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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2516704】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 04月 23日 12:45

    済みません、変換ミスです。他社と比較ではなく、他者と比較でした。

  2. 【2516793】 投稿者: 信頼感  (ID:u964cH12D3c) 投稿日時:2012年 04月 23日 14:20

    高校生親様

    >私の問題意識は、学力、それも一発の入試問題で何点取れるかしか評価しないと、それしか重要でない、それが出来る学生が優れているのだという誤解が、今の日本でどんどん広がっていることに対する危機感であり、だから学力・学問を使って社会を良くする気持ちがありますか?ということを評価すべきという意見です。

    ある程度学力のある学生を入学させて進級制にすればよいと思いますよ。これまで幾度もその話は出ています。志を定量評価するなんて正直、どのようになさるのか・・・見当もつきませんが。そして正しい社会貢献って誰の尺度なんでしょ・・・。全体主義的で怖いです。

    >形だけの消火活動ではなく、どれだけ献身的な働きをしたかを評価することはできるのではないでしょうか。

    献身を評価する(市場規範で)ということは、例えば通信事業会社の役員が100億円寄付することと一般市民が1万円寄付をすることの社会貢献を比べられちゃうんですよね。どちらも、「助けたい」というボランタリーという気持ちだと思うのですが、高校生親様の中では評価が異なるのですね。私は敢えて評価する必要性を感じませんが・・・。

    好奇心もボランタリーのひとつだと思うのです。仮にその好奇心が社会貢献を目的としていないと評価された場合、好奇心の芽を摘むことになります。また、好奇心が社会貢献の価値が高いと判断されたなら好きでやっていたことに価値(利益)が与えられ、価値に好奇心が主導されてしまうかもしれません。横にそれますが、、評価(比べること)から画期的なアイディアは生まれません。画期的なアイディアはそれまでに無かったモノですから、比べられないからです。評価するとは、既出の技術や行動と比べているだけです。好奇心が満足するまで放っておくことが画期的アイディアを育む環境なのだと思っています。アイディアが完成したらそれまでの技術や行動と比較して評価すればイイんじゃないですか?

    評価好きな日本人は、モディファイすることに長けています。それは、素晴らしいことだけど、常に市場規範で比べるから好奇心が満足するまで放っておかれることはまずないでしょう。だから、この国では画期的なアイディアが生まれにくい環境にあると感じています。

    高校生親様は、評価すること(されること)の悪影響を軽視し過ぎている思います。行動心理、行動経済学の臨床実験など様々な著書があります。ご一読いただくと面白いかもしれませんよ。

    以前、根本的様に「社会貢献なんて関係ない、欲望で結構」のようなお言葉をいただいたことがあります。社会貢献するかどうかは、個人の自由意思に一任されるべきものだと感じています。誰の為の社会貢献なのかも明確になりませんし、そこまで一義的に個人に要求する思想は、大変危険だと感じています。

    ↓インセンティブはやる気を破壊するというTALKSです。
    ダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」
    http://www.ted.com/talks/lang/ja/dan_pink_on_motivation.html

  3. 【2517038】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 04月 23日 17:16

    信頼感様


    >ある程度学力のある学生を入学させて進級制にすればよいと思いますよ。これまで幾度もその話は出ています。志を定量評価するなんて正直、どのようになさるのか・・・見当もつきませんが。そして正しい社会貢献って誰の尺度なんでしょ・・・。全体主義的で怖いです。


    あるレベルに達していれば、一種の全入制にして後は落第させていく、場合によっては退学というシステムをおっしゃっていますか?。これは私も考えたことがありますし、高校・大学の教員とも話した事がありますが、まず学校側のファシリティ・キャパシティが無限であればできるのかも知れませんが、その点で現実的でないです。もしできたとしても大教室に集めて一方的に講義するような形式しか現実的には難しくなります。それでは教育のレベルが犠牲になります。また、落第・退学の基準はやはり学力だけになるのではないですか?。それだと私の問題意識は解決されません。


    「志を定量評価」ですが、定量評価しようとは考えていません。それは無理だと思いますし、敢えてやると見せかけの志になるでしょう。そのまま定性的に評価すれば良いのだと思っています。勿論比較の要素は入ってきますが、それは大学側が公平・公正に縛られず、こういう人に入って貰いたい、こういう人はちょっと...とすれば良いだけです。定量化して、何点と敢えてする必要はないし、してはいけないと思います。「正しい社会貢献」という言葉使いましたっけ?。もし使っていたら訂正します。「正しい」必要はありません。大学側の独断と偏見でいいんです。学力だけを見るのではない、となれば私の問題意識に対する回答になります。


    >形だけの消火活動ではなく、どれだけ献身的な働きをしたかを評価することはできるのではないでしょうか。
    >献身を評価する(市場規範で)ということは、例えば通信事業会社の役員が100億円寄付することと一般市民が1万円寄付をすることの社会貢献を比べられちゃうんですよね。どちらも、「助けたい」というボランタリーという気持ちだと思うのですが、高校生親様の中では評価が異なるのですね。私は敢えて評価する必要性を感じませんが・・・。


    これは大いに心外です。ボランタリーで寄付する、ボランタリーで近所の消火を手伝うというような局面で、誰の貢献が大きい小さいを評価するなど全く考えたことはないし、不要です。あくまで職業としての消防士の話です。今の組織体を根こそぎ変えてしまわない限り、ラダーがあり、誰かは昇進して行き、上の立場に立って高い報酬を得る訳ですよね?。その時に消防士として如何に献身的に活動したかは評価されるべきではないですか?。それを評価したら、貴方の献身は汚れる、貴方の消火活動はクリエイティブにならないから、評価なんてされなくて良いのよ、と抽象論なら別ですが、具体的に生身の人間を前にして言えますか?。繰り返しますが、ボランタリーの世界ではおっしゃる通りです。しかし、我々が現実に生きている社会、特に職業の場面では、市場規範による評価は否応なしに入ってきます。それも否定されますか?。評価されず低収入に甘んずるべきだ、そのほうが良いのだとおっしゃいますか?。それこそ理屈に走った話だと感じます。


    >評価好きな日本人は、モディファイすることに長けています。それは、素晴らしいことだけど、常に市場規範で比べるから好奇心が満足するまで放っておかれることはまずないでしょう。だから、この国では画期的なアイディアが生まれにくい環境にあると感じています。


    日本では画期的なアイディアが生まれにくいという点はある程度同意します。かつては誰にも真似のできない技術・製品を生み出すことが出来ましたが、ポスト工業化社会、サービス産業においてはクリエイティブなアイディアがなかなか出せませんね。でも、それは日本が評価好きだからでしょうか?そもそも、何でも評価するのが好きなのはアメリカです。日本以上かどうかそれこそ比べようがないですが、インセンティブの力を最も信じていたのはアメリカです。それも、ご存知の通り日本では想像つかないくらいの巨額インセンティブです。信頼感様が「日本では...」とおっしゃる時、比較されているのはアメリカではないですか?。私は日本で画期的なアイディアが生まれなくなったのは違う理由だと思います。それはまた別の時に書きます。


    >ダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」


    ダニエル・ピンク(ハイ・コンセプト)もアリエリも読みました。ピンクの言っていること、行動経済学が妥当する局面もある。クリエイティビティが重要となるビジネスは、何千万ドル、何億ドル払っても、金銭的インセンティブだけでは実現できないというのは、金銭的インセンティブ万能主義だったアメリカにはショックだったと思います。しかし、ではどうすればいいのかについては意識を変えるという事以外に多くは語っていませんし、あらゆるケースであらゆる種類のインセンティブが機能しないと言っている訳でもありません。ピンク自身、本を出して講演して、自分の意見を発表するインセンティブは何なんだろうと思ってしまいます。もし一切の金銭的インセンティブがクリエイティビティの害となるなら、彼は一切の活動とボランティアでやらなければならないと言う理屈になります。そんな事はあり得ないでしょう。だから程度問題と申し上げているんです。

  4. 【2517119】 投稿者: 信頼感  (ID:u964cH12D3c) 投稿日時:2012年 04月 23日 18:31

    高校生親様

    >特に職業の場面では、市場規範による評価は否応なしに入ってきます。それも否定されますか?。評価されず低収入に甘んずるべきだ、そのほうが良いのだとおっしゃいますか?。それこそ理屈に走った話だと感じます。

    こうのようなことを私・・云っていますかね??
    高校生親様は、市場原理に基づいて自分にとっての相対性は拡大してゆくことを前提で語られていように感じます。経済が拡大するように個人の相対性も拡大するべきだと・・・その前提で話すなら噛み合いませんよ。

    >もし一切の金銭的インセンティブがクリエイティビティの害となるなら、彼は一切の活動とボランティアでやらなければならないと言う理屈になります。そんな事はあり得ないでしょう。だから程度問題と申し上げているんです。

    誤謬だと思います。

    感情や気持ちを比べると仰るなら、それを止めることはできません。ただ、比較を始めたらその比較は市場原理に基づいて拡大しどんどんエスカレートすることは必至です。比較の連鎖反応さえもコントロール出来ると考えられているのですよね。外向的思考タイプの方の発想ですね。私は内向的直感、感情タイプなのでかみ合いませんね。

  5. 【2517295】 投稿者: 公立一貫  (ID:L26orB5ME.Y) 投稿日時:2012年 04月 23日 20:57

    ピースさん


    東海、特に名古屋の人は、けちというより堅実なんだろうと思いますね。
    確か貯蓄率も高かったと思いますし、無駄に金は使わないという面が強い
    ように思います。
    かといって、今ではどうかわかりませんが、昔は結婚式の豪華さについては
    他地域を圧倒していたのではないでしょうか。
    結婚一式には金をかけていましたよね、使うときにぱっと使うという一面も
    特徴として否定できないのかなと思います。


    愛知県民さん


    お子さんの進路これからいろいろ大変ですね、親としてできるだけのことは
    してあげてください(とはいえ、もう親のかかわりは嫌がりますかね)
    今後は何か一つ、他人に勝る特技が特に必要になるように思います。
    例えば、パソコン操作一つにしても、プラスoneの能力が持てれば、就職でも
    かなりアピールできますよね。
    昔から地道に努力している人が評価されるように、難関資格を持っていることは
    いつの時代でも邪魔になることは無いと思いますので、自分の目標をしっかり
    定めて頑張ってほしいですね。

  6. 【2517366】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 04月 23日 21:41

    信頼感様


    確かに噛み合っていませんね。ただ、僭越ながらそれは貴方が論点をすり替えられるからです。


    消防士のことを例にとります。


    私はこう申し上げました

    >
    消防士さんの例も上げて頂きました。消火活動にあたっている瞬間にこれをやったらどれだけ儲かるかという形で市場規範が入ってくることは、私も受け入れがたいです。(中略)しかし、消防士さんが実績を上げることで、組織のラダーを上がって行き経済面を含めた成功を収めたいという気持ちを、それは消防士にあるまじき心の動きとして否定することはできないと考えます。それと消火活動の際に、被害者を救いたいという気持ちとは両立しうる、両立させないといけないと考えています。そういう気持ちの表れは組織の中で積極的に評価するべきで、それによって気持ちと市場規範両立の可能性が開けてくると思うんです。要はやり方。形だけの消火活動ではなく、どれだけ献身的な働きをしたかを評価することはできるのではないでしょうか。


    それに対し貴方は、私の最後の部分だけを引用されて、
    >形だけの消火活動ではなく、どれだけ献身的な働きをしたかを評価することはできるのではないでしょうか。
    献身を評価する(市場規範で)ということは、例えば通信事業会社の役員が100億円寄付することと一般市民が1万円寄付をすることの社会貢献を比べられちゃうんですよね。どちらも、「助けたい」というボランタリーという気持ちだと思うのですが、高校生親様の中では評価が異なるのですね。私は敢えて評価する必要性を感じませんが・・・。
    とおっしゃっています。

    私が最初から職業消防士(消防士というのはボランティアは指しませんね、普通)の例を上げ、職業の中で、人の役に立ちたいという気持ち、献身的に行為にあたったと言うことと、職業であることに必然的に伴う仕事の評価と言うことは両立しうるんではないかという論を立てたのに対し、貴方は職業という要素のない、つまり市場原理が当然には入り込まない寄付行為に市場原理を忍び込ませるのか、と論点をすり替えられている。だから噛み合わないんです。

    その時私は意図的に論点をすり替えられているとは気付かず、職業であっても寄付と同じとおっしゃっているのかと思い、
    >特に職業の場面では、市場規範による評価は否応なしに入ってきます。それも否定されますか?。評価されず低収入に甘んずるべきだ、そのほうが良いのだとおっしゃいますか?。それこそ理屈に走った話だと感じます。

    と申し上げたわけです。論点のすり替えなら話がかみ合う訳はありませんね。

    更に、貴方は
    >市場原理に基づいて自分にとっての相対性は拡大してゆくことを前提で語られていように感じます。経済が拡大するように個人の相対性も拡大するべきだと。
    とおっしゃっています。

    済みません。「市場原理に基づいて自分にとっての相対性が拡大する」という日本語の意味が全く分かりません。分からない以上それを前提として語っている積りがあろうはずもありません。この意味の解説はもう結構ですとしか言いようがありません。私が述べてもいないことを、それが私の前提だとおっしゃり、それなら噛み合わないとおっしゃるなら、それはこのやりとり以前に噛み合わない原因があるとしか思えません。つまり貴方は市場原理が嫌いだ、拒否したいと。私は、市場原理は否応なし、つまり善悪判断、好き嫌い以前に生活の中に入って来てしまうと考えて、それなら拒否しても仕方ないのでポジティブに捉えなおす余地はないのか、と。違いますか?


    また、私が
    >もし一切の金銭的インセンティブがクリエイティビティの害となるなら、彼は一切の活動とボランティアでやらなければならないと言う理屈になります。そんな事はあり得ないでしょう。だから程度問題と申し上げているんです。

    と申し上げたのに対し、

    >誤謬だと思います。
    と一言で切り捨てて、その後、

    >感情や気持ちを比べると仰るなら、それを止めることはできません。ただ、比較を始めたらその比較は市場原理に基づいて拡大しどんどんエスカレートすることは必至です。比較の連鎖反応さえもコントロール出来ると考えられているのですよね。
    とおっしゃっています。

    後段の「比較を始めたら...」とおっしゃっている事の論理的な帰結は、一旦比較、市場原理を導入したら後はコントロールできないのだから、一切の比較、市場原理導入はダメということになります。それなら、ピンク氏が持論を発表・出版し、自説が他と「比較して」優れていることを主張し、それで本が売れることによって経済的な利益を得るという市場原理そのものに身を置くのもおかしいということとなり、「誤謬だと思う」というのは成り立たなくなります。ここでも、比較・市場原理は直観的に嫌いだとおっしゃればそれで良いのではないですか?。なぜ、比較を始めたらその比較は市場原理に基づいて拡大、エスカレートするというテーゼを持って来る必要があるのでしょうか。それが論駁の為でないとしたら。


    私は比較の連鎖反応(これも良く意味が掴めませんが)があるとして、それをコントロールするという立場には立っているのだろうと思います。コントロールできるがどうかは分かりませんが、コントロールできないとしたら、最初から一切の比較・市場原理が私の生活に入ってくることを拒むしかないですね。それは私にとっては単に世界との接点を絶った、隠遁生活に過ぎませんし、そこに身を置く積りはありません。とすればコントロールする立場に立っているのが論理必然でしょう。ただ、このように考えたことは一度もありません。

    貴方とのやりとりはこのような結果になりそうな事が分かっていたので、退こうと思ったのです。

  7. 【2517395】 投稿者: 高校生親  (ID:PRfb5WRAKHY) 投稿日時:2012年 04月 23日 22:02

    追記です。


    このスレでは以前から「外的要因から選択をして行く方法」と「直観、自分の満足を最優先する方法」とを2分されてきたと思います。私は、済みません、浅いのかも知れませんが、それを2分できるというところにどうしても立てません。この2つは常に並存し、抗い、超克しあっていくものとしか思えません。また優劣を感じません。


    私が自分の考えを改めて信頼感様と議論を噛み合わせることができるとすれば、それは、外的要因・比較・市場原理とは一切没交渉で生きられるということを納得できる場合しかないと思っています。そういう可能性についてお示し頂ければ幸甚です。

  8. 【2517406】 投稿者: 信頼感  (ID:u964cH12D3c) 投稿日時:2012年 04月 23日 22:13

    高校生親様

    論点をすり替えるつもりもありませんし、そのようにお感じになるなら私の文章力の問題でしょう。スミマセン。アリエリを読まれていると仰るのでいろいろ省いて述べました。それで伝わると思ったので。しかし、そうではないようですね。これも私の問題なのでしょう。

    私は、議論を勝ち負けなどと考えてませんし思ったことを述べています。そこは誤解なきようにお願いします。そしてお互い感じ方が違うので、まぁ、理解することは難しいでしょう。私は市場原理が嫌いだなんて思っておりません。適切に市場原理を適用しなければ、荒れた関係になると申しているだけです。
    誤謬だと思うと申したのは、「A=BよってB=A」というお考えを基にされていると感じているからです。・・・でもそれも私が「思う」だけですから。

    高校生親様は、外側基準で物事を判断することが得意なのでしょう。私はどうしても内側基準になります。どちらが優れているということではありません。是非内側基準の人間がこの世に存在することも考慮ください。内側基準の人間は、気持ちに優劣をつけられることに敏感ですから。真意が伝わることを願っています。

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