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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2677059】 投稿者: 地域、時代  (ID:NTVFNX5ppX6) 投稿日時:2012年 09月 07日 11:13

    エエ事はエエ。
    悪い事は悪い。

    大人は難しい事を考えず、シンプルに子供達に伝える事が大切なんじゃないかな、、って。

    その後の事は、子供達が年齢を重ねるにつけ、仕事場で、人間関係で「そうもいかない事もある」と知っていくでしょう。
    大人としての複雑な人間関係の中で自分の折り合いの付け方が「本来間違っているんだろうけど」と、それを通さないといけないしな、申し訳ないが、、、、と実行にうつす人と、「自分がよけりゃ、それでエエ」、または「まるでそういう事を考えないで」通す大人では、その後に大きな大きな違いが生じると思うからです。

    ここからはリーダー論(論、っていうか、各自の自分のやり方ですよね)になってしまうのですが、
    その自覚のあるリーダーは人がついてくる。
    その自覚のないリーダーには人がついてこない。
    こういう事なんじゃないかな、って思う時が多いです。

  2. 【2677116】 投稿者: 白砂  (ID:zfEED3z4Fqo) 投稿日時:2012年 09月 07日 11:56

    「子供を信じる」って、具体的に何を信じるのでしょう。


    私は今まで子育てをしてきたなかで、何度か「親が我が子を信じなくてどうする」という言葉を聞く
    たびに、「我が子の何を、信じればいいのだろう」と疑問に思いました。


    「子供の言うことを鵜呑みにする」・・・これは、違いますよね。
    子供って、普通自分に都合の悪いことは言いません。
    いつも親から「ウソをついてはいけない」と言い聞かせられている子でも、言わないだけなら
    ウソをついていることにはならない、と自分の中の小さな罪悪感を必死に抑え込む。
    (昨今は傾向がさらに進んで、しらを切る、ウソをつく。)
    とにかく、しかられたくない。
    皆様が仰るように、短期的利益のためなのでしょうね。
    でもそれで、親が子供が言うことがすべて、と解釈して感情的になると、時として子供の予想をはるかに
    超える大事に発展してしまうこともあります。
    親は子供の事となると、とにかく感情が先に立ってしまい、冷静に客観的に考えることができにくく
    なりますし。
    私も実際に、子供が小学生の時にそういう事態を目の当たりにしたことがあります。
    当該の子供さんも引くに引けなくなって、追い詰められて非常に苦しみました。
    結局全く子供のためにならない、余計に悪くなる・・・


    そりゃあ親とすれば、ごめんなさいと謝る姿を子供に見せるよりも、子供のために戦っている姿を見せる
    ほうがかっこいいですものね。お父さんは(お母さんは)いつもあなたの味方だよ、というメッセージを
    形にして示すことができますし。


    子供には、正直になったほうが自分の得になることをわからせる、
    じゃあ、親は?
    親もいまどきは、近視眼的なものの見方に偏りがちなのですかね。
    子供に、親が頭を下げる姿を見せるということは、
    家庭の中の親と子の関係だけでなく、社会の中のひとりの人間としての立ち位置について、子供に気付かせ、
    考えさせるよい機会にもなるんじゃないでしょうか。
    (でも・・・最近は、大人でも、自分が世界の中心みたいにふるまうひとが、多くなってきたような・・・)
    ここでまた、最初の疑問なのですが。
    「子供を信じる」って、何を信じるのでしょうか。

  3. 【2677336】 投稿者: 信頼感  (ID:bBScqR/DWss) 投稿日時:2012年 09月 07日 14:57

    白砂様

    >私は今まで子育てをしてきたなかで、何度か「親が我が子を信じなくてどうする」という言葉を聞くたびに、「我が子の何を、信じればいいのだろう」と疑問に思いました。

    先ず、ウソをつくかも知れないから信じない、ウソをつかないから信じるという予断は禁物なのだと思います。

    「信じる」ことと「信じたい」の違いは、前者は「自分が勝手に相手を信じているだけ」に対して後者は「相手に対する期待」があります。(以前にも述べたことがございますが、期待は、自分の過去の失敗からの反省が源泉です。失敗を是正し今度は上手く出来るという感情です・・・過去の傷)

    前者の場合、ウソをつかれてたら腹が立つでしょうが、信じた自分の責任です。期待がないので落胆も無いはずです。もし落胆しているのなら相手に対する期待があったということ。後者は、全面的に信じていないですし、相手の取る行動によって自分の感情は影響を受けることになる。

    「子供を信じる」とは、信じた子供の結果に影響を受けない自分のスタンスのことだと思っています。ですから、ウソをつかれたり裏切られても自分のスタンスは変わらない。我が身に照らしても、いくら裏切られても子供に対する信頼はかわりませんから。
    「何を信じれば・・」ということなら、子供の可能性全てを信じること。
    「ウソをつき罪悪感を覚えコレじゃダメだと思う」可能性を信じることかな。

    >言わないだけならウソをついていることにはならない、と自分の中の小さな罪悪感を必死に抑え込む。(昨今は傾向がさらに進んで、しらを切る、ウソをつく。)

    成長過程で必ずあることだと思います。ウソをつく苦しみや小さな罪悪感を覚えることに意味があると思うのです。罪悪感に向き合う子には、「最大級の価値を持って褒める」という「得」が転がり込むことを大人から学べば理想的。

    ↓実際・・この段階で対処完了としてしまう先生も多いのでは・・・。

    行為の否定「だけ」で、終わっては・・・子供も「いわなきゃよかった・・」になりますね。(適性様)

    >ごめんなさいと謝る姿を子供に見せるよりも、子供のために戦っている姿を見せるほうがかっこいいですものね。

    親との信頼関係が構築されていれば、直ぐに戦う姿勢を見せなくても子供には安心感があると思います。逆に好戦的な養育者程、実は信頼関係に自信がないのかもしれません。親が突撃する前に先生、当事者との事実確認が重要ですよね。子供の人権を優先し曖昧な事実確認に終わるか、当事者が納得するまで予断持たずに対処できるのか・・・先生の能力次第というのが現実だと思います。

    最後に逆説的に・・・
    養育者が子供を信じなければ、子供は、養育者と他者そして自分自身も信じません。普段から信じられていない子に他者が手を差し伸べてもその手を振り払います。
    養育者が子供を信じていれば、子供は養育者と他者、そして自分自身を信じます。

    「子供を信じる」という私の主観です。
    グダグダ書いてスミマセン。

  4. 【2677504】 投稿者: 信頼感  (ID:bBScqR/DWss) 投稿日時:2012年 09月 07日 17:15

    地域、時代様

    「半日潰して・・・」って確かに何度かありました。当事者意識が希薄だったのか、何をやったか覚えていませんが・・・(汗)

    本当に素晴らしい先生ですね。半日もかけるのだから事実確認の際に先生は誘導しなかったのでしょうね。しっかり、子供達に事実確認をさせる・・・それが上っ面の確認なら、再考を促す・・・。事実に向き合えば、最大級の価値で褒める・・・俯瞰して考えられる指導者でなければ、なかなか出来ませんよね。

    >そこから、私は変わるように努力しました。
    初めて私を受け入れてくれる人がいるんだ、って安心感を得たんですね。

    時代様のポテンシャルもスゴイですね・・・
    同じ経験をしても努力する人としない人に分かれますしね。

    >「力を(中学デビューの不良)を、力(地域の悪ガキ)で押さえてつけているだけ」でしたから。

    身を持って経験されたのですね・・・。
    適性様に教えていただいたマンデラ氏の和解の話・・・小学生なら別に驚きません。しかし、大人、、しかも人種問題で和解するって奇跡に近いことだと思います。正直、大人のイジメを無くすことは不可能だと思っていました。だから、世代間で繰り返さないように対処するしかないのかなって漠然と考えていました。逆に人種問題という一つ項目だけだったから対処できたのかな・・・・考えさせられます。

  5. 【2677514】 投稿者: 適性  (ID:GSH30VZ/4vg) 投稿日時:2012年 09月 07日 17:23

    ■地域、時代さん
    *****************************************************
    その時、恩師から「よく言った。よく謝った。」って褒めて貰ったんですね。
    私にすれば「え?」って感じです。
    自分が暴力で男の子達をボコボコにしてた事は私自身も悪い事だとはわかっていましたから。
    そして、そこから、先生は徹底的に私の擁護にまわったんですよ。
    正直、びっくりしました。
    *****************************************************

    >先生は徹底的に私の擁護にまわったんですよ。

    いやいや、いい話ですね~。ハンカチが・・・(〒_〒)ウウウ 

    ※えっ?カオナシじゃないですよ・・涙です・・(笑)

    「事実に向き合う者へは最大級の価値をおいて褒める」の実践が、『あった』のですね。
    そして、それが、地域、時代さんの・・大きな転換点だった。

    しかし・・もし、地域、時代さんが『認めない』と「そこ」へ、たどり着くことが出来なかったわけです。
    先生も、賭けにでましたね。先生、偉いな・・・これは、先生の「勇気」ですよ。


    現在も、良心的な多くの先生は、
    「事実に向き合う者へは最大級の価値をおいて褒める」ことを「したい」のかもしれません。
    (希望的見方かもしれませんが・・)

    しかし、現実は、そこまで、『たどり着けない』もどかしさ・・・と、もしかしたら、諦めさえあるのかもしれません。
    確認することが・・問い詰めることが・・・人権侵害的な雰囲気??そして、賭けにでれない。
    今なら・・・「うちの子を、つるし上げにするつもりか!!」でしょうか。
    先生に「勇気」がでないのも、わかります。

    ■『認めること』の大切さ、『認めること』に最大級の価値をおいて褒める。
     それは、子供の大きな『飛躍』『気づき』のきっかけであって、チャンスにもなるのですね。

    問題行動である、暴力や、誹謗中傷を『否定』することと。・・ 同時に・・
    事実を認め、事実に向き合う者の「勇気」に、最大級の価値をおいて褒めて『肯定』すること。
    同一人物に、対して、シンプルな『否定』と『肯定』は、「同時に存在」していいのですよね。

    失敗しない子も、ウソつかない子も、ずるしない子も、いません。
    そこは、何度も、チャンスがあるわけです。
    短期的利益の為に、そのチャンスが、失われるわけですね。

    「勇気」は「勇気」です。
    自分の、過ちを認めるのも「勇気」ですし・・・
    また、いじめを、先生に伝えるのも「勇気」ですよね・・・

    ********************************************************
    勇気をふるっていじめをいけないと思って、先生に伝える子。
    皆でなんとかしようとする子を、「誰か」(先生であり、保護者)が守ってやらなければいけない。私はそのように思います。
    ********************************************************

    やはり、リスクを負った「勇気」には、先生が、保護者が、社会が、「勇気を褒め」勇気に応え、『守ってあげないと』・・・次の「勇気」は、なくなるでしょう。
    全てが、うまくいくわけじゃないが、できないことはできない、でも「できるだけの努力」を、してあげて欲しい。

    地域、時代さん・・このセリフ・・覚えてます?

    『後悔なんてしないっっ しちゃダメだっ だって私のした事は ぜったい まちがってなんかない!!』 (3月のライオン 川本 ひなた)

    なんてことに、ならないように・・してほしいですよね。
    生徒を、先生が守り、その先生を学校が守り、その学校を社会が守るように、しないと・・・ばらばらでは、難しい。

    蛇足ですが・・WIKIで・・
    >このいじめに関するエピソードは、実話(羽海野の姪が、クラスでいじめられていた子
    >をかばった時の話)を元にして描かれている

    書いてますので、姪の「勇気」に、漫画家として、応えたかったのでしょうね。偉い。


    ■現在は、子供の人権??への配慮がいき過ぎて・・・
    『事実を認めるないこと』も子供の人権のような感じさえしますね・・・

    社会が『認めること』のメリットを、もっとアピールした方がいいのでしょうね。
    『認めること』への「勇気」・・その「勇気」だけでも、十分褒める価値がある。
    それが、周囲で、多くなれば・・・徐々に雰囲気が変わるかもしれません。

    日本人は、よく「水に流す」といいますが・・お互いに、同じものを認識して、流すことができる。片方にしか、見えないことになっているものを、流したって、まったく、意味がない。

  6. 【2677517】 投稿者: 適性  (ID:GSH30VZ/4vg) 投稿日時:2012年 09月 07日 17:26

    ■白砂さん

    >「我が子の何を、信じればいいのだろう」

    子供は、未完成品ですし、親も、いまだに、未完成品です。
    未完成品が未完成品を信じるのです・・・

    都合の悪いこでも隠さず、ウソはつかない・・なんてことを「無条件」に信じるのではなく。
    都合の悪いことは隠すし、ウソもつくかもしれないけど・・・・その「結果」は、親子で、一緒に受け入れるということでしょう。

    子供は、被害者にもなるし、『加害者にもなる』というのが、現実です。

    ***************************************
    ■タガタメ■ ミスチル

    子供らを被害者に 加害者にもせずに
    この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
    でももしも被害者に 加害者になったとき
    出来ることと言えば
    涙を流し 瞼をはらし
    祈るほかにないのか?

    ・・・・・

    子供らを被害者に 加害者にもせずに
    この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
    でももしも被害者に 加害者になったとき
    かろうじて出来ることは
    相変わらず 性懲りもなく
    愛すこと以外にない
    **************************************

    「我が子の何を、信じればいいのだろう」???

    何を?・・・何を信じるのでしょうか?


    私は・・・・

    我が子の『幸せ』を、信じている。(不幸を信じてる親なんかいないですからね)

    なにが、幸せかもわからないし、保障はどこにもないけどね。
    それこそ、絶対的に、信じてあげればいいし、誰にも、迷惑がかからない。

    我が子の、ウソを発見し、それが、我が子の「幸せ」を脅かすものであるなら、そのウソと対決するこももあるだろうし。
    我が子の、プライドを守る為に、前にでて、引かないこともあるでしょう。間違ってしまうかもしれませんが。

    他人の子を気楽に「あの属性なら、役に立たない、ろくなもんにならない」と、いうような、まるで「不幸」を願っているかのうような発言を続ける人を見ると・・・なーんか腹が立つのですよね。
    これでも、我が子の『幸せ』を、信じている・・親なもんでね・・・。

  7. 【2677912】 投稿者: 通りすがりの企業人  (ID:Sm7/0rWj/qo) 投稿日時:2012年 09月 07日 21:46

    量的さまや地域、時代さま、みなさまのリーダーシップ論、興味深く読ませていただいています。

    私自身、リーダー型と参謀型に分ければ、間違いなく後者なので、語るべき蓄積がないのですが、、、、。

    前の開発部隊では、気心を知れた部下、1~2階梯下で信頼のおける人とは、阿吽の呼吸で、私が自動サイン機になるものと、うるさく介入するもののカテゴリーわけを共有していました。それで、公式の裁量権を超えた部分でも自由に活動してもらう範囲をつくっておりました。私なりに考えた、サボリの方法、兼、部下育成の方法ですが、円卓的マネジメントと言えるかも知れません。

    今の部隊では、まあ事務系職場でもあり、そこまでの意志共有には至っておりません。まだ、手探りが続いておりますが、ぼつぼつとやっていこうと思っております。

  8. 【2677921】 投稿者: ピース  (ID:6PhWGAjKSD.) 投稿日時:2012年 09月 07日 21:49

    白砂様


    >「我が子の何を、信じればいいのだろう」
    私はわが子の可能性を信じたい、と思います。


    皆様のお考えを読んで私もいろいろと考えたのですが、やはりそこに行き着いてしまいました。
    今どんな状態であろうとも可能性を信じる事できっと道は見えてくると思うので。
    ちょっと甘いのかも知れませんが。

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