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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2590442】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:qvRPG9onsGQ) 投稿日時:2012年 06月 22日 16:38

    凡才さんは「ミイラ取りがミイラになる」と心配されているんですね。


    「ひかりの輪」のHPやオウム関連書を読んでも少なくとも私や地域・時代さん、適性さんなどは取り込まれることはないと思いますが・・・・・・免疫のない若い人たちはひょっとしたらということがあるかもしれません。


    でもどうなんでしょうね?   共産主義は危険思想だからと言って本を読むことを禁じた時代がありましたが・・・・・・それって逆効果ではありませんか?


    危険だから遠ざける、隠す、話題を控えるというのは「臭いものにはふた」のようでタブーを作ることになるような気がします。


    昔、連合赤軍あさま山荘事件の時に母親たちがマイクで籠城する活動家に呼びかけましたが・・・・・・・彼らは銃弾で返答しました。


    「あの後社会問題や政治問題から子供たちの目をそむけさせるようなことを母親達がしてしまった」と樋口恵子が後年嘆いていました。確かにその後学生運動は下火になり大学から立て看板も消え学園祭は模擬店とアトラクションの花盛りになりましたが・・・・・・・・・妙に老成したというか幼い学生を量産する契機にはなりました。


    何でも話せるのがここのいいところと私は考えていましたが・・・・・・・・・・。

  2. 【2590619】 投稿者: 凡才  (ID:U7Cy2z1z95Y) 投稿日時:2012年 06月 22日 19:23

    動機様

    もし仮に、その事を行う事が一般社会で目立った問題が無ければ、一般人が、普通は否定も肯定もする権利は無いと思います。ましてや統制も出来ないと思います。しかしながら、実際に大きな事実があり、問題があった場合は別だと思います。例えば、サリンジャーのライ麦も、もしただのボーディングスクールを辞めた子の小説で終わっていれば良かったのですが、それに共感、共鳴し、自殺をする学生が後を絶たなかった事が問題なのです。あとは、普通の人には見えないサブリミナル効果やマインドコントロールや睡眠術など、何もしないで仮に正当にカリスマとなったのであれば問題は無いですが、何かしらの手段を使った時点で、その人自身の力では無いと思います。
    その様に、万人に効果がある力と言うのは、ある意味、カリスマ性があるものであり、真逆にひたすら正直に物を行っているカリスマは、非常に質素でお金持ちにもなりませんので、結果的には殆ど人も集まらず、あまり知られていないと思います。
    私は、別にこの板で書き込んで良い事といけない事を制限したいわけでは無く、世の中には入ると抜けられない道もあるので、普段から絶対に理解する様な方向は取らない方が安全だと言う事です。自分の為の防御策ですかね。
    そんな事を書き込みたかったのです。

  3. 【2590669】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:h16oi7Ve1fY) 投稿日時:2012年 06月 22日 20:07

    >普段から絶対に理解する様な方向は取らない方が安全だと言う事です。自分の為の防御策ですかね。



    あの~・・・・・・・凡才さんとお話をあまりしたことはないと思うのですが・・・・・「絶対に理解する」という意気込みで世の中のことを見たことはあまりありません。



    ただ長年生きていると落とし前をつけておきたいことがいくつかあって・・・・オウム問題もその一つです。裁判が進んで真実がわかるまで温めておいたことをこの機会に決着をつけておきたいんですね。ですから教義を突き詰めるとか麻原の説法を聞きまくるとかいうことではありません。


    基本的には坂本弁護士一家殺害と松本、地下鉄サリンの事実経過。それに関わった連中の手記、公判記録、その後書かれた新事実などから・・・・・自分なりにこの事件を総括したいという思いですね。



    以前書きましたが宗教というのは結局「信じるか信じないか」「乗っかれるか乗れないか」「跳べるか跳べないか」なんですよね。


    宗教的人間とそうでない者を分けるのは何でしょうか? 生まれながらの気質か後天的な出来事か親や周囲の教育か? あるいは神秘体験か? 


    天地創造、処女懐胎、死後の復活・・・・などを信じなければキリスト教には乗れないし、輪廻や転生を信じられなければ仏教にも本当の意味では乗れないでしょう。


    私は強いていうなら自然教徒とでも言おうか・・・・・何らかの偶然で自然の中で生命が誕生し進化を遂げてここまで来て今自分はその末端にいる・・・・・・だから海を見ると先祖帰りするし潜ると無重力状態の至福を味わいます。海の中から水面のきらきら輝く光を見ると「このまま死んでもいい」ぐらいの気持ちになります。


    まあ・・・・私は自然教徒なので・・・凡才さんどうぞご心配なく。心遣いに感謝申し上げます。

  4. 【2590790】 投稿者: 凡才  (ID:QqSd1ysA/ow) 投稿日時:2012年 06月 22日 21:54

    動機が大事だよね様

    今日一日で、どっと詰問調になってしまいすみませんでした。携帯で打っているので、いつも

    のように書き込みできなかったようです。ここで見てらっしゃる方々が、惑わされる事は無い

    だろうことは分かっております。日本では、他の国ほど見ていられない様な貧富の差が無いの

    である意味では心配はしていないのですが、本来であればそんな方向へ向かうはずが無い道へ

    進んでしまったエリートの方々については、やはり心の隙に入りこまれたとしか考えられない

    と思います。洗脳されてしまって以降の事は、その人であってその人ではない存在だと思いま

    す。

    何か話を変な方向にむけてしまって、すみませんでした。

  5. 【2590829】 投稿者: 凡才  (ID:QqSd1ysA/ow) 投稿日時:2012年 06月 22日 22:24

    動機が大事だよね様

    私は、雪山の静けさにいると自然と一体化できます。山はいつでも変わらずにそこにある事が

    都会に住んでいると、とてつもなく懐かしく、また嬉しくなります。

  6. 【2591518】 投稿者: スループ  (ID:Zd9T1xtkKcI) 投稿日時:2012年 06月 23日 14:12

    284ページ

    公立一貫さん

    >オウムを含め、このような事象を生み出したのはいろいろな社会的繋がり、ひては広義の社会的責任だとのご主張でしょうか?

    はい、そうです。いやがらせや嘲笑によって彼らを「追いやった」ことにくわえて、殺人をおかした信者たちにわたしたちが人の命の尊さを教え切れなかった責任もあると思います。

    >だとすると、人間関係に寛容であれば私たちの問題として受け止め、信仰・信条の自由を守るための主張だと私は理解しました。

    わたしの考えをうまくとらえていただいたと思います。


    動機が大事だよねさん

    >その教祖や教義を批判する相手を殺していいなんてことは断じてない。

    もちろんです。


    適性さん

    >他の隣人は、きっと、反対運動するでしょうが、是非、この主張を訴えてください。

    たとえば、近所の人が立ち退き要求運動をしているので署名に協力してほしいといってきたら、信教の自由をおかすことはできませんといってお断りします。

    >それは、社会から「解散」圧力がある、正当な理由です。

    正当な理由はないと思います。


    高校生親さん

    お感じになっておられることはよく理解できます。


    地域、時代さん、

    掲載していただいた上祐氏のインタビューを読むかぎりでは、過去にオウム真理教とかかわりがあったことを理由に彼の教団の活動を制限しようとするのはおかしいと思います。


    287ページ

    愛読者さん

    >他者の痛みへの想像力の希薄さ、と疎外感、と自らを捨てて得られる一体感への渇望と。
    その先に、また麻原のような人間が現れれば集団の一員であるために、殺しさえ容認するかもしれない、集団の中での精神の危うさ。
    '自分たちの'社会のこと、との観点から考えることが必要な気がします。

    ご卓見に感じ入ります。


    290ページ

    動機が大事だよねさん

    >「ひかりの輪」のHPやオウム関連書を読んでも少なくとも私や地域・時代さん、適性さんなどは取り込まれることはないと思いますが・・・

    パウロはイエスの迫害者でしたが、イエスの死後、劇的な回心をとげてキリスト者となりました。動機さんたちにもおなじことが起きないというのは保障のかぎりではありません。

    >何らかの偶然で自然の中で生命が誕生し進化を遂げてここまで来て今自分はその末端にいる・・・

    よいことをおっしゃいます。わたしや動機さんがオウム真理教に入信してサリンをまくような境遇にいたらなかったのも、なにかの偶然かもしれません。

  7. 【2591631】 投稿者: 適性  (ID:8dwRaJ3Aa1Q) 投稿日時:2012年 06月 23日 16:20

    ■スループさん
    ****************************************:
    適性さん

    >他の隣人は、きっと、反対運動するでしょうが、是非、この主張を訴えてください。

    たとえば、近所の人が立ち退き要求運動をしているので署名に協力してほしいといってきたら、信教の自由をおかすことはできませんといってお断りします。

    >それは、社会から「解散」圧力がある、正当な理由です。

    正当な理由はないと思います。
    ****************************************:

    「ない」のですか~・・・

    『あなた』は。正当な理由を感じないのかもしれないが・・

    多くの人は「オウム真理教の流れをくむ宗教団体」の「麻原の影響だけは、取り除いたと」いう主張は無理があると思っている。危険「因子」は、残存していると思っている。

    光の輪とアレフ?があるらしいが、とくにアレフは、麻原信仰を強めているわけでしょ。

    そこに、危険性を感じて、「それなりの対応」をとることに、正当な理由がないとしたら、どんな場合な正当な理由になるのか?

    あのね、身勝手な「信仰の自由」の肥大が(自己の善の肥大)が、暴走して、外部に、被害をもたらしたわけです。

    もし、その人の中で内部完結している安全な「信仰の自由」であるなら・・・だ~れも、じゃましないでしょ。
    社会も「解散」圧力かけないでしょう。


    それから、私の質問は、『署名協力』ではなく・・

    ************************************************************
    では、
    オウム真理教の流れをくむ宗教団体が、「自分」の家の隣を、拠点にし、「自分」の子供とも、交流をもっても、スループさんは好意的に、寛容に、接することができるのですね。
    ************************************************************

    です。「自分の子の取り込まれる可能性」も、OKなんですね。

  8. 【2591684】 投稿者: 適性  (ID:8dwRaJ3Aa1Q) 投稿日時:2012年 06月 23日 17:08

    私は、
    社会復帰しようとする、もと信者に、社会が寛容になることと、
    流れを組むあの「団体」に寛容になることは別ですね。

    寛容であることは、大切です。特に、更生するつもりがあるなら。
    しかし・・・
    なんでも、寛容であれば、というのは、おかしな話です。
    場合によっては、「同じあやまちがおきない為」には、『逆効果』でさえあると思っています。

    寛容の精神からは、許せないことかもしれませんが。
    外国では、性犯罪者の、再犯率の高さから、社会に、顔や住所を公表しているところさえありますよね。プライバシー無視ですね。
    警察、周囲の人は、警戒し、抑止力をはたらかせ、自分や、家族を守ることを優先しているわけです。「同じあやまちがおきない為」の効果は高いでしょうね。


    オウム真理教の流れをくむ宗教団体が、「自分」の家の隣を、拠点にしたら。

    私は、自分の子には、注意を促します。距離を取らせます。
    その集団のしたこと、過ち、現在の状況を話し、今の段階では、「否定」して説明します。
    受け入れられない、社会的理由があるということです。

    あなたの論では
    宗教の自由であり、その自由は、侵してはならない。
    自分の子に、悪い印象を与えてもいけない、周囲の人は、反対運動をしているが、間違っている。
    お前は、色眼鏡で、見てはいけない、お隣なんだから、「普通の住民と同じ」で、好意的に接しなさい。
    そして、交流をもちなさい。

    ですよね。


    それから・・
    *******************************************************************:
    >オウムを含め、このような事象を生み出したのはいろいろな社会的繋がり、ひては広義の社会的責任だとのご主張でしょうか?

    はい、そうです。いやがらせや嘲笑によって彼らを「追いやった」ことにくわえて、殺人をおかした信者たちにわたしたちが人の命の尊さを教え切れなかった責任もあると思います。
    *******************************************************************:

    やっぱり「追いやった」という、『加害者の立場』を強調させたいようですね。

    『オウムをテロ事件』で、オウムを、そんなに、かわいそうな『被害者』にしたいのですか???
    『オウムをテロ事件』あれは、完全な『加害者』です。

    多くの信者は、人の命の尊さを、教えられていました。
    誰もが、「人の命を奪ってはいけない」と思っています。
    これは「普通の生活」している上では、当然です。


    『教え切る』という表現は・・・まるで「どんな理由」があっても、「人の命を奪ってはいけない」という人間にしなかった。ということでしょうか?『殺人の完全否定』がなによりも上回るということでしょうか?
    『絶対に拒否する人間』ですよね。そんなこと・・教育していません。きっと

    『絶対に拒否する人間』は、正当防衛で相手を突き飛ばしてもいけないし(相手が死んでしまうかもしれません)警察官でも、発砲は絶対にしないし、日本の死刑制度は許してはいけない。当然そうなります。

    私は、無条件には、絶対的な拒否はしていないのです。

    自分が、殺される、自分の家族が殺されるなら、相手の命を奪う可能性があります。
    戦争というものがあるのであれば、そうなる可能性もあるでしょう。
    警察官であれば、犯人の暴走を止めるために、銃を撃つかもしれません。
    法務大臣は、死刑執行にサインします。

    つまり、ほんとのとこは、絶対に拒否するかどうかは、実は、「理由」しだいです。
    各人が、その理由をどう判断するかです。

    その理由を「ポアすることで、相手を幸せにしてあげる」「麻原の命令だから」
    なんてのは、ダメだってことです。

    そんな理由では、殺人は、正当化されないということです。その判断ができなくなったのは、単純に、教育のせいではありません。

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