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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2501142】 投稿者: 地域、時代  (ID:NvjYM2VsUGk) 投稿日時:2012年 04月 10日 09:08

    ポートキー様

    今日は 火曜 っすよ。

    火曜とくれば。。。。(笑)

  2. 【2501175】 投稿者: 地域、時代  (ID:NvjYM2VsUGk) 投稿日時:2012年 04月 10日 09:36

    適性様

    読みました~。
    良かった~。
    これからもまだまだ続いていきそうなので、単行本が出る度買いますね!
    で、、厚かましいのですが、その都度教えて頂けたらありがたいかと。。


    最初に量的様が書いて下さった言葉が出てくるんですね。
    「おお、ここに量的様は反応なさったのか」と、しばらくページを眺めておりました。


    私が今回心に残った場面は

    「結果は大事だけどな  人に伝わるのは結果だけじゃない 世界は結果だけで回ってるんじゃないんだよ」
    という台詞です。

    親は、他所の子供と比較せず、その「過程」を見てやる事が大事なんじゃないかな、って思います。
    だって、誰一人として「負けよう」と思って勉強する子もスポーツする子もいませんよね。。。

    特に親が優秀な場合、または、全く未知の分野に子が進んで、その熱がヒートアップしている場合、親が子に「結果を求める事」は時に子供の頑張る心を奪っていく事もあるんじゃないかな~と思うのですね。。

  3. 【2501202】 投稿者: ポートキー  (ID:nIIbWvUNACA) 投稿日時:2012年 04月 10日 10:01

    地域、時代さん

    呼びました?

    今住んでるところ、イオンちょっと遠いんです(泣)
    普段使いは関スパ(わかる?)なんすよ、私。

  4. 【2501211】 投稿者: ポートキー  (ID:nIIbWvUNACA) 投稿日時:2012年 04月 10日 10:09

    昨日が新学期で、開放感いっぱいだったのも束の間、子ども達がそれぞれ大量のプリント類を持ち帰ってきました(泣)
    そうだった・・・
    新年度っていつもこんなですよね。
    3人全く様式の違う家庭調査書の記入(自宅までの地図とか、何で毎年それも3人分書かなあかんねん)、健康調査所の記入、体操服のゼッケン付け、小学生三男の新学年用のノート買いに行ったり・・・
    私学の子ども達の学校費用の振込みに、これから行ってきます!!

  5. 【2501248】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 04月 10日 11:04

    地域、時代様
    シルバースプーン様
    読者様


    皆様のご意見に密着したレスをうまく書けないので纏めてお名前を上げること、お許しください。


    実は私、10年間くらい日本では学問そのものが成り立たないんじゃないかと、ニヒリズムに沈んでいた時期がありました。90年代、バブルがはじけたころ以降位の時期です。学問と言うのは、思い、暗黙知といったものを、言葉、形式知にできるんだという、その可能性についての楽天的な信頼がないと成り立たないと思うんですが、日本においては、言葉は所詮言葉、形式知は形式知に過ぎず、本当に大切なものじゃない、タテマエに過ぎない。大切なのは思い、暗黙知、ホンネの世界。それを言葉、形式知に換えることはできない、と言うのが日本人の奥底にある考え方じゃないかと。だから、「所詮~に過ぎない」ところにしか成立しない学問は、海外の考え方をファッションのように次々に輸入して来るだけになってしまうんじゃないか、それでいいよとなってるんじゃないか、と。


    その時に出会ったのが加藤典洋の「日本の無思想」という本で、光を当てられた気がしたものです(良く光を当てられる奴やなー)。細かい主張は省きますが、彼は上記と同じようなところから出発し、信念に基づかない言葉は機能を失うという主張を経て、「信念」とは何ぞや、突き詰めれば私利私欲だ、個人が私利私欲を徹底的に追及するところからスタートしようと。


    著者も言っているように、これって高校の倫理社会でおなじみの社会契約論の考え方とある意味同じなんですが、気づかなかったです。また、この考えを体現している例として福沢諭吉が上げられています。痩せ我慢の説、なんてまさにそうです。


    大学の学問、研究についても、まさに企業が、個人が、自分の私利私欲、自分の役に立つかどうか、という視点から考え、発言し、注文をつけることが必要なんじゃないか。大学側が自ら考えるといっても限界がある。勿論、学問・研究が、企業・個人の都合だけで左右されると言うのも、短視眼的なことしかやらなくなる不都合はあると思いますが、少なくとも、学問を修めるなんていうのは所詮タテマエの話に過ぎないのさ、大学なんて学歴取りに行くだけのことさ、という現状(極端に言ってますが)よりは、マシな方向に向かうんではないかと。大学も簡単には屈服しないでしょうが、議論・やり取りを始めることが大事かな、と。それで前レスのような考えを持っています。


    ということで「日本の無思想」を推薦させて頂きます。題名からして、丸山眞男「日本の思想」のパロディですが、あんなに難しくはないです。ただ、読み飛ばせるにはちょっと重いでしょうか。特に後半(第3章だったかな)は少し冗長ですが。

  6. 【2501493】 投稿者: 神戸観光案内2  (ID:GUFGF5TyoGI) 投稿日時:2012年 04月 10日 16:29

    公立一貫様、レスありがとうございます。


    うれしくて、メインストリームに関係ないのに思わず出てきてしまいました。お許しください。
    といいますのもおっしゃる通り最近は合唱を楽しむ人がめっきり減ってしまいました。まことに残念です。
    息子の団も、やっとこさ50人前後を維持している有様です。
    昔は100人は当たり前でしたよねえ・・・


    「おえコラ」「なにコラ」・・・息子たちも伊東先生にはお世話になっており、卒業後コラりあーず・グループ(?)に
    入団するメンバーも少なからずいるそうです。


    四連、去年でしたか、合同ステージが第九でしたね。男声だけの第九って・・・とちょっと目が点になりましたが。


    そして男声合唱ではいまだに「ただたけ」が人気です。息子たちも年に一曲は必ず歌っています。
    息子自身は、最近の曲よりもちょっと昔の、たとえば草野心平のような技巧的な曲のほうが好きだ、などと生意気なことを
    申しております。


    本当に調子に乗ってすみません。皆様、横入り失礼いたしました。


    地域・時代様
    >グリークラブでスーツをピシッと着こなした紳士が、頭にさかなクンの帽子をかぶっている。
    このいでたち、案外しっくりくるかもしれません。(笑) 

  7. 【2501549】 投稿者: 適性  (ID:8sMyuLteeZs) 投稿日時:2012年 04月 10日 17:40

    ■地域、時代さん

    ***********************************************
    適性様
    読みました~。
    良かった~。
    ***********************************************

    そうですか。良かったです。ほんとに、ほっとしてます。

    ***********************************************
    私が今回心に残った場面は
    「結果は大事だけどな  人に伝わるのは結果だけじゃない 世界は結果だけで回ってるんじゃないんだよ」
    という台詞です。

    親は、他所の子供と比較せず、その「過程」を見てやる事が大事なんじゃないかな、って思います。
    だって、誰一人として「負けよう」と思って勉強する子もスポーツする子もいませんよね。。。

    特に親が優秀な場合、または、全く未知の分野に子が進んで、その熱がヒートアップしている場合、親が子に「結果を求める事」は時に子供の頑張る心を奪っていく事もあるんじゃないかな~と思うのですね。。
    ***********************************************

    「過程」に見合った、「結果」がでないことは、よく「ある」ことです・・・・
    特に、相手がいる場合は・・

    「過程」を見れば、その「過程」だけで・・『人に伝わる』ものはあります。
    だって「過程」に価値があるという考えですからね。私達は(笑)

    しかし、過程を見えない場合・・・
    「結果」がでていれば、「過程」は一緒に、肯定される・・・が
    「結果」がでなければ。「過程」も一緒に、否定される・・・ことが多い。
    ここが、難しいとこですね。「過程」は「見えない」ことが多いいし・・「過程」に完璧もないわけです。

    だから、親は「過程」に注目して、「過程」を評価してやらないと・・・とは思います。
    結果は細分化できないが「過程」はいくらでも、細分化できる・・・全体としては、ダメかもしれないが・・細分化した「過程」の中には、肯定するものもあるわけですから。
    そこを「伸ばして」もらう。
    でも~
    本人も「結果をだしたい」らしいが・・・客観的に見て・・そんなんじゃ・・・結果でるわけないじゃん。てなこともよくあります。で・・・予想通り「ほらね」って。(笑)

    >親が子に「結果を求める事」は時に子供の頑張る心を奪っていく事もあるんじゃないかな~と思うのですね。。

    これは、「子供の現実の結果」と「親が求める結果」の「ギャップ」があり、さらに「結果を要求された子供」にはプレッシャーとなり「頑張る心」を奪うという意味ですよね?
    そういう「結果」しか語らない人(結果しか評価しない人)のプレッシャーというのは、相手のエネルギーを奪いますね。結果を出せ。結果を見せろ。と・・
    ただ、親が子に「結果を求める事」をしても、子供が「よーし」「なにくそ」となる場合もあるし、その場合は「ギャップ」を埋めようとする道筋が、本人も、なんとなく見えているので、それは、それでもいいのでしょうけど。

    どちらにしても、その「ギャップ」を埋められそうな、「過程を求める事」は、いいんだと思うのですよね。具体的、行為や、態度ですから。(それが難しいのですが)
    「過程を求める事」って・・・それこそ、教育?だと思うのですけどね。

  8. 【2501582】 投稿者: 適性  (ID:8sMyuLteeZs) 投稿日時:2012年 04月 10日 18:11

    ■高校生親さん

    ******************************************
    著者も言っているように、これって高校の倫理社会でおなじみの社会契約論の考え方とある意味同じなんですが、気づかなかったです。また、この考えを体現している例として福沢諭吉が上げられています。痩せ我慢の説、なんてまさにそうです。
    ******************************************

    http://blog.tatsuru.com/2009/02/23_1102.php

    痩せ我慢・・・福沢と勝海舟のやりとりがなかなかです。

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