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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2316899】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 05日 10:32

    地域・時代さん
    そして後半は老眼さん、離陸さん、適性さん、


    得がたい経験の中で人生最大の恩師に出会いをされた小学校時代が、地域・時代さんの今の根幹を作っているように思われ、すばらしいです。


    ・・話を、幼児小学校教育の目線に戻せば、そのような集団教育を軸に、人間力のあり、注意深く生徒の行く末をイメージしてケアできる、また生徒の「キャラ」も尊重していける先生を採用するのが、「先生の採用基準」であるべきです。また、実験もなしに、電池の電流・抵抗の問題や、位置エネルギーの保存則を使う問題などを丸暗記と表面的なテクニックで解くことが習慣づけられることが、小学生時代に行われることは、まあ、良いはずはないのです。(大手塾の教材を見たとき、その”破壊された教育”ぶりにビックりしました。)わたしは、母のおかげでそんな塾に入れられる代わりに、せいぜい授業と、土曜日に地域の科学センターにいったり、寺子屋の筆子として育ったこと、


    算数の問題を自分で毎日毎日作って先生の机の上においていたりしていたこと(担任の先生には無視されましたが)は、今考えると、想像以上によかったのだな、と思います。新しい駄洒落を自分で毎日100個作る目標を決めて沢山作ることにしていたことなども、よかったなと思います。


    要は、幼児・小学校時代は、自分で吸収するので、教えない教育が必要ということでしょうか。
    ・・・ほんと、月並みですね。老眼さんに、「何か書け」と仰って頂いても、わたしの経験と思いつきでは、これくらいです。。


    (*)
    東京都の教員採用2次試験のような、「われは海の子」のピアノが弾ける弾けないとか、水泳25m泳げるとか言うべきでないですよね。(水泳、それはそれで溺れた子をすぐ飛び込んで助けられる、とかあると思いますが、15mでも2回に分けて泳げば良いわけですし、東京都であれば複数名で感得するでしょう。pianoができるという評価軸も、「指導力」を軸にみたらと言いたい)・・・ちなみに量的は小学校の先生には本来、向かないと思っていますが、それよりも25m泳げないので、小学校の先生試験には合格しません。(笑)

  2. 【2316914】 投稿者: 地域、時代  (ID:ArztdBfx5S.) 投稿日時:2011年 11月 05日 10:50

    未来様

    村八分っていうのは、お葬式と家事の時は協力する(2分)、という意味ですよね。
    やっぱり、日本人は完全に相手を排除という徹底的なやり方はしませんよね。
    そこが、、他者への過度な干渉になり、信頼感様がおっしゃるように~幼少期までの他人から負わされた負の感情と他者への干渉が接触した場合、いじめなどが発生するのかな?と漠然とですが感じます。

  3. 【2316915】 投稿者: 老眼  (ID:JyE2HLw.NVU) 投稿日時:2011年 11月 05日 10:51

    >こんなことを述べてもこちらの皆さんは、スルーなのでしょうけど。


    いいえ、じっくり読ませていただいています。

  4. 【2316921】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 05日 11:03

    <いじめの抜本策? その1>

    ほんの独り言なのですが、わたしは「キーワード」での議論がかみ合わないことが多いと思うので、ここではしないようにしています。それぞれのアプローチの仕方の違いが根っこにあり、掲示板で整合した議論にもっていくことに限界があると思いますので。



    「これはこう、あれはこう、とキーワードで議論をはじめて、それで整理がつくことを固めようとされると、表面的には良いデスが、抜け落ちるグレーな段階の物や様々違うものが関係している部分がフォローできません。
    結局「空しい」言葉の議論で本質を外すように思われます。(→その余白部分、切り出したキーワード以外のところに「得体の知れないが重要な存在」に対して、無力なアプローチだからです。)



    わたしが中高生に教えるときは、できる子には、「物事をやたらに細かく分けて小手先で考える必要はありません、国語も、英語も、数学も、物理も、歴史も結局は、べつのことをしているわけではない。面白いこの世界を様々に切って見せている断面だ」ということを伝えるようにしています。そう教えれば、
    例えば、古典で描かれる社会のありよう、世界史で示される経済・節約の重要さ、理科の環境・エネルギー論、地理の資源論など別物とは到底思えないはずですし。


    その例は、いじめの抜本対策でもそうですね。
    省庁野縦割りとどうように人々の頭の中にも,縦割りと越えがたい境界・壁が出来てきて、議論がそこで止まるか、本来でないはずの狭い分野での結論を強引にひねり出す結果になります。


    そんな、”まくら”で、ちょっと考えてみると、・・
    (続きます)

  5. 【2316925】 投稿者: 無常感  (ID:w3mt3qJpNt2) 投稿日時:2011年 11月 05日 11:08

    「いじめ」の問題ですが・・まあ、これはよく考えたら、子ども固有のテーマではなくて、
    大人も含めて社会全体が内包している「暴力」の問題なんでしょうね。

    文化的な秩序が崩れて発生した過剰な生命エネルギーが、他者に対してむき出しの形で侵犯する。

    憎しみの連鎖が社会全体をおおったら、致命的な打撃となりかねないので、
    共同社会の内部の緊張、怨恨、敵対関係など相互の攻撃志向を吸収するための
    文化装置として生贄の儀式があった・・ということかと。

    生贄とまでいかなくても、お祭り、スポーツ、飲み会・・何らかの形でのガス抜き・・
    負の過剰エネルギーを鎮めるものが、それに相当するものなのでしょう。

    そういったエネルギー自体の発生をコントロールするのは、不可能なのだろうから、
    どうやってそれを鎮めるのか・・そういった文化装置の智恵が大事ですね。

    そういった意味で、機会均等というフィクションはとても重要だと思います。

  6. 【2316937】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 05日 11:17

    <いじめの抜本策? その2>


    いじめに至る根っこの議論なども、どうもそう見えます。


    父性・母性の具体的なあり方、というのは社会のありようからの影響が大で、ということは100%そうですね。でも、だとすれば、教育という狭い範囲を議論しても解がない。正の数で解が無ければ負の数まで拡張すれば良い、有理数でだめなら無理数で、いけばよい。しかし、そうやって議論をしていくと、体系が数学のようにしっかりしていて、見通しがつく場合はいいけれども、教育を含む政治的な施策(=たとえば教育行政への要望)などの場合には、「昔の熱海の温泉旅館の増築」のように、ビジョンなき拡張になってしまい、整理して議論しているつもりが、一層の混沌、つまり、議論がぐちゃぐちゃになります。


    わたしは、信頼感さんの書き込みには同感するところが少なからずありますが、とてもハイレベルな部分なので掲示板で上手に記述して議論できる自身はないです。少なくとも、教育で断片的に議論されているあるいは指摘されている、「鍵っ子問題」(Term が古いですか?)「携帯電話」「ネットの情報への無防備な暴露」では、親の目が届かない状態が30年前に比べて格段に容易に出来るようになったこと、で、行き過ぎた自由度、場合によっては野放しになっていることが、教育以前、として、あるように思います。


    そのような、教育以前のことを、学校で直そうというのは、マスプロ教育を思考して作られた高コスト体質の”学校”では難しい。教育というとすれば、少なくとも、出発点は、家庭教育で、そのバックグラウンドとなる社会のありようの部分の議論でしょう。ここの議論は、レポートの前段部分にしか過ぎず、メインの議論にならないので、結論は書きようがない、ということになりやすい。


    信頼感さん
    書き込み興味深く、重要な指摘と拝見をいたしました。


    <信頼感さんWrote >
    イジメの根っこは、幼児期、学童期の母性不足、理不尽な父性などによる信頼感の欠如→自律性の希薄が基盤となり、学童期、青年期での心の傷が投影という責任転嫁に発展することで引き起こされると思っています。
    イジメに対処した具体例は、行動として参考になります。しかし、イジメの手口やその対処を学んでも、ボタンの掛け違いを見いだす方向に目は向かないし、イジメはなくならない。そもそも、イジメはなくならないという前提で話されているようにも感じます。

  7. 【2316944】 投稿者: 未来  (ID:R4KjSl9Y91U) 投稿日時:2011年 11月 05日 11:33

    無常感さん


    >「いじめ」の問題ですが・・まあ、これはよく考えたら、子ども固有のテーマではなくて、
    大人も含めて社会全体が内包している「暴力」の問題なんでしょうね。

    文化的な秩序が崩れて発生した過剰な生命エネルギーが、他者に対してむき出しの形で侵犯する。


    そういう側面もあると思いますね。


    国によっては攻撃目標を自国政府ににもっていかないよう
    国民をコントロールして情報を外からもってこない
    他国を攻撃することによって転化している場合もありますね。


    個人ベースでもこうやって
    無意識の中で転化している場合もあると思います。

    それとともに自分自身も冷静に達観していく目をもたないと
    おそらく感情というものはアップダウンして定まらないものとも
    なるのではないかと考えます。


    感情豊かであるのと
    時には、いかりを表現した方が効果的であることから
    その手法をとることも さまざまにありますけれど。

  8. 【2316951】 投稿者: 未来  (ID:R4KjSl9Y91U) 投稿日時:2011年 11月 05日 11:44

    量的さんの書かれているように


    >携帯電話」「ネットの情報への無防備な暴露」では、親の目が届かない状態が30年前に比べて格段に容易に出来るようになったこと、で、行き過ぎた自由度、場合によっては野放しになっていることが、教育以前、として、あるように思います。


    中学からブログを始めている子もいますし、
    匿名でやっていても実はまわりみんな知っているし、
    男女交際のことも書かれている


    しかも人によっては写真まで公開
    おそらくおきまりの形で低年齢化していく
    ネットリテラシーの勉強は中学校からはされているようですが、
    自覚のある子ははじめから中学からブログも持っていない
    親もしっかりと教育していることが多い。


    こういう実情ですよね。

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