし、それが日本の国力につながるわけです。
東大模試なんかで満遍なく点数とって成績優秀者上位にのるような学生とかみたら、無能感が半端ない。
小学校から親に敷かれたレールを走って、思考停止で塾に通って「受験勉強」なんてつまらないものに専念してきたのだろうなって思いますね。
山中先生のように、自分の頭で考え、部活もやって、本も読んで、受験勉強以外の大事なことをいろいろしろよって思いますね。
>経緯は6年分読め。。。というご意見もありましたが、それもまた少し傲慢な気もいたします。
あの~傲慢というわけではなくて・・・・・・問題点はすでに書き記されているのでそれをご覧になればここまでに至った経緯、私や視点さんが何を言って適性さん、地域、時代さん、シルバースプーンさんなどがどう反論し、企業人さんや量的さんが客観的、実証的に何を述べてきたかがよく分かると思うからです。
決して「途中から参加しようとするなら全部読んでからにしろ」というつもりはありません。ただどの学問でも押さえておかなければいけない基本文献があるようにこのスレにも中学受験命の方たちに是非読んでいただきたいものがあります。
それは
1.小平邦彦先生の開成の算数問題に対する痛烈な批判。
2.灘高、東大医学部出身の月田京大教授の今の中学受験は変だというエッセイ。
3.京大本庶教授の灘高出身者に対する批判。
これらは虚心坦懐に読むなら多くの人の賛同を得られるものでは?と思っています。
では何ゆえに・・・・・・中学受験をしないと将来がないように親が考えるのか?
それは自明で大学合格実績が公立高校経由では上がっていないからです。自分の子供を何としても医者にしたい、それも国立と考える親たちは公立経由に見切りをつけている。その結果、熾烈な中学受験勉強からまたすぐに鉄緑などというコースができてしまっている。
あひゃ~という人や私立にあらずんば人に非ずという人たちはもう公立の復活などあり得ないと大いに喧伝している。
果たしてそれはどうかな? と昔の公立を知る私は思うし子供たちの過剰な勉強からの解放こそ将来的にはその子の能力を伸ばすと考えています。
まずは以上の文献読んでみてください。小平邦彦、月田教授、本庶教授で検索するとそのころのやり取りが出てくるかもしれません。
とくに月田先生のエッセイには中学受験の問題点が書き尽くされています。
それでも・・・・月田先生の息子さんは受験したじゃないか? どうなんだ?
我が子だけは特別なのかというのが主だった反論なんですが・・・・・・要するによくある本音と建前の議論になってしまって・・・・・まあ目の前のことに拘泥する母親と長い目で見る父親との葛藤のようになってしまいます。
日本中が貧しくほとんどの子供が公立経由しか選択出来ない時代なら中学受験勉強の是非やらドーピングやフライングなんて話など微塵も出なかったでしょう。































