最終更新:

10073
Comment

【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【2316980】 投稿者: 未来  (ID:R4KjSl9Y91U) 投稿日時:2011年 11月 05日 12:19

    無常感さん


    >造物主が子どもを造ったときには、汚れの無い善なる存在だが、人、社会の手を経るごとに穢れ悪となっていく。


    私個人的には キリスト的解釈より(本に書いてあった)
    ルソー的に、子どもは善なるものだが社会の手によって悪となっていく
    のほうが、理解できるというかそちらの方でとらえた
    考えのほうが納得できます。


    私の知人で、家族がクリスチャンの家庭で
    キリストの人は生まれながらに罪びとであるという部分に
    圧迫されてしまって。

    精神的に動けなくなってしまったことを知っています。


    これをキリスト教的な解決方法で解くには
    大きな山があるんだと感じています。

  2. 【2316992】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:vsY.pkVocmE) 投稿日時:2011年 11月 05日 12:47

    地域、時代さんへ


    「青春記」の前半と後半ではがらっと変わって北さんが躁から鬱に移行したのであのようになったらしいです。


    往時は自分も若いため前半部分が面白かったのですが次第に後半の将来への不安や物書きになることを決意する・・・・・・・あたりに魅かれました。


    将来作家にならんとする人はさすがに日記など残しているのでああいう本が書けるのですね。私も先日父親が一人で住んでいた実家を取り壊した時に押入れの奥から私の浪人時代の日記が出てきました。


    うん十年ぶりで・・・・・・・怖さ半分懐かしさ半分で読んでみると・・・・・・・・こんなこと考えていたのかと当時の孤独や焦り、翌年合格する保証のない中での悪戦苦闘がつづられていました。


    友人に支えられその家族に支援され・・・・・沢山の人のお世話になったのだなあ・・・・・としみじみ思いました。

  3. 【2316994】 投稿者: 量的 【2316989】の修正  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 05日 12:49

    書き損なっていたのに投稿してしまったので、謹んで修正させていただきます。


    キーワードで敢えて書けば、わたしは、トランスサイエンス的な状況でエネルギー問題を議論せざるを得ないのと同様に、師弟の教育においては、トランスエデュケーション的な状況で中学受験を含む、教育メニューの議論しないと行けない中で、私立中学受験するかしないかは、ルソ-的な発想と判断基準は、中受の最終決断と全く無関係(*)ではないかな、と思っています。


    それと、人間が善なるものかどうかは、議論の香りづけになっても
    文脈にほとんど関係ないように思われます。


    むしろ未来さんがかかれた罪深さを感じて先に進めないというのは、グレゴリウス1世の「七つの大○」からのシステムで、ルター派ではまず大きく異なるし、まさにそこが、信仰のありかたの論点だったように記憶しています。


    わたしとしては、先人の言葉云々というよりも、提供すべき教育の「質」の議論です。これが、だとうな評価軸からどう紡ぎ出されてくるのか、これです。意外に身近に回答があると思います。


    (*)
    例えば、うちは、私学受験しましたが、それは今の、公立中学→公立高校のカリキュラムと私学のカリキュラムの落差の他に、今、私学と公立の差が、数十万円あったとして、それが払えて価値があると思えるか、などありますね。時代にあって、メインなルートがどちらなのか、ということが空気感をしてもあります。実力が支配的な理系と、バックグランドが少し効く文系でも少々違います。

  4. 【2317000】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 05日 13:03

    無常感さん、
    同感です。個性尊重というキーワードでは議論の仕方が稚拙?で限界がすぐあるでしょうね。


    中学校以降の教育で、個別メニューが必要になれば、個人個人の興味に対応できることが必要ですが、まず、小学校では、「個性尊重」なんてのとも違う。教育として議論すべきポイントにならないと思います。

    むしろ、どなたかの書かれた、こどもを暖かく包み込める、信頼感を学校教育だけではなく、家庭教育で作るイメージ。

    集団でまなばせる。これには、ルソー的かどうかはわかりませんしあまり興味ある点でもありませんけれども(ルソー的と言うのも、ある種言葉の遊びもしれないし)。・・いずれにしても、寺子屋式のように、丁寧に師匠と筆子の関係で学ぶなどは、手間がかかるけれど集団の形成のしかたとして個人的には良いのではないか、と思います。小規模の塾も雰囲気が良いですね。


    なお、お書きになった中学受験では別の観点で、ものを見ています。(さっき、ちょっと書きましたが)
    まあ、中立派ですが。


    <無常感さんwrote>
    議論となった「個性尊重」なんかは、たしかに、いいキーワードではありませんね。

    ・・ルソー的「個性尊重」の立場からいえば、私立中学受験なんて もってのほか ですね。

  5. 【2317008】 投稿者: 量的  (ID:gMEgW33mp2w) 投稿日時:2011年 11月 05日 13:18

    世界寺子屋ムーブメントですが、もちろん、途上国の支援で識字率の高い日本で、当然、これにまで戻ってやることではありません。そういう意味ではないですので、補足で少々かきます。


    こういう仕組みの教育を取り入れて、識字率向上とかではなく、初期の知的な教育の一部を担う発想があって良いのではないかと思います。


    集団での学びとともに、学びのスタイルが、きれいな教室、整然とした学校設備、毅然とした先生、だとしたら、すくなくとも6-12歳くらいでは、ととのい過ぎていて、やり過ぎに感じます。「場」が大事だと思います。


    もっと、いい加減なストレスのかからない部分から入ってもよいと思います。こういう”施策の追加”なら、教師の既得権の問題などの組合の難しさも幾分なりともクリアしやすいことはないかなと思います。


    問題点も多くあると思います。教師の認証の仕方、コンテンツの問題、バイアスの掛かった教育の問題、などなどです。でも、それらを実務的に克服する前提で、とっても興味深いと思います。

  6. 【2317013】 投稿者: 老眼  (ID:JyE2HLw.NVU) 投稿日時:2011年 11月 05日 13:29

    >要は、幼児・小学校時代は、自分で吸収するので、教えない教育が必要ということでしょうか。


    量的さん
    ええ、教え過ぎないということだろうと思います。


    ヨコにそれますが、
    幼児期においては、友達と共に時間を過ごすことと同様に、
    水や土との戯れなんていうのも大事かもしれないと思っています。


    レゴが無い遠い昔からわたしたち全員が世界最小のブロック遊びをしています。
    砂、泥、粘土です。
    頭ではなく体で感じて水加減を調整し、実に様々なものを頭の中で設計し、何度もやり直しながら思考錯誤して組み立てる。
    造作物は食べ物のレプリカから船、山まで多彩です。
    頭から足の先まで泥だらけになって没頭できる、そんな場所と時間がありました。
    水と土、たわいもないものですが、大変貴重なものだと思っています。


    またヨコにそれます。
    「自立」は「自立学習」というよりも、もろもろのことにおいての自立に焦点を当てて考えておりました、個人的なことです。

  7. 【2317034】 投稿者: 信頼感  (ID:LXTwhB0V4Ss) 投稿日時:2011年 11月 05日 13:59

    未来様、地域、時代様、無常感様、老眼様、量的様、他の皆様

    コメントありがとうございます。
    保護者会から戻って、今拝見しました。
    無常感様....我が子は、姉妹なものでゴレンジャーを一度も見たことがありません、、スミマセン。

    量的様....
    >「昔の熱海の温泉旅館の増築」のように、ビジョンなき拡張になってしまい、整理して議論しているつもりが、一層の混沌、つまり、議論がぐちゃぐちゃになります。

    増築しないために提示させていただいたつもりなのですが.....。

    >出発点は、家庭教育で、そのバックグラウンドとなる社会のありようの部分の議論でしょう。

    仰る通りです。
    量的様にとってこの部分は論外ということでしょうか。
    だとすれば、イジメを本気で議論しても解はないと思われます。
    イジメに限らず、原因を理解した上で対処を考えませんか?
    対処が、先にあるって.....私には、よくわかりません。

    >「鍵っ子問題」(Term が古いですか?)「携帯電話」「ネットの情報への無防備な暴露」では、親の目が届かない状態が30年前に比べて格段に容易に出来るようになったこと、で、行き過ぎた自由度、場合によっては野放しになっていることが、教育以前、として、あるように思います。

    ご指摘のような諸問題が多くあると思います。しかし、これはトリガーもしくは、増幅する理由にこそなるでしょうが、イジメの直接の原因になると....私は思えない。

    >そのような、教育以前のことを、学校で直そうというのは、マスプロ教育を思考して作られた高コスト体質の”学校”では難しい

    仰る通り教育以前のこと....文科省も見て見ぬ振り、養育者も自由という免罪符で放置、教育で扱わないとするならば、どうしましょう........独り言です。

  8. 【2317091】 投稿者: 地域、時代  (ID:ArztdBfx5S.) 投稿日時:2011年 11月 05日 15:18

    動機様

    「銅の時代」面白い。今、物書きを志す、の所です。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す