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【2444410】私立中学の価値ーゼロ 

投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

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  1. 【2453422】 投稿者: 離陸  (ID:M5eKV8HHXQM) 投稿日時:2012年 03月 02日 23:30

    地域、時代さん、

    コロンビア大学白熱講座{選択」のテーマを子供と一緒に見て、
    子供に究極の選択の質問をしました。
    「パパとママが離婚したら、どちらに着いて行く?」

    「うーん、ママかなぁ」
    「ママと一緒にいたい」

    ・・・どうも究極の問いではなかったような気が・・・

    妻は、笑いながら、しっかり私をフォローしてくれました。

    やはり、子供にとっては母の力、影響力(絆みたいなものでしょうか)は甚大です。
    実際、私は家庭学習での方向付けはしましたが、子供達が伸び伸びと育ったのは妻のおかげだと感謝しています。


    量的さんが、中教審第一次答申での、新学習要領を実施するに際しての重要な事項(ISSUE)をあげましたが、そのうちのふたつに関して、次のように考えます。

    ① 「生きる力」の意味や必要性について、学校関係者・「保護者」・社会の間に十分な共通理解がなかった。

      => 保護者が子供に「生きる力」の意味や必要性考える機会を与えることが有効と考えます。 


    ② こどもの自主性を尊重するあまり、教師が指導を躊躇する場面があった。
     
      => 上記に保護者も加え、子供の年齢に応じた係わり方で指導やヒントを与えることが有効と考えます。


    親は保護者として、子供の正しく健全な成長に責任を持つからには、成長と共に自主性を尊重しつつ、子供に知らない社会性とか仕事や社会での関わりを教えて選択肢を増やし、その中で個性に合ったより良い選択が出来るように支援するスタンスが良いと考えます。それによって、子供に考える機会を与えて、心の成長と自立に結びつくのでしょう。
    それは、絆の強い母が、日常生活の中で機会でサポート出来るのだと思います。
    家では、子供は、大抵妻の次(持て余す時)に私に相談です。

    親の関わりが何らかの形で必要だと信じるからこそ、このスレで意見の交換をするのです。
    そういわけで、地域、時代さんをはじめ、こちらの学校価値スレで意見を述べるお母様方には、ただただ感心するばかりです。

  2. 【2453464】 投稿者: 地域、時代  (ID:IBVAY.esfaU) 投稿日時:2012年 03月 02日 23:53

    離陸様

    離陸様も見て下さっていたのですね。
    私もサンデル教授の方、見ました。
    いつものサンデル教授の授業ではなくて、面白かったです。


    究極の選択。ですね(笑)
    うちの息子なんか、「う~ん」ないかも、、。
    「過程が大事」=「家庭が大事」
    採用担当様が作って下さった、この言葉、すごく大切にしています。

  3. 【2453468】 投稿者: 離陸  (ID:M5eKV8HHXQM) 投稿日時:2012年 03月 02日 23:54

    適性さん、

    堰きを切ったような怒涛の1週間だっとと思います。
    どうも、お疲れ様でした。


    私は、これで良かったのだと思います。
    教育や学習の価値という共通の価値を求めながらも、その中に含まれる対象への価値観の違いにこだわることによって、議論が共通の価値とは離れたところで団子状態になってしまい(囲碁でいうところの、多くの石が密集する割には、それに見合った活きた眼目がたいして状態)議論の形の悪さを感じていました。
    議論は、課題を洗い出して、経験や論理から分析的に捉えて、課題を紐解いて価値を見出す、流れで行いたいものです。

    適性さんの鋭い論点、正義感満ちた感受性、そして納得の例え話は、いつも楽しく読ませていただいています。

    また、よろしくお願いいたします。

  4. 【2453489】 投稿者: 離陸  (ID:M5eKV8HHXQM) 投稿日時:2012年 03月 03日 00:07

    動機さん、

    お城様の大学受験、
    学校進学は縁の合った学校が一番だと思います。
    進学先で学び夢に向かって大きく成長されることを祈念いたします。

  5. 【2453520】 投稿者: 地域、時代  (ID:IBVAY.esfaU) 投稿日時:2012年 03月 03日 00:30

    適性様

    さっき、適性様に「OK牧場♪」って言ってから、頭の中、ガッツ石松さんの顔ばっかり浮かんできます。

    しょ~しゅ~りっきっの美少年を思い浮かべてみるのですが、ダメです。
    さすがチャンピオン、ガッツさんは強いです(笑)。

  6. 【2453546】 投稿者: 量的(「生きる力」習得議論経緯から②)  (ID:OSUXmG3sukw) 投稿日時:2012年 03月 03日 01:17

    少々、丁寧な議論なので、ご興味ない方はどうぞ、スルーください。
    (と言ってもスペースの関係で、雑駁にしているところも、結構あります。予めご容赦ください。)
    少々長くなってます。・・すみませんです。


    「生きる力」の定義の部分について信頼感さんからもご意見いただきましたが、2008年1月17日の新学習要領の基本理念を検討するには、やはり、1996年7月19日第一次答申から引き継がれている「生きる力」の定義の部分から、丁寧に意味する内容を見る作業が必要と考えます。

    (このことは2008年中教審答申本文中に、1996年の定義であるという明確な言及がなされているので、わたくしの解釈ではなく事実となっています)少しづつここに注目して検討して見ようと思います。・・ボチボチやってみようと思います。

    ここに注目する理由は、”獲得すべき「生きる力」”を、Issueとして的確に捉え切り出して、それを教育に活かす、具体的には各教科別および総合学習あるいは部活慟、「学校以外の学び」も含めた広角学習的なのスコープの学びをイメージするなら、それが、注意深く、設計できているのかを、順に、量的の目線から見ていきたいためです。(勿論、否定的にではなく、建設的にデスが。)

    ところが、2008年の答申には、肝心の「生きる力」の定義文の原文が引用されていないので、ちょっと不便です。
    そこを元の1996年を読んで取り出しておきます。その部分は下記です。


    <1996年第一次答申から、「生きる力」の定義に関わる全文>
     このように考えるとき、我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。

     [生きる力]は、全人的な力であり、幅広く様々な観点から敷衍することができる。
     まず、[生きる力]は、これからの変化の激しい社会において、いかなる場面でも他人と協調しつつ自律的に社会生活を送っていくために必要となる、人間としての実践的な力である。それは、紙の上だけの知識でなく、生きていくための「知恵」とも言うべきものであり、我々の文化や社会についての知識を基礎にしつつ、社会生活において実際に生かされるものでなければならない。
     [生きる力]は、単に過去の知識を記憶しているということではなく、初めて遭遇するような場面でも、自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力である。これからの情報化の進展に伴ってますます必要になる、あふれる情報の中から、自分に本当に必要な情報を選択し、主体的に自らの考えを築き上げていく力などは、この[生きる力]の重要な要素である。
     また、[生きる力]は、理性的な判断力や合理的な精神だけでなく、美しいものや自然に感動する心といった柔らかな感性を含むものである。さらに、よい行いに感銘し、間違った行いを憎むといった正義感や公正さを重んじる心、生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理観や、他人を思いやる心や優しさ、相手の立場になって考えたり、共感することのできる温かい心、ボランティアなど社会貢献の精神も、[生きる力]を形作る大切な柱である。
     そして、健康や体力は、こうした資質や能力などを支える基盤として不可欠である。

     このような[生きる力]を育てていくことが、これからの教育の在り方の基本的な方向とならなければならない。[生きる力]をはぐくむということは、社会の変化に適切に対応することが求められるとともに、自己実現のための学習ニーズが増大していく、いわゆる生涯学習社会において、特に重要な課題であるということができよう。

     また、教育は、子供たちの「自分さがしの旅」を扶ける営みとも言える。教育において一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることの重要性はこれまでも強調されてきたことであるが、今後、[生きる力]をはぐくんでいくためにも、こうした個性尊重の考え方は、一層推し進めていかなければならない。そして、その子ならではの個性的な資質を見いだし、創造性等を積極的に伸ばしていく必要がある。こうした個性尊重の考え方に内在する自立心、自己抑制力、自己責任や自助の精神、さらには、他者との共生、異質なものへの寛容、社会との調和といった理念は、一層重視されなければならない。
     今後、国際化がますます進展し、国際的な相互依存関係が一層深まっていく中で、子供たちにしっかりと[生きる力]をはぐくむためには、世界から信頼される、「国際社会に生きる日本人」を育てるということや、過去から連綿として受け継がれてきた我が国の文化や伝統を尊重する態度を育成していくことが、これまでにも増して重要になってくると考えられる。
     我々は、[生きる力]をこのようなものとして考えたところである。 (引用以上です)



    さて、これを、まずは順番に淡々と考えて行くと、

    ①第一文前半は、
    「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。」とあるが、こども達に必要というのが、誤解を招く表現ではないかと思います。「子供がそれぞれの教育課程を経て、大人になったときに獲得志手ほしい個とは、それぞれの生きる社会において、」 ”自らの課題を見つけ”、”自ら(課題解決に必要な知識・技能を)学び”自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、となるはず。

    ②第一文の後半は、「また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。」
    この部分は、中でも少し読みにくい。「生きる力というのが、問題解決に向けた能力であるという考え方に沿った記述が前半とすると、おそらくこここは、大人になったその本人が、社会で協調性を持っていきるための柔軟な心、あるいは他者への思いやり、多様な感受性への理解、あるいはコンプライアンス・忠義心・公徳性など人間関係やモラルや、あるいは持つべき強い精神力を指していると思われる。(しかし、理解の為にはより詳しい記述や、具体性が加わると良いところ)また、たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない、として、知識・感情あるいは身体の全部について語ろうとしている。実際、「我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。」とある。先に読み進む。

    次は、・・・

    [生きる力]は、全人的な力であり、幅広く様々な観点から敷衍することができる。
     まず、[生きる力]は、これからの変化の激しい社会において、いかなる場面でも他人と協調しつつ自律的に社会生活を送っていくために必要となる、人間としての実践的な力である。それは、紙の上だけの知識でなく、生きていくための「知恵」とも言うべきものであり、我々の文化や社会についての知識を基礎にしつつ、社会生活において実際に生かされるものでなければならない。
     [生きる力]は、単に過去の知識を記憶しているということではなく、初めて遭遇するような場面でも、自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力である。これからの情報化の進展に伴ってますます必要になる、あふれる情報の中から、自分に本当に必要な情報を選択し、主体的に自らの考えを築き上げていく力などは、この[生きる力]の重要な要素である。
     また、[生きる力]は、理性的な判断力や合理的な精神だけでなく、美しいものや自然に感動する心といった柔らかな感性を含むものである。さらに、よい行いに感銘し、間違った行いを憎むといった正義感や公正さを重んじる心、生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理観や、他人を思いやる心や優しさ、相手の立場になって考えたり、共感することのできる温かい心、ボランティアなど社会貢献の精神も、[生きる力]を形作る大切な柱である。そして、健康や体力は、こうした資質や能力などを支える基盤として不可欠である。

    となっており、先ほどの豊かな心の部分も文章が書かれていて判りやすい。人とのチームワーク形成ばかりではなく、集団の論理を越えた視野でモノを見る必要性から、人権・正義感について言及されており、これはそうだと思う。コンプライアンスの要素も実質視野に入っていると思います。(なお、上に書いた精神力については言及がここではない。)


    次の部分に進むと、・・

    このような[生きる力]を育てていくことが、これからの教育の在り方の基本的な方向とならなければならない。[生きる力]をはぐくむということは、社会の変化に適切に対応することが求められるとともに、自己実現のための学習ニーズが増大していく、いわゆる生涯学習社会において、特に重要な課題であるということができよう。


    とあります。いきなり生涯学習の記述に流れているところは弱いデスガ、真意は、「継続して学ぼうとする気持」を教育野中で獲得する、だと理解して、ここは特に突っ込まないこととして、その次は、


     また、教育は、子供たちの「自分さがしの旅」を扶ける営みとも言える。

    ・・・これは、「生きる力」の先ほどの3つの柱の説明ではなく、その獲得の教育課程の様子を「自分探しの旅」と擬えています。少々文学的表現ですが、判るかと言えば判ります。「教育において一人一人の個性(***)をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることの重要性」を指摘している部分と思います。

    次は、

    「教育において一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることの重要性はこれまでも強調されてきたことであるが、今後、[生きる力]をはぐくんでいくためにも、こうした個性尊重の考え方は、一層推し進めていかなければならない。そして、その子ならではの個性的な資質を見いだし、創造性等を積極的に伸ばしていく必要がある。こうした個性尊重の考え方に内在する自立心、自己抑制力、自己責任や自助の精神、さらには、他者との共生、異質なものへの寛容、社会との調和といった理念は、一層重視されなければならない。」

    ・・・ここは異論無いところです。

     今後、国際化がますます進展し、国際的な相互依存関係が一層深まっていく中で、子供たちにしっかりと[生きる力]をはぐくむためには、世界から信頼される、「国際社会に生きる日本人」を育てるということや、過去から連綿として受け継がれてきた我が国の文化や伝統を尊重する態度を育成していくことが、これまでにも増して重要になってくると考えられる。
     我々は、[生きる力]をこのようなものとして考えたところである。


    ・・・・となっています。個々の部分には、まだ、国際社会・グローバル化でのこの「生きる力」の変化点は何かなど、この最後の部分は少々、競争環境の中での能力の要求度が高いこと、語学のハンディの問題、日本と欧州各国、アメリカの近代以降とくに1750年以降の発達段階の違いで、カルチャの違いなどに加え、近年のアジア各国の、ある意味で”富国強兵期」の日本に近いほどの、苛烈な教育熱が続いて射ル環境も加わった教育重視政策から、彼我のギャップを埋める努力をする必要がある。このことは、従来との変化点でもあり、「グローバル化」をキーワードとする、「生きる力」の変容であり、注目点である、など補強する議論がるとより、判りやすいかもしれません。

    定義部分でも明確にした方があとあと、良さそうな部分が他にもありそうですが、ひとまず、主な所を
    読みを終えて、大きフレームワーク野部分に戻ってみましょう。


    ここまで読んできて、、各教育段階の子供に課題発見を要求しているような誤解を受ける表現担っているのは改めるとして、大人になってからのIssueの把握能力と高い課題解決能力というのは、よく判ります。ここは、1996年あるいは2008年答申の「生きる力」と同意見です。

    思い出すと、先に言及していた、「宇宙飛行士選抜試験」(光文社新書)で、NASAとの面接で最上級の賛辞があった候補者が合格しなかったのは、個人および集団の「課題解決能力」の部分でした。それは省庁的で、われわれも研究か発現場、あるいは企画・戦略では、全く同じ思いです。能力が要求の基準に比して低い(→要求水準は仕事で変化します)とそもそも、その候補者が、他が良くても俎板に載らないということです。残酷でとても厳しい面があります。

    また、豊かな心の部分は、個人的には、「折れない精神力」を加えるべきではないか、と思います。
    今野教育が、この部分を視野に入れていないことは、如実の若い世代の教育効果に、ひょっとしたら反映しているかも知れません。仮に、部活にこれを担わせるなら、「必修クラブ活動」のような緩いものではなく、厳しい活動、メニューがある程度必要ですが、・・この部分を再度、好意的に考えれば、(折れない/不屈の精神力)は、Issueとしては認識しているモノの、全員に課すべき物ではないとの認識があり、OPTIONとして敢えて外しているところかもしれません。(別途検討したいところです。)

    身体の強化、健康の維持の部分は、確かに一般論としては、そうですし、突っ込みを入れるところでもないですが、敷いて言えば、健康度というのも、多様性があると思います。プロスポーツ選手の健康度と、化学者の健康度もハードルが違うでしょうし。多様性についてはここの部分でも同様にあり、取り敢えず配慮すべきかも知れないデスね。また、わたしはあらゆる段階の子供の生活基盤の再確認、例えば朝ご飯を食べるとか、規則正しい生活とか、そういう部分の、健全な生活に言及した「生きる力」があって、学校と家庭のクロスリンクだという記述をした方が良い様に思いました。


    まったり書いていてすみません。
    ご興味でてきておられる方は、次回もできたらお付き合いください。

    (続きます)

    (***)
    わたしは私見では、ここの文脈で「個性」ということばを使うのは誤解を招く表現ではないかと考えます。「生徒の感じ方の多様性、発送方法や受け容れ方の多様性」がよりふさわしいと思います。大人になってからの個性と子供の多様性は違うもので、大人の個性とは、同じにしようと思って努力して努力して同じレベルに上がろうとする中で消失するくせとは別に、磨かれて浮き出てくる、かけがえのないモノそれを教育分野では「個性」定義して、と呼ばないと行けないのではないか、と考えています。

  7. 【2453548】 投稿者: 量的  (ID:OSUXmG3sukw) 投稿日時:2012年 03月 03日 01:20

    動機さん、
    お嬢さんの受験、うまくいくとよいですね。
    皆様、くれぐれも身体をこわされないように。。

  8. 【2453549】 投稿者: 量的  (ID:OSUXmG3sukw) 投稿日時:2012年 03月 03日 01:25

    離陸さん、
    同感です。それをこちらのスレでやっていこうと思っています。適性さんや離陸さん、信頼感さん、それに、地域・時代さん、公立一貫さん、シルバーストーンさん、ピースさんはじめ強く盛り上げていただける皆さんがいるので、一週間300のスレッド、50週では、15000スレッドです。・・できるでしょう。
    (無暴??にも)


    ① 「生きる力」の意味や必要性について、学校関係者・「保護者」・社会の間に十分な共通理解がなかった。
      => 保護者が子供に「生きる力」の意味や必要性考える機会を与えることが有効と考えます。 

    ② こどもの自主性を尊重するあまり、教師が指導を躊躇する場面があった。  
      => 上記に保護者も加え、子供の年齢に応じた係わり方で指導やヒントを与えることが有効と考えます。

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